【完結】僕の『アーシャ』〜小さな希望〜

Kanade

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78. 陽だまりの中の至福


  五年後——。

「おにーしゃま」
「なんだい、セレナ」
しゅき」
「僕もセレナが大好きだよ。僕のお姫様」
「うふふ…」

  そんな兄妹の会話を、ガゼボのベンチに腰掛けてシエルは見つめていた。日に何度も繰り返される微笑ましいやり取りに、自然と頬が緩む。
  アメリがシエルの傍に控え、ラナは子供達の傍に控えている。シエルと同じように、二人の顔にも笑みが浮かんでいた。
  

  シエルは二十三歳、アーシャは八歳になっていた。そして、二年前にシエルは、ルシアンとの間に女の子を授かった。
  名前はセレナ。ルシアン譲りの金髪に、シエル譲りの紫眼の彼女は、顔立ちはシエルに似ている。御年二歳。名前はシエルの母セレスの名からいただき、シエルが名付けた。お兄様アーシャと、お喋りが大好きな、おしゃまな女の子だ。
  アーシャもこの年の離れた妹を、溺愛している。
  この小さなお姫様は、両親と兄だけでなく、使用人達をもその愛らしさの虜にしていた。かつてのアーシャのように。

  アーシャに早く兄弟を作ってあげたい気持ちはあったが、ルシアンと話し合い、まずは当主の、そして当主の伴侶としての仕事を覚える事を最優先として、教育係のウォルトからお墨付きをもらえるようになってからにしよう、と決めていた。
  そして二年。シエルが二十歳はたちになった年に一通りの指導が終わり、二人目を授かるに至る。

  シエルとルシアンに指導を施してくれたウォルトは、さらに一年程はシエルの補佐をしてくれていたが、ジェイクが貴族学園を卒業して正式に伯爵を継承すると、今度はジェイクの教育係になった。

  公爵だが領地を持たないシエルの仕事は、王宮から回されてくるものがほとんど。だから、たまの外出以外はほぼ毎日屋敷で過ごすが、ルシアンはウォルトの指導が終了した三年前から週に二日、王宮騎士団の団長に請われて、新米騎士達に指南する為に登城している。


「母様」
「おかーしゃま」
 
  いつの間にか、子供達とラナが傍に来ていた。
  アーシャがセレナを抱き上げてシエルの横に座らせ、自分はその隣に座る。
  シエルは順番に子供達の頭を撫でた。
  
「おかーしゃま、あかたんあかちゃんは?」

  セレナがシエルのお腹に抱きつきながら言う。

「今日は寝てるかな」
「ねんね?」
「そうだね」
「セレナ、あんまりぎゅ~ってしたらダメだよ?  赤ちゃんが苦しくなっちゃうからね」
「うん」

  大好きなアーシャに窘められ、素直にお返事をするセレナ。
  今、シエルのお腹の中には赤ちゃんがいる。現在妊娠七ヶ月。あと三月みつきほどで、シエルは三人目の子供を出産する。
  子供達の可愛い会話に耳を傾けていると、
  
ふわり…

  匂いがした。シエルだけが感じる事が出来る、シエルの大好きな匂い——。

「アーシャ、セレナ、父様が帰って来たみたいだよ」

とシエルに言われても、実際にはルシアンの姿は見えない。番のシエルだから、多少離れていても匂いで分かるのだ。

「「…?…」」

  きょろきょろと辺りを見回す子供達。これもいつもの事ではあるけれど。
 
「あ! おとーしゃま!」

  やがて姿を見せたルシアンを視界に認めて、セレナが声を上げた。アーシャがセレナをベンチから下ろすと、セレナが駆けて行く。アーシャも、ゆっくりとした足取りで後を追って行った。
  駆け寄って来たセレナを抱き上げ、アーシャと何やら言葉を交わした後、笑顔で会話をしながらこちらに向かって歩いて来る三人を、シエルも笑顔で見ていた。
  ルシアンは右腕でセレナを抱き、下がったままの左手は、アーシャがしっかりと握っていた。
  近付いてくるルシアンの顔には眼帯は無い。
  かつて負傷した左眼を隠す為に装着していた眼帯。その理由は「他者に不快感を与えない為」というものだった。シエルが「勲章なんだから屋敷内では隠さないで」と言ってからは屋敷内では外していたが、外出時は変わらず装着していた。
  けれど、此処、公爵邸に住むようになってまもなく、ルシアンは外出時も眼帯をしなくなった。シエルが強要したわけではない。ルシアンなりの心境の変化があったのか…。理由は聞いていない。

「おかえり、ルシアン」
「「おかえりなさいませ」」

  シエルが言うと、アメリとラナも…彼女達は頭を下げながら口を揃えて言った。

「ただいま帰りました」
「お疲れ様」
「いつからこちらに?」
「う~ん、一刻くらい前かな。お昼寝から起きたセレナが、お外行きたいって言ったから」
「そうでしたか。間もなく日が暮れます。冷えるといけませんから、中に入りましょうか」
「そうだね」

  うなずくシエル。ベンチは冷たいから、冷えないようにアメリが用意してくれたクッションに座っていたけれど、座りっぱなしもそろそろ辛くなってきたシエルである。

「セレナ、兄様のところにおいで」
「おにーしゃま」

  セレナが手を伸ばし、ルシアンは愛息子アーシャの腕に愛娘セレナを預けた。

「シエル」

  自由になった右手をシエルに差し出すルシアン。
  その手に自分の手を重ね、シエルはゆっくりと立ち上がった。


「可愛い…」

  夜。
  部屋全体の灯りは落とされ、テーブルの上の小さなランプだけが照らす寝室の、大きなベッドの中央で身を寄せ合って眠る子供達を見つめながら、シエルは呟いた。
  ここは『家族の寝室』。
  シルベスタ公爵邸には、夫夫の寝室と、子供部屋を含めたそれぞれの個室の他に、『家族の寝室』というものがある。それは文字通り、寝る部屋である。
  シエルの発情期間と夫夫が愛を交わし合う日以外は、家族四人、『家族の寝室』で川の字(一本多いけれど…)になって寝ていた。

  シエルは壁際のテーブルに着いて、日記を書いていた。
  日記は公爵邸に来た日から毎日欠かさず書いている、シエルのルーティン日課だ。その日にあった事だけでなく、どんな些細な事も、代わり映えのない日々でも、たった数行であっても、毎日必ず文字にした。出来事だけじゃない。その日思った事、感じた事、そして、家族や身近な人達への想いも。言葉にする機会はなくとも、文字にして書き綴った。
  そして今夜も、書き終え、読み返し、ペンを置く。
  そのタイミングで、湯浴みを終えた夜着姿のルシアンが寝室に入って来た。日記帳を閉じてシエルが立ち上がるのと、ルシアンがシエルの傍まで着いたのは同時。

「シエル」
「ルシアン」

  名前を呼び合い、ハグをして、触れるだけのキスをする。
  ルシアンは優しい手付きでシエルを導き、アーシャの隣に寝かせる。一度離れてからテーブルの上のランプを消し、薄闇の中、自身はセレナの隣に横になった。

「「おやすみなさい」」

  言葉を交わして、二人は眠りに就いた——。

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