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会社を持つと守るべきものが多くなる。鳥居食品を若くして継いだ俺は、そう実感していた。
自分の妻や息子だけでなく、従業員も家族と呼べる存在なのだ。
だが、不況により業績が悪化。会社が倒産と決まった時、社員に恨み言を吐かれた。
家族同然でやってきた。それなのに、一度関係が崩れると人はこうも手の平を返すのか。
不幸は続く。妻とは離婚。一人息子は連れていかれ、俺は小汚いアパートに一人住まい。
倒産した時の借金も抱え俺にはもう―――何も残っていなかった。
絶望で打ちひしがれている俺の前にある光景が映った。孫と公園で遊び、幸せそうにしている間宮銀次郎が。
その時だろう。俺の心に深くて真っ黒な感情が生まれたのは。
「……銀次郎。お前を俺と同じようにしてやる」
それから俺は計画的な犯行を起こすため動き始めた。
あいつの孫を誘拐し手紙で脅迫。同封しておいたプリペイド式の携帯電話で命令し、屈辱を味あわせてやった。孫の命のためにピエロになっていく姿は滑稽で、俺を大いに楽しませた。
最後の仕上げは世間の笑いものにしてやることだった。
マスコミや警察など流れは予定通り。最後のメールには孫を救いたいなら狂言誘拐だったと自白しろ、と送ってやった。
その後、銀次郎は捕まり、世間は前代未聞の狂言誘拐事件だと騒ぎ出す。間宮製菓は倒産寸前のところまでいき、俺の復讐は果たされたといってもいいだろう。
訪れる満足感と虚無感。俺は抜け殻になろうとしていた。
朝。
いつも通り日雇いのバイトに行く準備をしている俺の耳に、あるニュースが聞こえてくる。
『偽装誘拐事件で騒がれた間宮銀次郎氏が保釈されることとなりました。保釈金は―――』
保釈されてもあいつはいつまでも犯罪者。虚言壁の馬鹿扱い。これからもずっと地獄を見るだろう。
俺の顔は満面の笑みを浮かべているだろう。
ふ、ふふ。目的が出来た。 マスコミに囲まれ、疲弊しきった奴の顔を眺めるのもいいだろう。
いつもより軽い足取りで仕事場へと向かった。
仕事は夜遅くまで続き、銀次郎の様子を窺いには行けなかった。
まあいい、いくらでもチャンスはある。
ボロい扉を開けたときヒラリ、と一枚の封筒が落ちた。中を開けてみるとワープロで書かれた機械的な文字が並ぶ。
『狂言誘拐事件の真犯人はお前だ。明日夜12時に鳥居食品の工場で待つ。間宮銀次郎より』
「……は、はは。なんだ。わかってたのか銀次郎。いいだろう会ってやるよ。地獄をみせるためにな」
♢
鳥居食品の加工工場に来たのは何日ぶりだろうか。倒産するときにこの工場は売り払ってしまった。
さび付いている扉を開けると昔と様変わりした光景が目に入る。天井には穴が開き、ガラクタで物が溢れ土埃まみれ。
だが幸い電気は一部通っている。少ない電球のおかげで暗いが見えないこともない。
予定時間になっても銀次郎の姿はない。騙されたのか? いや、あの手紙を書けるのは犯人の予想がつく銀次郎だけだ。
「出てこい銀次郎! 俺に用があるんだろ!」
ガシャン、と物が落ちた音が鳴る。振り向くとゴリラーマンの着ぐるみが仁王立ちしていた。
「なんだあ、その格好は。俺への当てつけか。ええ、そうだんだろ! 俺が送ったメールでお前は沢山の恥をかいたからなあ!」
ゴリラーマンは動じない。その態度がさらに俺をイラつかせる。
「ふざけやがって、俺への復讐のつもりか?! お前に復讐する権利なんてないぞ、お前が俺を地獄に落としたんだからな! だから俺がお前を地獄に落としてやったんだ! どうだよ、今の気分はさあ!」
息が荒くなるほど叫んでもゴリラーマンは動じない。それどころかゆっくりと、こちらに向かって歩き出してくる。
「な、なんだよ……俺を殺す気か? ふざけんなよ、俺だって覚悟してここにきてんだ。犯罪に手を染めちまったらもう、戻れないんだよぉ!」
