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第3章:漂流の寄港地ー学園編
第49話 選ばれなかった理由
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その日、私はサーフォーク公爵家の墓地にいた。
祖母が亡くなって、ちょうど一年が経った。
すでに誰かが訪れていたようで、生前祖母が好きだった花がいくつも手向けられていた。
湧き泉で汲んだ水に布を浸し、墓石を丁寧に磨いていく。
手向けられた花束の中に、美しい刺繍のリボンで束ねられたものがあった。
王国王室の紋章――不器用な結び方。
「……ランスロット、来てくれたんだ」
杏子と山菜を供えて、瞳を閉じる。
祖母の好きだったもの。祖母の好きだった人。
「お祖母様。そちらでは、お祖父様やお父様と会えましたか?」
組んだ指を胸元に抱えて祈っていると、背後で草を踏む音がした。
振り返ると、そこに立っていたのは――
「……陛下」
婚姻式以来、一度も顔を合わせていなかった義父だった。
「祈らせてもらえるか?」
「……もちろんです」
私は数歩横にずれて、祖父母と父の墓石の前を譲った。
陛下は膝をつき、長い時間、静かに祈りを捧げてくれた。
半分帝国人の血が流れる身でありながら、王国人として帝国と戦わなければならなかった父の苦しみ。
そんな父に刃を向けなければならなった、陛下の葛藤。
深く頭を垂れる陛下の姿を見ていると、胸が軋むほど締め付けられた。
私が愛されないと分かっていながら帝国に嫁いだのには、両国の戦禍による被害者をこれ以上出さぬよう、この身を役立てたいという思いがあったからだ。
「恨んでいるだろうな。エレナの父を、アン夫人の息子を、亡き者にしたのだから」
「祖母は誰も恨んでいませんでした。……時代が悪かったのだと」
「……帝国から新薬を送ってくださっていたのは、陛下だったのですね」
筆跡で分かった。
毎月、祖母に届く薬の封筒に書かれていた字と、離宮に届いた陛下からの文。
「せめてもの、罪滅ぼしだ」
「ありがとうございました。ずっと、お礼を言いたかったんです」
涙がこぼれそうになって、慌てて顔を伏せる。
その時、陛下がふと目を留めた。
「――それは、倅からか?」
紫色のストール。
皇族の正妻だけが身につけることを許される色。
帝国では恐れ多くて使えないけれど、王国なら――そう思って、巻いてきた。
慌てて外そうとした私を、陛下が手で制した。
「どうして外す? 使ってやってくれ」
この色をまとうことを肯定されたような気がして、紫の布をそっと握った。
陛下はそれ以上言わず、再び静かに墓前を見つめた。
「……学園での暮らしが順調なら、それでよい」
そして、低く言葉を継ぐ。
「……知らせが届けば、なお安心できる。――倅を通じてな」
その声には、どこか私の身を案じている響きがあった。
本当は問いたかった。カリに託した絵のことを。
あれはいったい、何だったのか、
今、どう使われているのか。
けれど、陛下には密偵の影がついていないとも限らない。
だから、不用意な言葉を口にすることなどできなかった。
でも――
墓前を見つめるその背には、何も言わずにすべてを背負う者の”動いている”気配があった。
その気配は、驚くほどアルフォンス殿下と似ている。
だからかもしれない。
……信じていい、そう思えた。
去り際、陛下は私の短く切った髪に一瞬だけ視線を落とした。
皇太子妃にあるまじき姿――そのはずなのに。
その眼差しに、私を拒絶する色はなかった。
私は何も言えぬまま、ただ陛下の姿が見えなくなるまでその背を見送った。
風が止み、空気が落ち着いた頃――再び祖父母と父の墓前にしゃがみ込んだ。
「お祖父様、お祖母様、お父様。……私ね、お祖母様と同じ学園に通ってるの。お友達もできて、部活動にも入って。学園生活は貴重だからって、殿下が許してくれたの。……それでね」
