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ステップ1 拠点を造ろう
005 海を越える陸亀
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地は乾き草も生えぬ広大な荒野。昼を前にして、インフェルヌ山脈から下りてくる山風に舞い上げられた砂塵が大地にポツンと建つ一見の家屋を煽った。
「ぶるぁっ?! 風強いな!?」
「わきゃー!」
男たちが死の大地と呼ばれるこの大島に訪れて早一カ月。四季と言う物の存在しないこの土地でも多少の移り変わりはあり、男たちを煽った強い山風はその気圧差によって生み出された強風だった。
季節のある大陸を基準にして言うのならば、今、死の大地にも春が訪れようとしていた。
「やれやれ。今まで気にしなかったけど、防風壁も必要だな。……まあ帰って来てからか。それじゃあ行ってくるよ。留守番頼むな、キンタ」
「クマァ」
これから食料の補給に大陸へと旅立つ一人の男と二匹の《超獣》が、一匹残していく《超獣》にしばしの別れを告げていた。
「いってきまーす! げんきでねーキンター」
「カメェ」
手を振る大熊と言うシュールな姿に見送られ、荷台を引いた大亀キンタの甲羅の上から小さな女の子のモモが手を振った。
「本当はあいつも行けたら良かったんだけどな。かろうじて生きている畑を殺す訳にもいかんしなあ」
その辺りはたった一人と3匹で開拓を行っている彼らの弱みだろう。そも開拓とは一人二人で行う事業ではない。万全かどうかは別として、補給などの援助を何がしかに受けながら数十、数百の手を持って行われるものだ。
いかに《超獣》と言う規格外な存在を家族に持つ男とて、単純な人手不足そのものは解決できないのだ。
「その辺りもっと考えないとなあ。……よっし、シマ。飛ばしてくれ」
「カーメ」
大亀のシマが引く荷台の前方。ほとんどが空になっている木樽の隙間に入り込むように男が身を潜り込ませ、目の前にいるシマに指示を飛ばした。
「了解」とでも言った風に鳴いたシマは琥珀色の眼に光を宿してその身を浮かせ、続くように男が乗る荷台も宙に浅く浮き上がった。
浮いた荷台の車輪が空回りして、カラカラと音を鳴らせるのがどこか虚しい。自分の存在する意味が無いと。
「カメ!」
「わーい!」
そんな事は与り知らないシマがさらに一声鳴くと、ただ浅く宙に浮いていただけの体が荷台と共に前へと進み、たちどころに速度を増して行く。
シマの甲羅の上に乗っているモモが馬の全速力に相当する速度に合わぬ、穏やかな風に煽られて御機嫌な声を上げた。
「……こんなツッコみどころ満載な光景に慣れきった自分が怖い。それどころか飛ばしてくれってなんだよ。文字通り飛んでるし」
荷台の中でシマの《超能力》に護られた事で穏やかとなっている風を頬に受け、諦観した、何処か遠くを見ているような目で男は空を見上げた。
荒野の空は砂塵で曇って見えながらも青く澄んでいた。
▼
「は~着いた着いた。……半日とかからずに」
一カ月前。この大島の大きさと海から陸地の中心に在るインフェルヌ山脈までの距離を測るため、常人である男の足を基本にして三日もかけて踏破したのだが、《超獣》である大亀シマの《超能力》の前ではわずか3時間の距離だった。
事あるごとに常人である自分の無能さを実感させられる男ではあったが、割り切りは何年も前についているので少々の脱力程度ですんだ。
……家族となった三人と出会う前、《超人》と言うあまりにも自分と違い過ぎる者たちとの交流と葛藤の中で諦観したのだ。
「えっと、この辺に……」
そんな無能に甘んじた男が、険しい断崖に隔てられた死の大地の海沿いに数少なく存在する、砂浜の一つで探し物をしていた。
