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ステップ1 拠点を造ろう

004 育たない作物

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「クゥ~マァ~……」
「お疲れさま、キンタ」
「おつかれー」

 軽く腰を落とし、両腕を前に突きだした妙のポーズで息と熱を吐き出す大熊のキンタに、小さな女の子のモモを抱いた男が声をかけた。
 さらに数度、ゆっくりと呼吸法を行ってからキンタは返事を返した。

「クマ」

 さっと右手を上げて「それほどでもない」とアピールするキンタだったが、男はキンタの後方に延々と続く荒野の溝を見ながら苦笑した。

「まあ、なんだ。また強くなったな、お前」

 色々と言いたい事やツッコみたい事もあった男だが、今更かと一言ですませた。

「クマー」

 しかし言われた方のキンタは自分の仕事の出来に今一つ納得していなかった。
 遠方にある川から溝を引き、水路を引いて来るようにとキンタは男に依頼されていたのだが。それを昼過ぎには終わらせる予定だったと不満げに鳴いたのだった。

 無茶を言う熊である。一番近場の川から拠点までの距離はおおよそで4キロメートル強。それを大人の胸の上ほどの深さと、両手を広げたほどの幅で掘ろうと思えば、常人がキンタと同じ一人でやればとっかかりでも数カ月の仕事である。それを素手で一日とかからずやり遂げておいて不満などと、キンタの持つ強さへの渇望に際限は無いようだ。

「ははっ、お前はほんと強くなったよな。合ったばかりのころはモモとそんなに大きさが変わらなかったのに、4年経った今じゃあ俺よりも頭二つもデカくなったしな」
「モモもおっきくなったよ!」

 現在とのギャップが激しすぎて昔の事を思い出してしまった男が、草陰の中で虫の息になっていたガリガリに痩せ細った小熊のキンタを脳裏に思い浮かべる。それが今となっては2mを超える長身に、拳一つで大地を砕く剛腕である。時間の流れと言う物がどれほどに偉大なのかを知る事が出来る。
 余談ではあるが、モモはそれほど大きくなってはいない。男が出会った時は完全に幼女だった外見が、今では手足が伸びて少女くらいにはなっているのだが、元々人間よりも小さいので伸びる身長も極わずかだ。

「まあなにせよ残りは明日にしようか。時間なんて腐るほどあるしな」
「クマ」

 陽はまだ沈んではいないが、後1、2時間もすれば夕暮れて来るだろう。街灯など国の首都くらいにしかなく、普通の村では夜になると真っ暗になるのでこの辺境とてそう違いはないのだが、今日できる事は明日するがモットーの無能男である。
 食料に関しても一月分の小麦や干し葡萄などの保存食を持ち込んでいるし、《超獣》である男の家族たちは自分の食料を凶悪な獣を狩って調達する事が出来る。急ぐ必要はないのだ。
 
「さ、帰ろうか」
「あい!」
「クマ」

 ゆる~く生きようぜ? 男はそう言って出来たばかりの新居へと戻って行った。

    ▼

 そして二日後。キンタが怒涛の勢いで荒野に溝を掘った翌日に、その丸一日を使って水路となる溝の拡張を畑と家の周囲に伸ばし、開通式と称して水路と川の間の土を取り除いてだだっ広い荒野に勢い良く水が流れていくさまを感慨浅く,,,見学した次の日の事である。
 大熊のキンタは山に修行兼狩りに。大亀のシマは川で次の開拓に向けた準備に。そして小さな少女のモモと男は家の前に居た。

「ん、このくらいで良い……のかな?」

 男は家の前で天日にさらしていた《種芋》の具合を見て言う。
 大人の握りこぶしほどの大きさのそれを半分に切ったそれは、皮面にあるくぼみからにょきにょきと長い芽が出ていた。男が旅の途中で行商人から聞いた話ではこれで育つとは言っていたのだが……。
 この《種芋》は近年になって大陸南部から出回り始めた非常に安価な作物なのだが、その地方では昔から毒芋として知られていた物を食用に品種改良したものらしい。
 だがその毒性は完全には取り除かれておらず、購入する者は食うに困る貧民ばかりで富民からは《貧乏芋》として蔑まれている作物でもあった。
 まあその貧乏芋の美味さと万能さを識る男からすれば馬鹿げた話ではあるのだが、旅の途中で実際に貧乏芋にあたって死にそうになった事は苦い記憶として刻まれている。

「よっし、埋めるか! モモ、運ぶの手伝ってくれー!」
「あーい!」

 男は大量の《種芋》をたるに詰めながら、家の周囲を囲む水路の流れる水を飽きもせず眺めていたモモを呼んだ。子供心を失って久しい男ではあるが、水の流れを見るだけでも楽しめるモモの純真を懐かしく思った。

 そうして男は家に一台しかない荷台に《種芋》を詰め込んだ樽をモモに積んでもらい,,,,,,,,,、先日大亀のシマがこしらえた人の大きさほどの高い土壁に囲まれた畑へと移動した。
 中は土壁の下をなぞる様に細い水路が四方に走っており、人の心に圧迫感を与える荒野から切り離される事でどこか清涼な空気を感じさせるものだった。

