異国妃の宮廷漂流記

花雨 宮琵 ー Kau Miyabi ー

文字の大きさ
63 / 75
第3章:漂流の寄港地ー学園編

第63話:演じるはずの恋

しおりを挟む
 夏休みを共に過ごしてからというもの、殿下との距離は少しずつ縮まり、今では友人のように感じられるほどになった。
 定期的に手紙を出すと、殿下は相変わらず律儀に返事を書いてくれる。
 直近の手紙にはこう綴った。

『秋の学園祭では演劇を上演します。オーディションで異国の王女役を射止めた私は、今、古代語を一生懸命覚えているところです』
 殿下からの返事はこんな感じだった。
『王女役の配役を受けたとのこと、おめでとう。公務の都合がつけば、足を運ぼうと思う』

 それと並行して、私はカリに依頼して「古代語を勉強している私」を描かせ、陛下へ送った。
 教科書を、ところどころ左右反転させて。
 ――皇太子妃教育を怠っていないという、ささやかなアピール。

 けれど本当は。
 台本を読み込むうちに、もしかして、と思うことがあったのだ。
 きっかけは、シャルル様が贈ってくれた手紙。
 古代語を鏡文字にすると、あの日、陛下に託した紙片の走り書きにどことなく似ている気がしたのだ。
 確信にはほど遠い。ただの勘違いかもしれない。
 けれど陛下なら……この意図を汲んでくださるはず。
 
 返事は簡潔だった。

『学びは必ず将来、実を結ぶ』
 一見すると、ただの励ましの言葉に見える。
 けれど私には、陛下が私の意図を理解してくださったと確信できた。
 その短い一文が、未来への約束のように響いて、心強かった。

 ***
 
 その日は、リハーサルで帰りが遅くなり、王子役を務めるギヨームがレオポルドに代わって寮まで送り届けてくれた。

「ギヨーム。送ってくれてありがとう! また明日ね」
「エレナもお疲れさま!」

 西国からの留学生でもあるギヨームは、整った顔立ちなのに気取ったところがなく、その人好きのする笑顔で男女問わず人を惹きつける好青年だ。舞台の王子役にぴったりの雰囲気をまとい、誰とでも肩の力を抜いて接するその自然さが、彼の魅力をいっそう際立たせていた。

 寮の入り口で別れると、復習がてらブツブツと台詞をつぶやきながら部屋へと戻った。

「ただいま」
 かばんを台所のテーブルに置き、制服のままエプロンを掛ける。
 棚から取り出したのは、銅色に艶めくアンティークのケトルだ。
 水を張って火にかけると、やがてコトコトと小さな音が立ち、白い湯気が立ちのぼり始める。
 その間に窓辺へ歩み寄り、小さな鉢植えに霧を吹きかける。
 葉の先から雫が滴り落ち、土がしっとりと色を変える。
 小さな自然の匂いに、一日の緊張がほっこり解けていく。

 火を止め、銀のティーポットにサーフォーク領の香り高い茶葉を落とす。
 こぽこぽと湯を注いだ瞬間、葉がゆっくり開いて、甘やかな花の香りが部屋いっぱいに広がる。
 一口含むと、そのまま丸椅子に腰かけ、練習を再開することにした。

 演劇のテーマは、悲恋――実らぬ恋だ。

「国を捨てる覚悟で参りました。わたくしを、貴方様の側においてくださいませんか? 貴方を愛してしまったのです。もう、離れたくありません」

「――私も、貴女を愛しています」
「ひいっ!!」

 いきなり相手方であるギヨームの声が聞こえた気がして驚いて顔を上げると、灯りを落としたままの薄暗い部屋の中央に大柄な男性の影が見えた。

「レオポルド!! 不審者よっ!」
「っ、エレナ様!!」

 すぐさま隣室の続き扉が開き、レオポルドが部屋へ足を踏み入れた。
 それを、男が片手を上げて制する。

「不審者とは心外だな。……夫の声も忘れたか?」
「私に夫なんていないわよっ!! レオポルド、この不届き者を掴まえてちょうだいっ!」
「なんだと……?」

 地を這うような声が聞こえて、一瞬怯んでしまう。

「ひぃっ! えっ、殿下? ……何しにここへ?」
「夫が妻に会いに来るのに、理由がいるのか」
「っていうか、どうやって入ったんです!?」
「――合鍵を受け取った」
「誰から!?」

 聞いてすぐに愚問だと気がついた。
 合鍵を渡す人ならそこら中にいる。
 学園長ジュストも、寮の警護官も、そして、無音のまま隣室へと姿を消したレオポルドも……。

「寮母からだ。――必要だと言えば誰も逆らえない」
 そういえば、寮母は全ての鍵を一括管理している……。

「それより台本を寄越せ。見てやろう」
「結構です」
「遠慮しなくていい。演技くらいはできる」

 台本に目を通すなり、殿下は眉をしかめて低い声で言った。
「……ギヨームと練習していたのか」
 もう否定もしなかった。
 だって。
 私の一挙手一投足は、宮殿の玉座の間まで直通だってことを思い出したから。
 
