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王都騎士団
はちみつと紅茶と野菜スープと
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ダディエがユリエルの元に戻った時には、ユリエルは疲れきって眠っていた。
それはそうだろう。発熱に加えて、二日連続で襲われたのだから。
そんなことは知らないダディエだったが、「できるだけ腕の良い医師を」とベテランの幾分高齢な医師を呼んだ。
ユリエルが心配だったからなのか、熱があると知りながら一人にしてしまった罪悪感からなのか、はたまた若い医師を呼びたくなかったからなのかは、ダディエ自身にもわからない。
ただ結果として、手配に少し時間がかかったので、医師が来たときにはアンスヘルムは退勤していたし、ユリエルも目を覚ましていた。
「風邪でしょう。熱が下がれば数日で治るかと。ただ、のどを痛めているので食事が心配ですね。体力が低下すると治りが悪くなりますから、無理にでも食べるように」
ベテランおじいちゃん医師は、そう言って解熱剤を処方して帰った。
当のユリエルは、アンスヘルムに水を飲ませてもらったおかげか、先刻医師に飲まされた薬湯のおかげか、身体の倦怠感は幾分マシになっていた。
熱はまだ高かったが、自分で起き上がることはできたし、頭もだいぶハッキリはしていた。
ただ、のどの痛みが拡がっていて、うまく声が出せない。唾を飲み込むのも痛かった。
(はちみつ湯ならいけるかも……)
前世の記憶を思い出す。
唾液も水も飲み込むのがつらい時、湯に少し蜂蜜を溶かすと飲みやすくなる。蜂蜜自体にも殺菌作用があるので、のど風邪にはピッタリだ。
(あと、うがいかな……)
前世でもよく風邪をひいていたのか、対処方法が浮かんでくる。
(うがい薬はないけど……紅茶を濃く淹れれば代用できるか……)
そう思ってキッチンへ向かう。
まだ立ち上がるとふらふらする感じはあるが、倒れるほどではない。
キッチンには、珍しくダディエがいた。
ユリエルが入ってきたのを見て、目を丸くする。
「バカ! ちゃんと寝てろ!」
そう言いながら、椅子代わりに踏み台を引き寄せてユリエルを座らせる。
『お湯が欲しくて』
あまり出ない声で、ユリエルは言う。
「湯?」
ユリエルはこくりと頷く。
『蜂蜜と、あと、茶葉も』
「紅茶に蜂蜜を入れるのか?」
今度は、ふるふると首を振る。
説明するのはちょっと怠い。
「まあいい、とりあえず湯な? 沸かすから待ってろ」
美味しい紅茶を淹れられなかろうと、侯爵家の坊っちゃんだろうと、騎士団員は全員一通りの炊事はできる。
そうでなければ、野戦訓練ができないからだ。
美味いかどうかは別問題だし、王都騎士団では訓練でしかやらないのであまり向上はしないが。
ダディエは湯を沸かす間に、蜂蜜と紅茶の茶葉、それにカップとポット、スプーンも出す。
「これでいいか?」
立派な茶器や高級な茶葉はもったいないが、そこはまあ仕方がない。
コクコクと頷いて、カップに蜂蜜を入れ、ついでに指でちょっとすくって舐めてみる。
甘みがぱぁっと口に広がり、唾液とともに飲み込むと、やはり先程までより痛みが和らぐ感じだった。
さらにユリエルは、ポットに普段の倍量の茶葉を入れる。
ポットは温めていないが、うがい用なので別に良い。
「湯、沸いたぞ」
ユリエルがポットとカップを指すと、ダディエはポットに湯を注ぎ、「こっちにも入れていいのか?」と、蜂蜜入りのカップを不思議そうに見ている。
ユリエルが頷くのを確認して、カップにも湯を注いだ。
ユリエルはくるくるとかき混ぜて、ゆっくりはちみつ湯を口に運ぶ。
(うん、これなら飲める)
前世の記憶は時々厄介だが、たしかにこうして役に立つことはあるなと思う。