凶獣がかっ歩する死の大地の砂浜は、数少ない餌場の一つとして力の強い凶獣たちがたむろする危険な場所となっているのだが、今は《超獣》であるシマとモモが居るのでたむろしていた賢しい凶獣たちは姿を隠している。
「……お? あったあった」
一時だけ安全となった砂浜の岩陰で男が目的の物を見つけ出した。それは砂の中からチョコンと出ている獣の毛で、凶獣避けに大熊のキンタの毛を編んで作った短い紐だった。
「父ーほるー」
「お、おう」
シマと一緒に周囲を警戒していたモモが男の上げた声に反応して飛んでくると、その両腕を白い獣の腕へと変えて砂浜を掘って行く。
「わんわーん」
正に犬の如き勢いで砂浜を掘って行くモモ。あっと言う間に砂は掻き出され、中から黒い塊が現れた。
「ありがとう、モモ」
「えへへー」
男は大きな手間をはぶいてくれたモモの頭を撫でて感謝するが、本当の目的は白い獣の腕と一緒に出て来た頭の上の三角耳だった。コリコリとした軟骨の感触が心地良いのである。
「シマー、浮き袋を付けるから来てくれー」
モモが耳を引っ込めるまで存分に堪能した男が、切り立った砂浜の入り口で番をしていたシマを呼んだ。
「カメ」
「うっし、直ぐに取り付けるからまっててくれな」
「あーい」
砂浜から掘り起こされたソレは浮き袋だった。凶獣、正確には凶魚に分類されるコロッサルパファーと言う海の怪魚の浮き袋を加工した物だった。
張りのある柔らかさを持つ浮き袋を、ロープで荷台にくくり付ける男。コロコロと動くので少々取り付けにくくも、数年間の旅生活の中ですっかりと手先が器用になった男は手こずる事もなく作業を終える。
「そんじゃ行くか。また頼む、シマ。今度はちっと遠いけど簡便な」
「カメェ!」
男は苦労をかけっぱなしのシマに申し訳なさそうに言ったが、とうのシマは遠慮しすぎ!いい加減怒るぞ!と諌めるように鳴いた。
「……ありがとう」
「カメ」
無能な男は有能過ぎるシマたちに事あるごとに心の隅を突っつかれる様な感覚に陥るが、そうだよな。家族だもんな。と思い直し、ただ一言感謝の気持ちを口にした。
「モモはー?」
「はは、もちろんモモもだよ」
「あーい!」
少々気まずい思いを抱いた男は、シマに諌められモモに癒されながら荷台に乗り込んだ。
さて常人ならばここで、これから大陸に渡るのに海を越えないといけないのに、船も無くどうするのだろうかと首を傾げる所だろうが、生憎と《超獣》や《超人》と呼ばれる《超越種》に常人の常識など通じる訳もない。
「カメェ」
大亀シマの眠たげで円らな瞳が輝き、本人の体と一緒に引っ張っている荷台も中空に浅く浮かび上がる。
「安全運転でな」
「カメ」
中空に浮かび上がったシマたちはここに来るまでのように素早く前進を始めると、そのまま砂浜を越えて海の中へと入って行った。
シマと男とモモを乗せた荷台は海面スレスレを飛んで行き、ユラユラと揺れる波が時折シマの体や荷台を叩く。
一体何の冗談かと言う荒唐無稽な光景であるが、男たちは一カ月前にこれで海を渡って来ていたのだった。心の葛藤がどうのと言いつつ、こんな非常識な行為を受けている男は既にそちら側の人間であった。
「そんじゃあ向かうは西の大陸。商業都市エブリだ。夜くらいまでかかると思うけど頼むぞ、シマ」
「カメ―」
「いけーシマー!」
亀なのに海を泳がない。いやそれ以前に陸亀が海の上を飛んでるとかシュールにもほどがある光景を繰り広げる一行は、一路、センランド大陸は東端のエブリ商王国。その首都たる海沿いの商業都市エブリへと向かった。
▼
場所は移り変わってとある島国。大戦終えて久しい大陸とは違い、今も戦乱続く世界から取り残された国の事である。
