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第4章:漂流の終わり――私の選んだ場所
第72話:報いの舞踏会、初恋の青年
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「エレナ。スカートの裾、切り込みが入ってるぞ?」
「っ……!? 貴方……ギヨーム?」
思わずヴィルヘルム皇太子の顔をまじまじと見つめると、いたずらな笑みが返ってきた。
「驚いたよ。表舞台にほとんど出ない帝国の皇太子妃が、どんな女性か見てやろうと思ったら……エレナだったんだから」
「私もよ! って、そんなにすぐ分かった?」
「いつも見ているからね。それに――学園祭では恋に落ちる仲だったはずだろ? 殿下のあの様子じゃ……劇は降板して正解だったな。さっきエレナをパートナーに指名しただけで、噛みつかれそうだったぞ」
ギヨームはいつもそう。こういう軽口で人をからかうんだから。
彼の視線には、恋の色なんてひとかけらもない。
「それにしても、帝国の皇太子妃が留学生のふりをしてるなんて知ったら、同級生のやつら腰を抜かすぞ?」
「それを言うならギヨームだって同じじゃない? 西国の皇太子が同級生だなんて知ったら、すごい騒ぎになりそうよ?」
「くくくっ。間違いない」
ふと、彼の視線が私のスカートの裾に落ちる。
「膝丈までスリットが入ってるようだけど……その方が踊りやすそうだな」
「とある令嬢に、破かれちゃったの」
「げっ。やっぱり、そういう女同士の闘いがあるのか?」
「ご苦労なことよね」
「ふーん。じゃあさ、見せつけてやろうぜ?」
「何を?」
「半年前の、特訓の成果だよ」
ギヨームはニヤリと笑い、侍従に何かを耳打ちした。
その瞬間、宮廷楽団の空気がわずかに変わった。
壇上からダンスホールの中央へと降り、互いに向かい合う。
軽く礼を交わしたあと――
タン、タン、タン……
厳かな舞踏会には似つかわしくない、リズミカルな音楽が響き渡った。
「っ!?」
「西国では定番の舞だ。運動量が多くて、キレのある動きが多い。お淑やかな令嬢にはまず踊れない。でも、エレナなら大丈夫だろ?」
「もちろんよ!」
実はこのダンス、学園祭の演劇でギヨームと踊る予定だったのだ。
でも王女役を降板したため、お披露目できないままになっていた。
音楽が切り替わった瞬間、空気が弾けた。
会場のどこかで、誰かが息を呑む気配がする。
その軽やかな調べは、まるで西国の風を運んできたようだった。
ギヨームが私の手を引き、ターンの合間にスカートの裾がふわりと舞う。
布が空気を切る、軽い“シュッ”という音が耳に心地よい。
スリットから覗くふくらはぎに、視線が集まるのが分かった。
でも、もう気にしない。
これが西国の皇太子をもてなす、私流の”礼節”だ。
最後のターンでショートヘアがふわりと跳ね、床を打つ靴音がリズムに合わせて鋭く響く。
ギヨームが手を放し、私は一人で回りきる。
その瞬間、視線が交差し、互いに微笑んだ。
音楽が鳴り止み、どちらともなく「ふふふっ」と笑い合う。
ワーッと、ものすごい拍手が鳴り響いた。
互いに恭しく礼をすると、聴衆に向かって笑顔を向けた。
その背中へ、メリッサの声が刺さる。
「エレナ様は随分、破廉恥なダンスをご存知なのね?」
「……破廉恥、ですか?」
ギヨームの低い声が、空気を冷やす。
「破廉恥極まりないわよ。肌を露わにする踊りなんて。帝国に対する侮辱だわ!」
西国担当の大使が慌てて駆け寄り、謝罪する。
「常識知らずな令嬢を公式な舞踏会に参加させるとは……親の顔が見てみたいものです」
「っ、常識知らずですって!?」
「西国の伝統的な舞踊。――エレナ皇太子妃殿下は知っておられたようですがね」
「っ、そんなの単なる偶然でしょう?」
「踊りまで完璧にマスターされていらっしゃった。さすが皇太子妃ともなれば、格が違いますね」
「っ、何ですって!?」
ヴィルヘルム殿下の冷ややかな言葉に続き、陛下の声が響いた。
