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シロクロユニゾン 克服の頁(中編)
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3年前の夏、
高校1年生の凛は、地元の公共体育館に腰を落ち着けていた。
そこではバスケの試合が行われていて、凛の高校と当時ライバル関係にあった高校との決勝戦であった。
僅かにライバル高にリードを許していたが、点差はほとんどない。
そんな拮抗した状況の中、
「緑沼!!」
正確なパスが、フリーであった緑沼のもとへと飛ぶ。
「ツッ!」
それをみた相手チームがすぐに緑沼からボールを奪わんと猛進する。
しかし、その時にはもう緑沼はシュートホームに入っていた。
シュッと音を出してボールが緑沼から放たれる。
それは円を描きながら宙を舞い、
スパン!
音を立ててゴールを射抜いた。
それと同時にブザーが激しく鳴り響いた。
「「「「ワァァァァア!!!」」」」
客席から黄色い歓声が飛び交う。
凛は声を出さずとも拍手で自校の勝利を祝った。
凛はバスケ部の試合をほぼ毎回観戦にいっていた。
特にバスケが好きというわけではなく、とある人物のプレーを見に行っていたのだ。
その人物と言うのが、緑沼のことである。
屈強な鰐の身体で行われるパワフルなプレーに凛は見惚れていたのだ。
この時の緑沼は、バスケ部のスーパールーキーとして学校の人気者としての地位を確立していた。
凛は彼と同じクラスで、毎日女子に囲まれる緑沼を遠くから見ていた。
(あっ)
緑沼がコートメンバーと共にコートを去ろうと出口の方を見る。
丁度その方向には凛の座席があった。
気付くかはわからない。だが凛は手を振りたいという気持ちを押さえられなかった。
(気付いて…)
凛はブンブンと激しく手を振る。
すると、
緑沼がそれに気付き、ヒラヒラと手を振り返したのだ。
(ツッ!)
凛はその時の緑沼の笑顔を見て心臓が跳ねるのを感じていた。
そう、この時凛は緑沼に対して恋心を抱えていたのだ。
◇◆◇◆
そのキッカケは些細なものであった。
春先の体育館。散った桜が周りを鮮やかな桃色に染め、暖かい日差しが差す中凛はその隣を1人歩いていた。
陰気な彼には高校生活1ヶ月程度では友人…ましてや言葉を交わすような人物すら見付けられていなかった。
春風にヒゲを揺らしながら足早に学校を去ろうとする。
すると、
「緑沼!そっちいったぞ!!」
その声と共にボールがバシンとキャッチされた音が凛の鼓膜を揺らした。
緑沼…凛はその名前に聞き覚えがあった。彼のクラスでの自己紹介で聞いた緑沼の声…ハキハキとした声と笑顔で瞬く間に人気者となった彼は凛とは真逆の存在だ。
凛は彼に微かな憧れを感じていた。それもあってか、校門に向いていた足はいつの間にか体育館に向く。
背伸びをして小さな身体で必死に体育館の窓から中を覗いた。
(あっ…)
緑沼の姿はすぐに凛の目に入った。
ボールを跳ねさせ華麗なドリブルをする。そんな緑沼の姿は鰐の硬く凹凸のある皮膚に照明が乱反射し独特な光沢を放っていた。
1人、2人と次々とディフェンスを掻い潜る。
そして、
「ふっ!」
その事と共に跳躍し、
ズバン!
激しく音を鳴らしてダンクシュートを放った。
「すごい…」
凛は既に虜になっていた。そして一目惚れに近い感覚を覚える。
そう、昔から彼は男にたいして好意を抱く…いわゆる同姓愛者の傾向にあったのだ。
“男なのに”男に対して抱いた感情…
この感情は、凛に地獄への片道切符を渡すこととなる。
◇◆◇◆
時計の針は1時を過ぎている。試合後の帰り道、凛は体育館を出ていつもの帰り道を歩いていた。
その体育館の近くには駅があり、様々な色の電飾や延々と誰も見ない広告を流し続ける巨大モニターなどそれなりに発展していた。
(お腹減ったな…)
凛は朝一に体育館に着き、会場での席取りに躍起になっていたため朝食をとっていなかった。
凛は駅に向いていた足の方向を変え、近くのハンバーガーショップに向かった。
少し歩き、駅の周りで最も安いハンバーガーショップの扉を開ける。
「いらっしゃいませー」
店に入ると店員の疲れた声による棒読みの挨拶が耳に届く。
中はそれなりに賑わっていて、あの試合を見た帰りに来たのであろう生徒達があちこちに座っていた。
凛は注文した商品を受け取り、空いていた一番端の席に座る。
そうして食事をとっていると、とある会話が聞こえてきた。
「…で?結局告白したの?その“緑沼くん”って人に」
(!?)
前の席からのそんな声に、凛は驚きのあまり尻尾がピンと立ち上がらせてしまう。
緑沼に彼女…考えられない話ではない。凛は耳をピクピクと動かして前に座る猫獣人女子2人組の会話に聞き耳をたてた。
「…さっき試合終わったあとに声かけてさー」
「それで?」
凛の耳はしっかりと彼女らの声を捉えてる。次に続く言葉を待ち構える。
冷や汗が頬を伝う。
そして、
「しっかり振られちゃったよ…彼女はいないって言ってたんたけどねー」
「えーまじぃー?」
凛が期待していた答えが聞こえてきた。
彼は胸を撫で下ろしそのまま耳を向ける。
「私いけると思ったんだけどなー」
「結構ガード堅い感じかぁ…でもあんなかっこいいなら告白してくるやつも多かったりして!」
「あーそれね…やっぱ多いみたいよ…」
「でも彼女いないってことは…」
「皆撃沈してるってことよ」
「ひゃー…」
凛の耳には彼女らの甲高い声が入り続ける。
「えー…何で皆振られてんだろ…」
「結構可愛いヒト多かったみたいだけどね」
「じゃあ中身ってこと?」
「どうだろう……もしくは…」
「……“男好き”だったりして…」
(えっ?)
凛はその言葉を聞いた耳を硬直させてしまう。
「いや何でそーなるの?」
「今多様性ってやつ?ほら…あのLGBT…だっけ?」
心臓の鼓動がうるさく鳴り続ける。
「まぁでもあり得なくないか…いっつも男子と一緒にいるしねー」
凛は緑沼が教室にいるときの情景を思い浮かべる。確かに彼はいつも仲の良い男子達と過ごしていて、女子といるところなんてほとんど見たことがなかった。
「えーでもそれだったら何か嫌なんだけど…だってホモってことでしょ?」
(ツッ…)
その言葉は凛に突き刺さる。
「こらそーいうこと言わないの!緑沼君が男好きでもちゃんと祝ってあげないと!」
「まぁーそう言うけどさー…」
そこから先の会話は凛は覚えていない。
とにかく居心地が悪い。そう感じた凛はそそくさと残りを食べ、それを戻しそうになりながらも足早に店を出た。
◇◆◇◆
それから数日後、凛にとって忘れたくても忘れられない日がやってきた。
いつもの休み時間…凛はボーッとしながらスマホを眺めていた。
“緑沼がホモかもしれない”あの時の女子たちの会話が頭で反芻される。
凛はTwitterを流し目でみる。
彼はこの学校の生徒誰一人としてTwitterのアカウントを教えていなかった。
理由としてはその運用方法にある。言わずもなが、凛は同姓愛者であるがそれは簡単にカミングアウトできるものではない。
そこで彼が目をつけたのはTwitterだ。
アカウント名は彼には一切関係ないような名前で同姓愛者として様々な悩みを吐露する場所にしていた。
意外にもその悩みには同調者も多く、相談にのったりのられたりと彼はTwitterを居場所にしていた。
教室の端…ましては友人のいない彼のスマホを覗くものなどおらず、いつものように相談を書き込んでいた。
『クラスの中心のワニ君がゲイかも…そうだったらお付き合いしたいなぁ…でも確認方法ないしなぁ…』
そう書き込む。その瞬間だった。
「黒崎っ!!いるかっ!!」
教室の扉が勢い良く開け放たれると、大柄な牛獣人の体育教師が入ってきた。
「はいっ!」
凛は反射ですぐに返事をする。
凛はこのクラスの体育係を任せられていた…というか押し付けられていた。
「次の授業の準備手伝ってくれ!色々あるからな!」
「わかりましたっ!」
凛は慌てて席を立つと足早に教室から駆け出した。
机の上に画面を開きっぱなしにしたスマホを置いて…
「それでさー」
「そんなことあったんかよ…」
凛が去った机の周りに緑沼達が歩いて近づく。
すると、
ガン!
「イテッ」
緑沼の隣を歩いていた山里が凛の机にぶつかる。
その衝撃で凛のスマホは緑沼の足元に転がった。
「おいおい…画面割れてないといいが…」
緑沼がそれをさっと拾い上げて画面を見る。
そして
「…あ?」
この刹那見てしまったのだ…凛の“中身”を…。
◇◆◇◆
放課後、
凛はいつものように荷物をまとめて教室を去ろうとする。
すると、
「おい、」
後ろから緑沼の声がかかる。隣には
「へっ?」
急に話しかけられ凛は驚きながら顔を上げる。
「少し話したい事がある…ちょっと良いか?」
「う…うん…」
急な展開に少し困惑しながらも、凛はそのまま彼の後を付いていった。
ついた場所は屋上…そこで緑沼が凛に向き直る。
そして、手元のスマホである画面を映し出した。
「これお前のアカだよな?」
「えっ…?ツッ!!」
凛はその画面を覗き込む。
そして、それを見た凛は全身の血の気が引くのを感じた。
「な…んで…」
そこには凜のアカウントが写し出されていた。凛は目の前の状況が信じられなかった。
「お前…これ見る感じホモなんだな…」
緑沼がそう呟く。
その声にいつもの優しさは無く、冷たく突き刺すような雰囲気を纏っていた。
「しかもこれ俺のことだろ…?」
そう言って彼は凛の一番上のツイートを指差す。
「いや…それは…」
凛は息も絶え絶えに反論しようとするが、言葉をうまく紡げない。
「…はぁ…まぁいいや…」
そして、緑沼は絶対零度の視線を凛に向けた。
「俺がゲイ?バカ言ってんじゃねぇよ!」
「ヒッ…」
そのまま怒気を孕んだ声をあげる。
「何勘違いしてるんだよ…気持ち悪ぃ…」
その次には冷えきった声が凛に刺さった。
「それに“黒猫”と付き合う訳ないだろ…考えろよ…」
凛は息が出来なくなっていた。緑沼に普段優しい雰囲気はなく、汚物を見るような軽蔑を込めた目に、凛は身体を震わせてしまう。
「不幸の象徴のホモとか…ホント救えねぇよ…二度と俺に近付くな。」
そう言って緑沼は背を向けて去ろうとする。
「ツッ…ま…まって!」
それを聞いた凛はハッと我にかえり、緑沼の腕を掴む。
しかし、
「触るな!」
その手は簡単に振り払われてしまった。
「うわっ!」
凛は勢いで尻餅をつく。
「ホントに気持ち悪ぃ…この“ホモネコ”が…」
そう吐き捨てて、緑沼は仲間と共に去っていたった。
「ま…待って…」
そう力なく呟く凛はその場から動けなかった。
好きな人に自分の全てを否定された悲しみは計り知れないが、最大の問題はクラスの中心人物に自身の事がばれてしまったことである。明日から自分の教室での立ち位置はどうなるのか…そればかり考えてしまう。
そして、その考えに対しては無情な結果が答えを出した。
次の日から、教室で凛に向けられる視線には冷酷さと軽蔑が詰められるようになった。
◇◆◇◆
「ハァ…ハァ…」
昔の事がフラッシュバックした凛は過呼吸に襲われる。
「何だよ…大丈夫か?」
言葉では心配しているが、表情はそんな気を微塵も感じさせないような笑みを張り付けていた。
(もう…やだ…)
顔色も悪くなり、身体から冷や汗が止まらなくなる。
(助けて…誰か…)
そんな儚い希望を抱いた、その瞬間であった。
「凛!」
聞き覚えのある低く優しい声…
振り向くと翔の姿があった。
(白城くん…)
「あぁ?…ってお前…白城か…」
以前大和が言っていたように、バスケをしている者にとって白城は有名人なのだろう。緑沼は名前を呼びながら嫌そうな顔をするが、翔はそんなものに目もくれず凛の元へ向かう。
そして、
(あっ…)
肩を組んでいた緑沼を引き剥がし、凛を自分の方へと抱き寄せた。
ゴツゴツとした鰐の腕から、翔の筋肉質で香水の匂いが香る腕の中に凛が収まる。
「…うちのマネージャーになにしてる…」
そのまま威圧感を込めた目で緑沼達を睨み付けた。
「別に…ただの昔話してただけだよ…」
「てかそいつマネージャーかよ!やっぱプレイヤーは無理か!」
邪魔が入って興が冷めたのだろう。緑沼はぶっきらぼうにそう言ったのに対して、山里は笑いながら凛をバカにする。
「…俺の仲間をバカにするな…」
それを聞いた翔はいつもとは正反対のドスの聞いた声で反論した。
「おーこわっ…」
骨牙はそう言ってさらに煽るが、
「そんぐらいにしとけ」
緑沼がそれを止める。
「そろそろ試合だ。さっさと行くぞ。」
そう言って緑沼は2人をつれて翔の隣を横切る。
その刹那、こんな言葉を吐き捨てた。
「お前もせいぜい気を付けろよ…ホモに食われるぜ?」
「はぁ?」
翔は何を言っているのかと怪訝そうな顔をする。
「まぁいい…試合で会おうぜ?トーナメント負けんなよ?」
そう小馬鹿にして、彼らは廊下の奥へ消えて言った。
◇◆◇◆
「凛…大丈夫か?」
「何があったんだよ…」
顔を青くした凛を翔と遥が心配そうに見つめる。
「…ううん…大丈夫…」
それに凛は力ない笑みで返す。
「昔話って言ってたが知り合いだったのか?」
「まぁ…そんな感じかな…」
翔の質問に凛は目を合わせないまま小さく答える。
「とにかく…無理するなよ?ずっと顔色悪いぜ?」
遥はそう声をかける。
そうしていると、
『これより、トーナメント第1試合を始めます。参加選手は速やかに試合コートに集合してください。』
体育館に無機質なアナウンスが響き渡った。
「もうそんな時間か…」
「よっしゃ!気合い入れて行くぞ!」
翔は時計を見てそう呟き、遥は両頬を叩いていきりたつ。
「じゃあ行ってくる。応援頼んだぞ。」
そう言って翔は凛の頭を撫でた。
「う…うん!」
凛はそれで少し緊張がほぐれたのか、先程よりも元気そうな顔で答えた。
コートに向かう翔の背中は何よりも大きく、安心出来るものであった。
こうして、T大学の新人戦初戦の火蓋が切って落とされた。
◇◆◇◆
T大学は、初戦からその実力を存分に発揮していた。
初戦はまさに圧倒的。翔の猛進するドリブルに誰もついていけず、大差をつけての圧勝であった。
2戦目は初戦の相手よりも防御が厚く、翔のドリブルにも対応してきた。しかし、それは第2のエースである遥の針の穴に糸を通すような正確なコントロールから放たれるスリーポイントシュートでその防御を破り勝利した。
そして3回戦…そこではやはり実力校が相手になった。序盤に先制されるなど苦戦を強いられたが、黄羅の正確なパス回しとゲームコントロールによって後半一気に挽回した。
その後の4回戦、準決勝は危なげない勝利で突破に成功した。
「お疲れ様~」
準決勝を終えた翔達に、凛はタオルとドリンクを手渡す。
「ありがとな」
「はぁ~疲れる~」
翔と遥はそれを受け取ってベンチに腰を落ち着けた。
「今日は大分調子いいわ」
「それな~身体が動く動く」
そう言いながら彼らは肩や太ももを伸ばしてストレッチをする。
このストレッチは凛と大和が提案した疲労軽減効果のあるストレッチで、実際毎試合後これを行うことで彼らはパフォーマンスをより発揮出来るようになっていた。
「練習メニューでやったやつも大分効果出てるしな」
「凛が考えたやつね~苦手を徹底的に潰された感じがするよ~」
「はは…徹夜で作ったらやつね…お役にたてて何より…」
彼らの最近の練習メニューも凛が決めたものであった。普段のプレイをひたすら見ていた凛だからこそわかる彼らの無意識の内にある苦手シュートポジションを中心にした練習メニューの効果は如実に現れていた。そして彼らの直接評価を聞くとう物はやはり気恥ずかしいもので、照れた凛は頬を染めてうつむいてしまう。
そうしていると、
「「「ワァァァァァア!!!」」」
隣のコートから歓声が聞こえてきた。どうやらもうひとつの準決勝も終わったようだ。
そこでの勝利者は…
「!!…あいつらか…」
翔が目付きをキッと鋭くする。
それで捉えたのは、凛の因縁の相手であるあの3人組…緑沼達の大学であった。
「まさかホントに残るなんてな…」
遥はそれを見てため息をつく。
「白城くん…」
凛は不安そうに翔を見つめる。
だが、
「安心しろ。俺達がしっかりお灸を据えてやるから」
「そうそう!安心して見てろよ!」
それに翔はいつもの仏頂面で、遥は輝かしい笑顔で応えた。
それは何よりも代えがたい安心感を凛に与えた。
2人の精鋭と司令塔、そして彼らを支える他のメンバー達は、最終戦へのコートへ踏み出した。
◇◆◇◆
「なんだ、ちゃんと勝ってんじゃねぇか」
ジャンプボールをしにコートの中心に向かった翔と顔を合わせた緑沼の第一声はそれであった。
「お前らもな…てっきりすぐいなくなると思ったぞ」
まさに買い言葉に売り言葉。翔はそれに憎しみを込めた言葉を返す。
「それでは…決勝戦…」
そうしていると審判の声が響く。
そして、
「……始め!!」
ホイッスルが鳴り響き、天高くボールが舞った。
「おらぁ!」
「ふっ!」
それに食らいつくように2人はボールに飛ぶ。
バン!!
そう激しく音がなると、ボールは緑沼達のコートへ転がり、骨牙がキャッチする。
鰐獣人のフィジカルは、翔を微かにだが上回ったのだ。
「いくぞ!」
「チッ!!」
すぐさまドリブルを始める骨牙。それに翔はすぐに体勢を立て直して食らいつこうとする。
だが、彼の技術は凄まじいものであった。
「うわっ!」
「くそっ!」
T大学のディフェンスを骨牙はスルスルとすり抜けていく。
そうして彼はすぐにゴールの懐へと入り、
「よっと!」
レイアップで軽々しく先制点を決めた。
「「「「ワァァァァア!!」」」」
その先制点に相手校の学生の歓声が飛ぶ。
「クッ…体勢を立て直せ!落ち着いていくぞ!」
流れが持っていかれる…そう感じた黄羅は受け取ったボールをすぐにパスし、指示を出して挽回を図る。
そこから翔達も攻め込むが、エースに対する激しいマークとチームメイトの苦手をつくコースによる攻めによって第1、第2ピリオドの前半は大幅なリードを許してしまう結果となった。
「クソ…」
「白城くん…」
悔しさを滲ませる翔に凛が駆け寄る。
「あいつら…決勝きただけはあるな…」
遥も苦虫を噛み潰したような顔になってしまう。
そうしていると、
「いやーやっぱうちのマネージャーが作った練習メニューはすごいなぁ!!」
「ホントホント!あっちの奴とは違うぜ!」
緑沼と山里のそんな話が、こちらに聞こえるほどの大きな声で聞こえてきた。
「しっかり相手研究して対策してるからな!やっぱマネージャーの質って出るんだな~」
「質の悪いマネージャーはいらねぇってな!」
「アイツらっ!」
明らかに凛をバカにしている。それには温厚な遥も明確な怒りを覚える。拳を握りしめ、相手方のベンチへと向かおうとする。
(うぅ…)
それに対し、凛は自分に向けられた言葉の刃に耐えようとしていた。
「自分なら大丈夫」…そんな考えが凛にはあった。
バカにされるのは自分だけ…それなら大丈夫…
しかし、そんな凛にとって耐えられない言葉が緑沼の口から凛の耳に飛び込んできた。
「マネージャーがああならプレイヤーの腕も落ちるってなw」
「ツッ!!」
それは、翔達プレイヤーを非難するものであった。
凛はそれが堪らなく悔しかった。自分が作った練習メニューの内容が足りなかったのか…コンディションの調整が十分じゃなかったのか…凛は自責の念に駆られてしまう。
「ツ…ク…」
凛の目から涙が溢れる。凛はもう抱えきれないほどの責任を感じていた。
もうここからいなくなりたい。そんな考えばかりが浮かんでくる。
そして、
(もう…嫌だっ!)
凛はたまらず席を立って出口に向かって走り出した。
その瞬間であった。
「凛っ!!」
翔が立ち去ろうとする凛の腕を掴んだ。
「しらぎ…くん…」
凛は涙と悔しさでグシャグシャになった顔を翔に向けた。
「ごめん…僕…全然役にたてなくて…」
嗚咽混じりの言葉で、凛はそんな言葉を放った。
その刹那、
「そんなわけあるか!!」
翔の声が体育館中に反響した。
先程まで大声で笑っていた緑沼たちも思わず声を出せなくなってしまう。
「お前が役に立ってないわけないだろ…」
そう言いながら凛の手を引いたと思うと、先程まで座っていたベンチにストンと座らせた。
「…そこで見てろ…俺が…俺達が証明してやる…」
翔はコートへと足を踏み出す。
そして、
「お前はとんでもなく役に立ってんだ!胸はってろ!」
背を向けたまま、翔はそう宣言した。
「じょう…ぐん…」
凛は涙を止められなくなっていた。もうまともに言葉も紡げない。
「いくぞ…遥…」
「任せときなって!」
そうして翔と遥は、背に戦友の涙を背負い、胸に友を侮辱された怒りの炎を灯して、最終戦の舞台であるコートに舞い戻った。
◇◆◇◆
「慰めあいっこは終わったか?」
戻った翔達に対して緑沼は相変わらず小馬鹿にした口調でそう言った。
「……」
それに対して翔は何も言わずただ冷ややかな目線を向ける。
すると、
「それでは第3ピリオド…」
審判の声が静まりかえったコートの空気を揺らす。
「始め!」
そのすぐ後にホイッスルが鳴り響いた。
「翔!」
黄羅が翔にフリースローでボールを投げ渡す。
バシン!と激しく音を鳴らして翔がキャッチすると、
「おらぁ!」
すぐさまボールを奪おうと緑沼の腕が伸びてきた。
(ここだ!)
