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5.引きこもり龍人と女傭兵
白く輝く世界
しおりを挟む白いもやの世界で、ジェードは一人蹲っていた。
自分しかいない、一人だけの世界。これから自分は、この世界からも姿を消す。
自分がどうなろうと、もうどうでも良いと自暴自棄になっていた。
ふと、誰かに呼ばれた気がして顔を上げる。だが、そこには誰もいない。気のせいかと再度膝に顔を埋めようとした時——
「お前はまだそんな事をしているのか?」
聞き覚えのあるしわがれた声がごく近くに聞こえる。しかし、思考がうまく回らないジェードには誰だか分からない。
「誰……ですか……」
「会ってから時間が経っていないというのに、ショックで全てを忘れたか?」
そう言われ、ジェードはゆるゆると声のした方へ顔を向けた。
「……毒龍さん?」
そこにいたのは、キオ島で死んだはずの毒龍だった。ジェードしかいなかったはずの白い世界に、毒龍の巨躯が存在している。金色の瞳は穏やかにジェードを見下ろしていた。
「どうしてここに……」
「儂の毒がまだ体内に残っていたのが思念として現れたか、それともヒスイの記憶である毒龍が具現化したか……果たしてどちらであろうな?」
毒龍はくつくつと笑った。初めて会った時と同じ雰囲気に、キオ島での出来事が思い起こされる。少し前の話なのに、随分昔の事のようだ。
ジェードは顔を伏せた。殺された毒龍が自分の前に現れるという事は。
「僕に殺されて恨んでいるのですか……?」
対話で解決しようとしていた男に、毒龍は殺された。殺した相手が今にも消えゆく姿を見届けに来たのだろう。
しかし、毒龍は鼻で笑った。
「お前に殺されたのではない。ヒスイに殺されたのだ」
「でも、ヒスイ様の使っていた身体は僕のもので……」
「それに、これは儂が望んだ事でもある」
「……毒龍さんが望んだ事……?」
意味が分からない、とジェードは不思議そうに顔を上げる。毒龍はジェードに気を使っているわけではなく、本心で言っているのが穏やかな瞳から分かった。
毒龍は少しだけ考える素振りを見せる。
「説明するのは難しいな。少しだけ付き合ってもらおう」
毒龍がそう言った直後、辺りが眩い光に包まれる。ジェードは思わず目を瞑った。
ジェードが目を開けると、そこは白いもやの世界ではなかった。
生い茂った森の中にぽつんと湖がある。ジェードは俯瞰の位置からその景色を見下ろしていた。
この場所は見覚えがある。——毒龍のいたマシロ湖だ。
湖の真ん中にいるのは、毒龍だ。しかし、ジェードの隣にも毒龍は存在している。
「これは過去の記憶。今、儂の記憶をお前に見せている」
「昔の毒龍さん……」
悠然とした姿は、昔と変わらない。毒々しい色をしているが、何処か気品を感じさせる過去の毒龍は、湖上から森の奥を見つめていた。
毒龍の視線の先に、何かの気配を感じ、ジェードもそちらを見る。微かな足音が確かなものに変わり、一人の男が現れた。
その男はジェードにそっくりだった。ジェードよりも大人びており、角が生え頬に鱗が生えている。
「……ヒスイ、様?」
ジェードは思わずその男の名を呼んでハッとする。あそこにいる男は、過去のヒスイだ。
白いもやの世界で会う時は小馬鹿にしたような表情を浮かべているヒスイだが、過去の彼は神妙な面持ちであった。
その姿を見、過去の毒龍は驚いた声を上げた。
「まさかその姿はヒスイか? 何故そのような姿に?」
毒龍の問いにヒスイは答えない。バツが悪そうに視線を逸らす。その様子に察した毒龍は「まさか」と目を見開いた。
「……人間を伴侶にしたのか?」
その問いにもヒスイは答えない。沈黙を肯定の意と捉えた毒龍は声を上げて笑った。
「ハハハ、それで龍の姿を失ったのだな。これは傑作だ」
「うるさい。これ以上笑うと殺すぞ」
ヒスイは低い声で唸ったが、毒龍は笑うのを止めなかった。
「……どういう事ですか? ヒスイ様が、人間と……?」
「聞いた事が無かったか? 龍が祖先なのは、人間と番になったからしかあるまい?」
毒龍に言われるまで気付かなかった。龍が祖先なら、ジェードの一族は何処かで人間の血が交わっていないといけない。
昔からおとぎ話のように「龍は祖先」と言われていて、その事実が当たり前だと思っていたから。
しかし、今のヒスイは人間を見下していて、とても人間を伴侶にしたとは思えない。
衝撃的な事実について行けず、動揺していると湖にいる過去の毒龍が口を開いた。
「ヒスイ、その姿では短命になるだろう。リュウソウカはお前ありきだというのに、このままでは滅亡の一途を辿るのでは?」
「龍の加護が無くとも、あそこはやっていける。人間は龍の想像より遥かに超える強さを持っている」
このヒスイは、本当に同一人物なのだろうか。どうしてもジェードの中の彼と認識のズレがある。
自分が短命でも良いと思っているのなら、何故現在は精神だけになり、人間を犠牲にしてまで生き長らえているのか。
隣の毒龍に理由を聞こうとしたが、それよりも先に過去のヒスイが口を開いた。
「そういうお前は、随分と人間に毛嫌いされているようだな?」
「フ……。まさか島民の奴等、儂の討伐をお前に託すとはな」
過去の毒龍は、長く息を吐く。
「ヒスイは人間の強さを感じているようだが、儂は無理だった。人間は浅ましく欲深い。一度痛い目に遭わないと分からないのだ」
「俺とて旧友を殺したくはないし、お前の守って来た島を潰したくはない。理由をつけて封印してやる」
「……そうか。お前は、この島の生末が分かっているのだな」
「魔物が蔓延るこの海域で平穏に過ごせるのは、お前の威光があってからだろう」
「ああ、そうだ」
毒龍は力無く笑う。全てを諦めたかのような、無の感情。
これからヒスイに封印されようとしているのに、毒龍は拒絶をしようともしない。
「抵抗しないのか?」
「少し疲れたから休みたい」
ヒスイは躊躇していたようだったが、ゆっくりと剣を抜く。
今から封印をされようとしているのに、毒龍は肩の荷が下りたかのように、晴れやかな表情だった。
「なあ、ヒスイよ。この先儂が目覚める事があって、もし正気を失う事があれば、その時はお前が殺してくれ」
「お前が目覚める時、俺はきっと死んでいるぞ」
「フ、そうだったな。じゃあ今の言葉は忘れてくれ」
ヒスイは高く跳躍すると、毒龍に向かって剣を振り上げる。毒龍はそっと目を閉じた。
毒龍に刃が届いた瞬間、辺りは再度眩い光に包まれた。
光が収まると、そこは元いた場所の白いもやの世界だった。
目の前に広がっていたマシロ湖はなく、過去のヒスイもいない。ジェードは少しの間その場で呆然としてしまった。
「い、今のは……」
「ヒスイが儂を殺したのは、昔の約束を果たす為だ。だから、お前が気にする事は少しも無い」
隣にいる毒龍は、諭すように言う。
今見せられたのは、実際にあった出来事。過去に毒龍はヒスイによって封印された。
キオ島の歴史書で毒龍を封印した英雄がいると見たが、まさかそれがヒスイの事だったとは。
「……何だか、僕のイメージのヒスイ様と違うように思います。それに、ヒスイ様は精神のまま存在し続けている」
毒龍が嘘の記憶を見せたとは思わないが、過去と今のヒスイは同一人物に見えなかった。
「ああ、儂も驚いたよ。まさか、リュウソウカで生き長らえているとは。いや、生き長らされているというのか」
「生き長らされている……」
ヒスイが精神のままでも現代に留まっているのは自分の意志だと思っていた。しかし過去のヒスイは、リュウソウカは自分がいなくても潰れないと言っていた。
ヒスイを留めているのは、リュウソウカ側ではないか。
「あいつは今もリュウソウカに縛られている。ヒスイは、お前に止めて欲しいのかもしれんな」
ジェードはハッとして毒龍を見上げたが、すぐに顔を伏せる。
「……買い被りですよ。僕はただ、死んでいくだけの男です……」
祖先の龍であるヒスイを止めるなんて大それた事、落ちこぼれの自分には出来ない。
ヒスイが自分に期待しているとも思えない。
「そうか? あの女はそう思っていないようだが?」
ふと、目の前に一筋の光が見える。ジェードがゆっくりと顔を上げると、そこには――
「セルリアさん……!?」
ずっと旅をしてきたセルリアの姿があった。この白いもやの世界にいるのではない。ヒスイの視界から見えている景色が目の前に映し出されていた。
セルリアは剣を構えながら、声を張り上げているようだった。しかし、何を喋っているかまでは聞こえない。
ジェードの瞳に光が灯るが、セルリアと別れた日の事を思い出し、表情を暗くさせる。
「でも、セルリアさんは……僕の中に弟さんを見ているだけで、僕を見ているわけでは……」
「代替品に命を賭けるとでも言うのか?」
毒龍の言葉に、目を見開く。
そうだ、この視界はヒスイのもの。セルリアが相対しているのは、龍のヒスイである。
代替品の為に命を賭けるなんて、有り得ない。
聞こえなかったセルリアの言葉が、耳に届く。
『ジェード!! 貴方が好きだよ!! ここから逃げ出して結婚しよう!!』
「セルリアさん……!!」
涙が溢れた。
ジェードの為に命を張ってヒスイに立ち向かってくれている。自分は出来なかった事を、彼女はやってのける。
ふと、毒龍が巨躯を動かして立ち上がる。
「そろそろ時間だな。生きるも死ぬも、お前の自由だ」
毒龍の姿が薄らと消えていく。ジェードは溢れる涙を慌てて止めて毒龍を見上げた。
「毒龍さん……!」
「お前達なら、きっと未来を――」
毒龍は優しく微笑んで、その姿を消した。その余韻が、淡い紫色の光となって消える。
一人になったジェードは、毒龍の優しさを噛み締め、拳を強く握った。
「毒龍さん、ありがとうございます……」
死して尚、優しき龍はジェードに助言を与えてくれた。毒龍がいなければ、ヒスイの過去もセルリアの言葉も届かなかったかもしれない。
ジェードはゆっくりと立ち上がり、真っ直ぐに前を見据える。
もう、迷わない。
「僕はセルリアさんと共に生きる!!」
ジェードの決意が固まった途端、白いもやの世界が光り輝き出した。セルリアが映し出されていた景色が、より一層光っている。その先に行けば、セルリアの元へ行けるという確信があった。
ジェードは走り出す。もう二度と選択を間違えない。セルリアの隣へ、戻る。
走るジェードの耳元で、セルリアの微かな声が聞こえる。
『ジェード……愛してる……』
「セルリアさん!!」
ジェードは目の前の光に向かって手を伸ばした。
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