「――娘の愚行は、父の教育の鏡。ロレーヌ公爵、そなたの家は帝国の威信を損なった。これ以上、国家に恥を重ねることは許されぬ」
「メリッサ、もう下がりなさい」
「え? どうしてよ……お父様?」
「下がれ、と言っている」
蒼白になったメリッサは、ロレーヌ公爵に腕を取られ、引きずられるように退場していく。
コツ、コツ、コツ……
メリッサのヒールが床を打つ音だけが、静まり返った会場に響いた。
親子の背に向けられる視線は、冷ややかで、容赦がなかった。
私はただ、裾を整え、祖母仕込みの微笑みを浮かべる。
勝ち誇る必要はない。
――負けたことは、相手が一番よくわかっているのだから。
静かに一礼し、穏やかな声で告げる。
「どうか今宵の舞踏会が、西国と帝国の友情を結ぶ佳きひとときとなりますように」
その言葉に、張り詰めていた空気がふっと和らぎ、拍手が広がっていった。
私はただ、祖母のように上品に、柔らかく――報いの瞬間を見届けたのだった。
***
「ヴィルヘルム殿下。あらためて、先ほどの非礼をお詫び申し上げます」
「アルフォンス殿下。どうぞお気になさらず。……それにしても、皇太子妃殿下は素晴らしい方ですね。この短期間で帝国語を習得されただけでなく、西国の文化にも通じ、令嬢の挑発もさらりとかわすほど肝が据わっておられる」
「……」
「“名ばかりの妻”と聞いておりましたが、それが本当なら――ぜひ我が妻に迎えたいものです」
「ご冗談を。私はヘレナを愛しておりますから」
「そうですか。では、私の失言もお許しいただきたい」
アルフォンス殿下は、ヴィルヘルム殿下の瞳を直視したまま、静かな微笑みを浮かべた。
殿下の”愛している”という言葉に、胸が熱くなるのを感じた。
それから何組かの主要貴族が挨拶に来た。
私は、淑女コースのアメリから日々教わっている社交会の情報を駆使し、殿下の隣で穏やかに応対した。“お飾り”ではなく、“帝国の顔”として。
一通りの社交を終えると、オーギュスト様から声をかけられた。
「妃殿下。一曲、お願いできますか?」
「喜んで」
「……ヘレナ、何だか美しさに磨きがかかったね」
「相変わらず、お上手ですこと」
「お世辞など言わないよ。本当だ」
「……大人になったからでしょうか」
「ははは。成人したからって、急に変わるものじゃないだろう? それにしても、さっきのダンスは見事だったな。あんなに運動神経がいいとは知らなかったよ」
「ふふふっ。だから、辺境伯夫人にはピッタリだと思ったんですけどね」
「あぁ……」
「冗談ですよ。オーギュスト様のことは、もう綺麗さっぱり諦めましたから!」
「ヘレナ……」
「ほらー。そんな顔しないでくださいよ。それはそうと、フォスティーヌ夫人の体調はいかがですか?」
「まだ悪阻が辛そうだよ。あと1か月もすれば落ち着くようだけれどね」
「お屋敷の皆さんも、新しい命の誕生を心待ちにしているでしょうね」
「久しぶりだからね。みな張り切ってるよ」
「うふふ。みなの様子が目に浮かびます」
オーギュスト様――
その昔、私が淡い恋心を抱いた人は、昨年の暮れにフォスティーヌ夫人と結婚し、今、夫人のお腹には2人の赤ちゃんが宿っている。
「ヘレナのおかげだ」
「え?」
「君に元気をもらったんだ。私も、もう一花咲かせようかなってね」
「まぁ。お役に立てたようで何よりですわ」
「本当に……ありがとう」
「大袈裟です」
「それから、昔、ヘレナを保護したときの話なんだが。実は伝えていなかったことがある」
「え?」
「口留めされていたからね」
「どなたから?」
「可愛い甥に」
「甥?」
「当時、私は帝国軍の指揮官だった。正直、ヘレナの処遇を決めかねていた。けれど、私の右腕だったアルフォンスが言ったんだ。“絶対に家に戻してあげるべきだ”と」
「殿下が……?」
「ああ。だから、ヘレナの恩人は私ではなく、アルフォンスなんだ」
「どうして教えてくれなかったんでしょう……」
「昔助けたことを理由に君を繋ぎとめるのは、フェアじゃないと思ったんだろうね。不器用な子だから。
――ヘレナ。
ロレーヌ公爵令嬢の件は、アルフォンスの本意じゃない。