緑沼は翔の苦手なことをしっかり理解していた。身長が高い分目線がいきづらくなく下からのボール奪取…彼はそれなら取れると確信していた。
だが、
「そんなもんか」
「なっ!?」
ボールに手が届く前に、翔は既に緑沼の後ろにいた。
緑沼の一手は、“今の”翔には一切通用しないものであった。
「クソッ!ディフェンス!!」
緑沼はすぐさまディフェンスに指示を出し、それを聞いたメンバーが動き出す。
しかし、
「ヒッ!?」
翔に対面したディフェンス…山里はその顔を真っ青にして動きを止めた。
彼の目の前…そこにいる翔の顔は、まさしく怒りに満ちた修羅であった。
纏うオーラも陽炎が見えると錯覚するほどのものであり、ディフェンスの戦意を刈り取るのには十分であった。
そのまま翔は一瞬でディフェンスを抜き、ゴールの懐に飛び込む。
そして、
ドン!
そう音をたてて翔が両足で跳躍したと思うと、
ズガァン!!!
「はっ?…」
凄まじい爆音をたててダンクシュートが放たれた。
真下にいた骨牙はあっけにとられてしまう。
激しい衝撃を受けたボールが誰も取りにいかない…いや、いけなかった。
なぜなら、
「ほら…さっきの威勢はどうした?」
コートの空気を、修羅の形相を宿した翔が支配していたからだ。
「くっくそ!カウンターだ!!」
その中で何とか動いた緑沼はボールを拾い前線に投げて指示を出す。
「うぉぉお!」
投げられたボールを受け取った山里が猪突猛進の勢いでゴールに迫る。
しかし、
「行かせねぇよ」
「なにっ!?」
先程までゴール下にいたはずの翔が目の前に戻ってきた。
「このっ!」
山里はセオリー通り姿勢を低くして突破を図る。
だが、
「芸がねぇな」
「くそっ!?」
それを瞬く間に見抜いた翔は一瞬でボールを奪ってしまった。
「なんなんだよ!!」
骨牙はすぐにディフェンスの体勢を取り、翔の目の前を陣取る。
それでも、翔は冷静であった。
「遥!」
ノールックだ。彼は後ろを一切見ずにボールを放る。
「りょーかい!」
普通では通らないパス…それでも遥は待っていましたと言わんばかりにドンピシャのタイミングでボールを受け取った。
「クソが!」
だが緑沼達もそれなりの実力はある。視線を一瞬で遥に移すと、ディフェンスで妨害に入る。
「チッ…」
遥はそれに舌打ちをしながらドリブルで突破を図るが、ディフェンスに固められてしまい、最終的に遥が苦手とするゴールの真横からシュートを打たざるを得ない場所に誘導した。
(ここなら後ろに下げるしかなくなる!)
緑沼はそう確証を得ていた。
遥の顔も苦しそうに歪む。
しかし、次の瞬間、
「なーんてね!」
遥の口角はニヤリとつり上がった。
そのまま彼はシュートフォームに移る。
「なんだと!?」
(基本ここからはシュートを打たないはず…)
完全に緑沼は虚を突かれ、反応が遅れてしまう。
「よっと」
そんな気の抜けた声と共にボールが放たれる。
それは美しい弧を描き、
スパン!
ゴールリングに吸い込まれるようにゴールが決まる。それは正面から打ったシュートと変わらない精度をほこっていた。
「なにが…どうなってる…」
緑沼の頭は混乱をきわめていた。
苦手をひたすら突いていた…その筈なのに2人の勢いは一向にに止まる気配がない。
翔のダンクと遥のスリーポイントシュート…それらによって緑沼達が序盤に稼いだ得点の貯金はどんどんと溶けていった。
そして、迎えた第4ピリオド…
「くそっ…くそっ…くそっ!!」
緑沼は頭をかきむしり苛立ちを露にする。
第4ピリオドでも一方的な展開が続き、その点差は100を超えた。
翔の覇気によって戦意を喪失したディフェンスは最早置物同然であった。
辛うじて戦意を保っていた緑沼も身体を震えさせてしまう。
そして、
「…おい…」
「ヒィ!?」
ボールを跳ねさせながら迫る翔に思わず情けない声が出る。
「…どうして俺らがお前らの動きに対応出来るかわかるか?」
「なっ…なんだよ急に!?」
翔は答えを待たずして更に緑沼との距離を詰める。
「それはな、マネージャーが…凛が俺らをひたすら観察して作った練習メニューをこなしたからだ」
「……は?」
それに緑沼は信じられないと言わんばかりの呆気に取られた表情を浮かべてしまう。
それに構わず翔は言葉を続ける。
「お前ら…質の悪いマネージャーはいらねぇって言ったよな…?」
「そ…それがどうした!」
質が近付くにつれ、緑沼は後ずさりをしてしまう。
「毎日…ひたすらプレイヤーを観察して、夜遅くまで個人に対応した練習メニューを作るマネージャーは質が悪いか?」
地面を弾むボールの音が次第に強くなる。
「練習終わった後も、1人でコートの掃除して…ボールも磨くマネージャーは質が悪いか?」
翔の声に怒気が込められる。
「いっつも俺らのコンディション確認して…常に最高のパフォーマンスに導いてくれるマネージャーが!質が悪いって言えんのか!!」
「あ……あ…」
もう緑沼はその迫力に押されて立つ力も無くなってしまった。
尻餅をつき…修羅と化した翔を見上げる。
(翔くん…)
翔の言葉を聞いた凛の目には涙がたまる。しかし、それは先程と違う意味の込められた涙であった。
「てめぇらと凛の間に何があったが知らないが…」
そう言いながら翔は跳躍し、
ドカン!!
爆発音と遜色ない音を出してダンクシュートを決めると、
バキン!
それと共にリングをへし折った。
「ヒッ…ヒィィィィイ!!」
そのリングを目前に転がされ、緑沼は悲鳴をあげる。
「どんな理由があっても!俺の仲間を…凛バカにするのは…絶対に許さん!!」
そして、翔が殺意も感じさせるような声で緑沼に啖呵を切った。
その瞬間、
ピィィィィイ!!!
試合終了を知らせるホイッスルが、翔達の戦いの終わり告げた。
波乱に満ちたこの年の新人戦は、凛達T大学の勝利で幕を下ろした。
◇◆◇◆
「凛…」
コートで挨拶を済ませた翔が凛に駆け寄る。
「翔…ぐん…」
もう凛は我慢出来なかった。
そして、
「うわぁぁぁぁぁあ!!」
人目をはばからず、彼は号泣しながら、翔の胸に飛び込んだ。
大量の汗で濡れているのに関わらず、凛は翔の身体に深く顔を埋める。
「ちゃんと役に立ってるって証明したぞ?」
「うん…あり…がどう…」
翔はそう言って、凛を強く抱き返した。
「お前は自分が思ってる以上に役に立ってる…自信持て…」
「ヴン…」
「これからも頼むぞ?頼れる俺らのマネージャー…」
そのまま翔が優しく声をかけると、
「ツッ……うん!」
凛は涙でまみれた顔を拭い、今までで一番の輝きを帯びた笑顔でそれに応えた。
凛の頭に残る暗い記憶を詰めたモノの蓋は、閉まるどころが記憶と共にサラサラと砂のように消えてしまった。
高校1年生の凛は、地元の公共体育館に腰を落ち着けていた。
そこではバスケの試合が行われていて、凛の高校と当時ライバル関係にあった高校との決勝戦であった。
僅かにライバル高にリードを許していたが、点差はほとんどない。
そんな拮抗した状況の中、
「緑沼!!」
正確なパスが、フリーであった緑沼のもとへと飛ぶ。
「ツッ!」
それをみた相手チームがすぐに緑沼からボールを奪わんと猛進する。
しかし、その時にはもう緑沼はシュートホームに入っていた。
シュッと音を出してボールが緑沼から放たれる。
それは円を描きながら宙を舞い、
スパン!