(あ……アンスヘルム殿……)
前世の記憶について思いを巡らせたことで、数時間前の出来事を思い出した。
ぼんやりと熱に浮かされながらとはいえ、やはり記憶はしっかりある。
アンスヘルムに自分がねだり、水を口移しで飲ませてもらったり、身体を触らせたり……
昨日の街での強姦とは違う。
自分がねだって、アンスヘルムにさせた。
相手がアンスヘルムであることは認識できていなかったけれど、自分自身が望んでしまったことだ。
(僕は……誰でもいいんだろうか)
恐らく夕飯を作っているのであろうダディエを後ろから盗み見て、そっと落ち込む。
ダディエが好きなのだと思った。
狂いそうなくらい、ダディエの婚約に嫉妬した。
だが一方で、自分は他の男相手にも、自分から誘ってしまうような奴だった。
思えばダディエとの始まりだって、記憶を見て胸に触りたくなって、自分から手を出したのだ。
(ただの、独占欲だったのかな……)
ダディエが好きなのだという気持ちが揺らぐ。
同時に、ダディエの背に抱きつきたいような気持ちもある。
(ただの淫乱なだけかもかな……)
そうやってユリエルがぐるぐると考えていると、ダディエがユリエルの方を振り返った。
「美味くはないかもしれんが、とりあえず食え」
そういってダディエが差し出したのは、細切れ野菜の入ったスープだ。
ファルファッレという、リボンのような形をしたショートパスタも入っている。
(僕の食事を作ってくれていたのか……)
ユリエルは、『ありがとうございます』と素直に受け取って口に運んだ。
まあ、味はあまり美味しくない。
病人が食べづらいと思ったのか、肉や魚が入っていないのでダシが足りていないし、パスタも火を通しすぎていてぷよぷよしている。
ダディエも自分の分をよそって口に運ぶが、「エルマか食堂係がいればよかったんだが」と頭を掻いた。
『ベーコンかチョリソーを入れればよかったんですよ』
あいかわらずあまり出ない声でユリエルが言う。
「肉は食べるのつらくないか?」
『つがなきゃいいんです。ダシだけ取れば』
「なるほど」
今度からはそうしよう、などと独り言を言いながら、ダディエはスープを口に運んだ。
「ところで、紅茶はそのままでいいのか?」
今度は、茶葉を入れっぱなしにしているポットを指してダディエが問う。
『うがい用なので』
「うがい?」
『のどが痛い時には、うがいをした方がいいんです。紅茶には殺菌作用があるので水より効果が期待できます』
「ああ、例の『記憶』か」
ユリエルは頷く。
「殺菌って……のどに菌がいるってことか?」
『はい。たぶん、細菌のせいで炎症を起こしているんだと』
「おまえの前世は医者か?」
『一般常識みたいですよ』
「計算もそんなことを言っていたな……。どんだけ平民の教育レベルが高いんだよ……」
そんなことを言われてもなぁ、とユリエルは思う。
やがて先に食べ終えたダディエは、ゆっくり咀嚼しながら食べているユリエルを見つめて口を開いた。
「なあ、ユリエル」
『?』
「おまえ、俺のこと好きなのか?」
――ゲホ、ゴホ。
ユリエルは、あまりにストレートな問いにむせた。
「ああ、すまん。食事中に聞くことじゃなかったか」
風邪のせいもあってケホケホとしばらく咳をした後で、ユリエルが口を開く。
『……好き、だと思ったんですが、単なる嫉妬かもと思い直しています。……だから安心してください』
「安心って言われてもな……嫉妬って、好きだからするもんじゃないのか?」
『そんなことなくないですか。友だちの彼女のほうが美人だったとか、同期が先に出世したとか』
「ああ、そうか……そういうのも嫉妬か」
『なので、たぶん、婚約と聞いて少し寂しかったんじゃないかと。熱もありましたし。相手も公爵令嬢だし』
「そう、か……ならまあ、いいんだが」