俺は用意していたナイフを取り出す。こうなったらもう殺るしかない! 両手に握りしめて走り出そうとしたとき、目の前にいるはずの存在の声が背後から聞こえてくる。
「やめるんだ、正彦くん! これ以上罪を重ねるんじゃない!」
振り返ると機械の陰から、間宮銀次郎と白い犬が出てきた。
「……な、なんで。あんたはきぐるみを着て―――」
「―――武蔵野公園前派出所所属、大上奈々枝巡査長です。あなたの先ほどまでの発言についてお聞きしたいことがあります。ご同行を」
「―――ッ!」
ゴリラーマンの頭を脱いだ正体は女だった。その時気づく。俺は騙されたのだと。
♢
我輩の作戦はリスクの高いものだった。証拠がないなら自白させる。間宮製菓倒産の危機で時間が無い今、強引な方法で犯人を追い詰めるしかなかったのだ。
間宮銀次郎さんを説得し、ゴリラーマンのきぐるみで犯人を逆上させ喋らせる。綱渡りとも言えるこの作戦は成功したといっていいだろう。
「騙しやがったな! 銀次郎、お前はどこまで俺をこけにするんだ!」
「君の父親から続く契約を切ってしまったのは申し訳ない。だが、私にも守るべき家族と社員がいるんだ」
「うるさい、うるさい! 俺の幸せを返してくれよ、鳥居食品が潰れる前によぉ……どうせ捕まるんだ。お前を殺してやる、道連れだ!」
そう言って鳥居正彦は間宮銀次郎に向かって走り出す。彼は激情のままに殺すつもりなのだろう。
だが、我輩は存在を忘れてもらっては困る!
「ガウッ!(甘い!)」
跳躍。
我輩の鋭い牙は犯人の右腕を捕らえて離さない。
そしてその隙を逃さず、奈々枝の回し蹴りが決まる。
「ぐはっ!」
犯人は吹き飛ばされ倒れこむ。ナイフも明後日の方向へ。すかさず手錠をかけ確保する。
これで事件は解決である。
「やるじゃん、ヨシオ!」
「ワン!(当然である!)」
親指を立てて嬉しそうにする奈々枝。ゴリラーマンのきぐるみを着てる姿はなかなかにシュールである。
間宮銀次郎がこちらに来て礼を言う。犯人を確保したが表情はすぐれない。
「このたびはなんとお礼を言ったらいいか。これで間宮製菓は救われます。私や家族、社員への誹謗中傷も」
「よかったです。でも、あまり嬉しそうじゃないですね」
「正彦くんは子供の頃から知っている子なんだ。不況とはいえ私の判断によって彼を苦しめた。それが悲しくてね」
我輩は思う。この事件に根っからの悪人はいなかったと。しかし、人は金や仕事のことでしがらみが増えていく。
そしてそれはいつしか人を狂わせ、破滅に導くことがある、と。
この鳥居正彦という犯人も好景気なら犯罪に手を染めることもなかったはず。世の不条理を感じる一幕であった。
♢
あれから数日が経ち、武蔵野公園前派出所はいつも通りの時間が流れていた。昼間の日差しに誘われ奈々枝と我輩はそろって大きなあくびをしてしまう。
そこへ外回りから帰ってきた沖野はあわただしい。
「なに仲良く二人で口開けてんすか。ほら、先輩。この記事読んでくださいよ」
「なによ吉武うるさいわね。なになに間宮製菓が旧鳥居食品の工場を買収。元職員も希望があれば採用する異例の采配……そっか。それが銀次郎さんの贖罪なんだね」
我輩も覗き込むと一面に写真がのっており、間宮製菓職員が全員で笑顔になって写っている。
その中には間宮優奈と祖母もいる。どちらも元気そうである。
「あれからマスコミの手の平の返しようは凄かったっすからね。一般市民もバツが悪かったのかゴリラチョコの売り上げは驚異の前年比200パーセント増しっすよ」
「ま、世の中なんてそんなもんよね。吉武も情報に踊らされるんじゃなくて、自分の目で見たものを信じなさい!」
「でた。先輩お得意の説教」
なんですって~! と、沖野を追いかけまわす奈々枝。いつもの平和な光景である。