音を立ててゴールを射抜いた。
それと同時にブザーが激しく鳴り響いた。
「「「「ワァァァァア!!!」」」」
客席から黄色い歓声が飛び交う。
凛は声を出さずとも拍手で自校の勝利を祝った。
凛はバスケ部の試合をほぼ毎回観戦にいっていた。
特にバスケが好きというわけではなく、とある人物のプレーを見に行っていたのだ。
その人物と言うのが、緑沼のことである。
屈強な鰐の身体で行われるパワフルなプレーに凛は見惚れていたのだ。
この時の緑沼は、バスケ部のスーパールーキーとして学校の人気者としての地位を確立していた。
凛は彼と同じクラスで、毎日女子に囲まれる緑沼を遠くから見ていた。
(あっ)
緑沼がコートメンバーと共にコートを去ろうと出口の方を見る。
丁度その方向には凛の座席があった。
気付くかはわからない。だが凛は手を振りたいという気持ちを押さえられなかった。
(気付いて…)
凛はブンブンと激しく手を振る。
すると、
緑沼がそれに気付き、ヒラヒラと手を振り返したのだ。
(ツッ!)
凛はその時の緑沼の笑顔を見て心臓が跳ねるのを感じていた。
そう、この時凛は緑沼に対して恋心を抱えていたのだ。
◇◆◇◆
そのキッカケは些細なものであった。
春先の体育館。散った桜が周りを鮮やかな桃色に染め、暖かい日差しが差す中凛はその隣を1人歩いていた。
陰気な彼には高校生活1ヶ月程度では友人…ましてや言葉を交わすような人物すら見付けられていなかった。
春風にヒゲを揺らしながら足早に学校を去ろうとする。
すると、
「緑沼!そっちいったぞ!!」
その声と共にボールがバシンとキャッチされた音が凛の鼓膜を揺らした。
緑沼…凛はその名前に聞き覚えがあった。彼のクラスでの自己紹介で聞いた緑沼の声…ハキハキとした声と笑顔で瞬く間に人気者となった彼は凛とは真逆の存在だ。
凛は彼に微かな憧れを感じていた。それもあってか、校門に向いていた足はいつの間にか体育館に向く。
背伸びをして小さな身体で必死に体育館の窓から中を覗いた。
(あっ…)
緑沼の姿はすぐに凛の目に入った。
ボールを跳ねさせ華麗なドリブルをする。そんな緑沼の姿は鰐の硬く凹凸のある皮膚に照明が乱反射し独特な光沢を放っていた。
1人、2人と次々とディフェンスを掻い潜る。
そして、
「ふっ!」
その事と共に跳躍し、
ズバン!
激しく音を鳴らしてダンクシュートを放った。
「すごい…」
凛は既に虜になっていた。そして一目惚れに近い感覚を覚える。
そう、昔から彼は男にたいして好意を抱く…いわゆる同姓愛者の傾向にあったのだ。
“男なのに”男に対して抱いた感情…
この感情は、凛に地獄への片道切符を渡すこととなる。
◇◆◇◆
時計の針は1時を過ぎている。試合後の帰り道、凛は体育館を出ていつもの帰り道を歩いていた。
その体育館の近くには駅があり、様々な色の電飾や延々と誰も見ない広告を流し続ける巨大モニターなどそれなりに発展していた。
(お腹減ったな…)
凛は朝一に体育館に着き、会場での席取りに躍起になっていたため朝食をとっていなかった。
凛は駅に向いていた足の方向を変え、近くのハンバーガーショップに向かった。
少し歩き、駅の周りで最も安いハンバーガーショップの扉を開ける。
「いらっしゃいませー」
店に入ると店員の疲れた声による棒読みの挨拶が耳に届く。
中はそれなりに賑わっていて、あの試合を見た帰りに来たのであろう生徒達があちこちに座っていた。
凛は注文した商品を受け取り、空いていた一番端の席に座る。
そうして食事をとっていると、とある会話が聞こえてきた。
「…で?結局告白したの?その“緑沼くん”って人に」
(!?)
前の席からのそんな声に、凛は驚きのあまり尻尾がピンと立ち上がらせてしまう。
緑沼に彼女…考えられない話ではない。凛は耳をピクピクと動かして前に座る猫獣人女子2人組の会話に聞き耳をたてた。
「…さっき試合終わったあとに声かけてさー」
「それで?」
凛の耳はしっかりと彼女らの声を捉えてる。次に続く言葉を待ち構える。
冷や汗が頬を伝う。
そして、
「しっかり振られちゃったよ…彼女はいないって言ってたんたけどねー」
「えーまじぃー?」
凛が期待していた答えが聞こえてきた。
彼は胸を撫で下ろしそのまま耳を向ける。
「私いけると思ったんだけどなー」
「結構ガード堅い感じかぁ…でもあんなかっこいいなら告白してくるやつも多かったりして!」
「あーそれね…やっぱ多いみたいよ…」
「でも彼女いないってことは…」
「皆撃沈してるってことよ」
「ひゃー…」
凛の耳には彼女らの甲高い声が入り続ける。
「えー…何で皆振られてんだろ…」
「結構可愛いヒト多かったみたいだけどね」
「じゃあ中身ってこと?」
「どうだろう……もしくは…」
「……“男好き”だったりして…」
(えっ?)
凛はその言葉を聞いた耳を硬直させてしまう。
「いや何でそーなるの?」
「今多様性ってやつ?ほら…あのLGBT…だっけ?」
心臓の鼓動がうるさく鳴り続ける。
「まぁでもあり得なくないか…いっつも男子と一緒にいるしねー」
凛は緑沼が教室にいるときの情景を思い浮かべる。確かに彼はいつも仲の良い男子達と過ごしていて、女子といるところなんてほとんど見たことがなかった。
「えーでもそれだったら何か嫌なんだけど…だってホモってことでしょ?」
(ツッ…)
その言葉は凛に突き刺さる。
「こらそーいうこと言わないの!緑沼君が男好きでもちゃんと祝ってあげないと!」
「まぁーそう言うけどさー…」
そこから先の会話は凛は覚えていない。
とにかく居心地が悪い。そう感じた凛はそそくさと残りを食べ、それを戻しそうになりながらも足早に店を出た。
◇◆◇◆
それから数日後、凛にとって忘れたくても忘れられない日がやってきた。
いつもの休み時間…凛はボーッとしながらスマホを眺めていた。
“緑沼がホモかもしれない”あの時の女子たちの会話が頭で反芻される。
凛はTwitterを流し目でみる。
彼はこの学校の生徒誰一人としてTwitterのアカウントを教えていなかった。
理由としてはその運用方法にある。言わずもなが、凛は同姓愛者であるがそれは簡単にカミングアウトできるものではない。
そこで彼が目をつけたのはTwitterだ。
アカウント名は彼には一切関係ないような名前で同姓愛者として様々な悩みを吐露する場所にしていた。
意外にもその悩みには同調者も多く、相談にのったりのられたりと彼はTwitterを居場所にしていた。
教室の端…ましては友人のいない彼のスマホを覗くものなどおらず、いつものように相談を書き込んでいた。
『クラスの中心のワニ君がゲイかも…そうだったらお付き合いしたいなぁ…でも確認方法ないしなぁ…』
そう書き込む。その瞬間だった。
「黒崎っ!!いるかっ!!」
教室の扉が勢い良く開け放たれると、大柄な牛獣人の体育教師が入ってきた。
「はいっ!」
凛は反射ですぐに返事をする。
凛はこのクラスの体育係を任せられていた…というか押し付けられていた。
「次の授業の準備手伝ってくれ!色々あるからな!」
「わかりましたっ!」
凛は慌てて席を立つと足早に教室から駆け出した。
机の上に画面を開きっぱなしにしたスマホを置いて…
「それでさー」
「そんなことあったんかよ…」
凛が去った机の周りに緑沼達が歩いて近づく。
すると、
ガン!