『だいたい、僕だって可愛い女の子の方がいいですよ。でもなぜか女の子にはこの体質も発動しないし』
「女が寄ってくるのも意外と怖いぞ?」
『なんですか、そのモテる男発言は』
平静に話すユリエルに、ダディエも少し緊張を解く。
動けないほどの高熱が出たのだし、ユリエルが錯乱していたとしてもおかしくはないだろう。
女の子の方がいいというのも解るし、慣れない環境に来て頼っていたのが自分だというのも間違いない。それは、ひな鳥が最初に見た者を親だと思い込むようなものだ。
そう考えれば、ユリエルがあんなに取り乱していたのも納得はできると思った。
「で? どうなんですか、公爵家のお嬢様は」
食べ終わって、濃く淹れた紅茶でうがいをしたユリエルは、少しまともに出るようになった声で訊ねた。
布をかけて保温してあったケトルのお湯をカップに注ぎ、新しくはちみつ湯を作っている。
「ああ、まあ……愛らしいお嬢さんだった」
「愛らしいお嬢さんだったって……初対面だったんですか?」
ダディエははっとして、頭を掻く。
「あー……すまん、他には言わないでくれよ? 一応、ご令嬢の成人を待って発表した旧知の仲ってことになってるんだ」
「なんでそんな……?」
ダディエは、バツが悪そうに目線を逸した。
(ああ、そういうことか)
それで、ユリエルにはわかってしまう。
「……僕のせい、ですね」
「いや、おまえが悪いわけじゃないんだ。俺の配慮が足りなかった」
「噂になっていたと聞きました」
「……異例の昇進だったし、小隊での強姦未遂もあったからな。それは仕方がないんだ。噂が出ていたのは早くから聞いていたのに、甘く見て対応しなかった俺の責任なんだ。むしろ変な噂になってしまって申し訳ない」
「それこそダディエ殿が謝ることでは……」
「いいや、団長の責任だよ。おまえを俺のところで囲っておけば大丈夫だと思っていたんだから、お粗末すぎて話にならん。結局おまえの耳にも入って不快にさせているし、父上の耳にまで入っていたんだからな」
「ミルボー侯爵の……?」
「ああ。父上には、ちょうどいい口実になったんだろうよ。見合いも受けず、夜会にもほとんど出ず、いつまでも独身でフラフラしているような息子を結婚させるには」
ユリエルは、カップを両手でぎゅっと握って、はちみつ湯をじっと見つめている。
(俺は本当に詰めが甘い……)
ユリエルの様子を見ていたダディエは、心の中で溜息をついた。
こんな話を聞いて、ユリエルが自分を責めないはずがないのに、なぜこんなに迂闊に口を滑らせてしまったのか。
どう言葉を尽くそうとも、ユリエルはずっと自分のせいだと思うことだろう。
侯爵家の後ろ盾がなければ、団長などという役ではいられない器だと思うし、もし自分が王都ではなく国境警備の配属であれば、きっと自分の甘さで多くの部下を失っていただろうとさえ思う。王都騎士団は任務のほとんどが要人の護衛だが、国境警備は下手をすれば隣国との戦争なのだから。
貴族社会は戦争以上に情報戦だというのに、自分には向いていない。
わかっていたからこそ、王都騎士団という絶妙に貴族社会から一線を画した場所に身を置いていたはずなのに、それでも結局この様だ。
部下の一人も守ってやれず、父親にうまく丸め込まれて、反発を覚えながらも「この結婚も悪くないか」と流される。
まるで十代の子どもじゃないか。
「なあ、ユリエル」
ユリエルは、視線をダディエへと戻す。
が、反対にダディエは視線を自分の手元へと落としていた。
「なんですか?」
少し黙っていたので、また声がかすれる。
「山ほど後悔はあるし、俺は団長として足りない部分ばかりだが、おまえを団長補佐見習いに連れてきたことだけは後悔してないんだ。……おまえは迷惑だろうが、手を出したことも含めて」
