20 / 43
3.毒龍の住まう湖
沈む
しおりを挟む「ジェード! 良かった、意識戻った……!」
声が聞けただけで、セルリアは目頭が熱くなる。だが、ジェードの様子がおかしい。
「や、やめろ、僕は……」
顔を青ざめさせて、何かを恐れている。手を使い、何かを振り払おうとしている。
しかし、セルリアの視界には何も映らない。
「ジェード、どうしたの? 何もいないよ?」
「僕は、僕が、この状況を――うぐぅ!!」
突然、ジェードが頭を抱えて苦しみ出した。その反動で、かけていたセルリアの上着が落ちてしまう。
「ジェード!?」
ジェードの苦しみ方は、毒によるものではないようだった。まるで、内側から溢れ出すものに抗っているかのような――
「っ、ジェードしっかりして!!」
ジェードにセルリアの声は届いていないようだった。ただ「出て来るな」と何度も言い、頭を抱えて悶える。その言葉で、ジェードが何に苦しんでいるか察してしまった。
「ジェード! 気をしっかり持って!!」
内なる龍が出てこないように、セルリアは必死で何度も呼びかける。やがて、ジェードの動きが止まった。そして、ゆっくりと瞼を開く。
長い前髪から覗く瞳は、赤ではなく金色だった。
ウミヘビを討伐した時は赤色だったのに、まるで毒龍と同じ金色の瞳。あれ程苦痛に顔を歪めていたというのに、今は恐ろしい程の無。
ジェードは無表情のまま、ゆっくりと上半身を起こした。コキリと首を鳴らし、右腕を回す。
「ウム……一度入れ替わった時よりもしっくり来るな」
声色は低く、普段のジェードからは無い威圧感がセルリアの額に冷や汗を滲ませた。
「貴方……ジェードじゃない……! ジェードの中にいる龍……!」
「随分と不躾な娘だな。だが、お前にはこの身体を救ってもらった恩もある。悪いようにはせんよ」
ジェードの中の龍——ヒスイは、くつくつと喉の奥で笑って立ち上がった。
彼の身長はセルリアよりもやや低いが、ヒスイは威圧感からか、自分よりもかなり大きく見えた。
キィン、と耳鳴りがした。全身の細胞が、この龍には逆らうなと警鐘を鳴らしているような感覚。
しかし、セルリアは全身から溢れ出す恐怖に蓋をし、ヒスイを睨む。顔はジェードなのに、口元を歪めて笑う表情が彼ではなかった。
「早くジェードの中から出て行ってよ!! その身体はジェードのものよ!!」
「戻ってやっても良いが、そうしたらこの男は毒によって死ぬぞ」
「え……!?」
「毒龍の毒は人間には解毒出来ん。だが、俺であればこの毒を分解する事が出来る。今戻ったら、その機会は失われる」
その情報は信じていいのだろうかと、判断が鈍る。嘘であると証明も出来ないし、仮に本当だった時、ジェードの命が無くなってしまう。
「——っ、本当に、ジェードを助けられるの……?」
「俺は嘘を吐かない。人間を欺いても無意味だからな」
ジェードの身体を支配するヒスイが恐ろしく、今すぐにでも出て行って欲しいが、彼を治せるのがこの龍しかいないのならば、藁にも縋る思いだ。
セルリアは悔しさを滲ませながら、ゆっくり頷いた。
「お願い、ジェードを助けて……」
「フ……欲深く素直な人間は嫌いじゃない」
そう言った直後、ヒスイの額から龍の角が生え、頬や手の甲に龍の鱗のようなものが生える。
その姿は、まさに龍人。黒ずんでいた皮膚は消え、彼の身体から毒が少しずつ消えていくのが視覚でも分かる。
「フム、解毒には少し時間がかかりそうだな。それまでどうしようか――」
直後、辺りに轟音が鳴り響き、何人もの悲鳴が聞こえた。毒龍が、島民達を攻撃しているようだ。
ヒスイは少し考える素振りをしてから、犬歯の目立つ歯を見せて笑った。
「そうだ。あの毒龍を殺してみようか。欲深い人間共の“後悔する”末路が見られるからな」
「え!? ちょっと待——」
セルリアの制止の途中で、ヒスイはその場で高く跳躍した。そして背中から蝙蝠のような翼が生え、何度か羽ばたかせる。
逃げ惑う島民の一人が、ヒスイが宙に浮いている事に気が付いた。
「おお! ウミヘビを倒した者が、毒龍を殺しに来てくれたぞ!!」
「ああ、有難い……! 早くこの龍を殺してくれ!!」
毒をまともに食らった島民の死体がいくつも転がる中で、生き延びている島民達は涙を流しながらヒスイに懇願する。
ヒスイは鼻を鳴らして嘲笑した。
「何も出来ない弱者が喚くな」
自分よりも上で飛んでいるヒスイに気付いた毒龍は、咆哮を上げてヒスイに襲い掛かる。
怒りで自我が消失しているようで、親交のあったヒスイだとは気づいていないようだった。
「はははっ! 人間に謀られ正気を失うとは、何とも哀れな龍よ!」
そんな毒龍をヒスイは嘲笑い、毒龍の突進を軽々と避けた。更に毒龍は、身体から黒い液体を出し、ヒスイに向かって放つ。
「お前の毒は以前食らった事があるから、簡単に毒を分解出来る。お前じゃ俺は殺せんよ」
毒を避けながら、ヒスイは親指と人差し指で輪を作って息を吹きかけると、炎が舞い上がった。
ジェードが脱獄の際に吐き出した炎よりもケタ違いの勢いにより、毒龍の身体は炎に包まれる。けたたましい悲鳴を上げて、毒龍の身体はマシロ湖へと落下した。
毒龍が落下した事により、毒に侵された湖が大波となり、島民達を襲う。また何人もの島民が犠牲になってしまった。
そして辺りに肉が焦げる臭いが充満する。大波から逃れていたセルリアは、鼻を摘まみながら空にいるヒスイを見上げる。
こんな事は、絶対にジェードが望んでいない展開だ。
「やめて!!」
セルリアは、必死の懇願をする。声が届いたようで、ヒスイはこちらを見下ろした。龍の角によって、長い前髪が上がり金色の瞳は露わになっている。彼は、ジェードのように穏やかに微笑んだ。
一瞬、ジェードが戻ったのかと思ってセルリアの表情が若干緩んだが、その思いは打ち砕かれた。
すぐに残忍な笑顔に戻ると、ヒスイは急降下し、マシロ湖の中でもだえ苦しむ毒龍の首を鋭い爪で切り裂いた。
赤黒い液体が勢いよく噴き出し、霧が赤く染まったように見えた。毒龍は声にならない呻き声を漏らし、首を湖の淵へゆっくりと倒した。
波紋の続くマシロ湖が、黒から赤に染まっていく。少しの間静寂が訪れたが、一番先に声を上げたのはオーキだった。
「おおお!! 毒龍を一撃で……!! 流石ウミヘビを倒した御方!!」
その声に遅れて、島民達が歓声を上げる。——毒で息絶えた者達の死を悼まず。
ヒスイは島民達が喜ぶ様を見下ろしながら、ニヤニヤと笑っていた。何が楽しいのかと、セルリアに怒りが湧き上がる。