「イテッ」
緑沼の隣を歩いていた山里が凛の机にぶつかる。
その衝撃で凛のスマホは緑沼の足元に転がった。
「おいおい…画面割れてないといいが…」
緑沼がそれをさっと拾い上げて画面を見る。
そして
「…あ?」
この刹那見てしまったのだ…凛の“中身”を…。
◇◆◇◆
放課後、
凛はいつものように荷物をまとめて教室を去ろうとする。
すると、
「おい、」
後ろから緑沼の声がかかる。隣には
「へっ?」
急に話しかけられ凛は驚きながら顔を上げる。
「少し話したい事がある…ちょっと良いか?」
「う…うん…」
急な展開に少し困惑しながらも、凛はそのまま彼の後を付いていった。
ついた場所は屋上…そこで緑沼が凛に向き直る。
そして、手元のスマホである画面を映し出した。
「これお前のアカだよな?」
「えっ…?ツッ!!」
凛はその画面を覗き込む。
そして、それを見た凛は全身の血の気が引くのを感じた。
「な…んで…」
そこには凜のアカウントが写し出されていた。凛は目の前の状況が信じられなかった。
「お前…これ見る感じホモなんだな…」
緑沼がそう呟く。
その声にいつもの優しさは無く、冷たく突き刺すような雰囲気を纏っていた。
「しかもこれ俺のことだろ…?」
そう言って彼は凛の一番上のツイートを指差す。
「いや…それは…」
凛は息も絶え絶えに反論しようとするが、言葉をうまく紡げない。
「…はぁ…まぁいいや…」
そして、緑沼は絶対零度の視線を凛に向けた。
「俺がゲイ?バカ言ってんじゃねぇよ!」
「ヒッ…」
そのまま怒気を孕んだ声をあげる。
「何勘違いしてるんだよ…気持ち悪ぃ…」
その次には冷えきった声が凛に刺さった。
「それに“黒猫”と付き合う訳ないだろ…考えろよ…」
凛は息が出来なくなっていた。緑沼に普段優しい雰囲気はなく、汚物を見るような軽蔑を込めた目に、凛は身体を震わせてしまう。
「不幸の象徴のホモとか…ホント救えねぇよ…二度と俺に近付くな。」
そう言って緑沼は背を向けて去ろうとする。
「ツッ…ま…まって!」
それを聞いた凛はハッと我にかえり、緑沼の腕を掴む。
しかし、
「触るな!」
その手は簡単に振り払われてしまった。
「うわっ!」
凛は勢いで尻餅をつく。
「ホントに気持ち悪ぃ…この“ホモネコ”が…」
そう吐き捨てて、緑沼は仲間と共に去っていたった。
「ま…待って…」
そう力なく呟く凛はその場から動けなかった。
好きな人に自分の全てを否定された悲しみは計り知れないが、最大の問題はクラスの中心人物に自身の事がばれてしまったことである。明日から自分の教室での立ち位置はどうなるのか…そればかり考えてしまう。
そして、その考えに対しては無情な結果が答えを出した。
次の日から、教室で凛に向けられる視線には冷酷さと軽蔑が詰められるようになった。
◇◆◇◆
「ハァ…ハァ…」
昔の事がフラッシュバックした凛は過呼吸に襲われる。
「何だよ…大丈夫か?」
言葉では心配しているが、表情はそんな気を微塵も感じさせないような笑みを張り付けていた。
(もう…やだ…)
顔色も悪くなり、身体から冷や汗が止まらなくなる。
(助けて…誰か…)
そんな儚い希望を抱いた、その瞬間であった。
「凛!」
聞き覚えのある低く優しい声…
振り向くと翔の姿があった。
(白城くん…)
「あぁ?…ってお前…白城か…」
以前大和が言っていたように、バスケをしている者にとって白城は有名人なのだろう。緑沼は名前を呼びながら嫌そうな顔をするが、翔はそんなものに目もくれず凛の元へ向かう。
そして、
(あっ…)
肩を組んでいた緑沼を引き剥がし、凛を自分の方へと抱き寄せた。
ゴツゴツとした鰐の腕から、翔の筋肉質で香水の匂いが香る腕の中に凛が収まる。
「…うちのマネージャーになにしてる…」
そのまま威圧感を込めた目で緑沼達を睨み付けた。
「別に…ただの昔話してただけだよ…」
「てかそいつマネージャーかよ!やっぱプレイヤーは無理か!」
邪魔が入って興が冷めたのだろう。緑沼はぶっきらぼうにそう言ったのに対して、山里は笑いながら凛をバカにする。
「…俺の仲間をバカにするな…」
それを聞いた翔はいつもとは正反対のドスの聞いた声で反論した。
「おーこわっ…」
骨牙はそう言ってさらに煽るが、
「そんぐらいにしとけ」
緑沼がそれを止める。
「そろそろ試合だ。さっさと行くぞ。」
そう言って緑沼は2人をつれて翔の隣を横切る。
その刹那、こんな言葉を吐き捨てた。
「お前もせいぜい気を付けろよ…ホモに食われるぜ?」
「はぁ?」
翔は何を言っているのかと怪訝そうな顔をする。
「まぁいい…試合で会おうぜ?トーナメント負けんなよ?」
そう小馬鹿にして、彼らは廊下の奥へ消えて言った。
◇◆◇◆
「凛…大丈夫か?」
「何があったんだよ…」
顔を青くした凛を翔と遥が心配そうに見つめる。
「…ううん…大丈夫…」
それに凛は力ない笑みで返す。
「昔話って言ってたが知り合いだったのか?」
「まぁ…そんな感じかな…」
翔の質問に凛は目を合わせないまま小さく答える。
「とにかく…無理するなよ?ずっと顔色悪いぜ?」
遥はそう声をかける。
そうしていると、
『これより、トーナメント第1試合を始めます。参加選手は速やかに試合コートに集合してください。』
体育館に無機質なアナウンスが響き渡った。
「もうそんな時間か…」
「よっしゃ!気合い入れて行くぞ!」
翔は時計を見てそう呟き、遥は両頬を叩いていきりたつ。
「じゃあ行ってくる。応援頼んだぞ。」
そう言って翔は凛の頭を撫でた。
「う…うん!」
凛はそれで少し緊張がほぐれたのか、先程よりも元気そうな顔で答えた。
コートに向かう翔の背中は何よりも大きく、安心出来るものであった。
こうして、T大学の新人戦初戦の火蓋が切って落とされた。
◇◆◇◆
T大学は、初戦からその実力を存分に発揮していた。
初戦はまさに圧倒的。翔の猛進するドリブルに誰もついていけず、大差をつけての圧勝であった。
2戦目は初戦の相手よりも防御が厚く、翔のドリブルにも対応してきた。しかし、それは第2のエースである遥の針の穴に糸を通すような正確なコントロールから放たれるスリーポイントシュートでその防御を破り勝利した。
そして3回戦…そこではやはり実力校が相手になった。序盤に先制されるなど苦戦を強いられたが、黄羅の正確なパス回しとゲームコントロールによって後半一気に挽回した。
その後の4回戦、準決勝は危なげない勝利で突破に成功した。
「お疲れ様~」
準決勝を終えた翔達に、凛はタオルとドリンクを手渡す。
「ありがとな」
「はぁ~疲れる~」