ユリエルは、「なにを、」と言おうとしたが、うまく声が出せなかった。
ダディエは、ああ、そうか、と思う。
そして、急に腑に落ちた言葉を告げる。
「俺はたぶん、おまえのことが好きだ」
それはそうだろう。発熱に加えて、二日連続で襲われたのだから。
そんなことは知らないダディエだったが、「できるだけ腕の良い医師を」とベテランの幾分高齢な医師を呼んだ。
ユリエルが心配だったからなのか、熱があると知りながら一人にしてしまった罪悪感からなのか、はたまた若い医師を呼びたくなかったからなのかは、ダディエ自身にもわからない。
ただ結果として、手配に少し時間がかかったので、医師が来たときにはアンスヘルムは退勤していたし、ユリエルも目を覚ましていた。
「風邪でしょう。熱が下がれば数日で治るかと。ただ、のどを痛めているので食事が心配ですね。体力が低下すると治りが悪くなりますから、無理にでも食べるように」
ベテランおじいちゃん医師は、そう言って解熱剤を処方して帰った。
当のユリエルは、アンスヘルムに水を飲ませてもらったおかげか、先刻医師に飲まされた薬湯のおかげか、身体の倦怠感は幾分マシになっていた。
熱はまだ高かったが、自分で起き上がることはできたし、頭もだいぶハッキリはしていた。
ただ、のどの痛みが拡がっていて、うまく声が出せない。唾を飲み込むのも痛かった。
(はちみつ湯ならいけるかも……)
前世の記憶を思い出す。
唾液も水も飲み込むのがつらい時、湯に少し蜂蜜を溶かすと飲みやすくなる。蜂蜜自体にも殺菌作用があるので、のど風邪にはピッタリだ。
(あと、うがいかな……)
前世でもよく風邪をひいていたのか、対処方法が浮かんでくる。
(うがい薬はないけど……紅茶を濃く淹れれば代用できるか……)
そう思ってキッチンへ向かう。
まだ立ち上がるとふらふらする感じはあるが、倒れるほどではない。
キッチンには、珍しくダディエがいた。
ユリエルが入ってきたのを見て、目を丸くする。
「バカ! ちゃんと寝てろ!」
そう言いながら、椅子代わりに踏み台を引き寄せてユリエルを座らせる。
『お湯が欲しくて』
あまり出ない声で、ユリエルは言う。
「湯?」
ユリエルはこくりと頷く。
『蜂蜜と、あと、茶葉も』
「紅茶に蜂蜜を入れるのか?」
今度は、ふるふると首を振る。
説明するのはちょっと怠い。
「まあいい、とりあえず湯な? 沸かすから待ってろ」
美味しい紅茶を淹れられなかろうと、侯爵家の坊っちゃんだろうと、騎士団員は全員一通りの炊事はできる。
そうでなければ、野戦訓練ができないからだ。
美味いかどうかは別問題だし、王都騎士団では訓練でしかやらないのであまり向上はしないが。
ダディエは湯を沸かす間に、蜂蜜と紅茶の茶葉、それにカップとポット、スプーンも出す。
「これでいいか?」
立派な茶器や高級な茶葉はもったいないが、そこはまあ仕方がない。
コクコクと頷いて、カップに蜂蜜を入れ、ついでに指でちょっとすくって舐めてみる。
甘みがぱぁっと口に広がり、唾液とともに飲み込むと、やはり先程までより痛みが和らぐ感じだった。
さらにユリエルは、ポットに普段の倍量の茶葉を入れる。
ポットは温めていないが、うがい用なので別に良い。
「湯、沸いたぞ」
ユリエルがポットとカップを指すと、ダディエはポットに湯を注ぎ、「こっちにも入れていいのか?」と、蜂蜜入りのカップを不思議そうに見ている。
ユリエルが頷くのを確認して、カップにも湯を注いだ。
ユリエルはくるくるとかき混ぜて、ゆっくりはちみつ湯を口に運ぶ。
(うん、これなら飲める)
前世の記憶は時々厄介だが、たしかにこうして役に立つことはあるなと思う。
(あ……アンスヘルム殿……)
前世の記憶について思いを巡らせたことで、数時間前の出来事を思い出した。
ぼんやりと熱に浮かされながらとはいえ、やはり記憶はしっかりある。