ヒスイに対して怒りをぶつけようと大股で歩き出そうとした時——力無く咳き込む声が聞こえた。セルリアはハッとして、その声の方へと向かった。
咳き込む声の主は、毒龍だった。湖の淵に顔を力無く乗せている。
「毒龍さま!」
ヒスイに斬られた傷は深く、血は止まりそうもない。もう助からないのは明白だった。
誰も、毒龍を気に掛けない。島民達は涙を流して喜んでいる。
この悲劇は避けられるものだった。それなのに、手からすり抜けて落ちてしまった。セルリアは、何も出来なかった自分に腹が立った。
毒龍は、薄らと目を開いて近寄って来たセルリアに視線を送った。
「ああ、儂は死ぬのか……。やはり、人間は愚かだ……。目先の恐怖を取り除く、為に……未来の絶望に気付いていないのだから……」
「毒龍さま、ごめん……。貴方を助けられなかった……」
「お前のせいではない……。感情をコントロールできなかった儂が悪いのだ。お前はこの島の為に動いていてくれたというのに……こんな結果になって、すまなかった」
毒龍の口調は、初めに会った時のように穏やかだった。
「どうして、こんな結果になるの……。貴方は、ただこの島を愛していただけだったのに……」
「きっと、龍と人間は相容れない存在なのだ。共存は、不可能」
「そんな事、ない……!」
セルリアは大きく首を振って否定する。龍と人間が共存できないというのなら、セルリアとジェードは、一緒には生きられないという事になる。
涙が溢れる。あまりにも、悲しい結末。最初はこの毒龍を恐れたセルリアだったが、会話を何度かする内に、彼の根底にある優しさに気付いた。
「……どうして、儂の為に泣く。儂がいなくなれば、解決ではないか……」
「こんな結末望んでない! あたしは……毒龍さまもアイカも生きていて欲しかった……!」
「……そんな心を持つ者もいたのか……人間も、まだ捨てたものじゃないな……」
毒龍が何度も咳き込み吐血する。もう長くはない。セルリアの瞳から涙がいくつも零れ落ちる。
「お前“だけ”でも、儂を思ってくれた事……とても嬉しく思う……。儂が死んだら、早くここを……。……。」
毒龍の言葉は最後まで紡がれる事はなく、ゆっくりと目を閉じ、その生涯を終えた。
「……私、だけ……?」
毒龍の死を悼みながら、最期の彼の言葉が、妙に引っかかった。
0
あなたにおすすめの小説
はじめまして、私の知らない婚約者様
有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。
見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。
けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。
ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。
けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。
この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。
悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに?
※他サイトにも掲載しています。
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
さようならの定型文~身勝手なあなたへ
宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」
――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。
額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。
涙すら出なかった。
なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。
……よりによって、元・男の人生を。
夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。
「さようなら」
だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。
慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。
別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。
だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい?
「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」
はい、あります。盛りだくさんで。
元・男、今・女。
“白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。
-----『白い結婚の行方』シリーズ -----
『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。
【完結】ジュリアはバツイチ人生を謳歌する
ariya
恋愛
エレン王国の名門貴族・アグリア伯爵家に嫁いだジュリア・アグリア(旧姓ベルティー)。
夫のアベル・アグリア伯爵は、騎士として王妃の護衛任務に没頭し、結婚翌日からほぼ別居状態。
社交界のパーティーでは妻のエスコートを代理人に任せ、父の葬儀にも顔を出さず、事務的な会話と手紙のやり取りだけの日々が続く。
ジュリアは8年間の冷遇に耐え抜いたが、ある朝の食事中、静かに切り出す。
「私たち、離婚しましょう」
アベルは絶句するが、ジュリアは淡々と不満を告げる。
どれも自分のしでかしたことにアベルは頭を抱える。
彼女はすでに離婚届と慰謝料の用意を済ませ、夫の仕事に理解を示さなかった「有責妻」として後腐れなく別れるつもりだった。
アベルは内心で反発しつつも、ジュリアの決意の固さに渋々サイン。
こうしてジュリア・アグリアは、伯爵夫人としての全てを置き去りにし、バツイチ人生を開始する。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる