48 / 75
第3章:漂流の寄港地ー学園編
第48話:正妻の色
しおりを挟む
台所に併設されている小さなテーブルで、向かい合って食事する。
殿下はフォークを取りひと口運ぶと、噛みしめるように呟いた。
「……美味いな」
「野菜だけだから、味気ない?」
思わず探るように問いかけると、殿下は湯気越しに目を合わせてきた。
その瞳に、冗談めかした様子はない。
「いや。個人的には、このくらいシンプルな味付けの方が好ましい」
「ほんとう?」
お世辞じゃないの? とまだ胸の奥で疑ってしまう。
「嘘などつかない。……ありがとう」
その声音があまりに柔らかくて、思わず視線を逸らしてしまった。
なによ、今日はやけに素直じゃないの。
「――サンマリア地域にも、皇族専用の保養地があるんだ」
「サンマリア……南の海に面しているところですよね?」
「ああ。魚介の水揚げが豊富で、パスタの種類も驚くほど多い」
「新鮮な魚介のパスタ……想像しただけでよだれが出ちゃいそう!」
「くくっ。森も悪くないが、海の恵みも格別だ。今度、連れて行ってやる」
「え……」
「ん?」
「いえ。――楽しみにしています」
『今度』なんて日はやってこないんだろうけど。
でも。少しだけ、うれしかった。
未来を約束するって、ちょっと、心がワクワクするんだもの。
食後、殿下が茶菓子を差し出した。
離宮にいた頃、”交換菓子”をしていた職人たちに託されたらしい。
口に入れると、懐かしい甘さが広がった。
……ふふっ、うれしいな。
「そういえば――」
殿下がふと思い出したように口を開いた。
「ヘレナの護衛たちの近況だが――ジャンは、新人騎士の教育係に抜擢されたらしい。
皇太子妃の護衛を務めた平民騎士など前代未聞だからな。憧れの的だ」
「まぁ!」
面倒見のよいジャンのことだもん。
きっと、頼りになる先輩になるに違いない。
あの頃、未熟な私を守ってくれた人が、今度は若者を支える指導者になる――それが、少し誇らしい。
「ジャックは……ヘレナが離宮で勉強している姿に触発されたそうだ。
騎士を退官し、文官を目指している。もともと、そちらの方が向いていたのだろう」
「そうなのですか?」
ジャックったら。
さりげなく私の防波堤役になってくれていたものね。
彼の細やかな気配りに、何度救われたか分からない。
文官になるなんて。
やっぱり彼は、“言葉で戦う人”だったんだ。
「それからジョンは、来月から貴族学園の出納係に赴任する。事務次官に弟子入りを請うたそうだ」
学園の財布を預かる仕事だなんて、商魂たくましいジョンにぴったり!
数字に強くて、抜け目がないくせに、誰よりも仲間思い。
ジュストに弟子入りだなんて。
もう立派な、”未来を担う人”じゃない。
みんな、それぞれの道を歩んでるのね。
それに、殿下ってば。ちゃんとみんなの名前、覚えてくれてたんだ。
クッキーを噛みしめながら、嬉しさで心がじんわり温かくなる。
私も、わたしの道を――そう思いかけて、ふと手が止まった。
来年、私が成人したら離縁となる。
その先、私はどこへ戻ればいいのだろう。
公爵領? 宮殿? それとも――まだ見知らぬ、どこか?
ジャンもジャックもジョンも。それぞれの未来をちゃんと持っている。
けれど私には、まだ何にも見つかっていない。
自分だけ、足踏みしているみたいで……甘いはずのクッキーが、少しだけ苦く感じられた。
その日の別れ際。
殿下から可愛らしいリボンの付いた細長い包装箱を手渡された。
「どうせ豪華な贈り物は受け取ってくれないんだろう? これくらいは受け取ってほしい」
「……ありがとうございます」
「それから――何が起ころうと、ヘレナが学園を卒業するまで離縁はしない。学生生活は一度きりだ。存分に楽しめ」
「いいんですか?」
「言っただろう? こういう時、叔父には甘えていいんだ。……妻なんだから」
叔父なのに妻って何ですか? と言葉が出かけて、喉の奥で止まった。
“妻”。
今ので4回目。
数を数えてしまう自分が、少しおかしい、だって……。
慌てて首を振って、その感情を追い払った。
「……分かりました。よろしく、お願いします」
「ふっ。素直だな」
殿下は低く笑い、わずかに目を細めた。
そのまま、殿下の指先が左の頬をすっとなぞった。
くすぐったさに思わず身じろぎする。
なのに、触れられた頬がじんわり熱を帯びていく。
まるで愛しい女性にでもするかのような仕草に、鼓動がトクンと音を立てた。
どうして今さら、こんなふうに私に触れるんだろう……。
湯に浸かって気持ちを落ち着けたはずなのに、胸のざわめきは消えてくれない。
就寝の支度を終えてから、ようやく殿下から受け取った箱を開けた。
はじめに、殿下の筆跡で書かれたメッセージカードが目に入った。
「春といえども王国は多雨で肌寒いだろうから、腹を冷やさないように」
……風邪じゃなくて、腹?