アンスヘルムに自分がねだり、水を口移しで飲ませてもらったり、身体を触らせたり……
昨日の街での強姦とは違う。
自分がねだって、アンスヘルムにさせた。
相手がアンスヘルムであることは認識できていなかったけれど、自分自身が望んでしまったことだ。
(僕は……誰でもいいんだろうか)
恐らく夕飯を作っているのであろうダディエを後ろから盗み見て、そっと落ち込む。
ダディエが好きなのだと思った。
狂いそうなくらい、ダディエの婚約に嫉妬した。
だが一方で、自分は他の男相手にも、自分から誘ってしまうような奴だった。
思えばダディエとの始まりだって、記憶を見て胸に触りたくなって、自分から手を出したのだ。
(ただの、独占欲だったのかな……)
ダディエが好きなのだという気持ちが揺らぐ。
同時に、ダディエの背に抱きつきたいような気持ちもある。
(ただの淫乱なだけかもかな……)
そうやってユリエルがぐるぐると考えていると、ダディエがユリエルの方を振り返った。
「美味くはないかもしれんが、とりあえず食え」
そういってダディエが差し出したのは、細切れ野菜の入ったスープだ。
ファルファッレという、リボンのような形をしたショートパスタも入っている。
(僕の食事を作ってくれていたのか……)
ユリエルは、『ありがとうございます』と素直に受け取って口に運んだ。
まあ、味はあまり美味しくない。
病人が食べづらいと思ったのか、肉や魚が入っていないのでダシが足りていないし、パスタも火を通しすぎていてぷよぷよしている。
ダディエも自分の分をよそって口に運ぶが、「エルマか食堂係がいればよかったんだが」と頭を掻いた。
『ベーコンかチョリソーを入れればよかったんですよ』
あいかわらずあまり出ない声でユリエルが言う。
「肉は食べるのつらくないか?」
『つがなきゃいいんです。ダシだけ取れば』
「なるほど」
今度からはそうしよう、などと独り言を言いながら、ダディエはスープを口に運んだ。
「ところで、紅茶はそのままでいいのか?」
今度は、茶葉を入れっぱなしにしているポットを指してダディエが問う。
『うがい用なので』
「うがい?」
『のどが痛い時には、うがいをした方がいいんです。紅茶には殺菌作用があるので水より効果が期待できます』
「ああ、例の『記憶』か」
ユリエルは頷く。
「殺菌って……のどに菌がいるってことか?」
『はい。たぶん、細菌のせいで炎症を起こしているんだと』
「おまえの前世は医者か?」
『一般常識みたいですよ』
「計算もそんなことを言っていたな……。どんだけ平民の教育レベルが高いんだよ……」
そんなことを言われてもなぁ、とユリエルは思う。
やがて先に食べ終えたダディエは、ゆっくり咀嚼しながら食べているユリエルを見つめて口を開いた。
「なあ、ユリエル」
『?』
「おまえ、俺のこと好きなのか?」
――ゲホ、ゴホ。
ユリエルは、あまりにストレートな問いにむせた。
「ああ、すまん。食事中に聞くことじゃなかったか」
風邪のせいもあってケホケホとしばらく咳をした後で、ユリエルが口を開く。
『……好き、だと思ったんですが、単なる嫉妬かもと思い直しています。……だから安心してください』
「安心って言われてもな……嫉妬って、好きだからするもんじゃないのか?」
『そんなことなくないですか。友だちの彼女のほうが美人だったとか、同期が先に出世したとか』
「ああ、そうか……そういうのも嫉妬か」
『なので、たぶん、婚約と聞いて少し寂しかったんじゃないかと。熱もありましたし。相手も公爵令嬢だし』
「そう、か……ならまあ、いいんだが」
『だいたい、僕だって可愛い女の子の方がいいですよ。でもなぜか女の子にはこの体質も発動しないし』
「女が寄ってくるのも意外と怖いぞ?」
『なんですか、そのモテる男発言は』
