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その日、世界から一人の怪物が消えた。 北の果て、永久凍土にそびえ立つ氷の塔で、千年もの間、真理を探究し続けた魔女アイリス。彼女の人生は、ただひたすらに孤独だった。触れるものすべてを凍らせる強大すぎる魔力は、人々に畏怖され、忌避された。
(ああ……最後に誰か、温かい手を差し伸べてくれたらよかったのに)
薄れゆく意識の中で、彼女はたった一つの願いを抱いた。次は、魔法なんてなくてもいい。誰かと笑い合い、誰かを守り、愛される人生を。 それが、彼女の「終わり」だった。
――そして。
「……っ、はあ!」 飛び起きた時、視界に飛び込んできたのは、ひび割れた石造りの天井だった。 体が重い。いや、あまりにも「小さい」。アイリスは自分の手を見た。白く、枝のように細い子供の手だ。 「ここは……?」 記憶が流れ込んでくる。今の彼女の名は、エルサ・ヴァン・アデレイド。 アデレイド公爵家の末娘。しかし、その扱いは無惨なものだった。
この世界には「魔力測定」という儀式がある。五歳の時、エルサが測定石に触れても、石は一切の光を放たなかった。 『魔力ゼロの無能。我が公爵家の恥晒しだ』 厳格な父、ヴィルフリート公爵は冷たく言い放った。母は早くに亡くなり、二人の兄もまた、無能な妹に背を向けた。エルサは屋敷の隅にある古びた離れに押し込められ、使用人からも忘れ去られるような日々を送っていた。
(……魔力がない? 私が?) エルサはふっと自嘲気味に笑った。今の自分の内側を探ってみる。 確かに、この世界の人間が使う「魔力」というエネルギーの奔流は見当たらない。だが、代わりにそこにあるのは、前世で極めた「根源」そのものだった。 あまりにも膨大で、純粋すぎる魔力。それは、この世界の安っぽい測定石では、認識することすら不可能なほど高次元な代物だったのだ。
「ふふ、面白いわ。魔力ゼロの落ちこぼれ……。望むところよ。今度は静かに、平穏に暮らしましょう」 エルサはベッドから降りた。栄養失調でふらつく体。だが、彼女の瞳には千年の知恵が宿っている。 まずはこの貧弱な体を治すことからだ。彼女は指先で空中に複雑な魔法陣を描いた。本来なら数人の魔導師がかりで描くような高位の治癒術式。それを、彼女は瞬きする間に完成させる。
淡い光がエルサを包み、細胞の一つ一つが活性化していく。 千年の孤独を経験した魔女にとって、この程度の逆境は「自由」への招待状に過ぎなかった。
転生から一ヶ月。エルサは離れの塔での生活を、驚くほど満喫していた。 食事は日に一度、冷めたパンとスープが届くだけだが、彼女には関係ない。植物の成長を促す「緑魔法」を応用し、庭の片隅で最高級のハーブや野菜を密かに育てている。水は空気中の水分を凝縮すればいい。
「さて、今日は少し遠くまで歩いてみようかしら」 体調は万全だ。エルサは公爵邸の広大な敷地内にある、人跡未踏の森へと足を向けた。 そこで彼女は、奇妙な気配を感じる。 強大な魔力の揺らぎ。そして、濃厚な血の匂い。
茂みをかき分けると、そこには一頭の巨大な狼が横たわっていた。 全身が雪のように白い毛並み。しかし、その脇腹には黒い霧を放つ忌々しい「呪いの矢」が突き刺さっている。 「……神獣、シルバーフェンリル?」 前世の知識が、その個体の正体を告げる。神話に語られる、森の守護神。それがなぜ、こんな場所で死にかけているのか。
『……人間……去れ。さもなくば、喰らう……』 狼が低い声で唸る。だが、その瞳には諦念のいろが混じっていた。 エルサは躊躇わなかった。彼女は狼の前に膝をつき、その大きな頭をそっと撫でた。 「大丈夫よ。痛いのは、今すぐ消してあげるから」 『なっ……!? 小娘、この呪いは人間が触れれば――』
「【概念解体】」 エルサが静かに呟く。彼女の指先から放たれた銀色の光が、狼の傷口にまとわりついていた呪いを「定義ごと」消滅させた。 矢は崩れ落ち、傷口が急速に塞がっていく。 狼――フェンリルは驚愕に目を見開いた。人間に解けるはずのない神の呪いが、たった一言で消し飛んだのだ。
「お腹、空いてる? 私の特製スープ、飲むかしら」 エルサは魔法の鞄(前世で作った空間収納)から、温かいスープを取り出した。 伝説の神獣は、目の前の小さな少女が放つ「あまりにも温かく、底知れない力」に圧倒され、思わず鼻先を近づけた。 千年の魔女と、伝説の神獣。孤独な二つの魂が、この時、運命的に交わった。
