前世軍医だった傷物令嬢は、幸せな花嫁を夢見る

花雨宮琵

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68 女の影

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 王立医学アカデミーの冬学期の成績表が届いた。
 スパイ容疑に動揺したり、怪我を理由にお休みしたりしたから不安だったけれど、無事に合格ラインを超えていた。 
 そのお祝いにと金曜日である今夜、フェルディナン様が食事に連れて行ってくれることになった。

 今日のターニャは一段と気合が入っている。それというのも、今朝の私の言葉に端を発する。

「ローズ様。今夜の坊ちゃまとのお食事デート、楽しみでございますね」
「デート、なのかなぁ……。ねぇターニャ。フェルディナン様って、綺麗系と可愛い系、どちらが好みなのかしら?」
「坊ちゃまが好きなのは、そのままのお嬢様です!」
「気を遣わなくても大丈夫よ? あのね、騎士学校時代のご友人たちによると、フェルディナン様って、私とは正反対の女性がタイプらしいの」
「ご友人達の戯言など、全く気にする必要ございません!」
「そうは言っても、せっかくフェルディナン様が誘って下さったから。今日は髪もおろして、いつもとは違う雰囲気にまとめてくれないかしら?」
「もちろんです! お任せください」

 扉越しに2人の会話を聞いていたティボーも、主人の喜ぶ様子が目に浮かび、含み笑いが止まらない。

 ターニャは、両サイドの髪を編み込んで耳上の高い位置から髪をおろしてハーフアップにすると、歩くたびにふんわり揺れるように、前髪とサイドの毛先をゆるくカールしてくれた。
 お化粧も、パール入りのアイシャドウで優しい品のある目元をつくり、唇には深みのあるボルドー色のリップをのせてくれた。

 今日の私はなんだか艶っぽい。
 フェルディナン様と並んでも年の差を感じなくて済むように、ターニャが大人っぽく仕上げてくれたのだ。

「それじゃあ、行ってきます」
 使用人達の笑顔に見送られながら、公爵家の馬車に乗り込んだ。フェルディナン様とは直接レストランで落ち合うことになっている。

 窓から見えた茜色に染まった夕空に魅了され、レストランまで歩きたい気分になってしまった私は、御者に頼んで途中の広場で降ろしてもらうことにした。

 久しぶりにお洒落して髪をおろした姿を見せたりしたら、驚かせちゃうかな? 
 お義父様みたいに、目を細めて「美しいな」とか言ってくれたりして……。

 そんな甘~い妄想をしながら歩いていたら、あっという間に貴族街にある待ち合わせのレストランに着いた。名を告げると、申し訳なさそうな顔をしたマネージャーが奥から出てきた。

「本日はご予約いただきまして、誠にありがとうございます。実は先程、遣いの方が見えられまして――」

 差し出された手紙には、見慣れたフェルディナン様の几帳面な字で、「急な仕事が入ってしまった。近いうちに必ず埋め合わせをするから、今夜は公爵家の馬車で帰ってくれ。本当にすまない」と書かれていた。

「急な仕事じゃ、仕方ないわよね……」

 私自身も急患が入り予定をキャンセルすることもあるから、彼の事情はよく理解できる。
 仕事柄、事前に約束すること自体が難しいのだということも分かっている。

 だからこそ、怒れない。
 怒れないからこそ、行き場のない感情が”不満”というカタチで蓄積されていってしまう。

 これは良くないサインだ。いつか彼にぶつけちゃう前に、どこかで発散させないと。

 公爵家の馬車はもう返してしまったから、代わりの馬車を探さないといけない。
 でも何だかそれも、億劫だ。
 今夜はもう、ユベール博士のアパルトマンに泊まらせてもらおうかな……。

 そんなことを考えながら歩いていると、通りの向こう側から声をかけられた。

「よぉっ! ローズじゃないか!」
「オリヴィエ隊長!」
 隊員のみんなも一緒のようだ。

「お洒落して、今夜はデートか?」
「その予定だったんですけど、キャンセルされてしまって」
「なんだって!? こんな良い女を放っておくなんて。ったく、どうしようもない奴だな。今度、俺から説教しておいてやる」
「ふふっ。隊長、飲んでいらっしゃるんですか?」
「まだまだ、これからだ。そうだ、だったらローズも一緒に飲まないか?」

 隊員のみんなが「賛成~!」と叫ぶ。
 女性の事務員たちも来ていたので、飛び入り参加させてもらうことにした。

「よし! じゃあ、クリストフも呼ぶか!」

 隊長はクリストフが私の叔父だと知っている。
 きっと、成人したばかりの私のお目付け役に呼ぶことにしたのだろう。

 みんなでワイワイ話しながら、行きつけだという大衆居酒屋に向かっていたのだけれど――

「ん? あれって……ドゥ・ヴァンドゥール将軍じゃないですか?」
「そうだな」
「いいなー。美女とデートかよ」

 んんっ!?

 あり得ない話が聞こえてきて、皆が見つめている方向へ視線を走らせると、フェルディナン様にしな垂れかかるようにして歩いている女性が目に入った。
 遠くからだし、薄暗いから表情まではよく見えないけれど、2人が醸し出すアンニュイな雰囲気は、まるで情事の後の恋人同士のようだった。

「ヒュー。たしかあれ、将軍の昔の恋人だったルイーズさんだよな?」
「随分昔に別れたんじゃなかったか? ルイーズさん、既婚者だろ?」
「それが、最近離縁して国防軍に戻って来たらしい」
「へぇー。じゃあ、ヨリを戻したんだ」

「お前らっ! くだらない話をしてるんじゃない。ほら、行くぞっ!」

 オリヴィエ隊長は、フェルディナン様と私が婚約していることを知っている。

 気を遣わせちゃったかな……。

 それにしても。
 たとえ、百歩譲ってスパイ容疑のかけられた仮の婚約者であったとしても、だ。
 さっきのアレは、あまりにも失礼じゃないかしら? 
 待ち合わせのレストランと距離的に離れているとはいえ、絶対にすれ違うことはないって確信でもあったのかしら? それとも――私に昔の恋人といるところを見せつけたかった?

「昔、の恋人なのかな。……今も続いてるってことは、ないと思うけれど」

 途端に胸がムカムカしてきて、「今日はとことんお酒を飲んでやる!」と息巻いたのだった。
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