こうして武蔵野公園前派出所と名警察犬ヨシオの日々は過ぎていくのである。
自分の妻や息子だけでなく、従業員も家族と呼べる存在なのだ。
だが、不況により業績が悪化。会社が倒産と決まった時、社員に恨み言を吐かれた。
家族同然でやってきた。それなのに、一度関係が崩れると人はこうも手の平を返すのか。
不幸は続く。妻とは離婚。一人息子は連れていかれ、俺は小汚いアパートに一人住まい。
倒産した時の借金も抱え俺にはもう―――何も残っていなかった。
絶望で打ちひしがれている俺の前にある光景が映った。孫と公園で遊び、幸せそうにしている間宮銀次郎が。
その時だろう。俺の心に深くて真っ黒な感情が生まれたのは。
「……銀次郎。お前を俺と同じようにしてやる」
それから俺は計画的な犯行を起こすため動き始めた。
あいつの孫を誘拐し手紙で脅迫。同封しておいたプリペイド式の携帯電話で命令し、屈辱を味あわせてやった。孫の命のためにピエロになっていく姿は滑稽で、俺を大いに楽しませた。
最後の仕上げは世間の笑いものにしてやることだった。
マスコミや警察など流れは予定通り。最後のメールには孫を救いたいなら狂言誘拐だったと自白しろ、と送ってやった。
その後、銀次郎は捕まり、世間は前代未聞の狂言誘拐事件だと騒ぎ出す。間宮製菓は倒産寸前のところまでいき、俺の復讐は果たされたといってもいいだろう。
訪れる満足感と虚無感。俺は抜け殻になろうとしていた。
朝。
いつも通り日雇いのバイトに行く準備をしている俺の耳に、あるニュースが聞こえてくる。
『偽装誘拐事件で騒がれた間宮銀次郎氏が保釈されることとなりました。保釈金は―――』
保釈されてもあいつはいつまでも犯罪者。虚言壁の馬鹿扱い。これからもずっと地獄を見るだろう。
俺の顔は満面の笑みを浮かべているだろう。
ふ、ふふ。目的が出来た。 マスコミに囲まれ、疲弊しきった奴の顔を眺めるのもいいだろう。
いつもより軽い足取りで仕事場へと向かった。
仕事は夜遅くまで続き、銀次郎の様子を窺いには行けなかった。
まあいい、いくらでもチャンスはある。
ボロい扉を開けたときヒラリ、と一枚の封筒が落ちた。中を開けてみるとワープロで書かれた機械的な文字が並ぶ。
『狂言誘拐事件の真犯人はお前だ。明日夜12時に鳥居食品の工場で待つ。間宮銀次郎より』
「……は、はは。なんだ。わかってたのか銀次郎。いいだろう会ってやるよ。地獄をみせるためにな」
♢
鳥居食品の加工工場に来たのは何日ぶりだろうか。倒産するときにこの工場は売り払ってしまった。
さび付いている扉を開けると昔と様変わりした光景が目に入る。天井には穴が開き、ガラクタで物が溢れ土埃まみれ。
だが幸い電気は一部通っている。少ない電球のおかげで暗いが見えないこともない。
予定時間になっても銀次郎の姿はない。騙されたのか? いや、あの手紙を書けるのは犯人の予想がつく銀次郎だけだ。
「出てこい銀次郎! 俺に用があるんだろ!」
ガシャン、と物が落ちた音が鳴る。振り向くとゴリラーマンの着ぐるみが仁王立ちしていた。
「なんだあ、その格好は。俺への当てつけか。ええ、そうだんだろ! 俺が送ったメールでお前は沢山の恥をかいたからなあ!」
ゴリラーマンは動じない。その態度がさらに俺をイラつかせる。
「ふざけやがって、俺への復讐のつもりか?! お前に復讐する権利なんてないぞ、お前が俺を地獄に落としたんだからな! だから俺がお前を地獄に落としてやったんだ! どうだよ、今の気分はさあ!」
息が荒くなるほど叫んでもゴリラーマンは動じない。それどころかゆっくりと、こちらに向かって歩き出してくる。
「な、なんだよ……俺を殺す気か? ふざけんなよ、俺だって覚悟してここにきてんだ。犯罪に手を染めちまったらもう、戻れないんだよぉ!」
俺は用意していたナイフを取り出す。こうなったらもう殺るしかない! 両手に握りしめて走り出そうとしたとき、目の前にいるはずの存在の声が背後から聞こえてくる。