そんな言い方、普通はしない。
もしかして。あの時のこと、まだ覚えてる?
腐ったスープを飲まされて、何日も寝込んだ新婚の秋。
……殿下って、ほんとに、変なところで優しい。
帝国より北に位置する王国は、4月に入ってもまだ肌寒い。
祖母の命日に私が里帰りすることを見越していたのだろう。
年明けからは身辺警護のための護衛も外されたのに、こんなふうに自分の身を案じてくれることが意外だった。
メッセージカードの下には、それは美しい絹で織られた、紫色のストールが納められていた。
紫色――皇族の間では、正妻だけが身に着けることを許される色。
つまりこれは、「あなたは私の妻だ」と言ってるようなもの。
こんな大層なものをいただいても、使い道に困っちゃうんだけどな……。
殿下に会うたびに、彼の真意が分からなくなる。
その美しいストールを手に取ってしばらく眺めていたけれど、綺麗に折りたたむと、再び元の箱に戻して机の奥深くへと仕舞った。
……叔父で妻。やっぱり意味が、わからない。
でも――紫の布の柔らかな感触が、なぜか心に温もりを残した。
殿下はフォークを取りひと口運ぶと、噛みしめるように呟いた。
「……美味いな」
「野菜だけだから、味気ない?」
思わず探るように問いかけると、殿下は湯気越しに目を合わせてきた。
その瞳に、冗談めかした様子はない。
「いや。個人的には、このくらいシンプルな味付けの方が好ましい」
「ほんとう?」
お世辞じゃないの? とまだ胸の奥で疑ってしまう。
「嘘などつかない。……ありがとう」
その声音があまりに柔らかくて、思わず視線を逸らしてしまった。
なによ、今日はやけに素直じゃないの。
「――サンマリア地域にも、皇族専用の保養地があるんだ」
「サンマリア……南の海に面しているところですよね?」
「ああ。魚介の水揚げが豊富で、パスタの種類も驚くほど多い」
「新鮮な魚介のパスタ……想像しただけでよだれが出ちゃいそう!」
「くくっ。森も悪くないが、海の恵みも格別だ。今度、連れて行ってやる」
「え……」
「ん?」
「いえ。――楽しみにしています」
『今度』なんて日はやってこないんだろうけど。
でも。少しだけ、うれしかった。
未来を約束するって、ちょっと、心がワクワクするんだもの。
食後、殿下が茶菓子を差し出した。
離宮にいた頃、”交換菓子”をしていた職人たちに託されたらしい。
口に入れると、懐かしい甘さが広がった。
……ふふっ、うれしいな。
「そういえば――」
殿下がふと思い出したように口を開いた。
「ヘレナの護衛たちの近況だが――ジャンは、新人騎士の教育係に抜擢されたらしい。
皇太子妃の護衛を務めた平民騎士など前代未聞だからな。憧れの的だ」
「まぁ!」
面倒見のよいジャンのことだもん。
きっと、頼りになる先輩になるに違いない。
あの頃、未熟な私を守ってくれた人が、今度は若者を支える指導者になる――それが、少し誇らしい。
「ジャックは……ヘレナが離宮で勉強している姿に触発されたそうだ。
騎士を退官し、文官を目指している。もともと、そちらの方が向いていたのだろう」
「そうなのですか?」
ジャックったら。
さりげなく私の防波堤役になってくれていたものね。
彼の細やかな気配りに、何度救われたか分からない。
文官になるなんて。
やっぱり彼は、“言葉で戦う人”だったんだ。
「それからジョンは、来月から貴族学園の出納係に赴任する。事務次官に弟子入りを請うたそうだ」
学園の財布を預かる仕事だなんて、商魂たくましいジョンにぴったり!
