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エルサが神獣を「シロ」と名付け、離れでこっそり飼い始めて数日。 公爵邸は、かつてない緊張感に包まれていた。 近隣の森で魔物の活性化が進み、公爵領の騎士団が苦戦を強いられていたのだ。さらに、公爵家の長男であり、次期当主のシグルドが魔物の猛毒に当てられ、倒れたという報せが入る。
「……あの方たちは、私に興味がないと思っていたけれど」 エルサは離れの窓から、慌ただしく走り回る使用人たちを眺めていた。 シグルド。記憶の中の彼は、いつも冷たい瞳でエルサを見下ろしていた。だが、一度だけ、幼いエルサが転んだ時に、誰にも見られないように手を差し出そうとした姿を覚えている。結局、彼は手を引っ込めて去っていったが。
「シロ、少し様子を見てくるわ」 『主よ、我も行こう。あの毒は、ただの魔物の仕業ではない。邪神の残滓を感じる』 小さく変化(サイズダウン)したシロを肩に乗せ、エルサは気配を消して本邸へと忍び込んだ。
豪華な寝室では、顔を青白くさせたシグルドがベッドに横たわっていた。 傍らには、苦渋の表情を浮かべる父ヴィルフリート。 「……名だたる治癒魔導師を呼んでも、毒が抜けぬというのか。このままでは、シグルドは……」 「公爵様、この毒は古代の呪詛に近しいものです。もはや、聖教会の『聖女』様を呼ぶしか……!」
エルサは物陰からその光景を見ていた。 (あれは、私がシロから取り除いた呪いと同じ種類ね。隣国の陰謀かしら?) このまま放っておけば、兄はあと数時間で命を落とすだろう。 エルサは迷わなかった。愛されることを望んだ彼女にとって、家族を見捨てるという選択肢はない。たとえ、今はまだ自分を拒絶している相手だとしても。
彼女は一瞬だけ、部屋の時を止めた。 超位時空魔法【タイム・ストップ】。 静止した世界の中で、エルサは堂々と兄の枕元に歩み寄る。 「お兄様。次は、ちゃんとお話ししましょうね」 彼女の手がシグルドの胸元に触れる。 一瞬で毒を浄化し、ついでに彼の魔力回路を最適化してあげるという「おまけ」まで付けて。
翌朝。アデレイド公爵邸は、奇跡の報せに沸き立った。 絶望的と言われたシグルドが、完全に回復したどころか、以前よりも強力な魔力を帯びて目覚めたのだ。 「毒が……消えている。それどころか、体が軽い。一体誰が……?」 シグルドは困惑していた。記憶の最後、意識が薄れる中で、誰かが自分を優しく撫でたような気がした。
一方、当のエルサは、離れの庭でシロと戯れていた。 「シロ、見て。お花の魔法、大成功よ」 彼女が指を鳴らすと、庭一面に幻の色とりどりの花が咲き乱れる。 そこへ、一人の男が足を踏み入れた。 父、ヴィルフリートだ。彼は、昨夜の奇跡の形跡を辿り、邸内の魔力の残滓を追ってきたのだ。
彼が見たのは。 ボロボロの服を着た、死んだように生きていたはずの娘が。 伝説の「白狼」を侍らせ、見たこともないほど美しく高度な魔法を、まるでおもちゃのように扱っている光景だった。
「エルサ……お前、それは……」 ヴィルフリートの声が震える。 エルサはあどけない表情で振り返った。 「あ、お父様。おはようございます。ええと、これは……その、手品です?」 「手品で神獣が懐くものか! その魔法陣の密度、王宮魔導師ですら不可能だぞ!」
ヴィルフリートは絶句した。 自分は、なんという宝をドブに捨てていたのか。 魔力ゼロ? とんでもない。この少女の周りには、あまりにも濃密な魔力が満ちており、もはや大気が黄金色に輝いて見えるほどだ。 さらに、彼女の肩に乗っている「犬」のような生き物から放たれるプレッシャー。それは間違いなく、公爵家が代々守護を祈願してきた神獣フェンリルに他ならない。
「エルサ……今まで、すまなかった。私は……」 ヴィルフリートが歩み寄ろうとした瞬間、エルサの前にシロが立ちふさがり、低く唸った。 『これ以上、主を傷つけるなら、公爵家ごと塵に帰すが?』 「待って、シロ! お父様は怖くないわ(たぶん)」
エルサの慌てた声に、ヴィルフリートは確信した。 この子は、自分が虐げられていたことすら、魔法の深淵に比べれば些細なことだと思っている。その清らかさと圧倒的な力が、彼をより一層、激しい後悔と「守らねばならない」という奇妙な使命感へと突き動かした。
