異国妃の宮廷漂流記

花雨宮琵

文字の大きさ
63 / 72
第3章:漂流の寄港地ー学園編

第63話:演じるはずの恋

しおりを挟む
 夏休みを共に過ごしてからというもの、殿下との距離は少しずつ縮まり、今では友人のように感じられるほどになった。
 定期的に手紙を出すと、殿下は相変わらず律儀に返事を書いてくれる。
 直近の手紙にはこう綴った。

『秋の学園祭では演劇を上演します。オーディションで異国の王女役を射止めた私は、今、古代語を一生懸命覚えているところです』
 殿下からの返事はこんな感じだった。
『王女役の配役を受けたとのこと、おめでとう。公務の都合がつけば、足を運ぼうと思う』

 それと並行して、私はカリに依頼して「古代語を勉強している私」を描かせ、陛下へ送った。
 教科書を、ところどころ左右反転させて。
 ――皇太子妃教育を怠っていないという、ささやかなアピール。

 けれど本当は。
 台本を読み込むうちに、もしかして、と思うことがあったのだ。
 きっかけは、シャルル様が贈ってくれた手紙。
 古代語を鏡文字にすると、あの日、陛下に託した紙片の走り書きにどことなく似ている気がしたのだ。
 確信にはほど遠い。ただの勘違いかもしれない。
 けれど陛下なら……この意図を汲んでくださるはず。
 
 返事は簡潔だった。

『学びは必ず将来、実を結ぶ』
 一見すると、ただの励ましの言葉に見える。
 けれど私には、陛下が私の意図を理解してくださったと確信できた。
 その短い一文が、未来への約束のように響いて、心強かった。

 ***
 
 その日は、リハーサルで帰りが遅くなり、王子役を務めるギヨームがレオポルドに代わって寮まで送り届けてくれた。

「ギヨーム。送ってくれてありがとう! また明日ね」
「エレナもお疲れさま!」

 西国からの留学生でもあるギヨームは、整った顔立ちなのに気取ったところがなく、その人好きのする笑顔で男女問わず人を惹きつける好青年だ。舞台の王子役にぴったりの雰囲気をまとい、誰とでも肩の力を抜いて接するその自然さが、彼の魅力をいっそう際立たせていた。

 寮の入り口で別れると、復習がてらブツブツと台詞をつぶやきながら部屋へと戻った。

「ただいま」
 かばんを台所のテーブルに置き、制服のままエプロンを掛ける。
 棚から取り出したのは、銅色に艶めくアンティークのケトルだ。
 水を張って火にかけると、やがてコトコトと小さな音が立ち、白い湯気が立ちのぼり始める。
 その間に窓辺へ歩み寄り、小さな鉢植えに霧を吹きかける。
 葉の先から雫が滴り落ち、土がしっとりと色を変える。
 小さな自然の匂いに、一日の緊張がほっこり解けていく。

 火を止め、銀のティーポットにサーフォーク領の香り高い茶葉を落とす。
 こぽこぽと湯を注いだ瞬間、葉がゆっくり開いて、甘やかな花の香りが部屋いっぱいに広がる。
 一口含むと、そのまま丸椅子に腰かけ、練習を再開することにした。

 演劇のテーマは、悲恋――実らぬ恋だ。

「国を捨てる覚悟で参りました。わたくしを、貴方様の側においてくださいませんか? 貴方を愛してしまったのです。もう、離れたくありません」

「――私も、貴女を愛しています」
「ひいっ!!」

 いきなり相手方であるギヨームの声が聞こえた気がして驚いて顔を上げると、灯りを落としたままの薄暗い部屋の中央に大柄な男性の影が見えた。

「レオポルド!! 不審者よっ!」
「っ、エレナ様!!」

 すぐさま隣室の続き扉が開き、レオポルドが部屋へ足を踏み入れた。
 それを、男が片手を上げて制する。

「不審者とは心外だな。……夫の声も忘れたか?」
「私に夫なんていないわよっ!! レオポルド、この不届き者を掴まえてちょうだいっ!」
「なんだと……?」

 地を這うような声が聞こえて、一瞬怯んでしまう。

「ひぃっ! えっ、殿下? ……何しにここへ?」
「夫が妻に会いに来るのに、理由がいるのか」
「っていうか、どうやって入ったんです!?」
「――合鍵を受け取った」
「誰から!?」

 聞いてすぐに愚問だと気がついた。
 合鍵を渡す人ならそこら中にいる。
 学園長ジュストも、寮の警護官も、そして、無音のまま隣室へと姿を消したレオポルドも……。

「寮母からだ。――必要だと言えば誰も逆らえない」
 そういえば、寮母は全ての鍵を一括管理している……。

「それより台本を寄越せ。見てやろう」
「結構です」
「遠慮しなくていい。演技くらいはできる」

 台本に目を通すなり、殿下は眉をしかめて低い声で言った。
「……ギヨームと練習していたのか」
 もう否定もしなかった。
 だって。
 私の一挙手一投足は、宮殿の玉座の間まで直通だってことを思い出したから。
 
 殿下が顎で合図して、続きを促す。

「――今夜だけでも。わたくしを愛してくださいませんか?」
「王女殿下……ブランシュ。私も、貴女を愛している」

 ここでキスシーンなのよね。
 先ほどギヨームと行ったリハーサルのロマンチックなシーンを思い出して瞳を閉じた瞬間、顎を掴まれ、唇に軽い口付けが落とされた。

「なっ……何を――!」
「演劇の練習だろう?」
「そ、そんな、本当にしなくても!」
「妻に口付けをして何が悪い?」
「ファーストキスだったのに!」
 殿下の表情が、一瞬だけ止まった。
 夏休みを一緒に過ごしてから、こういう反応が増えた気がする。

「……何を言っている。婚姻式を忘れたのか」
 はっ。あまりにも悲惨な式だったから、無意識に記憶から抹消されてたみたい。

「上演中、本当に口付けを交わすわけじゃないだろうな?」
「振りだけですよ! ……たぶん」
「『たぶん』とはどういう意味だ」
「どぉしてそんなに怒るんですか!」
「大事なことだろう」
「その『大事なこと』を初心うぶな未成年妻に軽率にやった人が言わないでください!」
「……口付け一つでこんなに赤面していて、王女役が務まるのか?」

「うっ……痛いところを」
「練習に付き合ってやろう」

 殿下の口元に意味深な微笑みが浮かび、思わず後ずさりする。
 次の瞬間には、私の手から台本が取り上げられ、テーブルの上へ置かれた。

「っ、結構です」
「……照れなくていい」

 流れるような動作で、殿下の指先が私の頬に触れる。
 そのまま距離を詰められ、チュッ、チュッと可愛らしい口付けが落ちた。
 頬が一気に熱を帯び、胸の奥がざわざわとする。

「嫌か?」
「……嫌です」
 鼻先が触れそうな距離で、殿下が小さく笑った。
「ふっ。嘘だな」

 次の瞬間、強く抱き寄せられ、唇を塞がれた。
 深まっていく口づけに息が奪われ、抗議の言葉も溶けていく。
 腰が抜けそうになった私を、殿下が片腕でしっかり支え、そっと椅子へ座らせた。

 殿下は紅茶カップを2つ用意し、銀のティーポットから静かに注ぐ。
「飲むといい。落ち着くぞ」

 立ちのぼる湯気に、頬の熱がさらに強まる。
 胸を押さえたまま呼吸を整える私は、もう言葉も出なかった。
 殿下はそんな私を見下ろし、低い声で告げた。

「――この役は降りろ」
「え?」
「皇太子妃が他の男と口付けなど、認められるはずがない」
「ええーっ!? 必死で練習してきたのに……」

 たしかに、代役はいるけれど……。
 私が情けない顔をしていると、殿下が「ふっ」と笑った。
「そんな顔をするな」
 そう言って懐から取り出したのは、私の大好物――フィナンシェだった。

「菓子職人に頼んだ。……ヘレナの泣き顔をどうやれば笑顔にできるかと考えてな」
 なんだか餌付けされたみたいで、ちょっぴり悔しい。
 なのに、不思議と守られているような感覚がした。

 唐突に思えた殿下の来訪も、ジュストとレオポルドから“王女役のキスシーン”の報告を受けたからだと後で知る。
 結局、”実家からキスシーンにNGが出た”とかなんとか苦しい言い訳をして、せっかく勝ち取った王女役を降りることになった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

王の影姫は真実を言えない

柴田はつみ
恋愛
社交界で“国王の妾”と陰口を叩かれる謎の公爵夫人リュミエール。彼女は王命により、絶世の美貌を誇る英雄アラン公爵の妻となったが、その結婚は「公爵が哀れ」「妻は汚名の女」と同情と嘲笑の的だった。 けれど真実は――リュミエールは国王シオンの“妾”ではなく、異母妹。王家の血筋を巡る闇と政争から守るため、彼女は真実を口にできない。夫アランにさえ、打ち明ければ彼を巻き込んでしまうから。 一方アランもまた、王命と王宮の思惑の中で彼女を守るため、あえて距離を取り冷たく振る舞う。

私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです

こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。 まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。 幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。 「子供が欲しいの」 「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」 それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

公爵令嬢は結婚式当日に死んだ

白雲八鈴
恋愛
 今日はとある公爵令嬢の結婚式だ。幸せいっぱいの公爵令嬢の前に婚約者のレイモンドが現れる。 「今日の結婚式は俺と番であるナタリーの結婚式に変更だ!そのドレスをナタリーに渡せ!」  突然のことに公爵令嬢は何を言われたのか理解できなかった。いや、したくなかった。 婚約者のレイモンドは番という運命に出逢ってしまったという。  そして、真っ白な花嫁衣装を脱がされ、そのドレスは番だという女性に着させられる。周りの者達はめでたいと大喜びだ。  その場所に居ることが出来ず公爵令嬢は外に飛び出し……  生まれ変わった令嬢は復讐を誓ったのだった。  婚約者とその番という女性に 『一発ぐらい思いっきり殴ってもいいですわね?』 そして、つがいという者に囚われた者の存在が現れる。 *タグ注意 *不快であれば閉じてください。

私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~

marumi
恋愛
「あら アルヴェイン公爵がドゥーカス令嬢をエスコートされていますわ」 「ご婚約されたと噂を聞きましたが、まさか本当だとは!」 私は五年前までこの国の皇女エリシアだった。 暗殺事件に巻き込まれ、幼なじみで初恋の相手だった従者――アルヴェイン公子と共に命からがら隣国、エルダールへ亡命した。 彼の「必ず迎えに来る」その言葉を信じて、隣国の地で彼を待ち続けた……。 それなのに……。 やっとの思いで帰国した帝国の華やかなパーティー会場で、一際目立っているのは、彼と、社交界の華と言われる令嬢だった――。 ※校正にAIを使用していますが、自身で考案したオリジナル小説です。 ※イメージが伝わればと思い、表紙画像をAI生成してみました。

婚約破棄の代償

nanahi
恋愛
「あの子を放って置けないんだ。ごめん。婚約はなかったことにしてほしい」 ある日突然、侯爵令嬢エバンジェリンは婚約者アダムスに一方的に婚約破棄される。破局に追い込んだのは婚約者の幼馴染メアリという平民の儚げな娘だった。 エバンジェリンを差し置いてアダムスとメアリはひと時の幸せに酔うが、婚約破棄の代償は想像以上に大きかった。

出来レースだった王太子妃選に落選した公爵令嬢 役立たずと言われ家を飛び出しました でもあれ? 意外に外の世界は快適です

流空サキ
恋愛
王太子妃に選ばれるのは公爵令嬢であるエステルのはずだった。結果のわかっている出来レースの王太子妃選。けれど結果はまさかの敗北。 父からは勘当され、エステルは家を飛び出した。頼ったのは屋敷を出入りする商人のクレト・ロエラだった。 無一文のエステルはクレトの勧めるままに彼の邸で暮らし始める。それまでほとんど外に出たことのなかったエステルが初めて目にする外の世界。クレトのもとで仕事をしながら過ごすうち、恩人だった彼のことが次第に気になりはじめて……。 純真な公爵令嬢と、ある秘密を持つ商人との恋愛譚。

処理中です...