数字に強くて、抜け目がないくせに、誰よりも仲間思い。
ジュストに弟子入りだなんて。
もう立派な、”未来を担う人”じゃない。
みんな、それぞれの道を歩んでるのね。
それに、殿下ってば。ちゃんとみんなの名前、覚えてくれてたんだ。
クッキーを噛みしめながら、嬉しさで心がじんわり温かくなる。
私も、わたしの道を――そう思いかけて、ふと手が止まった。
来年、私が成人したら離縁となる。
その先、私はどこへ戻ればいいのだろう。
公爵領? 宮殿? それとも――まだ見知らぬ、どこか?
ジャンもジャックもジョンも。それぞれの未来をちゃんと持っている。
けれど私には、まだ何にも見つかっていない。
自分だけ、足踏みしているみたいで……甘いはずのクッキーが、少しだけ苦く感じられた。
その日の別れ際。
殿下から可愛らしいリボンの付いた細長い包装箱を手渡された。
「どうせ豪華な贈り物は受け取ってくれないんだろう? これくらいは受け取ってほしい」
「……ありがとうございます」
「それから――何が起ころうと、ヘレナが学園を卒業するまで離縁はしない。学生生活は一度きりだ。存分に楽しめ」
「いいんですか?」
「言っただろう? こういう時、叔父には甘えていいんだ。……妻なんだから」
叔父なのに妻って何ですか? と言葉が出かけて、喉の奥で止まった。
“妻”。
今ので4回目。
数を数えてしまう自分が、少しおかしい、だって……。
慌てて首を振って、その感情を追い払った。
「……分かりました。よろしく、お願いします」
「ふっ。素直だな」
殿下は低く笑い、わずかに目を細めた。
そのまま、殿下の指先が左の頬をすっとなぞった。
くすぐったさに思わず身じろぎする。
なのに、触れられた頬がじんわり熱を帯びていく。
まるで愛しい女性にでもするかのような仕草に、鼓動がトクンと音を立てた。
どうして今さら、こんなふうに私に触れるんだろう……。
湯に浸かって気持ちを落ち着けたはずなのに、胸のざわめきは消えてくれない。
就寝の支度を終えてから、ようやく殿下から受け取った箱を開けた。
はじめに、殿下の筆跡で書かれたメッセージカードが目に入った。
「春といえども王国は多雨で肌寒いだろうから、腹を冷やさないように」
……風邪じゃなくて、腹?
そんな言い方、普通はしない。
もしかして。あの時のこと、まだ覚えてる?
腐ったスープを飲まされて、何日も寝込んだ新婚の秋。
……殿下って、ほんとに、変なところで優しい。
帝国より北に位置する王国は、4月に入ってもまだ肌寒い。
祖母の命日に私が里帰りすることを見越していたのだろう。
年明けからは身辺警護のための護衛も外されたのに、こんなふうに自分の身を案じてくれることが意外だった。
メッセージカードの下には、それは美しい絹で織られた、紫色のストールが納められていた。
紫色――皇族の間では、正妻だけが身に着けることを許される色。
つまりこれは、「あなたは私の妻だ」と言ってるようなもの。
こんな大層なものをいただいても、使い道に困っちゃうんだけどな……。
殿下に会うたびに、彼の真意が分からなくなる。
その美しいストールを手に取ってしばらく眺めていたけれど、綺麗に折りたたむと、再び元の箱に戻して机の奥深くへと仕舞った。
……叔父で妻。やっぱり意味が、わからない。
でも――紫の布の柔らかな感触が、なぜか心に温もりを残した。
52
あなたにおすすめの小説
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
王太子妃は離婚したい
凛江
恋愛
アルゴン国の第二王女フレイアは、婚約者であり、幼い頃より想いを寄せていた隣国テルルの王太子セレンに嫁ぐ。
だが、期待を胸に臨んだ婚姻の日、待っていたのは夫セレンの冷たい瞳だった。
※この作品は、読んでいただいた皆さまのおかげで書籍化することができました。
綺麗なイラストまでつけていただき感無量です。
これまで応援いただき、本当にありがとうございました。
レジーナのサイトで番外編が読めますので、そちらものぞいていただけると嬉しいです。
https://www.regina-books.com/extra/login
「お前を愛する事はない」を信じたので
あんど もあ
ファンタジー
「お前を愛することは無い。お前も私を愛するな。私からの愛を求めるな」
お互いの利益のために三年間の契約結婚をしたアヴェリンとロデリック。楽しく三年を過ごしたアヴェリンは屋敷を出ていこうとするのだが……。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
老聖女の政略結婚
那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。
六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。
しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。
相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。
子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。
穏やかな余生か、嵐の老後か――
四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる