異国妃の宮廷漂流記

花雨 宮琵 ー Kau Miyabi ー

文字の大きさ
72 / 75
第4章:漂流の終わり――私の選んだ場所

第72話:報いの舞踏会、初恋の青年

しおりを挟む
「エレナ。スカートの裾、切り込みが入ってるぞ?」
「っ……!? 貴方……ギヨーム?」
 思わずヴィルヘルム皇太子の顔をまじまじと見つめると、いたずらな笑みが返ってきた。

「驚いたよ。表舞台にほとんど出ない帝国の皇太子妃が、どんな女性か見てやろうと思ったら……エレナだったんだから」
「私もよ! って、そんなにすぐ分かった?」
「いつも見ているからね。それに――学園祭では恋に落ちる仲だろ? 殿下のあの様子じゃ……劇は降板して正解だったな。さっきエレナをパートナーに指名しただけで、噛みつかれそうだったぞ」
 ギヨームはいつもそう。こういう軽口で人をからかうんだから。
 彼の視線には、恋の色なんてひとかけらもない。

「それにしても、帝国の皇太子妃が留学生のふりをしてるなんて知ったら、同級生のやつら腰を抜かすぞ?」
「それを言うならギヨームだって同じじゃない? 西国の皇太子が同級生だなんて知ったら、すごい騒ぎになりそうよ?」
「くくくっ。間違いない」

 ふと、彼の視線が私のスカートの裾に落ちる。
「膝丈までスリットが入ってるようだけど……その方が踊りやすそうだな」
「とある令嬢に、破かれちゃったの」
「げっ。やっぱり、そういう女同士の闘いがあるのか?」
「ご苦労なことよね」
「ふーん。じゃあさ、見せつけてやろうぜ?」
「何を?」
「半年前の、特訓の成果だよ」

 ギヨームはニヤリと笑い、侍従に何かを耳打ちした。
 その瞬間、宮廷楽団の空気がわずかに変わった。
 壇上からダンスホールの中央へと降り、互いに向かい合う。
 軽く礼を交わしたあと――

 タン、タン、タン……

 厳かな舞踏会には似つかわしくない、リズミカルな音楽が響き渡った。
「っ!?」
「西国では定番の舞だ。運動量が多くて、キレのある動きが多い。お淑やかな令嬢にはまず踊れない。でも、エレナなら大丈夫だろ?」
「もちろんよ!」

 実はこのダンス、学園祭の演劇でギヨームと踊る予定だったのだ。
 でも王女役を降板したため、お披露目できないままになっていた。
 音楽が切り替わった瞬間、空気が弾けた。
 会場のどこかで、誰かが息を呑む気配がする。

 その軽やかな調べは、まるで西国の風を運んできたようだった。
 ギヨームが私の手を引き、ターンの合間にスカートの裾がふわりと舞う。
 布が空気を切る、軽い“シュッ”という音が耳に心地よい。

 スリットから覗くふくらはぎに、視線が集まるのが分かった。
 でも、もう気にしない。
 これが西国の皇太子をもてなす、私流の”礼節”だ。
 最後のターンでショートヘアがふわりと跳ね、床を打つ靴音がリズムに合わせて鋭く響く。

 ギヨームが手を放し、私は一人で回りきる。
 その瞬間、視線が交差し、互いに微笑んだ。
 音楽が鳴り止み、どちらともなく「ふふふっ」と笑い合う。

 ワーッと、ものすごい拍手が鳴り響いた。
 互いに恭しく礼をすると、聴衆に向かって笑顔を向けた。

 その背中へ、メリッサの声が刺さる。
「エレナ様は随分、破廉恥なダンスをご存知なのね?」
「……破廉恥、ですか?」
 ギヨームの低い声が、空気を冷やす。

「破廉恥極まりないわよ。肌を露わにする踊りなんて。帝国に対する侮辱だわ!」
 西国担当の大使が慌てて駆け寄り、謝罪する。

「常識知らずな令嬢を公式な舞踏会に参加させるとは……親の顔が見てみたいものです」
「っ、常識知らずですって!?」
「西国の伝統的な舞踊。――エレナ皇太子妃殿下は知っておられたようですがね」
「っ、そんなの単なる偶然でしょう?」
「踊りまで完璧にマスターされていらっしゃった。さすが皇太子妃ともなれば、が違いますね」
「っ、何ですって!?」

 ヴィルヘルム殿下ギヨームの冷ややかな言葉に続き、陛下の声が響いた。
「――娘の愚行は、父の教育の鏡。ロレーヌ公爵、そなたの家は帝国の威信を損なった。これ以上、国家に恥を重ねることは許されぬ」
「メリッサ、もう下がりなさい」
「え? どうしてよ……お父様?」
「下がれ、と言っている」
 蒼白になったメリッサは、ロレーヌ公爵に腕を取られ、引きずられるように退場していく。

 コツ、コツ、コツ……

 メリッサのヒールが床を打つ音だけが、静まり返った会場に響いた。
 親子の背に向けられる視線は、冷ややかで、容赦がなかった。
 私はただ、裾を整え、祖母仕込みの微笑みを浮かべる。
 勝ち誇る必要はない。
 ――負けたことは、相手が一番よくわかっているのだから。

 静かに一礼し、穏やかな声で告げる。
「どうか今宵の舞踏会が、西国と帝国の友情を結ぶ佳きひとときとなりますように」
 その言葉に、張り詰めていた空気がふっと和らぎ、拍手が広がっていった。
 私はただ、祖母のように上品に、柔らかく――報いの瞬間を見届けたのだった。

 ***
「ヴィルヘルム殿下。あらためて、先ほどの非礼をお詫び申し上げます」
「アルフォンス殿下。どうぞお気になさらず。……それにしても、皇太子妃殿下は素晴らしい方ですね。この短期間で帝国語を習得されただけでなく、西国の文化にも通じ、令嬢の挑発もさらりとかわすほど肝が据わっておられる」
「……」
「“名ばかりの妻”と聞いておりましたが、それが本当なら――ぜひ我が妻に迎えたいものです」
「ご冗談を。私はヘレナを愛しておりますから」
「そうですか。では、私の失言もお許しいただきたい」

 アルフォンス殿下は、ヴィルヘルムギヨーム殿下の瞳を直視したまま、静かな微笑みを浮かべた。
 殿下の”愛している”という言葉に、胸が熱くなるのを感じた。

 それから何組かの主要貴族が挨拶に来た。
 私は、淑女コースのアメリから日々教わっている社交会の情報を駆使し、殿下の隣で穏やかに応対した。“お飾り”ではなく、“帝国の顔”として。

 一通りの社交を終えると、オーギュスト様から声をかけられた。
「妃殿下。一曲、お願いできますか?」
「喜んで」

「……ヘレナ、何だか美しさに磨きがかかったね」
「相変わらず、お上手ですこと」
「お世辞など言わないよ。本当だ」
「……大人になったからでしょうか」
「ははは。成人したからって、急に変わるものじゃないだろう? それにしても、さっきのダンスは見事だったな。あんなに運動神経がいいとは知らなかったよ」
「ふふふっ。だから、辺境伯夫人にはピッタリだと思ったんですけどね」
「あぁ……」

「冗談ですよ。オーギュスト様のことは、もう綺麗さっぱり諦めましたから!」
「ヘレナ……」
「ほらー。そんな顔しないでくださいよ。それはそうと、フォスティーヌ夫人の体調はいかがですか?」
「まだ悪阻が辛そうだよ。あと1か月もすれば落ち着くようだけれどね」
「お屋敷の皆さんも、新しい命の誕生を心待ちにしているでしょうね」
「久しぶりだからね。みな張り切ってるよ」
「うふふ。みなの様子が目に浮かびます」

 オーギュスト様――
 その昔、私が淡い恋心を抱いた人は、昨年の暮れにフォスティーヌ夫人と結婚し、今、夫人のお腹には2人の赤ちゃんが宿っている。

「ヘレナのおかげだ」
「え?」
「君に元気をもらったんだ。私も、もう一花咲かせようかなってね」
「まぁ。お役に立てたようで何よりですわ」
「本当に……ありがとう」
「大袈裟です」

