短編集

喜岡 せん

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或る夏の日

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 白と青で作られた世界が反転する。
 縁日の煌々とした紅い光が暗闇を照らしていた。

 姿の見えない虫たちが鳴いている。

 「……おや、お前さん、迷ったのかい」

 顔に布を巻いた青年が物珍しそうに言った。
 
 「……お姉ちゃんとはぐれちゃった」

 少女は一人、呆然と呟く。

 「お連れさんもいるのか。お前さん、名前は?」

 「……まい」

 「そうか、マイちゃんか。……よし、マイちゃん一人だけじゃ危ないし、お兄さんも一緒に探してあげよう」

 おいで、と青年は少女に手を差し出した。
 少女も何かに縋るように、その手を取る。



 ◆◇◇



 金魚が顔の横を通り過ぎた。
 青年が一歩踏み出す度に波紋が広がる。
 「そういえば、マイちゃんは俺と会う前に何か食べた?」
 「……ううん、食べてない」
 「そっか、そりゃ良かった。ここで売ってるもんは食べちゃ駄目だぞ、帰れなくなるからな」
 わかった、と少女はこくりと頷く。
 
 「お兄さんはなんでお顔を隠してるの?」
 少女が問うた。
 「これがないと、みんなが悲しむからだよ」
 青年は微笑む。
 「かなしむ……」
 「マイちゃんも、お姉さんとはぐれて悲しいだろう? それと同じさ」
 「おなじ……」
 少女が青年の言葉を反芻する。

 紙風船が空を舞う。
 屋台の瓶ラムネを片手に、子供たちが走り回っている。
 射的で並んでいる人集りを抜けて、石畳の階段を登ると、本殿が見えた。
 「お狐様」
 少女が指を指す。
 赤い鳥居に、赤い社。絵巻物を咥えた二匹の狐。
 「ああ、ここの神様だな」
 青年はそっと笑いかけた。
 少女を抱き上げ、鳥居をくぐる。

 ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ──いつつ。

 ツクツクホウシが一斉に鳴いた。

 「あ、お姉ちゃん!」

 少女が青年から飛び降りて駆け出した。

 しかし、先には誰もいない。

 必死に伸ばした少女の手は、白かった。
 余計なものが肉付けされていない腕が、指先から崩れ落ちて、粉になる。




 「無垢な魂ほど畏怖すべきものは無い。誰彼を糧に在る魂は容易に変異し、怨嗟を起こすものだ」




 人の姿をした何かが口を開いた。
 「……非情だなぁ、お前さんも」
 青年が苦笑して言った。
 「非情。非情か。其れもまぁ、致し方無い事。迷いし人の御霊は早々に輪廻の輪へ還し、不浄は浄化しなければならない。前提に、生者と死者が混同する狭間の世そのものが不要なのだ」
 「そうかいそうかい」
 青年は小瓶を取り出して、少女の跡を掬い集める。
 「お前さんがそう言うなら、それが正解なんだろう? 俺はそれに賛同するだけさ」

 顔に在る布が風にはためく。
 照る陽の光が石畳に落ち、木漏れ日を作った。 
 入道雲が見える。


 終
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