 殿下が顎で合図して、続きを促す。

「――今夜だけでも。わたくしを愛してくださいませんか?」
「王女殿下……ブランシュ。私も、貴女を愛している」

 ここでキスシーンなのよね。
 先ほどギヨームと行ったリハーサルのロマンチックなシーンを思い出して瞳を閉じた瞬間、顎を掴まれ、唇に軽い口付けが落とされた。

「なっ……何を――!」
「演劇の練習だろう?」
「そ、そんな、本当にしなくても!」
「妻に口付けをして何が悪い?」
「ファーストキスだったのに!」
 殿下の表情が、一瞬だけ止まった。
 夏休みを一緒に過ごしてから、こういう反応が増えた気がする。

「……何を言っている。婚姻式を忘れたのか」
 はっ。あまりにも悲惨な式だったから、無意識に記憶から抹消されてたみたい。

「上演中、本当に口付けを交わすわけじゃないだろうな?」
「振りだけですよ! ……たぶん」
「『たぶん』とはどういう意味だ」
「どぉしてそんなに怒るんですか!」
「大事なことだろう」
「その『大事なこと』を初心うぶな未成年妻に軽率にやった人が言わないでください!」
「……口付け一つでこんなに赤面していて、王女役が務まるのか?」

「うっ……痛いところを」
「練習に付き合ってやろう」

 殿下の口元に意味深な微笑みが浮かび、思わず後ずさりする。
 次の瞬間には、私の手から台本が取り上げられ、テーブルの上へ置かれた。

「っ、結構です」
「……照れなくていい」

 流れるような動作で、殿下の指先が私の頬に触れる。
 そのまま距離を詰められ、チュッ、チュッと可愛らしい口付けが落ちた。
 頬が一気に熱を帯び、胸の奥がざわざわとする。

「嫌か?」
「……嫌です」
 鼻先が触れそうな距離で、殿下が小さく笑った。
「ふっ。嘘だな」

 次の瞬間、強く抱き寄せられ、唇を塞がれた。
 深まっていく口づけに息が奪われ、抗議の言葉も溶けていく。
 腰が抜けそうになった私を、殿下が片腕でしっかり支え、そっと椅子へ座らせた。

 殿下は紅茶カップを2つ用意し、銀のティーポットから静かに注ぐ。
「飲むといい。落ち着くぞ」

 立ちのぼる湯気に、頬の熱がさらに強まる。
 胸を押さえたまま呼吸を整える私は、もう言葉も出なかった。
 殿下はそんな私を見下ろし、低い声で告げた。

「――この役は降りろ」
「え?」
「皇太子妃が他の男と口付けなど、認められるはずがない」
「ええーっ!? 必死で練習してきたのに……」

 たしかに、代役はいるけれど……。
 私が情けない顔をしていると、殿下が「ふっ」と笑った。
「そんな顔をするな」
 そう言って懐から取り出したのは、私の大好物――フィナンシェだった。

「菓子職人に頼んだ。……ヘレナの泣き顔をどうやれば笑顔にできるかと考えてな」
 なんだか餌付けされたみたいで、ちょっぴり悔しい。
 なのに、不思議と守られているような感覚がした。

 唐突に思えた殿下の来訪も、ジュストとレオポルドから“王女役のキスシーン”の報告を受けたからだと後で知る。
 結局、”実家からキスシーンにNGが出た”とかなんとか苦しい言い訳をして、せっかく勝ち取った王女役を降りることになった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

王太子妃は離婚したい

凛江
恋愛
アルゴン国の第二王女フレイアは、婚約者であり、幼い頃より想いを寄せていた隣国テルルの王太子セレンに嫁ぐ。 だが、期待を胸に臨んだ婚姻の日、待っていたのは夫セレンの冷たい瞳だった。 ※この作品は、読んでいただいた皆さまのおかげで書籍化することができました。 綺麗なイラストまでつけていただき感無量です。 これまで応援いただき、本当にありがとうございました。 レジーナのサイトで番外編が読めますので、そちらものぞいていただけると嬉しいです。 https://www.regina-books.com/extra/login

「お前を愛する事はない」を信じたので

あんど もあ
ファンタジー
「お前を愛することは無い。お前も私を愛するな。私からの愛を求めるな」 お互いの利益のために三年間の契約結婚をしたアヴェリンとロデリック。楽しく三年を過ごしたアヴェリンは屋敷を出ていこうとするのだが……。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

老聖女の政略結婚

那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。 六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。 しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。 相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。 子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。 穏やかな余生か、嵐の老後か―― 四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

処理中です...