「それから、昔、ヘレナを保護したときの話なんだが。実は伝えていなかったことがある」
「え?」
「口留めされていたからね」
「どなたから?」
「可愛い甥に」
「甥?」
「当時、私は帝国軍の指揮官だった。正直、ヘレナの処遇を決めかねていた。けれど、私の右腕だったアルフォンスが言ったんだ。“絶対に家に戻してあげるべきだ”と」
「殿下が……?」
「ああ。だから、ヘレナの恩人は私ではなく、アルフォンスなんだ」
「どうして教えてくれなかったんでしょう……」
「昔助けたことを理由に君を繋ぎとめるのは、フェアじゃないと思ったんだろうね。不器用な子だから。
 
 ――ヘレナ。
 ロレーヌ公爵令嬢の件は、アルフォンスの本意じゃない。
 内乱の芽を摘み、国の均衡を守るために、あえて側妃の話を進めさせるよう誘導した。冷淡に見える自分の評判すら利用してね。……君のためには、鬼にもなろうとしたんだろう。

 思い出すよ。
 8年前、君を政治の駒にしようとする声に、あいつは真っ向から反対した。
 自分の立場を危うくすることを承知のうえで、だ。その迫力に、誰も言葉を返せなかった。

 そして一人で敵国へ乗り込み、君を公爵家へ送り届けた。叔父としては止めたが、あいつは譲らなかった。
 ――帝国の孤児を、王国の子が守った。
 必ず自分が彼女を家族のもとへ戻す、とね。

 王国のきな臭い動きに、いち早く反応したのもアルフォンスだ。
 ランスロット殿下との婚約が白紙になるや否や、驚く速さで君との婚姻を結んだ。
 たいしたもんだよ、あいつの行動力は。
 変わってないよ、あいつは。あの頃と何も」

 オーギュスト様はそう言って、どこか懐かしそうに、そして誇らしげに微笑んだ。

「……まあ、言葉は足りないやつだけどね」
 そう言って片目をつむり、茶目っ気をにじませた。

 そうか。
 やっぱり、あれは――私の初恋の青年は、アルフォンス殿下だったんだ。
 あの夜、私を守ると誓ってくれた青年。
 今も変わらずに、私を見ていてくれた。

 ずっと、誰かに選ばれたいと思っていた。
 でも、今は違う。
 アルフォンス殿下と、一緒に歩いていきたい。
 もし、殿下もそう願ってくれているのなら――。

 ***
 それから1週間後。
 メリッサの言動について、西国から正式な抗議が届けられた。
 殿下は以前からロレーヌ派の不正を追及していたけれど、舞踏会の前までは公爵本人の直接関与を断じきれず、側妃の話もなお残っていた。
 けれど――
 外交の場で放たれた娘の軽率な一言が、皮肉にも決定打となった。

 帝国の威信を損なう失態と、積年の不正の露見が重なり、ロレーヌ公爵家は一気に失脚した。
 側妃の噂は、はじめから存在しなかったかのように霧散していった。

 あの夜会での一幕は、人々の記憶に深く刻まれたようで――
「お飾りの妻」と嘲られた皇太子妃わたしが、帝国の顔として立ち、西国皇太子の信頼を得た、と。
 それは、ロレーヌ派の思惑を完全に打ち砕くには、十分すぎるほどの一撃だった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

王太子妃は離婚したい

凛江
恋愛
アルゴン国の第二王女フレイアは、婚約者であり、幼い頃より想いを寄せていた隣国テルルの王太子セレンに嫁ぐ。 だが、期待を胸に臨んだ婚姻の日、待っていたのは夫セレンの冷たい瞳だった。 ※この作品は、読んでいただいた皆さまのおかげで書籍化することができました。 綺麗なイラストまでつけていただき感無量です。 これまで応援いただき、本当にありがとうございました。 レジーナのサイトで番外編が読めますので、そちらものぞいていただけると嬉しいです。 https://www.regina-books.com/extra/login

「お前を愛する事はない」を信じたので

あんど もあ
ファンタジー
「お前を愛することは無い。お前も私を愛するな。私からの愛を求めるな」 お互いの利益のために三年間の契約結婚をしたアヴェリンとロデリック。楽しく三年を過ごしたアヴェリンは屋敷を出ていこうとするのだが……。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

老聖女の政略結婚

那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。 六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。 しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。 相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。 子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。 穏やかな余生か、嵐の老後か―― 四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

処理中です...