ここから、アデレイド公爵家の、そしてエルサを取り巻く世界の常識が、音を立てて崩れ始める。 「落ちこぼれ令嬢」の仮面が剥がれた時、彼女を待っていたのは、かつて望んで止まなかった「過保護なほどの愛」だった。
「……あの方たちは、私に興味がないと思っていたけれど」 エルサは離れの窓から、慌ただしく走り回る使用人たちを眺めていた。 シグルド。記憶の中の彼は、いつも冷たい瞳でエルサを見下ろしていた。だが、一度だけ、幼いエルサが転んだ時に、誰にも見られないように手を差し出そうとした姿を覚えている。結局、彼は手を引っ込めて去っていったが。
「シロ、少し様子を見てくるわ」 『主よ、我も行こう。あの毒は、ただの魔物の仕業ではない。邪神の残滓を感じる』 小さく変化(サイズダウン)したシロを肩に乗せ、エルサは気配を消して本邸へと忍び込んだ。
豪華な寝室では、顔を青白くさせたシグルドがベッドに横たわっていた。 傍らには、苦渋の表情を浮かべる父ヴィルフリート。 「……名だたる治癒魔導師を呼んでも、毒が抜けぬというのか。このままでは、シグルドは……」 「公爵様、この毒は古代の呪詛に近しいものです。もはや、聖教会の『聖女』様を呼ぶしか……!」
エルサは物陰からその光景を見ていた。 (あれは、私がシロから取り除いた呪いと同じ種類ね。隣国の陰謀かしら?) このまま放っておけば、兄はあと数時間で命を落とすだろう。 エルサは迷わなかった。愛されることを望んだ彼女にとって、家族を見捨てるという選択肢はない。たとえ、今はまだ自分を拒絶している相手だとしても。
彼女は一瞬だけ、部屋の時を止めた。 超位時空魔法【タイム・ストップ】。 静止した世界の中で、エルサは堂々と兄の枕元に歩み寄る。 「お兄様。次は、ちゃんとお話ししましょうね」 彼女の手がシグルドの胸元に触れる。 一瞬で毒を浄化し、ついでに彼の魔力回路を最適化してあげるという「おまけ」まで付けて。
翌朝。アデレイド公爵邸は、奇跡の報せに沸き立った。 絶望的と言われたシグルドが、完全に回復したどころか、以前よりも強力な魔力を帯びて目覚めたのだ。 「毒が……消えている。それどころか、体が軽い。一体誰が……?」 シグルドは困惑していた。記憶の最後、意識が薄れる中で、誰かが自分を優しく撫でたような気がした。
一方、当のエルサは、離れの庭でシロと戯れていた。 「シロ、見て。お花の魔法、大成功よ」 彼女が指を鳴らすと、庭一面に幻の色とりどりの花が咲き乱れる。 そこへ、一人の男が足を踏み入れた。 父、ヴィルフリートだ。彼は、昨夜の奇跡の形跡を辿り、邸内の魔力の残滓を追ってきたのだ。
彼が見たのは。 ボロボロの服を着た、死んだように生きていたはずの娘が。 伝説の「白狼」を侍らせ、見たこともないほど美しく高度な魔法を、まるでおもちゃのように扱っている光景だった。
「エルサ……お前、それは……」 ヴィルフリートの声が震える。 エルサはあどけない表情で振り返った。 「あ、お父様。おはようございます。ええと、これは……その、手品です?」 「手品で神獣が懐くものか! その魔法陣の密度、王宮魔導師ですら不可能だぞ!」
ヴィルフリートは絶句した。 自分は、なんという宝をドブに捨てていたのか。 魔力ゼロ? とんでもない。この少女の周りには、あまりにも濃密な魔力が満ちており、もはや大気が黄金色に輝いて見えるほどだ。 さらに、彼女の肩に乗っている「犬」のような生き物から放たれるプレッシャー。それは間違いなく、公爵家が代々守護を祈願してきた神獣フェンリルに他ならない。
「エルサ……今まで、すまなかった。私は……」 ヴィルフリートが歩み寄ろうとした瞬間、エルサの前にシロが立ちふさがり、低く唸った。 『これ以上、主を傷つけるなら、公爵家ごと塵に帰すが?』 「待って、シロ! お父様は怖くないわ(たぶん)」
エルサの慌てた声に、ヴィルフリートは確信した。 この子は、自分が虐げられていたことすら、魔法の深淵に比べれば些細なことだと思っている。その清らかさと圧倒的な力が、彼をより一層、激しい後悔と「守らねばならない」という奇妙な使命感へと突き動かした。
ここから、アデレイド公爵家の、そしてエルサを取り巻く世界の常識が、音を立てて崩れ始める。 「落ちこぼれ令嬢」の仮面が剥がれた時、彼女を待っていたのは、かつて望んで止まなかった「過保護なほどの愛」だった。
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