「ああ……燃えています。私たちの村が……」
一人の《姫》が、燃え盛る街並みを感情の失った瞳で眺めていた。船の甲板の上、力無き体を支える様に船の縁に両手をつき、人の居なくなった村をあさる凶人たちを呆然と見つめて。
「姫、中へお入りください。出航いたしますので」
「……悪一」
男の声に振り向いた姫の長い黒髪がサラリと揺れ、涙枯れた眼から最後の一滴が流れ、乱れるも美しい着物の上に落ちた。
その乾ききった瞳に映るのは、一人の偉丈夫。漆黒の武士甲冑に身を包んだその巌の如き巨体は、如何なる相手ですら打倒すと言う確信を見る者に抱かせるであろう。
「泣く事はございません姫。村は焼かれど村民に被害無く、皆が船に避難しております」
しかしそれは個人間の物。万夫不当の彼とて人であり、多勢に無勢では己の両腕の届く限りしか護る事は出来ない。力に狂いし人外れの群れを相手では村一つ護りきれないのだ。
姫に悪一と呼ばれた壮年の男はその忸怩たる想いを決して表情には出さず、己がただ一人仕える姫を励ました。
「それは……良かった。ですが……これから私たちは何処へ行けば良いのでしょう?」
「……それは」
その姫の問いに悪一は答える事が出来ない。主の問いには常に当意即妙に答えてきた彼ではあるが、この問いには答えに淀んだ。
何故なら……。
「私が物心つく前より十余年。追いに追われて辺境の地に居を構え、やっとの事で皆が腹を空かせる事も無くなったと言うのに……。これ以上何処へ逃れると言うのです?」
そう問いかけた姫の白い肌は血の気が引いてさらに白く、乾き充血した瞳は燃える村から伝わってくる赤い光で鈍く光っていた。
生者を憎み、地獄に踏み入れた者を決して逃さない地獄女の如きありさまである。
「西へ。……西へ参りましょう、姫」
「……西?」
西。それは遠く離れた大陸への海路を意味する。それはこの島国で生きる場所を全て失った姫たちに残された最後の生きる道だった。
遠く離れた異邦の地。そこに戦はなく、様々な物資が行き交い賑わっていると言う。故郷たる島国の乱れようと、逃れる行き場を無くした姫にはそれは極楽浄土への道筋にも見えた。
「依存はありません、悪一。……ですが」
だが姫は口ごもった。当然である。大陸は遥か西の地である。万全たる事前の準備も無く、標たる海図も無く、なにより海には危険な凶魚たちが跳梁跋扈しているのだ。
「これが一番生存率が高い方法です、姫。食糧は十分と言えず、凶魚対策の兵装もございませぬ。しかし凶魚など私が刺身にしてくれましょう」
そう言うと悪一は右腕で力瘤を作り、いつもは巌のように引き締めた顔で笑って見せた。
「――ぷっ?! あ、あはは。あ、貴男でも笑うのですね、悪一」
初めて見る悪一のとても善人には見えない笑顔を見て、ツボにはまってしまった姫が顔を隠して笑った。もう一度その笑顔を見ようと手を放した姫の顔には、多少ながらも血色が戻っていた。
久しぶりに笑った姫は晴れ晴れとはいかずも、多少はスッキリとした胸の内を避けだす様に言う。
「行きましょう悪一。最早この島国には未来はありませぬ。幸いにも私が護るべき民はこの3つの船に居るのです。何処へなりとも参りましょう」
「御意」
そうしてとある島国での事件は一応の幕を閉じた。
それは大陸の暦で新王歴292年の春が訪れようとしている時だった。
「ぶるぁっ?! 風強いな!?」
「わきゃー!」
男たちが死の大地と呼ばれるこの大島に訪れて早一カ月。四季と言う物の存在しないこの土地でも多少の移り変わりはあり、男たちを煽った強い山風はその気圧差によって生み出された強風だった。
季節のある大陸を基準にして言うのならば、今、死の大地にも春が訪れようとしていた。