「そんじゃー埋めて行くぞー!」
「おー!」

 畑に到着した男とモモは樽の中から《種芋》を取り出すと、掘り起こされて柔らかくなった畑に種芋を植えて行き、わりといいかげんな感覚ではあるがしっかりと種芋と種芋との間に間隔を空けていった。

「ちゃんと芽が出てる方を上にして植えるんだぞー」
「ああーい」

 《種芋》の数は大人が一人が忍び込めそうな大きさの木樽に一杯分もあったのだが、主に空を飛んで効率良く移動できるモモの活躍によって一時間とかからず終わった。

「ふう~おわった~~」
「もうおわりー?」

 今回使った畑の面積はこの土壁に囲まれた敷地の四分の一ほどだが、それでもちょっとした畑ほどはあった。
 男を入れて4人家族の食い扶持を考えれば全く物足り無かったが、今回は収穫その物を期待している訳ではないのでこれでも十分であろう。

「しっかし、本当に育つのかねえ~?」

 男は見るからに色分けした二種類の畑を見て言う。一つは荒野を掘り返しただけでなんの手も入れていない地の土地。そしてもう一つは地面をより深く掘り込んで、キンタたちが狩ってきた凶獣の骨を焼いて砕いた物を水に溶かしてから土に混ぜ込んでいる。
 カラッカラに乾いた荒野の畑と、気休め程度だが手を入れた畑。その生育具合を確かめるための、いわば実験農場であった。

「ま、細工は流流りゅうりゅう仕上げを御覧ろうじろってか? 言うほど何もしてないんだが」
「?」

 男の言い回しが解らず小首を傾げるモモ。男は可愛いモモを抱き上げ、仕上げに取りかった。

「はは、なんでもないよ。そんじゃあ、水撒きをしようか」
「あい!」

 此処は作物が育たない死の大地。いくら荒地に強い貧乏芋だとてそう簡単には根付くまい。そんなに簡単に行くのなら既にこの大島には国が出来ているはずなのだから。
 失敗に失敗を重ね。その上にほんの僅かな成功を積み重ねる。それが男の当初の目標であった。

 ――そして時は流れ、一月が過ぎた。

    ▼

「……やっぱり駄目か」

 乾いた畑の土を掘り返し、腐り乾いた種芋の成れの果てを手に取った男は、毎日水をやっても改善できなかった畑の一つを見やりながらため息を吐いた。
 種芋を埋めてから一カ月。畑の様子はかんばしくなかった。

「父ー、こっちははえてるよー」
「そうだなあ。そっちはまだマシだけど、聞いてた生え方からすると全然なんだよなあ」

 モモに呼ばれた男は半場干物のようになっていた種芋の成れの果てをその場に捨てると、もう一つの畑の方を向く。そちらは実に貧相ではあるが、緑色の芽が伸び数枚の葉がついていた。より深く地面を掘り込み、砕いた凶獣の骨を混ぜ込んだ畑だ。

「確か一月で、丈は低いけど緑々あおあおと葉っぱが伸びるって言ってたもんな」

 しかし残念ながら、男の視線の先にある葉っぱは緑々とは程遠い有り様だ。チョロリと伸びた芽、茎と言った方が良いそれからは1枚2枚の小さな葉がついているだけで生命力に欠けていた。

「さて、どうするか。……下手の考え休むに似たり。一番良いのは農業とは言わないまでも、貧乏芋に詳しい人間に任せる事なんだけど……」
「よいしょ、よいしょ」

 難しい所だ。男はモモに体をよじ登られながらそう思った。なにしろ此処は死の大地。人は此処を不毛で危険な場所だと忌避し、なんの社会的立場を持たない男が呼んで来る場所ではない。
 しかも男の家族は《超獣》だ。常識的な考えを持つ人間では共に居る事は出来ないだろう。

「時間を……かけるしかないか」
「ん~? 父ーおなかすいたー」

 真剣な顔をする男の頭の上にまで登り上がり、ガッシリと後頭部にしがみ付いたモモが空腹を訴えた。モモと居ると気分が暗くならないなあと、男は苦みばしった笑みを浮かべる。

「ちっと早いけど昼にするか」
「あーい!」
「おっと、その前に」

 男は最後にかろうじて生きている畑に水を撒き、死んだ畑をそれはそれで肥料になるだろうからと放置して家路についた。
 ――そして家の地下の食料庫。

「あっちゃあ。小麦がもうえじゃないのよ。忘れてた」

 現在では無用に広い地下の名前ばかりの食料庫。その隅に置かれた木樽の中の麻袋を覗いていた男が額に手を当てた。
 では買いに行けば良いじゃないかと言うなかれ。男たちが居る死の大地は人の住まない大島である。買いに行こうにも店の類など微塵たりとも存在しないのだ。

「仕方ないか」

 しかし早々に気持ちを切り替えた男は、今日の昼食をキンタが狩って来て保管している未熟性の肉を使って作る事にした。常人である男に熟成されていない凶獣の固い肉はキツイのだが、他に食う物と言えば心もとなくなってきた干し葡萄だけなので贅沢は言ってられない。

「……それに丁度良いか。補給がてら農家にでも話を聞きに行こう」

 そう決めた男は、明日からの予定をどうするかと久しぶりに頭を捻りねがら地下室の階段を上っていった。
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