そこで、言葉が喉に引っかかった。
「卒業したら――また、ここへ戻ってきても、いいかな」
息を吐いて、腕に額をこてんと預ける。
帝国にいていい理由を、私はまだ探している。
だから、ここ以外に、戻れる場所がない。
……誰かに、“ここにいていい”と言ってほしかった。
それは、甘えた考えで、贅沢な願いなのかもしれない。
でも、そう言ってもらえたら。
少しだけ、根を張れる気がした。
柔らかな春風が、そっと頬を撫でた。
「……ヘレナ」
懐かしい声に振り返ると、そこに立っていたのは――ランスロットだった。
「殿下……」
「やめてくれよ。ヘレナだって皇太子妃なんだ。これまで通り、名前で呼び合おう?」
「……うん。来てくれたんだ」
「当たり前だろ? ヘレナは強がりだからさ。お前の分まで泣きに来た」
「ばか。……もう、子どもじゃないよ」
「そうかもしれないけどさ」
墓石の前に、2人並んで座った。
子どもの頃、よくこうして一緒に空を見上げたっけ。
今はもう、隣にいる理由も、肩書も、変わってしまったけれど。
それでも、今日、ランスロットが隣にいてくれることが、嬉しかった。
「……おかえり、ヘレナ」
「……ただいま、ランスロット」
少しの沈黙のあと、私は問いかけた。
「ねえ、あの時。どうして急に、私のこと……切り捨てたの?」
自分でも、言葉が強すぎるのはわかっていた。
でも、あの時の痛みを他にどう表せばいいのか、わからなかった。
「……ごめん」
ランスロットは、苦しげに視線を落とした。
「怒ってるわけじゃないの。ただ……本当のこと、知りたいだけ。今なら、ちゃんと受け止められると思うから」
ランスロットは、唇を噛んでゆっくりと顔を上げた。
私の顔をじっと見つめて、小さく息を吸うと、静かにあの時の真相を語り始めた。
「ヴィクトリアを愛してしまったって話……あれ、嘘だった。彼女にも、ヘレナにも、酷いことをした」
「……どうして」
問いかけたのは私なのに、答えを聞くのが怖かった。
でも、逃げたくなかった。あの日の痛みを、ちゃんと見つめたかった。
祖母が亡くなって、ちょうど一年が経った。
すでに誰かが訪れていたようで、生前祖母が好きだった花がいくつも手向けられていた。
湧き泉で汲んだ水に布を浸し、墓石を丁寧に磨いていく。
手向けられた花束の中に、美しい刺繍のリボンで束ねられたものがあった。
王国王室の紋章――不器用な結び方。
「……ランスロット、来てくれたんだ」
杏子と山菜を供えて、瞳を閉じる。
祖母の好きだったもの。祖母の好きだった人。
「お祖母様。そちらでは、お祖父様やお父様と会えましたか?」
組んだ指を胸元に抱えて祈っていると、背後で草を踏む音がした。
振り返ると、そこに立っていたのは――
「……陛下」
婚姻式以来、一度も顔を合わせていなかった義父だった。
「祈らせてもらえるか?」
「……もちろんです」
私は数歩横にずれて、祖父母と父の墓石の前を譲った。
陛下は膝をつき、長い時間、静かに祈りを捧げてくれた。
半分帝国人の血が流れる身でありながら、王国人として帝国と戦わなければならなかった父の苦しみ。
そんな父に刃を向けなければならなった、陛下の葛藤。
深く頭を垂れる陛下の姿を見ていると、胸が軋むほど締め付けられた。
私が愛されないと分かっていながら帝国に嫁いだのには、両国の戦禍による被害者をこれ以上出さぬよう、この身を役立てたいという思いがあったからだ。
「恨んでいるだろうな。エレナの父を、アン夫人の息子を、亡き者にしたのだから」
「祖母は誰も恨んでいませんでした。……時代が悪かったのだと」
「……帝国から新薬を送ってくださっていたのは、陛下だったのですね」
筆跡で分かった。
毎月、祖母に届く薬の封筒に書かれていた字と、離宮に届いた陛下からの文。
「せめてもの、罪滅ぼしだ」
「ありがとうございました。ずっと、お礼を言いたかったんです」
涙がこぼれそうになって、慌てて顔を伏せる。