平静に話すユリエルに、ダディエも少し緊張を解く。
動けないほどの高熱が出たのだし、ユリエルが錯乱していたとしてもおかしくはないだろう。
女の子の方がいいというのも解るし、慣れない環境に来て頼っていたのが自分だというのも間違いない。それは、ひな鳥が最初に見た者を親だと思い込むようなものだ。
そう考えれば、ユリエルがあんなに取り乱していたのも納得はできると思った。
「で? どうなんですか、公爵家のお嬢様は」
食べ終わって、濃く淹れた紅茶でうがいをしたユリエルは、少しまともに出るようになった声で訊ねた。
布をかけて保温してあったケトルのお湯をカップに注ぎ、新しくはちみつ湯を作っている。
「ああ、まあ……愛らしいお嬢さんだった」
「愛らしいお嬢さんだったって……初対面だったんですか?」
ダディエははっとして、頭を掻く。
「あー……すまん、他には言わないでくれよ? 一応、ご令嬢の成人を待って発表した旧知の仲ってことになってるんだ」
「なんでそんな……?」
ダディエは、バツが悪そうに目線を逸した。
(ああ、そういうことか)
それで、ユリエルにはわかってしまう。
「……僕のせい、ですね」
「いや、おまえが悪いわけじゃないんだ。俺の配慮が足りなかった」
「噂になっていたと聞きました」
「……異例の昇進だったし、小隊での強姦未遂もあったからな。それは仕方がないんだ。噂が出ていたのは早くから聞いていたのに、甘く見て対応しなかった俺の責任なんだ。むしろ変な噂になってしまって申し訳ない」
「それこそダディエ殿が謝ることでは……」
「いいや、団長の責任だよ。おまえを俺のところで囲っておけば大丈夫だと思っていたんだから、お粗末すぎて話にならん。結局おまえの耳にも入って不快にさせているし、父上の耳にまで入っていたんだからな」
「ミルボー侯爵の……?」
「ああ。父上には、ちょうどいい口実になったんだろうよ。見合いも受けず、夜会にもほとんど出ず、いつまでも独身でフラフラしているような息子を結婚させるには」
ユリエルは、カップを両手でぎゅっと握って、はちみつ湯をじっと見つめている。
(俺は本当に詰めが甘い……)
ユリエルの様子を見ていたダディエは、心の中で溜息をついた。
こんな話を聞いて、ユリエルが自分を責めないはずがないのに、なぜこんなに迂闊に口を滑らせてしまったのか。
どう言葉を尽くそうとも、ユリエルはずっと自分のせいだと思うことだろう。
侯爵家の後ろ盾がなければ、団長などという役ではいられない器だと思うし、もし自分が王都ではなく国境警備の配属であれば、きっと自分の甘さで多くの部下を失っていただろうとさえ思う。王都騎士団は任務のほとんどが要人の護衛だが、国境警備は下手をすれば隣国との戦争なのだから。
貴族社会は戦争以上に情報戦だというのに、自分には向いていない。
わかっていたからこそ、王都騎士団という絶妙に貴族社会から一線を画した場所に身を置いていたはずなのに、それでも結局この様だ。
部下の一人も守ってやれず、父親にうまく丸め込まれて、反発を覚えながらも「この結婚も悪くないか」と流される。
まるで十代の子どもじゃないか。
「なあ、ユリエル」
ユリエルは、視線をダディエへと戻す。
が、反対にダディエは視線を自分の手元へと落としていた。
「なんですか?」
少し黙っていたので、また声がかすれる。
「山ほど後悔はあるし、俺は団長として足りない部分ばかりだが、おまえを団長補佐見習いに連れてきたことだけは後悔してないんだ。……おまえは迷惑だろうが、手を出したことも含めて」
ユリエルは、「なにを、」と言おうとしたが、うまく声が出せなかった。
ダディエは、ああ、そうか、と思う。
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