翔と遥はそれを受け取ってベンチに腰を落ち着けた。
「今日は大分調子いいわ」
「それな~身体が動く動く」
そう言いながら彼らは肩や太ももを伸ばしてストレッチをする。
このストレッチは凛と大和が提案した疲労軽減効果のあるストレッチで、実際毎試合後これを行うことで彼らはパフォーマンスをより発揮出来るようになっていた。
「練習メニューでやったやつも大分効果出てるしな」
「凛が考えたやつね~苦手を徹底的に潰された感じがするよ~」
「はは…徹夜で作ったらやつね…お役にたてて何より…」
彼らの最近の練習メニューも凛が決めたものであった。普段のプレイをひたすら見ていた凛だからこそわかる彼らの無意識の内にある苦手シュートポジションを中心にした練習メニューの効果は如実に現れていた。そして彼らの直接評価を聞くとう物はやはり気恥ずかしいもので、照れた凛は頬を染めてうつむいてしまう。
そうしていると、
「「「ワァァァァァア!!!」」」
隣のコートから歓声が聞こえてきた。どうやらもうひとつの準決勝も終わったようだ。
そこでの勝利者は…
「!!…あいつらか…」
翔が目付きをキッと鋭くする。
それで捉えたのは、凛の因縁の相手であるあの3人組…緑沼達の大学であった。
「まさかホントに残るなんてな…」
遥はそれを見てため息をつく。
「白城くん…」
凛は不安そうに翔を見つめる。
だが、
「安心しろ。俺達がしっかりお灸を据えてやるから」
「そうそう!安心して見てろよ!」
それに翔はいつもの仏頂面で、遥は輝かしい笑顔で応えた。
それは何よりも代えがたい安心感を凛に与えた。
2人の精鋭と司令塔、そして彼らを支える他のメンバー達は、最終戦へのコートへ踏み出した。
◇◆◇◆
「なんだ、ちゃんと勝ってんじゃねぇか」
ジャンプボールをしにコートの中心に向かった翔と顔を合わせた緑沼の第一声はそれであった。
「お前らもな…てっきりすぐいなくなると思ったぞ」
まさに買い言葉に売り言葉。翔はそれに憎しみを込めた言葉を返す。
「それでは…決勝戦…」
そうしていると審判の声が響く。
そして、
「……始め!!」
ホイッスルが鳴り響き、天高くボールが舞った。
「おらぁ!」
「ふっ!」
それに食らいつくように2人はボールに飛ぶ。
バン!!
そう激しく音がなると、ボールは緑沼達のコートへ転がり、骨牙がキャッチする。
鰐獣人のフィジカルは、翔を微かにだが上回ったのだ。
「いくぞ!」
「チッ!!」
すぐさまドリブルを始める骨牙。それに翔はすぐに体勢を立て直して食らいつこうとする。
だが、彼の技術は凄まじいものであった。
「うわっ!」
「くそっ!」
T大学のディフェンスを骨牙はスルスルとすり抜けていく。
そうして彼はすぐにゴールの懐へと入り、
「よっと!」
レイアップで軽々しく先制点を決めた。
「「「「ワァァァァア!!」」」」
その先制点に相手校の学生の歓声が飛ぶ。
「クッ…体勢を立て直せ!落ち着いていくぞ!」
流れが持っていかれる…そう感じた黄羅は受け取ったボールをすぐにパスし、指示を出して挽回を図る。
そこから翔達も攻め込むが、エースに対する激しいマークとチームメイトの苦手をつくコースによる攻めによって第1、第2ピリオドの前半は大幅なリードを許してしまう結果となった。
「クソ…」
「白城くん…」
悔しさを滲ませる翔に凛が駆け寄る。
「あいつら…決勝きただけはあるな…」
遥も苦虫を噛み潰したような顔になってしまう。
そうしていると、
「いやーやっぱうちのマネージャーが作った練習メニューはすごいなぁ!!」
「ホントホント!あっちの奴とは違うぜ!」
緑沼と山里のそんな話が、こちらに聞こえるほどの大きな声で聞こえてきた。
「しっかり相手研究して対策してるからな!やっぱマネージャーの質って出るんだな~」
「質の悪いマネージャーはいらねぇってな!」
「アイツらっ!」
明らかに凛をバカにしている。それには温厚な遥も明確な怒りを覚える。拳を握りしめ、相手方のベンチへと向かおうとする。
(うぅ…)
それに対し、凛は自分に向けられた言葉の刃に耐えようとしていた。
「自分なら大丈夫」…そんな考えが凛にはあった。
バカにされるのは自分だけ…それなら大丈夫…
しかし、そんな凛にとって耐えられない言葉が緑沼の口から凛の耳に飛び込んできた。
「マネージャーがああならプレイヤーの腕も落ちるってなw」
「ツッ!!」
それは、翔達プレイヤーを非難するものであった。
凛はそれが堪らなく悔しかった。自分が作った練習メニューの内容が足りなかったのか…コンディションの調整が十分じゃなかったのか…凛は自責の念に駆られてしまう。
「ツ…ク…」
凛の目から涙が溢れる。凛はもう抱えきれないほどの責任を感じていた。
もうここからいなくなりたい。そんな考えばかりが浮かんでくる。
そして、
(もう…嫌だっ!)
凛はたまらず席を立って出口に向かって走り出した。
その瞬間であった。
「凛っ!!」
翔が立ち去ろうとする凛の腕を掴んだ。
「しらぎ…くん…」
凛は涙と悔しさでグシャグシャになった顔を翔に向けた。
「ごめん…僕…全然役にたてなくて…」
嗚咽混じりの言葉で、凛はそんな言葉を放った。
その刹那、
「そんなわけあるか!!」
翔の声が体育館中に反響した。
先程まで大声で笑っていた緑沼たちも思わず声を出せなくなってしまう。
「お前が役に立ってないわけないだろ…」
そう言いながら凛の手を引いたと思うと、先程まで座っていたベンチにストンと座らせた。
「…そこで見てろ…俺が…俺達が証明してやる…」
翔はコートへと足を踏み出す。
そして、
「お前はとんでもなく役に立ってんだ!胸はってろ!」
背を向けたまま、翔はそう宣言した。
「じょう…ぐん…」
凛は涙を止められなくなっていた。もうまともに言葉も紡げない。
「いくぞ…遥…」
「任せときなって!」
そうして翔と遥は、背に戦友の涙を背負い、胸に友を侮辱された怒りの炎を灯して、最終戦の舞台であるコートに舞い戻った。
◇◆◇◆
「慰めあいっこは終わったか?」
戻った翔達に対して緑沼は相変わらず小馬鹿にした口調でそう言った。
「……」
それに対して翔は何も言わずただ冷ややかな目線を向ける。
すると、
「それでは第3ピリオド…」
審判の声が静まりかえったコートの空気を揺らす。
「始め!」
そのすぐ後にホイッスルが鳴り響いた。
「翔!」
黄羅が翔にフリースローでボールを投げ渡す。
バシン!と激しく音を鳴らして翔がキャッチすると、
「おらぁ!」
すぐさまボールを奪おうと緑沼の腕が伸びてきた。
(ここだ!)
