異国妃の宮廷漂流記

花雨宮琵

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第3章:漂流の寄港地ー学園編

第50話:矛盾だらけの拠り所

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 ランスロットは、膝の上で組んだ指を強く握った。
 その仕草だけで、彼の覚悟が伝わってきた。

「あの時……サーフォーク公爵家に、間者スパイの疑いがかけられた。アン夫人へ帝国の宮殿から文が届いていたことが、王国の有力貴族の耳に入ったんだ」

 ランスロットはそこで声を一段低くした。
「……耳に入れられた、と言うべきかもしれない」
「そんな……ただ善意で、お薬をもらっていただけなのに」
「分かってる。分かっていた」
「じゃあ、どうして……」
「ヘレナの身体には、帝国の血が流れている。それだけで、保守派の貴族たちはずっと俺たちの婚姻に反対していた。あの頃、アン夫人と帝国皇室の交流は、彼らにとって格好の口実だったんだ」

 ランスロットの告白に、胸に根付いていた違和感が形を帯びていった。
 新婚の夜、クッションを抱えて泣いた寝室で、確かに感じていた。
 理由は分からないのに、あの頃から何かが動いていた気配がしていた、と。
 あれは、気のせいなんかじゃなかったんだ……。

「ヘレナが大切に守ってきた領地も、領民も、ヘレナ自身も。やつらが、奪おうとしていた」

 ランスロットはそこで言葉を区切り、私の瞳をまっすぐに見つめた。
 それから、震えそうになる口元を抑え込みながら、かすれた声でこう続けた。

「それを阻止するには――”俺がヘレナを選ばない”という選択をするしか、なかった」

 言葉の意味は理解できるのに、心が追いつかない。
 あの時、私がどれだけ傷ついたか、彼は知らない。
 でも――。
 あの痛みの裏側で、彼もまた傷ついていたのだと、今になってようやく気づいた。

「……私を、守るためだったの?」

 ランスロットは、静かにうなずいた。
 私が”どうして”と瞳で訴えると、彼は苦しげに瞼を伏せた。
「言えなかった。言えば、ヘレナが俺を恨めなくなるだろ? それじゃ、ヘレナが前に進めないと思った」
「……バカ。ほんとに……お人よしなんだから」

 ランスロットは昔からそうだ。
 友達が上級生に殴られたとき、仲裁を申し出て一緒に殴られた。
 手当をしながら呆れる私に、こう言ったっけ。
 「仲裁役はさ、自分が損をしなきゃいけないんだ。でないと、双方、引っ込みがつかないだろう?」
 「そんなの、ランスロットが損するだけじゃない」
 「……いいんだ、それで。仲間が笑ってくれていれば、俺も笑っていられるから」

 あの時は、ランスロットが単なるお人よしに思えて、怒りさえ感じた。
 でも、今ならこう思う。
 ランスロットは、人の痛みを背負う覚悟を持っている人なのだと。
 
 何も気づけていなかったのは、私の方だった。
 いつもそう。
 大切なことほど、後にならないと見えてこない……。
 
「――ありがとう。あの時、私を守ってくれて」
 ランスロットは、少し照れたように笑った。
 そして、懐から小さく折りたたまれた便箋を取り出した。

「……ヴィクトリアが、妊娠したんだ」
「えっ」
「まだ誰にも言ってない。……ヘレナに、最初に伝えたかった」
「……どうして?」
「これ、ヴィクトリアが書いたんだ。謝りたいって。あの時、何も言えなかったことも、全部。後ででいい。読んでやってくれないか?」
「……ここで読んでもいい?」
 ランスロットがうなずいて、私はそっと手紙を開いた。

 そこには、あの日の沈黙への謝罪と、私への敬意、私の未来を祝福する言葉が綴られていた。
『――どうか、どうか、あなたが選んだ未来が、優しさに満ちていますように。
 ヴィクトリアより』

 読み終えた瞬間、鼻の奥がツンと痛んだ。
 胸の奥にずっと居座っていた棘が、すっと抜けていくようだった。
 周りの景色が揺らいで見えて、ただ――ありがとう、とつぶやいた。

 気がつけば、いつの間にか太陽が傾き、降り注ぐ陽光も淡くなっていた。
 西の空を見つめていたら、ぽろりと言葉が零れた。

「……私には、子どもは求められてないんだ……」
 その言葉に、ランスロットが眉を寄せた。
「それって、どういう――」
「でもね。私たちの婚姻は、和平のためのものだから。大丈夫。自分の役割は、分かってる」

「……それでも、大事にされてるんだよな?」
「うん。優しくしてくれてる。でも……それだけ」
「ヘレナ。もし帝国が嫌になったら、いつでも王国に戻ってこい。側妃として迎えてやる」
「それは絶対、お断り」
「ふっ。だよなー」

 ランスロットは大きく息を吸うと、明るい声でこう言ってくれた。
「ヘレナ。ヘレナはずっと、俺の大事な幼馴染で、家族だからな?」
「……うん。へへっ、“家族”って響き、懐かしいや。なんだか、泣きそうなくらい、あったかい」
 ランスロットはそっと私の肩を抱くと、私の代わりに涙を流してくれた。

 知らないうちに、紫のストールを指でなぞっていた。
 低く落ち着いた声が、遠くで聞こえた気がした。
 ――妻なのだから。
 
 もう2度と、期待しないと決めたのに。

 ――叔父で、夫。
 ――幼馴染で、家族。
 
 矛盾だらけなのに、私にとっては唯一の拠り所で。
 世間の“当たり前”から外れている、その痛みを覆い隠すように、紫の布に顔をうずめた。
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