「代わりはいくらでもいる」とクビにされた事務官令嬢ですが、全書類に私の「指紋認証魔術」をかけていたのを忘れましたか?

クラム

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第3話:雪原の拾いもの

国境を越えた先、公国へと続く街道は、容赦のない銀世界に変貌していた。
灰色の雲が低く垂れ込め、叩きつけるような雪礫が視界を白く塗り潰していく。

私は厚手の外套に身を包み、魔導万年筆アーティファクトを握りしめていた。
このペンには、微弱な発熱術式が組み込まれている。
旧帝国では「事務官に支給するには贅沢すぎる」とバルトルトに嫌味を言われた品だが、今は私の指先を凍傷から守る唯一の命綱だった。

「……前方に、異常な魔力反応」

眼鏡のレンズに定着させた走査術式スキャンが、不自然な魔力の淀みを検知した。
雪煙の向こう、立ち往生しているのは一台の巨大な軍用馬車だ。
漆黒の車体には、公国大公家の紋章である「血を流す狼」が刻まれている。
その周囲では、数人の騎士たちが吹雪の中で絶望的な形相で立ち尽くしていた。

「クソッ、魔導核コア・エンジンが完全に沈黙した!このままでは閣下が凍死されるぞ!」

騎士の一人が叫び、雪を蹴り飛ばす。
馬車の足元では、動力を司る魔導回路が凍りつき、青白い火花が弱々しく散っていた。
凍結現象フリーズ。極寒の地で、術式の循環が滞った際に起こる致命的な故障だ。

私は溜息を一つ吐き、馬車へと歩み寄った。
関わりたくはなかったが、ここで道が塞がっていては私も進めない。

「横に退いて。その魔導核コア・エンジン、五秒で直します」

「何だと?貴様、何者だ!邪魔をするな、これは最高機密の——」

騎士の制止を無視し、私はグローブを外して素手を冷たい金属板に押し当てた。
冷気が掌を刺すが、気にするまでもない。
私の脳内には、馬車の内部に張り巡らされた数千の魔導ラインが立体図面として展開されていた。

(……お粗末。術式の交差地点で魔力が飽和しているわ。これじゃあ詰まって当然ね)

私は指先から、針のように鋭く、極小の魔力を流し込んだ。
魂の波形ソウル・シグネチャーによる直接干渉。
詰まっていた魔力の澱みを、物理的に



馬車の奥底で、心臓の鼓動のような重低音が響いた。
直後、凍りついていた回路が一気に熱を帯び、純白の蒸気が雪原に噴き上がる。

「……再起動完了。これで動くはずです」

「な……馬鹿な、専門の技術師が三時間かけてもお手上げだった術式を、指先一つで……?」

唖然とする騎士たちを他所に、馬車の重厚なドアが内側から開かれた。
立ち上る蒸気の向こうから現れたのは、戦場そのものを体現したような、圧倒的な圧力を放つ男だった。

黒髪、そして射抜くような深紅の瞳スカーレット・アイ
公国の大公、アルリック・フェンリス。

彼は、膝をついて平伏する騎士たちに目もくれず、私をじっと見つめた。
その視線は、獲物を値踏みする獣のそれだ。
彼は私の手首を掴むと、手袋越しではない、剥き出しの肌の熱を私に押し付けた。

「貴女……今の術式、どこで学んだ」

「学んだわけではありません。ただの事務作業の応用です、閣下」

私は無表情に答え、彼の手を振り払おうとした。
だが、アルリックの指先は食い込むほどに強く、私の逃走を許さない。
彼の瞳の奥に、暗いと、それを上回る激しい渇望が灯るのを、私は至近距離で目撃した。

「気に入った。この猛吹雪の中、『ただの事務員』を一人で歩かせるほど、俺は寛容ではない。……来い。貴女のその指先が、我が公国の未来になる」

それは招待ではなく、命令。あるいは、逃れられぬの宣告だった。
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