華が閃く

葉城野新八

文字の大きさ
上 下
44 / 49
第三章 夢よ現よ

新妻と新姑③

しおりを挟む
 高木家百五十石取りの長女として生まれた菊子は、嫁入りは出遅れのほうだった。
 不運にも十五のときに疱瘡を患い、きまってあった縁組が先方より破談にされた。命が危ぶまれるまでには至らなかったが醜い疱瘡あとが残ってしまった。とくに背中にかけてがひどく、首と頬にもいくつかあった。
 娘子としての将来を疑わずにいた菊子にとって、鏡に映った己の姿は、あまりに衝撃的だった。以来かくれるようにして城下南端の御花畑口おはなばたけぐちちかくにある高木屋敷の奥で過ごした。
 家族と話していると視線が疱瘡あとにとまり、憐憫、あるいは失望とも受けとれる色が目の底にたまるのがわかる。しだいに人の目を見るのが恐くなってきて、うつむいて話すのが常となった。
 かつての稽古仲間や幼馴染がどんどん嫁いでゆく。家族は気をつかって他家の縁組について触れないようにしてくれていたが、時期になるとどこからともなく花嫁行列の足音と晴れやかな唄が聴こえてくる。そのたび菊子は自分の部屋で布団にもぐり、声を押し殺して泣いた。自分だけを取りのこし、世のなかが先へ先へと変わりゆく恐怖は、言いあらわせない薄暗さがあった。
 いったい己は何のために生まれてきたのか。いっそ自身で始末をつけたほうが家族のためではないかとまで思いつめたが、武家の娘であるというのに、恐くて果たせなかった。
 唯一のなぐさみは、幼少から好きだった絵を書くことだ。稽古ごとで書画を習ったので、部屋にこもっては往時にみた外の景色を描いていた。
 そうして七年も過ぎ、ある日のこと。
 唐突に縁談がやってきた。
 先方は河原家百三十石取り、代々近習の家柄でいまは人参方をつとめているという。

「に、にんじん……」

 何のことかと思ったが、聞けばそれは御種人参のことで、菊子の父曰く、疱瘡あとに効く膏薬を御薬園の役人たちに尋ねまわったのが縁となり、たまたま菊子の書いた水墨画を見た河原勘兵衛という人が、ぜひ嫁にむかえたいと言いだして引き下がらないのだという。
 勘兵衛は、武のほうはさっぱりだったが、学問の道において若いころから頭角をあらわし、とくに本草や御種人参を熱心に研究してきた。幼いころに母が流行り病で早世し、ずっと父との二人暮らし。やや変わった人で、三十を過ぎてもなお縁談を断りつづけ一人身でいるとのこと。
 高木家ではすでに弟夫婦がいて子もできた。肩身がせまくなったといえばそうで、厄介ばらいをされるのだろうと穿った見方もしたが、狂ったように喜ぶ父の顔を見ていると、とうてい嫌とは言えなかった。
 ひとたび承諾してからは、あれよあれよという間に嫁入りの日を迎えた。
 母が仕立ててくれた白無垢をまとい、やっと屋敷の門口から出たときは、緊張のあまり吐き気と眩暈をおぼえたが、己のために謡いあげられる長持唄を駕籠のなかで聞いたときは涙がとまらなくなった。
 婚礼となり、ついに勘兵衛と対面したときは内心おどろいた。
 とにかく見た目がさえない。四角張った顔だちに、ぶ厚い丸眼鏡をしていて、ともすれば挙動不審だ。何度も目をきつくしばたいて、しきりに頭や首を掻く癖があった。
 ああ、そうかと腑に落ちた。この人は縁談を断っていたのではなく、めぐってこなかったのだと。
 いざ日常がはじまってみると、新婚から奇妙な日々の連続だった。
 何日もおなじ着物で出歩きたがるし、引き止めると、どうせ汚れるのだからよいのだという。
 食事中、突然何ごとかをつぶやいたかと思うと、懐から帳面をとりだして書きとめたりする。のぞいてみると、びっしりと細かい文字が書きこまれてあって、書斎があまりにも乱雑だったので整理をしたら、発狂したのではないかというほど叱られた。
 御種人参の生育を観察するために何日も帰ってこないのがざら。大雨が降るとわらわらと飛び出してゆく。かと思えば、ことわりもなく長崎から高額な蘭学書をとりよせたりするので家計は行き詰まる。仕方がないので高木の両親から借りたりもした。
 新妻の菊子は、放っておかれて部屋に居ることのほうが多かった。一人で過ごすのは何年もやってきたことだから慣れているし、一日じゅう水墨画を書いたりして気楽でよかった。息子がそんな具合だから舅も細かいことを気する人ではない。
 そうこうしているうち、あっという間に三年が過ぎていた。ちょうど異国船という言葉をよく聞くようになったあたりだ。
 だがさすがの菊子も、そろそろ焦りと恐怖のようなものを覚えはじめた。

「河原家としては跡取りがほしいはず。でも、このまま子ができなかったら親類がだまっていないだろうし、離縁されてしまうかもしれない。もう戻る場所などないというのに。あのお方、私のことをどう思っているのかしら。人から勧められるまま仕方なく余りものを貰ったのだろうけれど、にんじんや本草にしか興味をしめさないし……」

 やはり体に染みついた醜い疱瘡あとがよくなかったのかも知れない、と一人で落胆もした。
 晩秋から初冬にかけてのある日。会津盆地に初雪がちらちらと舞う日だった。
 菊子は勘兵衛が弁当を忘れていったことに気がついた。

「もう、また忘れて――」

 別な考えごとをして弁当を忘れるのはしょっちゅうのことで、ひどい時は一旦手渡されたものを玄関先に置いてゆく。
 いつもなら若中間の伊右衛門に届けてもらっているが、こまったことに、今日にかぎって出はらっていた。まさか高齢の舅に届けてくれとも言えない。
 仕方なく意を決し、御高祖頭巾を顔に巻きつけ本一ノ丁に出た。ありがたいことに人通りはまばら。通りはうっすらと白くなり、火の見櫓、櫻ヶ馬場、三ノ丸も雪化粧をまとっている。
 遠くむこうには、小磐梯山と大埴山を左右にしたがえた大磐梯山が、天を突く勢いで高くそびえてあった。山頂に白雪を乗せ、北風に巻きあげられた雪が薄くたなびく。東山の山なみはまるで山水画のようでもある。

「きれい。目に焼きつけて、帰ったら描こう――」

 一人で通りに出たのは、かれこれ十年ぶりぐらいになる。心なしか気持ちがうきうきとしてきて足取りもおどる。天寧寺町口の門番役人の眼にもうきうきと見えているのではないかと思うと、頭巾のなかで頬と耳が熱くなった。
 やがて御薬園までたどりつき、新しく建てられた人参役場へ行くと、なかから勘兵衛が頭をかきながら出てきた。
 弁当を渡してから逃げるように帰ろうとしたところ、

「ま、待ってください。せっかくだから御薬園を見ていきませんか」
「え……」

 すがりつくように、勘兵衛が誘ってくれた。
 楽寿亭から眺めた園内の風物は、まるで一幅の水墨画のなかに迷いこんだようでもある。
 計算しつくされた庭園の配置と、樹皮、枝一本、葉の一枚までをうっとりと観察する。
 握り飯をわけあい、一緒に温かな茶をすすった。
 二人のあいだに言葉はない。でも菊子にとっては仕合せで、心ゆたかに寛げる時がしずかに流れた。
 勘兵衛があちらを指さした。

「ほら、ご覧なさい。あれをお見せしたかったのです」

 示されたさきにあったのは、初雪の結晶を花弁に乗せた、鮮やかな赤寒椿だった。
 訥々とした口調で、勘兵衛がこう言った。

「貴方の目はじつにすばらしい。私は貴方の水墨画を見たとき、この世をつぶさに見ている人だと一目でわかりました。草木の一枝一葉、雪の粒まで細かく的確に、ありありと映している。そうした目をお持ちであられる貴方だからこそ、私の嫁にお迎えしたいと思いました。こんどあの椿を書いてもらえませんか」

 あいかわらず言うことが唐突なので戸惑う。
 なのに言われて菊子は、涙が溢れた。とめどなく、ぽろぽろぽろぽろと止まらなくなってしまった。
 勘兵衛がどうしたのかとあたふた慌てたが、どうして流れでるのか菊子自身も分からなかったのだから止めようがなかった。
 翌年。
 晴れて菊子は懐妊した。
 勘兵衛があれやこれやと本草や旬菜、馬肉を運んできてくれたおかげで経過も良好、初産にしては難なく出産できた。産むなり菊子は赤子の肌をなでまわし、ひっかかりのないすべすべとした感触に安堵した。顔は父よりも母に似て、やや大きめの男子だった。
 ほかにも嬉しかったことがある。
 庭先の柚子が、たくさんの実をつけた。それはいつのまにか勘兵衛が、柚子は肌によいからと、嫁入りまもなく菊子のために苗木から植えてくれていたものだった。
 甲斐あって、肌に刻まれてあった疱瘡のあとは、年をかさねるにつれ薄くなっていった。


 ひとしきり語りおえた菊子が、おだやかな溜め息をついて間をおく。

「ですから、じつは困っていたのです。私が嫁入りをしたときにはすでにお義母さまは亡くなられたあとでしたから、私は姑というものを知りません。嫁入り後は高木の母に諸事を教えてもらいながらやってきました。あささんにどう範をお示ししたものかと迷っておりました」

 いまさらになりあさ子は、当たりまえのことに気がついた。
 嫁入りしてからずっと姑という名の存在として見てきたが、菊子もまた他家から縁あって嫁いできた自分とおなじ娘子だったのだ。
 あさ子が新妻であるならば、菊子は新姑ということになる。
 いいや、菊子だけではないのだろう。息子の行くすえを心配しながら目を閉じた勘兵衛の母も、そのまた先代の嫁も、河原家が蒲生に仕えていたころの女房も、きっとおなじように迷いながら子を育て、当主の妻として役割を果たしてきたにちがいない。
 お色直しのときに着た丸に松川菱紋いりの小袖は、そうした受け継がれてきた数々の思いと時間を象ったものだったのだ。
 あさ子は首を横に振った。

「いいえ、お義母さまはご立派な河原家の姑さまであられます」
「え……」
「だって、あんなにもご立派な会津武士を、すでにお二人もお育てではありませんか。ふつつかな私が一人前の会津の女となるため、お義母さまから学ぶべきことは山ほどあります。どうかなにとぞ、ご教授をお願い申しあげます」

 菊子はきょとんとしてしばらく驚いていたが、やがて穏やかな声音で、

「こちらこそふつつかな姑ですが、どうぞよろしくお願いします」

 と頭を下げかえした。
 ゆっくりと面をあげたら、たがいの目が合ったので、クスクスと笑いあうばかりだった。
 翌日、あさ子は菊子からニシンの山椒漬けを教わった。菊子のやり方は山椒をほどほどにおさえ、隠し味に柚子の果汁と刻んだ皮を入れる。
 さっぱりとした風味の、滋養に富む逸品だった。
しおりを挟む

処理中です...