伝九郎は留守にて候

葉城野新八

文字の大きさ
1 / 19

しおりを挟む
 大河内武次郎おおこうちたけじろうは、固く引き結んであった唇を解くと、旅笠の端を長い指先でつまみあげ、濁ったため息をゆらりともらした。
 春先の残雪をところどころに乗せた栗駒山のなだらかな嶺が見えた。
 出羽方面から駆け上がる風に乗り、鮮明な青空のなかで淡く鷹揚にたなびく筋雲が、とめどなく姿を変えてゆく。
 ふたたび視界をおろせば、仙台城下では見たこともなかった逞しい草たちが、五尺五寸ある武次郎の背丈よりも高く伸びて視界を青く覆い、足下から上がってくる湿気をなおさら濃くさせる。
 険しい道のりになると覚悟はしてきたつもりだった。が、何につけ整備の行きとどいた城下育ちの武次郎にとって、はじめて味わう難所がつづく。大きな岩が転がる清流沿いに頼りなくつづく急峻な山道、というより獣道を、じつに三里も這うようにして辿ってきたのである。
 雪解け水をふくんだ足下の土は、歩むたびズブズブと沈むのでとにかく重い。何度も足を取られては膝を落とし、ときに転がったりしているうち、せっかく母が旅のために新調してくれた野袴と羽織は、すっかり黒い泥まみれになってしまった。

「いったいぜんたい、耕末邑こうまつむらとは本当にあるのだろうか……」

 もしかすると道を尋ねた宿場町の者に、城下から世間知らずの馬鹿がやって来たとからかわれてしまったのかも知れない。
 鎌倉の世から何百年間も葛西や大崎の封土だった藩領の北部では、幕藩体制がはじまって百年以上もすぎたというのに、いまだ伊達家を恨みに思う者が少なくないとも聞く。
 いったん引き返すべきであろうかと弱気がよぎった。

 ――いいや、待て待て。しっかりしろ、武次郎。はるばる二十五里も来たというのに、ここでおめおめと引き返せるものか。

 草鞋の紐をきつく直しながら何度も己に言い聞かせると、荒い鼻息とともに迷いを吹き飛ばした。

「ええい、それにしても鬱陶しい草たちめ。さっきから顔にあたって痒くてたまらぬ。俺をあざ笑うか。そこに直れ、手打ちにしてくれる!」

 一人でやけくそ気味にわめきたてると、柄袋を飛ばして腰を割り、荒れた息を長い鼻呼吸で塗りかえた。
 転瞬、周囲で揺れていた草の首が飛んだ。武次郎を中心に半径二尺がまるく開ける。
 身をひるがえして羽織の裾を巻き、あざやかな太刀さばきで素早く納刀を終えていた。

「それ見たことか、天真正伝神刀流てんしんしょうでんしんとうりゅう本目録、大河内武次郎の居合術の切れ味、しかと思い知ったか」

 そろって居ならぶ茎の断面を見下ろし自慢げに鼻を鳴らした。
 もちろん草たちからの返事はない。

「また俺は、草などを相手に何をやっているのか……」

 はたと冷静になって苦笑いを漏らすと、着物についていた泥を払い落とした。
 すると、後ろからかさりと草の鳴る音がした。

「誰だ!?」

 懐の棒手裏剣に手を添え、鋭く睨みつける。

 ――獣か……いいや、違うな。

 すぐそばの草間から一人、こちらをうかがっている人影があった。笠を冠り、竹かごを背負っている。
 武次郎はしまったと思い、声をかけた。

「これは俺としたことが、近くに人がいたのも気づかず、驚かせて悪かった。大丈夫だ。乱暴者ではない。安心して出てきてくれ」
「……はい」

 澄んだ声音の返事がしたあと、恐るおそると出てきたのは、年のころが十七か八とおぼゆる娘だった。かごには山菜が積まれ、白い山百合の束が手に握られてある。
 娘は武次郎の身なりをあらためるなり、笠をはずして片膝を落とした。それが山奥で暮らす農夫の娘にしては堂に入った所作にも映ったもので、思わず武次郎も顎を引いて胸を張り、武家らしく威厳めいた声音を作った。

「附近の者か?」
「はい」
「少々ものを尋ねたい」

 娘は無言のまま、繊細な毛艶をゆったりと揺らし、目を合わさぬまま頭を垂れて応じた。

「このあたりに耕末邑があると聞いて来た。ところがいっこうに辿りつく気配がないのだが、まことであろうか?」
「はい、彼処に見える大木の下にお地蔵がございます。そこの分かれ道を右へあと半里も行けば、邑の入り口にござります」

 娘が指差してくれた方角を見た武次郎の顔が、みるみる晴れて輝く。

「おお、そうか。もうすぐそこであったか! かたじけない、仕事の邪魔をして済まなかった」

 そう言い残すやいなや、すでに脱兎のごとく草を掻き分け疾走していた武次郎である。また何度か転んでしまったが、もう気にはならない。

 ――やった、やったぞ。ついに俺は伝説の剣士、妹葉伝九郎せばでんくろう様に会える!