「やれやれ。今まで気にしなかったけど、防風壁も必要だな。……まあ帰って来てからか。それじゃあ行ってくるよ。留守番頼むな、キンタ」
「クマァ」
これから食料の補給に大陸へと旅立つ一人の男と二匹の《超獣》が、一匹残していく《超獣》にしばしの別れを告げていた。
「いってきまーす! げんきでねーキンター」
「カメェ」
手を振る大熊と言うシュールな姿に見送られ、荷台を引いた大亀キンタの甲羅の上から小さな女の子のモモが手を振った。
「本当はあいつも行けたら良かったんだけどな。かろうじて生きている畑を殺す訳にもいかんしなあ」
その辺りはたった一人と3匹で開拓を行っている彼らの弱みだろう。そも開拓とは一人二人で行う事業ではない。万全かどうかは別として、補給などの援助を何がしかに受けながら数十、数百の手を持って行われるものだ。
いかに《超獣》と言う規格外な存在を家族に持つ男とて、単純な人手不足そのものは解決できないのだ。
「その辺りもっと考えないとなあ。……よっし、シマ。飛ばしてくれ」
「カーメ」
大亀のシマが引く荷台の前方。ほとんどが空になっている木樽の隙間に入り込むように男が身を潜り込ませ、目の前にいるシマに指示を飛ばした。
「了解」とでも言った風に鳴いたシマは琥珀色の眼に光を宿してその身を浮かせ、続くように男が乗る荷台も宙に浅く浮き上がった。
浮いた荷台の車輪が空回りして、カラカラと音を鳴らせるのがどこか虚しい。自分の存在する意味が無いと。
「カメ!」
「わーい!」
そんな事は与り知らないシマがさらに一声鳴くと、ただ浅く宙に浮いていただけの体が荷台と共に前へと進み、たちどころに速度を増して行く。
シマの甲羅の上に乗っているモモが馬の全速力に相当する速度に合わぬ、穏やかな風に煽られて御機嫌な声を上げた。
「……こんなツッコみどころ満載な光景に慣れきった自分が怖い。それどころか飛ばしてくれってなんだよ。文字通り飛んでるし」
荷台の中でシマの《超能力》に護られた事で穏やかとなっている風を頬に受け、諦観した、何処か遠くを見ているような目で男は空を見上げた。
荒野の空は砂塵で曇って見えながらも青く澄んでいた。
▼
「は~着いた着いた。……半日とかからずに」
一カ月前。この大島の大きさと海から陸地の中心に在るインフェルヌ山脈までの距離を測るため、常人である男の足を基本にして三日もかけて踏破したのだが、《超獣》である大亀シマの《超能力》の前ではわずか3時間の距離だった。
事あるごとに常人である自分の無能さを実感させられる男ではあったが、割り切りは何年も前についているので少々の脱力程度ですんだ。
……家族となった三人と出会う前、《超人》と言うあまりにも自分と違い過ぎる者たちとの交流と葛藤の中で諦観したのだ。
「えっと、この辺に……」
そんな無能に甘んじた男が、険しい断崖に隔てられた死の大地の海沿いに数少なく存在する、砂浜の一つで探し物をしていた。
凶獣がかっ歩する死の大地の砂浜は、数少ない餌場の一つとして力の強い凶獣たちがたむろする危険な場所となっているのだが、今は《超獣》であるシマとモモが居るのでたむろしていた賢しい凶獣たちは姿を隠している。
「……お? あったあった」
一時だけ安全となった砂浜の岩陰で男が目的の物を見つけ出した。それは砂の中からチョコンと出ている獣の毛で、凶獣避けに大熊のキンタの毛を編んで作った短い紐だった。
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「お、おう」
シマと一緒に周囲を警戒していたモモが男の上げた声に反応して飛んでくると、その両腕を白い獣の腕へと変えて砂浜を掘って行く。
「わんわーん」
正に犬の如き勢いで砂浜を掘って行くモモ。あっと言う間に砂は掻き出され、中から黒い塊が現れた。
