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第一章
08 . 忠誠
しおりを挟む窓の外では、夜明け前の白んだ雨がしとしとと降り続いていた。
事後の重い沈黙が流れる寝室。
久我は、隣で静かに呼吸を繰り返す嵯峨の気配を肌で感じながら、ゆっくりと目を開けた。
身体は鉛のように重く、節々が鈍く痛む。特に嵯峨に強く握られた手首と、深く貫かれた下腹部には、逃れようのない熱が残っていた。
そんな中、久我は昨夜の行為を一切「愛」によるものだとは露ほども思っていなかった。
久我とって、嵯峨蓮次は絶対的な主君であり、自身はその命に従うだけの道具に過ぎない。
だから余計な感情は持たぬよう自制する必要があった。
昨夜の情事も、忠誠という名の契約の延長線上にある儀式のようなものだったのだと自分に言い聞かせ、久我は呼吸を整えた。
久我がベッドから抜け出し、床に散らばった衣類を拾い上げていると、背後で衣擦れの音がした。
「……どこへ行く、怜」
低く、まだ眠気を帯びた嵯峨の声。久我は動きを止めず、背中を向けたまま答えた。
「朝一番で、成瀬のシマの若い衆をまとめに行かねばなりません。裏切り者が出たとなれば、下の連中も動揺します」
「……相変わらず、可愛げのない奴だ」
嵯峨が起き上がり、ベッドの端に腰を下ろす。
久我はクローゼットに綺麗に整えられてかけてあったシャツを着てボタンを一つずつ丁寧にはめていく。
「可愛げなど、私には不要なものです。若頭の右腕として機能すること、それだけが私の存在意義ですので」
その言葉に、嵯峨は鼻で笑った。
彼は立ち上がり、久我の背後からその細い腰に腕を回す。サラシが巻かれた肩に、嵯峨の硬い顎が乗せられた。
「道具か。……ならば、その道具をより研ぎ澄ませてやるのが俺の役目と言うわけか」
少し不満げな口調で言い捨てた。
無理もないだろう、ついこの前の料亭で、自分を「道具」と言った久我に対し、自分の欲を見せるようなことを口にしたばかりなのにこの対応だからだ。
嵯峨の手が、シャツの上から久我の傷口を軽く突ついた。久我は微かに身を震わせたが、拒むことはしない。
「大滝が奪った『ブツ』だが……。昨夜、成瀬が死ぬ間際に吐いた場所にはなかった。あいつは、さらに別の奴に流していたらしい」
久我の瞳に、鋭い光が戻る。
「……あの人の上に、まだ誰かがいると?」
「ああ。おそらく、本家の幹部クラスだ」
「神代組……いや、本家である九条組を内側から食い破ろうとしている奴がいる」
事態は、一地方組織の抗争を越え、組織全体の権力闘争へと発展しつつあった。
久我は、嵯峨の腕の中で静かに思考を巡らせる。自分がこの男を守り抜くためには、これからの戦い、今まで以上に血を流すことになるだろう。
嵯峨は久我を自分の方へ向かせると、その冷たい頬を掌で包み込んだ。
「怜、お前は俺だけを見ていればいい。他の雑音は俺が消してやる」
久我はその強い視線を真っ向から受け止めた。そこにあるのは、絶対的な主従としての覚悟だった。
「お言葉ですが……若頭、私は貴方の影です」
「貴方が進む道の障害は私が全て排除し、若頭が身を案ずることがないよう、この身…命が尽きるまで貴方を支えるのが私の役目です」
久我は、嵯峨の手に自分の手を重ねた後に、その手を離して深々と頭を下げた。
その仕草はあまりに献身的で、しかしどこか人間味を欠いた美しさがあった。
「っ………」
嵯峨は何か言いたげな顔をしてから口を閉じ、久我から目を逸らし静かに立っていた。
暫くして、時が止まったかのように静まり返る部屋に無機質な機械音が鳴り響いた。
「俺だ、要件は何だ」
嵯峨が近くに置いてあったスマホを手に取り、話だした。
その間に久我は体制を直し、ズボンにベルトを通して身なりを整える。
嵯峨のスマホから漏れる声を聞いていると、どうやら主犯格...九条組を食い荒らそうとしている奴の情報が入ったらしい。
久我はこの世界に入ってからと言うもの、情報特定の速さには毎度驚かされていた。
ピッと通話終了を知らせる音が鳴ったと思えば、嵯峨は着替えを終えた久我に向き直った。
「怜、本家に今から行く」
「承知しました」
その言葉を合図に、二人はまだ雨の残る街へと繰り出す。次なる標的は、組の深部に潜む巨悪。
久我怜の「忠誠」という名の刃が、再び闇の中で研ぎ澄まされていくことになるのだった。
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