その時、陛下がふと目を留めた。
「――それは、倅からか?」
紫色のストール。
皇族の正妻だけが身につけることを許される色。
帝国では恐れ多くて使えないけれど、王国なら――そう思って、巻いてきた。
慌てて外そうとした私を、陛下が手で制した。
「どうして外す? 使ってやってくれ」
この色をまとうことを肯定されたような気がして、紫の布をそっと握った。
陛下はそれ以上言わず、再び静かに墓前を見つめた。
「……学園での暮らしが順調なら、それでよい」
そして、低く言葉を継ぐ。
「……知らせが届けば、なお安心できる。――倅を通じてな」
その声には、どこか私の身を案じている響きがあった。
本当は問いたかった。カリに託した絵のことを。
あれはいったい、何だったのか、
今、どう使われているのか。
けれど、陛下には密偵の影がついていないとも限らない。
だから、不用意な言葉を口にすることなどできなかった。
でも――
墓前を見つめるその背には、何も言わずにすべてを背負う者の”動いている”気配があった。
その気配は、驚くほどアルフォンス殿下と似ている。
だからかもしれない。
……信じていい、そう思えた。
去り際、陛下は私の短く切った髪に一瞬だけ視線を落とした。
皇太子妃にあるまじき姿――そのはずなのに。
その眼差しに、私を拒絶する色はなかった。
私は何も言えぬまま、ただ陛下の姿が見えなくなるまでその背を見送った。
風が止み、空気が落ち着いた頃――再び祖父母と父の墓前にしゃがみ込んだ。
「お祖父様、お祖母様、お父様。……私ね、お祖母様と同じ学園に通ってるの。お友達もできて、部活動にも入って。学園生活は貴重だからって、殿下が許してくれたの。……それでね」
そこで、言葉が喉に引っかかった。
「卒業したら――また、ここへ戻ってきても、いいかな」
息を吐いて、腕に額をこてんと預ける。
帝国にいていい理由を、私はまだ探している。
だから、ここ以外に、戻れる場所がない。
……誰かに、“ここにいていい”と言ってほしかった。
それは、甘えた考えで、贅沢な願いなのかもしれない。
でも、そう言ってもらえたら。
少しだけ、根を張れる気がした。
柔らかな春風が、そっと頬を撫でた。
「……ヘレナ」
懐かしい声に振り返ると、そこに立っていたのは――ランスロットだった。
「殿下……」
「やめてくれよ。ヘレナだって皇太子妃なんだ。これまで通り、名前で呼び合おう?」
「……うん。来てくれたんだ」
「当たり前だろ? ヘレナは強がりだからさ。お前の分まで泣きに来た」
「ばか。……もう、子どもじゃないよ」
「そうかもしれないけどさ」
墓石の前に、2人並んで座った。
子どもの頃、よくこうして一緒に空を見上げたっけ。
今はもう、隣にいる理由も、肩書も、変わってしまったけれど。
それでも、今日、ランスロットが隣にいてくれることが、嬉しかった。
「……おかえり、ヘレナ」
「……ただいま、ランスロット」
少しの沈黙のあと、私は問いかけた。
「ねえ、あの時。どうして急に、私のこと……切り捨てたの?」
自分でも、言葉が強すぎるのはわかっていた。
でも、あの時の痛みを他にどう表せばいいのか、わからなかった。
「……ごめん」
ランスロットは、苦しげに視線を落とした。
「怒ってるわけじゃないの。ただ……本当のこと、知りたいだけ。今なら、ちゃんと受け止められると思うから」
ランスロットは、唇を噛んでゆっくりと顔を上げた。
私の顔をじっと見つめて、小さく息を吸うと、静かにあの時の真相を語り始めた。
「ヴィクトリアを愛してしまったって話……あれ、嘘だった。彼女にも、ヘレナにも、酷いことをした」
「……どうして」
問いかけたのは私なのに、答えを聞くのが怖かった。
でも、逃げたくなかった。あの日の痛みを、ちゃんと見つめたかった。
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