引きこもり龍人と女傭兵の脱獄マリアージュ

秋雨薫

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3.毒龍の住まう湖

汚染

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 弓を持った島民達と、無数の矢が刺さり湖で咆哮を上げる毒龍。毒龍に誰が危害を加えたかなど、明白だった。

「あんた達、何をしているの!?」

 セルリアが怒気を含んで叫ぶと、オーキはハッと嘲笑を見せた。

「毒龍など、ただの害!  対話など無用!  対話がしたいなどぬかしおって!!  その御方がいればその心配もいらん!」

 その御方というのは、ウミヘビを倒したジェードの事だろう。当の本人は前髪で目元は見えないが、ギリリと歯を噛み締めているのが見えた。

「さあ、我らが援護をするからとどめを!」
「いい加減にしろ! 僕は決して毒龍さんと戦わない!!」

 セルリアも聞いた事が無かった声を荒げる彼の迫力は、何処か人間離れした印象を受けた。
 そもそも、毒龍に吹き飛ばされて傷一つ無いジェードに違和感を覚えなければならなかったのだ。彼は、確実に出会った時とは違った空気を纏っている。

「ジェ……」

 ジェードが何処かへ行ってしまうかのような感覚に襲われ、思わず彼に手を伸ばしたが、セルリアの手は空を切った。
 ジェードは湖の端まで寄り、毒龍に向かって声を上げる。

「毒龍さん!  しっかりしてください!」
「ア……アアアア……」

 毒龍の金色だった瞳は赤く染まり、喉から低い音を出していた。目の焦点は定まっておらず、ジェードを見ていない。
 毒龍の身体から、ドロリとした黒い粘液が溢れ出す。

「毒龍さん! 正気を失わないで!!」

 ジェードが助走をつけて高く跳躍をすると、毒龍の首付近にしがみついた。しかし、毒龍は今まさに毒を放出している最中だ。湖の中に入って薄まったわけではない原液を直で触っている彼の姿を見て、セルリアの背筋が凍った。

「ジェード! 毒が!!」
「毒消し草を飲んでいるから大丈夫です!」
「じゃあ私も――!」
「セルリアさんは来ないでください! 毒龍さんは僕が止めますから、セルリアさんは島民達をお願いします!」

 セルリアが島民達の方に目を向けると、彼らはまた毒龍に矢を放とうとしていた。ジェードの事が心配だったが、このままでは毒龍どころかジェードにまで矢の被害が及んでしまう可能性がある。
 後に続きたい思いを抑え込んで、セルリアは島民達の方へと走り出した。

「せ、セルリアさん私も……!」

 ずっとへたり込んでいたアイカだったが、セルリアとジェードの話を聞いていた彼女は、セルリアの後を追う。セルリアはアイカが追って来ているのを背中で感じながら、強い怒りを抱いていた。

(せっかく、毒龍さまと話が出来そうっていう所に!!)

 毒龍は確実に島民と話をしようかと気持ちが傾いていた。その機会を、島民達が奪った。共存の道を絶った。
 島民達はオーキに指示され、痛みに身をくねらせる毒龍に向かって弓を構える。

「や……めろ―――!!」

 セルリアは、そう叫びながら島民達の前に立ちはだかった。少し遅れて、アイカも隣に立つ。

「お前はあの方の連れ人か。それに……長の娘である貴女も邪魔をするとは。一体どういう事です?」
「これはこっちのセリフ! 毒龍さまと話し合いが出来そうだったのに、あんた達が邪魔をしたせいで台無しだよ!」
「話し合いなど出来るわけがない! 毒龍はここで殺すしか、我らが生き長らえる術が無くなるのだ!!」
「そんな事ない!! 毒龍さまは優しい龍だよ!! 本当に恐ろしい龍なら、あんた達はとっくに殺されている!!」

 いくらセルリアが説得しようが、オーキ達は聞く耳を全く持たない。殺意の満ちた視線がセルリアに集まる。このままでは、毒龍もろとも射抜かれそうである。
 余所者の話を聞かないならば、とセルリアはアイカの方を見る。アイカは何も言わず、島民達を見つめていた。

「……アイカ?」

 違和感を覚え、思わず彼女の名前を呼ぶ。——見間違いでなければ、彼女の口元は――

「アアアアアアアアアアッ!!」

 毒龍の悲痛と怒りとも聞こえる叫びが、ここにいる人々の鼓膜を震わせた。セルリアは耳を塞ぎながら振り返ると、毒により黒く変貌した毒龍と、その首元で必死にしがみつき何か声を上げているジェードの姿が目に入った。
 ジェードは毒龍に言葉を投げかけているようだが、瞳が真っ赤になった毒龍には届いていないようだった。そんな中——ジェードが毒龍の首元で吐血をした。