緑沼は翔の苦手なことをしっかり理解していた。身長が高い分目線がいきづらくなく下からのボール奪取…彼はそれなら取れると確信していた。
だが、
「そんなもんか」
「なっ!?」
ボールに手が届く前に、翔は既に緑沼の後ろにいた。
緑沼の一手は、“今の”翔には一切通用しないものであった。
「クソッ!ディフェンス!!」
緑沼はすぐさまディフェンスに指示を出し、それを聞いたメンバーが動き出す。
しかし、
「ヒッ!?」
翔に対面したディフェンス…山里はその顔を真っ青にして動きを止めた。
彼の目の前…そこにいる翔の顔は、まさしく怒りに満ちた修羅であった。
纏うオーラも陽炎が見えると錯覚するほどのものであり、ディフェンスの戦意を刈り取るのには十分であった。
そのまま翔は一瞬でディフェンスを抜き、ゴールの懐に飛び込む。
そして、
ドン!
そう音をたてて翔が両足で跳躍したと思うと、
ズガァン!!!
「はっ?…」
凄まじい爆音をたててダンクシュートが放たれた。
真下にいた骨牙はあっけにとられてしまう。
激しい衝撃を受けたボールが誰も取りにいかない…いや、いけなかった。
なぜなら、
「ほら…さっきの威勢はどうした?」
コートの空気を、修羅の形相を宿した翔が支配していたからだ。
「くっくそ!カウンターだ!!」
その中で何とか動いた緑沼はボールを拾い前線に投げて指示を出す。
「うぉぉお!」
投げられたボールを受け取った山里が猪突猛進の勢いでゴールに迫る。
しかし、
「行かせねぇよ」
「なにっ!?」
先程までゴール下にいたはずの翔が目の前に戻ってきた。
「このっ!」
山里はセオリー通り姿勢を低くして突破を図る。
だが、
「芸がねぇな」
「くそっ!?」
それを瞬く間に見抜いた翔は一瞬でボールを奪ってしまった。
「なんなんだよ!!」
骨牙はすぐにディフェンスの体勢を取り、翔の目の前を陣取る。
それでも、翔は冷静であった。
「遥!」
ノールックだ。彼は後ろを一切見ずにボールを放る。
「りょーかい!」
普通では通らないパス…それでも遥は待っていましたと言わんばかりにドンピシャのタイミングでボールを受け取った。
「クソが!」
だが緑沼達もそれなりの実力はある。視線を一瞬で遥に移すと、ディフェンスで妨害に入る。
「チッ…」
遥はそれに舌打ちをしながらドリブルで突破を図るが、ディフェンスに固められてしまい、最終的に遥が苦手とするゴールの真横からシュートを打たざるを得ない場所に誘導した。
(ここなら後ろに下げるしかなくなる!)
緑沼はそう確証を得ていた。
遥の顔も苦しそうに歪む。
しかし、次の瞬間、
「なーんてね!」
遥の口角はニヤリとつり上がった。
そのまま彼はシュートフォームに移る。
「なんだと!?」
(基本ここからはシュートを打たないはず…)
完全に緑沼は虚を突かれ、反応が遅れてしまう。
「よっと」
そんな気の抜けた声と共にボールが放たれる。
それは美しい弧を描き、
スパン!
ゴールリングに吸い込まれるようにゴールが決まる。それは正面から打ったシュートと変わらない精度をほこっていた。
「なにが…どうなってる…」
緑沼の頭は混乱をきわめていた。
苦手をひたすら突いていた…その筈なのに2人の勢いは一向にに止まる気配がない。
翔のダンクと遥のスリーポイントシュート…それらによって緑沼達が序盤に稼いだ得点の貯金はどんどんと溶けていった。
そして、迎えた第4ピリオド…
「くそっ…くそっ…くそっ!!」
緑沼は頭をかきむしり苛立ちを露にする。
第4ピリオドでも一方的な展開が続き、その点差は100を超えた。
翔の覇気によって戦意を喪失したディフェンスは最早置物同然であった。
辛うじて戦意を保っていた緑沼も身体を震えさせてしまう。
そして、
「…おい…」
「ヒィ!?」
ボールを跳ねさせながら迫る翔に思わず情けない声が出る。
「…どうして俺らがお前らの動きに対応出来るかわかるか?」
「なっ…なんだよ急に!?」
翔は答えを待たずして更に緑沼との距離を詰める。
「それはな、マネージャーが…凛が俺らをひたすら観察して作った練習メニューをこなしたからだ」
「……は?」
それに緑沼は信じられないと言わんばかりの呆気に取られた表情を浮かべてしまう。
それに構わず翔は言葉を続ける。
「お前ら…質の悪いマネージャーはいらねぇって言ったよな…?」
「そ…それがどうした!」
質が近付くにつれ、緑沼は後ずさりをしてしまう。
「毎日…ひたすらプレイヤーを観察して、夜遅くまで個人に対応した練習メニューを作るマネージャーは質が悪いか?」
地面を弾むボールの音が次第に強くなる。
「練習終わった後も、1人でコートの掃除して…ボールも磨くマネージャーは質が悪いか?」
翔の声に怒気が込められる。
「いっつも俺らのコンディション確認して…常に最高のパフォーマンスに導いてくれるマネージャーが!質が悪いって言えんのか!!」
「あ……あ…」
もう緑沼はその迫力に押されて立つ力も無くなってしまった。
尻餅をつき…修羅と化した翔を見上げる。
(翔くん…)
翔の言葉を聞いた凛の目には涙がたまる。しかし、それは先程と違う意味の込められた涙であった。
「てめぇらと凛の間に何があったが知らないが…」
そう言いながら翔は跳躍し、
ドカン!!
爆発音と遜色ない音を出してダンクシュートを決めると、
バキン!
それと共にリングをへし折った。
「ヒッ…ヒィィィィイ!!」
そのリングを目前に転がされ、緑沼は悲鳴をあげる。
「どんな理由があっても!俺の仲間を…凛バカにするのは…絶対に許さん!!」
そして、翔が殺意も感じさせるような声で緑沼に啖呵を切った。
その瞬間、
ピィィィィイ!!!
試合終了を知らせるホイッスルが、翔達の戦いの終わり告げた。
波乱に満ちたこの年の新人戦は、凛達T大学の勝利で幕を下ろした。
◇◆◇◆
「凛…」
コートで挨拶を済ませた翔が凛に駆け寄る。
「翔…ぐん…」
もう凛は我慢出来なかった。
そして、
「うわぁぁぁぁぁあ!!」
人目をはばからず、彼は号泣しながら、翔の胸に飛び込んだ。
大量の汗で濡れているのに関わらず、凛は翔の身体に深く顔を埋める。
「ちゃんと役に立ってるって証明したぞ?」
「うん…あり…がどう…」
翔はそう言って、凛を強く抱き返した。
「お前は自分が思ってる以上に役に立ってる…自信持て…」
「ヴン…」
「これからも頼むぞ?頼れる俺らのマネージャー…」
そのまま翔が優しく声をかけると、
「ツッ……うん!」
凛は涙でまみれた顔を拭い、今までで一番の輝きを帯びた笑顔でそれに応えた。
凛の頭に残る暗い記憶を詰めたモノの蓋は、閉まるどころが記憶と共にサラサラと砂のように消えてしまった。
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俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…
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