異国妃の宮廷漂流記

花雨 宮琵 ー Kau Miyabi ー

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第3章:漂流の寄港地ー学園編

第51話:殿下を甘くする蒸留酒

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 その時だった。
 冬でもないのに、冷たい風が吹き抜けたような気がした。

「――何をやっている」
 低音で静かに響く声。
 振り返ると、そこに立っていたのは――アルフォンス殿下だった。
「えっ、殿下!? どうして王国に?」
「ランスロット殿下。妻の肩を放していただけますか? 今すぐに」
 声音は静かだけれど、握りしめた拳がわずかに震えている。
「え? あ、はい」

 殿下の瞳は、無表情を通り越して”無”だった。
 
 ……あのね、ランスロット。
 無表情の沈黙。
 無言の圧力。
 これ、殿下の”怒ってます”のサインなの。

 そして案の定。
 それから30分ほどは、殿下の誤解を解くために、それこそお通夜のような重苦しい時間が流れた。

 その日の夕食は、使用人のみんなも一緒に大テーブルを囲んだ。
 夜も更け、デザートを食べ終わると、場所を変えてランスロットと食後酒を楽しむことにした。
 殿下は仕事があるらしく、「失礼する」と言って、客間へ下がってしまった。

「はぁ――。おいしい。ね、ランスロット、知ってる? 帝国ではね、18までお酒はダメなの」
「へぇ、お堅いんだな。じゃあ、こっちに帰ってる間に味わっておけよ」

 ランスロットが親切心でじゃんじゃんお酒を注いでくれるものだから、ついつい調子に乗ってしまって、気がつけばオーギュスト様への恋心まで打ち明けていた。

「辺境伯って、皇弟殿下だろう?」
「ランスロット、オーギュスト様のこと、知ってるの?」
「あぁ。結婚式に皇帝陛下の代理として参加してくださったからな」
「そうだったんだ」

「でも、愛人はダメだろ!」
「はぁ? 何言ってるのよ。私が目指してるのは正妻の座よ!?」
「いや、でも皇弟殿下ってたしか――」
「ん? 何?」
「いや……ナンデモナイ」
「嘘おっしゃい! ランスロットが嘘つくとき、小鼻が動くの、知ってるんだから!」
「あー、ヘレナ、それ! ヴィクトリアに言っただろ!?」
「いいから、知ってることを言いなさいよー!」

 ランスロットの胸倉をつかんで身体をグラグラと揺らしていると――部屋が凍り付くような冷ややかな声が響いた。

「――何をやっている」
「えっ、殿下!? ……お仕事は?」
「ランスロット殿下。妻の手を放していただけますか? 今すぐに!」

 それからは、殿下の誤解を解くために、笑い声一つ許されない空気が続いた。
 故人を偲ぶ一周忌は、賑やかに食べて、飲んで、笑って過ごすのが王国流なのに。
 これじゃまるで、帝国流のお葬式じゃない。……出たことないけど。

「――というわけで、不貞だなんて全くの誤解ですから!」
「分かった。――ヘレナ、酒を飲んでいるのか?」
「え? はい。そうですけど」
「『未成年だから飲めませんの』などとしおらしく言っていたのは誰だ?」
「ここは王国で! 私は王国人ですから! 帝国法もっ、殿下の得意なもっ、適用されないんですーっ!」
「なに……」

「アルフォンス殿下。ヘレナは聡明ゆえに高慢に思われがちですが、10歳の頃に助けてくれた青年が迎えに来てくれるのを本気で信じて待っているような、純粋な女なんですよ」
「ちょっと、ランスロット!?」
「ほら。こんなことで顔を真っ赤にして恥ずかしがるような初心うぶな奴なんです。……ん? どうして殿下まで真っ赤なんです?」
「いや。……彼女が純粋で男慣れしていない女性であることは知っている」
「へ? あ、そうなの?」

「……ランスロット。あなた、突然、何を言い出すのよ? 殿下に私の黒歴史を暴露するつもり?」
「え? いや、少しでも殿下にヘレナの良さを分かってもらおうとだな――」
「彼女の長所なら、十分理解しております。ご心配には及びません」
「そのポーカーフェイス。――いまいち信用できないんだよな~」

「……料理が得意で、気配り上手。朗らかで人には優しく、己には厳しい。困難な状況に立ち向かう強さと聡明さ。外見の美しさは言うまでもない。口づけひとつで頬を赤らめるほど、純粋で……」
「ちょっとぉ!? 最後のは、要らないでしょ?」
「……そんな妻が、私は……愛おしい」
 
 ……え。
 ちょっと待って。
 今、“妻”って言った? “愛おしい”って言った?
 鼓動が強く脈打った。
 でも……素直に喜べない自分もいる。
 だって、これまで何度も期待しては、裏切られてきた。
 ――それに、クリステル様のことだって。
 聞くのが怖くて、口にできなかった。

 それにしても、どうしちゃったんだろう? 
 殿下が甘すぎる。
 あ。これって、もしかして……。

「殿下? 客間に置かれてたお酒、飲みました?」
 殿下は一瞬、目を伏せた。

「……少しだけだ。酔ってはいない。……本音が、出ただけだ」
 
 ……見つけちゃった。
 殿下の攻略法。
 甘くなるスイッチは、寒冷地仕込みの蒸留酒。
 ふっふっふ。
 今年の冬は、王国中から取り寄せてやるんだから。

「殿下、ヘレナは昔から強がりで、泣きたい時も笑ってごまかすんですよ」
「ちょっと、ランスロット! 余計なこと言わないでよ」
「……そういうところは、今も変わっていないな」
「な、なんですかその言い方!」
「ははっ。殿下、分かってるじゃないですか。心配して損した。ヘレナ、辺境伯よりは、アルフォンス殿下の方がよほど良い男だぞ?」
 ランスロットがそう言った時、殿下はわずかに目を細めた。

「……奇遇ですね。私も同感です」
 このとき2人の間に、静かな共鳴のようなものが流れた気がした。

「だよな? そういえば、年代物の酒を持ってきたんだ。殿下、一緒にどうです?」
 ランスロットはそう言いながら、琥珀色の液体が入ったボトルを揺らした。

「いいですね。ヘレナは先に休んでいてくれ」
「ええっ!?」
「帝国法では未成年なんだろ? ほら、ヘレナ。今日はもう休め」
「どうして!? 私、主役なのに!」
「未成年は退席だ。……妻であっても、例外ではない」
「むぅーっ!」

 結局、急に意気投合し始めた2人を前に、気づけば主役だったはずの私が廊下に放り出されていた。
 でも――今夜は少しだけ、“ここにいてもいい”と思えた気がする。

 そう思ってから、はっと我に返った。
  “ここ”って、どこだろう。

 もしかすると、“ここ”は、場所なんかじゃないのかもしれない。
 誰かの心でもないのかもしれない。
 それが、帝国でも王国でもなく、ただ、私の内側にある、私が“ここにいてもいい”と思える瞬間のことなら。
 今夜はその瞬間に、少しだけ触れられた気がした。

 ――誰の許しもいらないのかもしれない。
 そう思うと、見える世界が少しだけ、柔らかみを帯びた気がした。
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