異国妃の宮廷漂流記

花雨宮琵

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第3章:漂流の寄港地ー学園編

第67話:盾の真実

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 帝国で迎える2度目の誕生日まで、あと数週間。
 殿下から一通の手紙が届いた。
『今度の週末、ピクニックに出かけないか?』

 当日は、学園まで殿下が迎えに来てくれた。
 久しぶりに会う殿下は、さらに精悍さを増していて、私の心をざわつかせた。

 一時間ほどで小川の流れる草原に着いた。
 馬車を降りると、満面の笑みを浮かべたシャルル様が、駆け寄って来た。

「エレナ様!」
「シャルル……クリステル? なぜあの2人が……」
 殿下が眉をひそめる。

 私はすぐに口を開いた。
「殿下、私がお誘いしたんです。せっかくの良い気候ですから、みんなで楽しめたらと思って」
「ヘレナ……」
 殿下の視線に、私はそっと微笑み返した。
 “今は、そういうことにしておきましょう。シャルル様が嬉しそうだから”と。

 風が草を撫で、シロツメ草の甘い香りが漂う。
 侍女たちが木陰で手際よく準備を進める間、シャルル様と散歩に出た。
「シャルル様、お花や昆虫はお好きですか?」
「はい!」
「じゃあ、お花の冠を作りましょう。後でお母様に差し上げるの」
「わーい、作りたいです!」
 
 小さな手に自分の手を添えながら茎を編んでいたとき、ふと数週間前の会話が思い出された。

 ――シャルル様って、亡くなられたお兄様のお子様だったのね。
 お披露目会の数日後、学園の中庭で何気なく呟いた私の独り言に、背後で控えていたレオポルドが静かに反応した。

「ご存じなかったのですね」
「……殿下からは、何も」

 レオポルドは周囲に気を配り、声を落とした。
「亡きアナトル殿下の正当なお世継ぎであるシャルル様は、誕生してから常に命の危険に晒されてきました。そして――元敵国おうこくから輿入れされたエレナ様に対して、宮殿には警戒心や不信感を抱く者が多かった。殿下は、エレナ様を守るために、接触を避ける判断をされました」

 その言葉に、胸がきゅっと痛んだ。

 初夜の夜――
『知らなくていい』
 あの七文字が、拒絶のように響いた。
 私は“知らされぬ存在”として、誰よりも遠い場所に立たされている気がした。

「私を、護るため……だったの?」
 レオポルドは静かにうなずいた。

「殿下は、エレナ様に冤罪がかけられることを恐れておられました。“シャルル様に危害を加えた”とでっち上げようとする者が、宮殿には少なからずおりましたから」

 私は言葉を失った。
 あの冷たさも、距離も、沈黙も――全部、私を守るためだったんだ。
 私が知ると、危険に巻き込まれるから。
 あれは拒絶じゃなくて、盾、だったんだ……。

 私はそっとシャルル様の頭を撫でた。
 無垢な笑顔がこちらを向く。
「これは、エレナ様にあげます!」

 シャルル様が小さな輪を差し出し、私の左手を取った。
 寂しく空いていた薬指に、柔らかな花弁と指先のあたたかさが触れた。
「……私で、いいの?」
「もちろん! ……最近、母上が変わってきたんです。たぶん、エレナ様のおかげ。”守ってもらってばかりじゃだめだ”って。”自分も戦おう”って」

 そう言って眉尻を下げたシャルル様に、私は少し考えてから、微笑んだ。
「シャルル様。守ってもらうことは、弱いことと同じじゃありません。誰かに守られるからこそ、誰かを守れるようになるんです。私は、みんなに助けられて、何とか自分の足で立てているんですよ」

 シャルル様ははっと瞳を輝かせると、こくりとうなずいた。
 その横顔に、殿下の少年時代の面影がよぎって、心が温かくなった。

 芝生の上に広げられたシーツの上では、殿下とクリステル様、シャルル様が穏やかに笑い合っていた。
 少し離れた草原に腰を下ろすと、私はスケッチを始めた。
 ――絵に描いたような幸せな家族。
 けれど私は、少し離れた場所からその光景を見守ることにした。

 ――王国と帝国の和平は確かに進んでいる。
 それでも、私と殿下の距離を阻もうとする者は宮殿にいる。
 あの日の財務大臣の冷笑が蘇る。

『殿下には、もっとふさわしい伴侶が必要でしょうな』
 立太子三周年の祝宴以来、私はずっと考えていた。
 成人を待たずして高位貴族へ披露された、その真意を。
 生徒会には、精度の高い情報が入ってくる。
 ジュストでさえ、生徒同士の噂話をコントロールすることまではできない。

 おそらく――きっと、たぶん。

 年末のお披露目会で、殿下の隣に立てたときの喜びを知ってから、ずっと悩んできた。
 これからの未来で、私が立つべき場所を。
 私は――自分の夫を誰かと分かち合えるほど、器用じゃない。
 心を偽ることも、できない。
 帝国に残れば私はきっと、殿下のことを責めて、彼も自分も傷つけてしまう。
 だから。
 成人して、卒業を迎えたら――離縁して王国へ戻る。
 そう、決めていた。