 さわさわと全身の血が遡る心地がして、それまでの疲れもきれいさっぱりと忘れ、地を強く蹴るのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末

松風勇水(松 勇)
歴史・時代
旧題:剣客居酒屋 草間の陰 第9回歴史・時代小説大賞「読めばお腹がすく江戸グルメ賞」受賞作。 本作は『剣客居酒屋 草間の陰』から『剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末』と改題いたしました。 2025年11月28書籍刊行。 なお、レンタル部分は修正した書籍と同様のものとなっておりますが、一部の描写が割愛されたため、後続の話とは繋がりが悪くなっております。ご了承ください。 酒と肴と剣と闇 江戸情緒を添えて 江戸は本所にある居酒屋『草間』。 美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。 自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。 多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。 その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。 店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

無明の彼方

MIROKU
歴史・時代
人知を越えた魔性を討つ―― 慶安の変を経た江戸。女盗賊団が夜の中で出会ったのは、般若面で顔を隠した黒装束の男だった…… 隻眼隻腕の男、七郎は夜の闇に蠢く者たちと戦う。己が使命に死すために(※先に掲載した「柳生の剣士」の続編です)。

【完結】ふたつ星、輝いて 〜あやし兄弟と町娘の江戸捕物抄〜

上杉
歴史・時代
■歴史小説大賞奨励賞受賞しました!■ おりんは江戸のとある武家屋敷で下女として働く14歳の少女。ある日、突然屋敷で母の急死を告げられ、自分が花街へ売られることを知った彼女はその場から逃げだした。 母は殺されたのかもしれない――そんな絶望のどん底にいたおりんに声をかけたのは、奉行所で同心として働く有島惣次郎だった。 今も刺客の手が迫る彼女を守るため、彼の屋敷で住み込みで働くことが決まる。そこで彼の兄――有島清之進とともに生活を始めるのだが、病弱という噂とはかけ離れた腕っぷしのよさに、おりんは驚きを隠せない。 そうしてともに生活しながら少しづつ心を開いていった――その矢先のことだった。 母の命を奪った犯人が発覚すると同時に、何故か兄清之進に凶刃が迫り――。 とある秘密を抱えた兄弟と町娘おりんの紡ぐ江戸捕物抄です!お楽しみください! ※フィクションです。 ※周辺の歴史事件などは、史実を踏んでいます。 皆さまご評価頂きありがとうございました。大変嬉しいです! 今後も精進してまいります!

花嫁

一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。

無用庵隠居清左衛門

蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。 第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。 松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。 幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。 この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。 そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。 清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。 俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。 清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。 ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。 清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、 無視したのであった。 そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。 「おぬし、本当にそれで良いのだな」 「拙者、一向に構いません」 「分かった。好きにするがよい」 こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。

【読者賞】江戸の飯屋『やわらぎ亭』〜元武家娘が一膳でほぐす人と心〜

旅する書斎(☆ほしい)
歴史・時代
【第11回歴史・時代小説大賞 読者賞(読者投票1位)受賞】 文化文政の江戸・深川。 人知れず佇む一軒の飯屋――『やわらぎ亭』。 暖簾を掲げるのは、元武家の娘・おし乃。 家も家族も失い、父の形見の包丁一つで町に飛び込んだ彼女は、 「旨い飯で人の心をほどく」を信条に、今日も竈に火を入れる。 常連は、職人、火消し、子どもたち、そして──町奉行・遠山金四郎!? 変装してまで通い詰めるその理由は、一膳に込められた想いと味。 鯛茶漬け、芋がらの煮物、あんこう鍋…… その料理の奥に、江戸の暮らしと誇りが宿る。 涙も笑いも、湯気とともに立ち上る。 これは、舌と心を温める、江戸人情グルメ劇。

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

処理中です...