「やめるんだ、正彦くん! これ以上罪を重ねるんじゃない!」
振り返ると機械の陰から、間宮銀次郎と白い犬が出てきた。
「……な、なんで。あんたはきぐるみを着て―――」
「―――武蔵野公園前派出所所属、大上奈々枝巡査長です。あなたの先ほどまでの発言についてお聞きしたいことがあります。ご同行を」
「―――ッ!」
ゴリラーマンの頭を脱いだ正体は女だった。その時気づく。俺は騙されたのだと。
♢
我輩の作戦はリスクの高いものだった。証拠がないなら自白させる。間宮製菓倒産の危機で時間が無い今、強引な方法で犯人を追い詰めるしかなかったのだ。
間宮銀次郎さんを説得し、ゴリラーマンのきぐるみで犯人を逆上させ喋らせる。綱渡りとも言えるこの作戦は成功したといっていいだろう。
「騙しやがったな! 銀次郎、お前はどこまで俺をこけにするんだ!」
「君の父親から続く契約を切ってしまったのは申し訳ない。だが、私にも守るべき家族と社員がいるんだ」
「うるさい、うるさい! 俺の幸せを返してくれよ、鳥居食品が潰れる前によぉ……どうせ捕まるんだ。お前を殺してやる、道連れだ!」
そう言って鳥居正彦は間宮銀次郎に向かって走り出す。彼は激情のままに殺すつもりなのだろう。
だが、我輩は存在を忘れてもらっては困る!
「ガウッ!(甘い!)」
跳躍。
我輩の鋭い牙は犯人の右腕を捕らえて離さない。
そしてその隙を逃さず、奈々枝の回し蹴りが決まる。
「ぐはっ!」
犯人は吹き飛ばされ倒れこむ。ナイフも明後日の方向へ。すかさず手錠をかけ確保する。
これで事件は解決である。
「やるじゃん、ヨシオ!」
「ワン!(当然である!)」
親指を立てて嬉しそうにする奈々枝。ゴリラーマンのきぐるみを着てる姿はなかなかにシュールである。
間宮銀次郎がこちらに来て礼を言う。犯人を確保したが表情はすぐれない。
「このたびはなんとお礼を言ったらいいか。これで間宮製菓は救われます。私や家族、社員への誹謗中傷も」
「よかったです。でも、あまり嬉しそうじゃないですね」
「正彦くんは子供の頃から知っている子なんだ。不況とはいえ私の判断によって彼を苦しめた。それが悲しくてね」
我輩は思う。この事件に根っからの悪人はいなかったと。しかし、人は金や仕事のことでしがらみが増えていく。
そしてそれはいつしか人を狂わせ、破滅に導くことがある、と。
この鳥居正彦という犯人も好景気なら犯罪に手を染めることもなかったはず。世の不条理を感じる一幕であった。
♢
あれから数日が経ち、武蔵野公園前派出所はいつも通りの時間が流れていた。昼間の日差しに誘われ奈々枝と我輩はそろって大きなあくびをしてしまう。
そこへ外回りから帰ってきた沖野はあわただしい。
「なに仲良く二人で口開けてんすか。ほら、先輩。この記事読んでくださいよ」
「なによ吉武うるさいわね。なになに間宮製菓が旧鳥居食品の工場を買収。元職員も希望があれば採用する異例の采配……そっか。それが銀次郎さんの贖罪なんだね」
我輩も覗き込むと一面に写真がのっており、間宮製菓職員が全員で笑顔になって写っている。
その中には間宮優奈と祖母もいる。どちらも元気そうである。
「あれからマスコミの手の平の返しようは凄かったっすからね。一般市民もバツが悪かったのかゴリラチョコの売り上げは驚異の前年比200パーセント増しっすよ」
「ま、世の中なんてそんなもんよね。吉武も情報に踊らされるんじゃなくて、自分の目で見たものを信じなさい!」
「でた。先輩お得意の説教」
なんですって~! と、沖野を追いかけまわす奈々枝。いつもの平和な光景である。
こうして武蔵野公園前派出所と名警察犬ヨシオの日々は過ぎていくのである。
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