「ジェード!?」

 明らかに毒が回っている。このままでは――セルリアの脳裏に、廃人状態となったアイカの父が過った。
 早くジェードを引き離さなくては――と思ったのと、毒龍の喉が大きく膨らんだのは、同時だった。何かを吐き出す構えだと気付いたセルリアは、隣にいたアイカの腕を引っ張って走りながら叫ぶ。

「逃げて!!」

 セルリアの叫びは虚しく、島民達が逃げようとする前に毒龍の毒が口から放たれる方が早かった。
 粘度の高い液体は、広範囲に撒き散らされ、島民達に降りかかる。毒をもろに浴びてしまった島民は、甲高い悲鳴を上げて身体を掻きむしった後——地面に倒れ、息絶えた。
 毒を少し浴びたくらいで廃人状態になってしまう毒だ。完全に被ってしまったら、確実に死んでしまう。
 毒を浴びて死んだ島民達の凄惨な死を見て、セルリアはゾッとしてしまう。あの場に留まっていたら、自分もああなっていた可能性が高い。
 運よく毒を浴びなかった島民達は、毒を浴びた島民達の突然の死に酷く狼狽えているようだった。そんな中、無事だった一人のオーキが叫ぶ。

「やはり毒龍は我らを根絶やしにする気だったのだ! 怯えるな! 今が害を滅せられるチャンスなのだ! 全員、弓を構え!」

 オーキに鼓舞されるが、戦い慣れていない島民達の統率は取れていない。泣き叫ぶ者、腰が抜けてしまった者、身体の一部に毒が付着してもだえ苦しむ者——マシロ湖は、もう阿鼻叫喚だった。

「馬鹿!! 逃げる事だけを考えろ!!」

 口調を荒げてセルリアは激昂する。セルリアに全員を救う力はない。せめて側にいる彼女だけでも助けようと、アイカを大木の裏に座らせる。

「アイカ、ここに隠れていて。あたしはやらなくちゃいけない事があるから……!」
「セルリアさん……!」

 アイカの呼び止める声を無視し、セルリアは走り出した。
 吐血していたジェードの様子が心配だ。今すぐにでも助けに行きたいが、マシロ湖は毒に侵されており、考え無しに入ったらすぐに死んでしまうだろう。
 龍ではないが、魔物なら何度も討伐してきた。怒りで我を失っている今の毒龍なら、動きも荒く、予測出来るはず。
 そう思ったが――その必要は無かった。首元にしがみついていたジェードは力を失ったようで、毒龍が首を大きく振った反動により、吹き飛ばされた。

「ジェード!!」

 セルリアは、ジェードが飛ばされた方向へ行き先を変える。
 毒龍は咆哮しながら、翼をはためかせて宙へ浮く。その翼のはためきにより辺りに強風が吹き荒れて、セルリアは歩を止めて飛ばされないように両足に力を込めた。
 強風のお陰で先程よりも霧が晴れてきたので、視界は良好だ。セルリアは、迷いなくジェードの元へと駆け寄った。

「ジェード!!」

 仰向けに倒れたジェードは、細い呼吸をしていた。毒のせいか、一部の肌が黒ずんでいる。直接抱き起したい衝動に駆られたが、それではセルリアも毒を浴びてしまう。動揺をしながらも、セルリアは白い上着を脱いで仰向けのジェードに被せた。

「ジェード、これを飲んで……!」

 セルリアが取り出したのは、念の為にアイカからいくつか渡されていた毒消し草を煎じて粉状にしたものを入れた小瓶だ。ジェードの口元に毒消し薬を押し当てるが、飲もうとする気配はない。そうこうしている間にも、ジェードの呼吸が浅くなっていく。

「……このままじゃ……!」

 自分に毒が回っても、構わない。セルリアに迷いはなかった。セルリアは、毒消し薬を自身の口の中へ入れ、もう一つ容器を取り出し、中に入った水を口に含む。
 そして、苦痛の表情を浮かべているジェードに顔を近付け――彼の唇に自身のそれを重ね合わせた。
 セルリアの口からジェードの口へと、薬が移動する。ジェードの喉が動いたのを確認して、セルリアはジェードから顔を離した。
 先程より顔色は良くなったが、まだ容体は良くない。毒龍の強い毒を浴びたのだから、この薬も申し訳程度しか効かないかもしれない。
 背後で激しい衝突音と、島民達の悲鳴が聞こえる。我を失った毒龍が暴れ狂っているのだろう。

「ジェード、お願い……起きて……」

 そんな中でも、セルリアはジェードだけの心配をしていた。どうか、助かって欲しい。その思いでいっぱいだった。

「もう、誰かがいなくなるのは、嫌……」

 セルリアの口から、震えた声が聞こえた時だった。

「う……」

 ジェードが、か細い声を出した。


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