内乱の芽を摘み、国の均衡を守るために、あえて側妃の話を進めさせるよう誘導した。冷淡に見える自分の評判すら利用してね。……君のためには、鬼にもなろうとしたんだろう。
思い出すよ。
8年前、君を政治の駒にしようとする声に、あいつは真っ向から反対した。
自分の立場を危うくすることを承知のうえで、だ。その迫力に、誰も言葉を返せなかった。
そして一人で敵国へ乗り込み、君を公爵家へ送り届けた。叔父としては止めたが、あいつは譲らなかった。
――帝国の孤児を、王国の子が守った。
必ず自分が彼女を家族のもとへ戻す、とね。
王国のきな臭い動きに、いち早く反応したのもアルフォンスだ。
ランスロット殿下との婚約が白紙になるや否や、驚く速さで君との婚姻を結んだ。
たいしたもんだよ、あいつの行動力は。
変わってないよ、あいつは。あの頃と何も」
オーギュスト様はそう言って、どこか懐かしそうに、そして誇らしげに微笑んだ。
「……まあ、言葉は足りないやつだけどね」
そう言って片目をつむり、茶目っ気をにじませた。
そうか。
やっぱり、あれは――私の初恋の青年は、アルフォンス殿下だったんだ。
あの夜、私を守ると誓ってくれた青年。
今も変わらずに、私を見ていてくれた。
ずっと、誰かに選ばれたいと思っていた。
でも、今は違う。
アルフォンス殿下と、一緒に歩いていきたい。
もし、殿下もそう願ってくれているのなら――。
***
それから1週間後。
メリッサの言動について、西国から正式な抗議が届けられた。
殿下は以前からロレーヌ派の不正を追及していたけれど、舞踏会の前までは公爵本人の直接関与を断じきれず、側妃の話もなお残っていた。
けれど――
外交の場で放たれた娘の軽率な一言が、皮肉にも決定打となった。
帝国の威信を損なう失態と、積年の不正の露見が重なり、ロレーヌ公爵家は一気に失脚した。
側妃の噂は、はじめから存在しなかったかのように霧散していった。
あの夜会での一幕は、人々の記憶に深く刻まれたようで――
「お飾りの妻」と嘲られた皇太子妃が、帝国の顔として立ち、西国皇太子の信頼を得た、と。
それは、ロレーヌ派の思惑を完全に打ち砕くには、十分すぎるほどの一撃だった。
「っ……!? 貴方……ギヨーム?」
思わずヴィルヘルム皇太子の顔をまじまじと見つめると、いたずらな笑みが返ってきた。
「驚いたよ。表舞台にほとんど出ない帝国の皇太子妃が、どんな女性か見てやろうと思ったら……エレナだったんだから」
「私もよ! って、そんなにすぐ分かった?」
「いつも見ているからね。それに――学園祭では恋に落ちる仲だったはずだろ? 殿下のあの様子じゃ……劇は降板して正解だったな。さっきエレナをパートナーに指名しただけで、噛みつかれそうだったぞ」
ギヨームはいつもそう。こういう軽口で人をからかうんだから。
彼の視線には、恋の色なんてひとかけらもない。
「それにしても、帝国の皇太子妃が留学生のふりをしてるなんて知ったら、同級生のやつら腰を抜かすぞ?」
「それを言うならギヨームだって同じじゃない? 西国の皇太子が同級生だなんて知ったら、すごい騒ぎになりそうよ?」
「くくくっ。間違いない」
ふと、彼の視線が私のスカートの裾に落ちる。
「膝丈までスリットが入ってるようだけど……その方が踊りやすそうだな」
「とある令嬢に、破かれちゃったの」
「げっ。やっぱり、そういう女同士の闘いがあるのか?」
「ご苦労なことよね」
「ふーん。じゃあさ、見せつけてやろうぜ?」
「何を?」
「半年前の、特訓の成果だよ」
ギヨームはニヤリと笑い、侍従に何かを耳打ちした。
その瞬間、宮廷楽団の空気がわずかに変わった。
壇上からダンスホールの中央へと降り、互いに向かい合う。
軽く礼を交わしたあと――
タン、タン、タン……
厳かな舞踏会には似つかわしくない、リズミカルな音楽が響き渡った。
「っ!?」
「西国では定番の舞だ。運動量が多くて、キレのある動きが多い。お淑やかな令嬢にはまず踊れない。でも、エレナなら大丈夫だろ?」
「もちろんよ!」
実はこのダンス、学園祭の演劇でギヨームと踊る予定だったのだ。