 デッサンに影が落ち、顔を上げると殿下が心配そうに覗き込んでいた。
「……こっちに来ないのか?」
「家族で団らんする姿が、あまりにも美しくて。思わず、絵に残したくなったんです。ほら、上手に描けているでしょう?」
「ヘレナだって、家族だろう?」
「……」

 殿下は隣に腰を下ろし、短く息を吐いた。
「今日は、ヘレナだけを誘ったんだ。すまなかった」
「ふふっ。賑やかで愉しかったですよ?」
 私は穏やかに微笑んだ。
 これ以上、この人の心労を増やしたくなかった。

 残されたのはわずか数か月。
 その短い時間だけでも、妻として殿下を支えたい。
 私にできることを、ひとつずつ。
 シャルル様の屈託のない笑顔を見ながら、静かに覚悟を固くしていた。

 復路かえりみち、私は思うところがあって、護衛の一人に御者席へ座ってもらい、空いた馬に乗って帰ることにした。

「すみません、馬車酔いしそうなので、馬に乗って帰ります」
「何を言ってるんだ? 皇太子妃をそんな危険にさらすわけにはいかない」
「乗馬服を着た皇太子妃なんていませんよ。それに、本当に狙うなら、真っ先に馬車を襲うはずです」
 レオポルドが力強く言った。
「殿下。エレナ様のことは私が責任を持って守ります」
 その隙に、私はそそくさと騎乗した。

「レオポルドがいてくれて助かったわ。ありがとう!」
「どうされたんです?」
「ちょっとね、現状把握。……祖母がよく言ってたの。『問題を把握するためには、現場に足を運びなさい』って。馬車の中からだと確認できないから」
「はあ……」とレオポルドが苦笑する。

「この道は綺麗に整備されてるのね。レオポルド、護衛のみんなに聞いておいてほしいんだけど――」

 帝国を巡る旅で分かった事がある――帝国には、交通網の整備に偏りがある。護衛として国内を隅々まで移動している彼らなら、道路事情にも詳しいはずだ。
 帝都へと続く一本道を走りながら、私は帝国で手掛けられる最後の仕事について想いを馳せた。

 完成を見届けることはできない。
 けれど、提案さえ議会に通れば、この国はもっと繁栄する。殿下の治世も、より安定したものになるだろう。

 整備された交通網に賢帝の存在が欠かせないことは、歴史が物語っているのだから。

 宮殿の表門に着くと、3人に別れを告げた。

「殿下、今日はお招きありがとうございました」
「何処へ行く?」
「寮へ戻ります」
「何を言っている。もう夕暮れだぞ?」
「今から馬を駆れば、夜の帳が下りる前には着きます」
「今夜は泊っていけ」
「今から部屋を用意してもらうのは、迷惑でしょう?」
「……話があるんだ」

 殿下の声は低く、揺れていた。
「それなら、今ここで伺います」
「2人きりで話をしたい。私の部屋に就寝の用意をさせるから、そこで休んでくれ」
「……分かりました」

 宮殿に住んでいた時でさえ足を踏み入れたことのない殿下の私室に、今になって我が物顔で鎮座している自分が怖かった。
 それにしても、レオポルドったら――「じゃあ、5日後に!」だなんて。裏切者。

「はぁぁ……疲れた」
 バタンとベッドに身を投げる。殿下が「話がある」と言っていたけれど、今夜はもう眠ってしまいたい。
 殿下は今頃、離宮でクリステル様とシャルルを護っているのだろう。

「……ヘレナ?」
「っ、殿下!? どうされたんですか?」
「どうしたもなにも、ここは私の部屋なんだが」
「そうですけど……まさか殿下もここでお休みに?」
「いけないか?」
「てっきり今夜は、離宮でお休みになられるのかと」

 殿下がわずかに眉をひそめた。
「……ヘレナ。どうしてそんなことを」
「だって、殿下は――」

 言いかけて、言葉を呑み込んだ。
 もう、誤解も、曖昧さも、引きずるつもりはなかった。

「……側妃を迎えると、聞きました」

 殿下の呼吸が止まった。肩が、わずかに震えている。

「学園の噂で。……本当なんですね」

 沈黙が、答えだった。
 胸の奥がぎゅっと痛んだ。
 でも、泣くのは違う。責めるのも違う。
 殿下がどれほど苦しんで、この決断をしたのか分かるから。

 だから私は、わざと明るく笑った。
「殿下。だったら――サンマリアの保養地に連れて行ってください!」
「……は?」
「前に言ってたじゃないですか。魚介のパスタが美味しいって。森育ちの私に、いつか食べさせてくれるって。……覚えてますか?」

 殿下の瞳が揺れた。
「ヘレナ……」
「お願いです。今のうちに……殿下と過ごしたいんです。……ダメですか?」
 笑っているのに、声が少し震えた。
 殿下は、息をのみ込むように目を伏せた。
 私の指先に触れようとした手が、途中で止まり、拳に変わる。

「……分かった」
「いいの?」
 触れられない代わりに、切なさを宿した眼差しで、まっすぐ私を見つめる。
「あぁ。ヘレナが望むなら……どこへでも」
 その声は、痛いほど優しかった。

 ――翌朝。
 殿下とともに、サンマリア地域にある皇族専用の保養地へ行くことになった。
 今度は正真正銘、2人きりの旅だった。
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