「ありがとう、モモ」
「えへへー」
男は大きな手間をはぶいてくれたモモの頭を撫でて感謝するが、本当の目的は白い獣の腕と一緒に出て来た頭の上の三角耳だった。コリコリとした軟骨の感触が心地良いのである。
「シマー、浮き袋を付けるから来てくれー」
モモが耳を引っ込めるまで存分に堪能した男が、切り立った砂浜の入り口で番をしていたシマを呼んだ。
「カメ」
「うっし、直ぐに取り付けるからまっててくれな」
「あーい」
砂浜から掘り起こされたソレは浮き袋だった。凶獣、正確には凶魚に分類されるコロッサルパファーと言う海の怪魚の浮き袋を加工した物だった。
張りのある柔らかさを持つ浮き袋を、ロープで荷台にくくり付ける男。コロコロと動くので少々取り付けにくくも、数年間の旅生活の中ですっかりと手先が器用になった男は手こずる事もなく作業を終える。
「そんじゃ行くか。また頼む、シマ。今度はちっと遠いけど簡便な」
「カメェ!」
男は苦労をかけっぱなしのシマに申し訳なさそうに言ったが、とうのシマは遠慮しすぎ!いい加減怒るぞ!と諌めるように鳴いた。
「……ありがとう」
「カメ」
無能な男は有能過ぎるシマたちに事あるごとに心の隅を突っつかれる様な感覚に陥るが、そうだよな。家族だもんな。と思い直し、ただ一言感謝の気持ちを口にした。
「モモはー?」
「はは、もちろんモモもだよ」
「あーい!」
少々気まずい思いを抱いた男は、シマに諌められモモに癒されながら荷台に乗り込んだ。
さて常人ならばここで、これから大陸に渡るのに海を越えないといけないのに、船も無くどうするのだろうかと首を傾げる所だろうが、生憎と《超獣》や《超人》と呼ばれる《超越種》に常人の常識など通じる訳もない。
「カメェ」
大亀シマの眠たげで円らな瞳が輝き、本人の体と一緒に引っ張っている荷台も中空に浅く浮かび上がる。
「安全運転でな」
「カメ」
中空に浮かび上がったシマたちはここに来るまでのように素早く前進を始めると、そのまま砂浜を越えて海の中へと入って行った。
シマと男とモモを乗せた荷台は海面スレスレを飛んで行き、ユラユラと揺れる波が時折シマの体や荷台を叩く。
一体何の冗談かと言う荒唐無稽な光景であるが、男たちは一カ月前にこれで海を渡って来ていたのだった。心の葛藤がどうのと言いつつ、こんな非常識な行為を受けている男は既にそちら側の人間であった。
「そんじゃあ向かうは西の大陸。商業都市エブリだ。夜くらいまでかかると思うけど頼むぞ、シマ」
「カメ―」
「いけーシマー!」
亀なのに海を泳がない。いやそれ以前に陸亀が海の上を飛んでるとかシュールにもほどがある光景を繰り広げる一行は、一路、センランド大陸は東端のエブリ商王国。その首都たる海沿いの商業都市エブリへと向かった。
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その乾ききった瞳に映るのは、一人の偉丈夫。漆黒の武士甲冑に身を包んだその巌の如き巨体は、如何なる相手ですら打倒すと言う確信を見る者に抱かせるであろう。
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「……西?」
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久しぶりに笑った姫は晴れ晴れとはいかずも、多少はスッキリとした胸の内を避けだす様に言う。
「行きましょう悪一。最早この島国には未来はありませぬ。幸いにも私が護るべき民はこの3つの船に居るのです。何処へなりとも参りましょう」
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