でも王女役を降板したため、お披露目できないままになっていた。
音楽が切り替わった瞬間、空気が弾けた。
会場のどこかで、誰かが息を呑む気配がする。
その軽やかな調べは、まるで西国の風を運んできたようだった。
ギヨームが私の手を引き、ターンの合間にスカートの裾がふわりと舞う。
布が空気を切る、軽い“シュッ”という音が耳に心地よい。
スリットから覗くふくらはぎに、視線が集まるのが分かった。
でも、もう気にしない。
これが西国の皇太子をもてなす、私流の”礼節”だ。
最後のターンでショートヘアがふわりと跳ね、床を打つ靴音がリズムに合わせて鋭く響く。
ギヨームが手を放し、私は一人で回りきる。
その瞬間、視線が交差し、互いに微笑んだ。
音楽が鳴り止み、どちらともなく「ふふふっ」と笑い合う。
ワーッと、ものすごい拍手が鳴り響いた。
互いに恭しく礼をすると、聴衆に向かって笑顔を向けた。
その背中へ、メリッサの声が刺さる。
「エレナ様は随分、破廉恥なダンスをご存知なのね?」
「……破廉恥、ですか?」
ギヨームの低い声が、空気を冷やす。
「破廉恥極まりないわよ。肌を露わにする踊りなんて。帝国に対する侮辱だわ!」
西国担当の大使が慌てて駆け寄り、謝罪する。
「常識知らずな令嬢を公式な舞踏会に参加させるとは……親の顔が見てみたいものです」
「っ、常識知らずですって!?」
「西国の伝統的な舞踊。――エレナ皇太子妃殿下は知っておられたようですがね」
「っ、そんなの単なる偶然でしょう?」
「踊りまで完璧にマスターされていらっしゃった。さすが皇太子妃ともなれば、格が違いますね」
「っ、何ですって!?」
ヴィルヘルム殿下の冷ややかな言葉に続き、陛下の声が響いた。
「――娘の愚行は、父の教育の鏡。ロレーヌ公爵、そなたの家は帝国の威信を損なった。これ以上、国家に恥を重ねることは許されぬ」
「メリッサ、もう下がりなさい」
「え? どうしてよ……お父様?」
「下がれ、と言っている」
蒼白になったメリッサは、ロレーヌ公爵に腕を取られ、引きずられるように退場していく。
コツ、コツ、コツ……
メリッサのヒールが床を打つ音だけが、静まり返った会場に響いた。
親子の背に向けられる視線は、冷ややかで、容赦がなかった。
私はただ、裾を整え、祖母仕込みの微笑みを浮かべる。
勝ち誇る必要はない。
――負けたことは、相手が一番よくわかっているのだから。
静かに一礼し、穏やかな声で告げる。
「どうか今宵の舞踏会が、西国と帝国の友情を結ぶ佳きひとときとなりますように」
その言葉に、張り詰めていた空気がふっと和らぎ、拍手が広がっていった。
私はただ、祖母のように上品に、柔らかく――報いの瞬間を見届けたのだった。
***
「ヴィルヘルム殿下。あらためて、先ほどの非礼をお詫び申し上げます」
「アルフォンス殿下。どうぞお気になさらず。……それにしても、皇太子妃殿下は素晴らしい方ですね。この短期間で帝国語を習得されただけでなく、西国の文化にも通じ、令嬢の挑発もさらりとかわすほど肝が据わっておられる」
「……」
「“名ばかりの妻”と聞いておりましたが、それが本当なら――ぜひ我が妻に迎えたいものです」
「ご冗談を。私はヘレナを愛しておりますから」
「そうですか。では、私の失言もお許しいただきたい」
アルフォンス殿下は、ヴィルヘルム殿下の瞳を直視したまま、静かな微笑みを浮かべた。
殿下の”愛している”という言葉に、胸が熱くなるのを感じた。
それから何組かの主要貴族が挨拶に来た。
私は、淑女コースのアメリから日々教わっている社交会の情報を駆使し、殿下の隣で穏やかに応対した。“お飾り”ではなく、“帝国の顔”として。
一通りの社交を終えると、オーギュスト様から声をかけられた。
「妃殿下。一曲、お願いできますか?」
「喜んで」
「……ヘレナ、何だか美しさに磨きがかかったね」
「相変わらず、お上手ですこと」
「お世辞など言わないよ。本当だ」
「……大人になったからでしょうか」
「ははは。成人したからって、急に変わるものじゃないだろう? それにしても、さっきのダンスは見事だったな。あんなに運動神経がいいとは知らなかったよ」