(ああ……最後に誰か、温かい手を差し伸べてくれたらよかったのに)
薄れゆく意識の中で、彼女はたった一つの願いを抱いた。次は、魔法なんてなくてもいい。誰かと笑い合い、誰かを守り、愛される人生を。 それが、彼女の「終わり」だった。
――そして。
「……っ、はあ!」 飛び起きた時、視界に飛び込んできたのは、ひび割れた石造りの天井だった。 体が重い。いや、あまりにも「小さい」。アイリスは自分の手を見た。白く、枝のように細い子供の手だ。 「ここは……?」 記憶が流れ込んでくる。今の彼女の名は、エルサ・ヴァン・アデレイド。 アデレイド公爵家の末娘。しかし、その扱いは無惨なものだった。
この世界には「魔力測定」という儀式がある。五歳の時、エルサが測定石に触れても、石は一切の光を放たなかった。 『魔力ゼロの無能。我が公爵家の恥晒しだ』 厳格な父、ヴィルフリート公爵は冷たく言い放った。母は早くに亡くなり、二人の兄もまた、無能な妹に背を向けた。エルサは屋敷の隅にある古びた離れに押し込められ、使用人からも忘れ去られるような日々を送っていた。
(……魔力がない? 私が?) エルサはふっと自嘲気味に笑った。今の自分の内側を探ってみる。 確かに、この世界の人間が使う「魔力」というエネルギーの奔流は見当たらない。だが、代わりにそこにあるのは、前世で極めた「根源」そのものだった。 あまりにも膨大で、純粋すぎる魔力。それは、この世界の安っぽい測定石では、認識することすら不可能なほど高次元な代物だったのだ。
「ふふ、面白いわ。魔力ゼロの落ちこぼれ……。望むところよ。今度は静かに、平穏に暮らしましょう」 エルサはベッドから降りた。栄養失調でふらつく体。だが、彼女の瞳には千年の知恵が宿っている。 まずはこの貧弱な体を治すことからだ。彼女は指先で空中に複雑な魔法陣を描いた。本来なら数人の魔導師がかりで描くような高位の治癒術式。それを、彼女は瞬きする間に完成させる。
淡い光がエルサを包み、細胞の一つ一つが活性化していく。 千年の孤独を経験した魔女にとって、この程度の逆境は「自由」への招待状に過ぎなかった。
転生から一ヶ月。エルサは離れの塔での生活を、驚くほど満喫していた。 食事は日に一度、冷めたパンとスープが届くだけだが、彼女には関係ない。植物の成長を促す「緑魔法」を応用し、庭の片隅で最高級のハーブや野菜を密かに育てている。水は空気中の水分を凝縮すればいい。
「さて、今日は少し遠くまで歩いてみようかしら」 体調は万全だ。エルサは公爵邸の広大な敷地内にある、人跡未踏の森へと足を向けた。 そこで彼女は、奇妙な気配を感じる。 強大な魔力の揺らぎ。そして、濃厚な血の匂い。
茂みをかき分けると、そこには一頭の巨大な狼が横たわっていた。 全身が雪のように白い毛並み。しかし、その脇腹には黒い霧を放つ忌々しい「呪いの矢」が突き刺さっている。 「……神獣、シルバーフェンリル?」 前世の知識が、その個体の正体を告げる。神話に語られる、森の守護神。それがなぜ、こんな場所で死にかけているのか。
『……人間……去れ。さもなくば、喰らう……』 狼が低い声で唸る。だが、その瞳には諦念のいろが混じっていた。 エルサは躊躇わなかった。彼女は狼の前に膝をつき、その大きな頭をそっと撫でた。 「大丈夫よ。痛いのは、今すぐ消してあげるから」 『なっ……!? 小娘、この呪いは人間が触れれば――』
「【概念解体】」 エルサが静かに呟く。彼女の指先から放たれた銀色の光が、狼の傷口にまとわりついていた呪いを「定義ごと」消滅させた。 矢は崩れ落ち、傷口が急速に塞がっていく。 狼――フェンリルは驚愕に目を見開いた。人間に解けるはずのない神の呪いが、たった一言で消し飛んだのだ。
「お腹、空いてる? 私の特製スープ、飲むかしら」 エルサは魔法の鞄(前世で作った空間収納)から、温かいスープを取り出した。 伝説の神獣は、目の前の小さな少女が放つ「あまりにも温かく、底知れない力」に圧倒され、思わず鼻先を近づけた。 千年の魔女と、伝説の神獣。孤独な二つの魂が、この時、運命的に交わった。
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