「ふふふっ。だから、辺境伯夫人にはピッタリだと思ったんですけどね」
「あぁ……」
「冗談ですよ。オーギュスト様のことは、もう綺麗さっぱり諦めましたから!」
「ヘレナ……」
「ほらー。そんな顔しないでくださいよ。それはそうと、フォスティーヌ夫人の体調はいかがですか?」
「まだ悪阻が辛そうだよ。あと1か月もすれば落ち着くようだけれどね」
「お屋敷の皆さんも、新しい命の誕生を心待ちにしているでしょうね」
「久しぶりだからね。みな張り切ってるよ」
「うふふ。みなの様子が目に浮かびます」
オーギュスト様――
その昔、私が淡い恋心を抱いた人は、昨年の暮れにフォスティーヌ夫人と結婚し、今、夫人のお腹には2人の赤ちゃんが宿っている。
「ヘレナのおかげだ」
「え?」
「君に元気をもらったんだ。私も、もう一花咲かせようかなってね」
「まぁ。お役に立てたようで何よりですわ」
「本当に……ありがとう」
「大袈裟です」
「それから、昔、ヘレナを保護したときの話なんだが。実は伝えていなかったことがある」
「え?」
「口留めされていたからね」
「どなたから?」
「可愛い甥に」
「甥?」
「当時、私は帝国軍の指揮官だった。正直、ヘレナの処遇を決めかねていた。けれど、私の右腕だったアルフォンスが言ったんだ。“絶対に家に戻してあげるべきだ”と」
「殿下が……?」
「ああ。だから、ヘレナの恩人は私ではなく、アルフォンスなんだ」
「どうして教えてくれなかったんでしょう……」
「昔助けたことを理由に君を繋ぎとめるのは、フェアじゃないと思ったんだろうね。不器用な子だから。
――ヘレナ。
ロレーヌ公爵令嬢の件は、アルフォンスの本意じゃない。
内乱の芽を摘み、国の均衡を守るために、あえて側妃の話を進めさせるよう誘導した。冷淡に見える自分の評判すら利用してね。……君のためには、鬼にもなろうとしたんだろう。
思い出すよ。
8年前、君を政治の駒にしようとする声に、あいつは真っ向から反対した。
自分の立場を危うくすることを承知のうえで、だ。その迫力に、誰も言葉を返せなかった。
そして一人で敵国へ乗り込み、君を公爵家へ送り届けた。叔父としては止めたが、あいつは譲らなかった。
――帝国の孤児を、王国の子が守った。
必ず自分が彼女を家族のもとへ戻す、とね。
王国のきな臭い動きに、いち早く反応したのもアルフォンスだ。
ランスロット殿下との婚約が白紙になるや否や、驚く速さで君との婚姻を結んだ。
たいしたもんだよ、あいつの行動力は。
変わってないよ、あいつは。あの頃と何も」
オーギュスト様はそう言って、どこか懐かしそうに、そして誇らしげに微笑んだ。
「……まあ、言葉は足りないやつだけどね」
そう言って片目をつむり、茶目っ気をにじませた。
そうか。
やっぱり、あれは――私の初恋の青年は、アルフォンス殿下だったんだ。
あの夜、私を守ると誓ってくれた青年。
今も変わらずに、私を見ていてくれた。
ずっと、誰かに選ばれたいと思っていた。
でも、今は違う。
アルフォンス殿下と、一緒に歩いていきたい。
もし、殿下もそう願ってくれているのなら――。
***
それから1週間後。
メリッサの言動について、西国から正式な抗議が届けられた。
殿下は以前からロレーヌ派の不正を追及していたけれど、舞踏会の前までは公爵本人の直接関与を断じきれず、側妃の話もなお残っていた。
けれど――
外交の場で放たれた娘の軽率な一言が、皮肉にも決定打となった。
帝国の威信を損なう失態と、積年の不正の露見が重なり、ロレーヌ公爵家は一気に失脚した。
側妃の噂は、はじめから存在しなかったかのように霧散していった。
あの夜会での一幕は、人々の記憶に深く刻まれたようで――
「お飾りの妻」と嘲られた皇太子妃が、帝国の顔として立ち、西国皇太子の信頼を得た、と。
それは、ロレーヌ派の思惑を完全に打ち砕くには、十分すぎるほどの一撃だった。
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