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第一章 魔獣の刻印
2 エルフェルム
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ロイゼルドがエルフェルムを従騎士にしてから十日が経った。
その間、エルフェルムはロイゼルドの身の回りの細々とした仕事をこなしていた。
着替えや入浴の世話から日々の訓練の準備、武器の手入れなども忙しい主の代わりに片付ける。
くるくるとよく働く様を見ながら、ロイゼルドはこの少年の有能さ加減に舌を巻いていた。
自分があれをしないと、と思っている間にもう準備されているのだ。
指示を出すまでもない。
初めに一度説明しておくだけで、後は気がついたら整っている。
綺麗すぎる外見の上表情もないので、人と話すのが苦手なのかと思ったら案外そうでもない。
相手の方が話しかけるのに臆するだけで、彼自身はあまり頓着していないようだった。
ロイゼルドがいない時には、あれこれ周りの人間に聞いて仕事を終わらせている。
(これはいけない)
いつものように騎士団の訓練の準備をしようとして、ロイゼルドは内心焦っていた。
今日はエルフェルムも訓練に参加するので準備をしてこいと言い置いて、騎士団の宿舎の自分の部屋にきたところ、訓練用に刃を潰した剣も軍靴も磨き上げられて既に並べてあった。
(これに慣れると自分で何もできなくなりそうだ)
王女の小姓をしていたというが伊達ではない。
あの右も左も有能な貴族ばかりの気を遣う王宮で、外交に国内の慰問や自身の学問と目の回るように忙しい王女の世話をしていたのだ。
当然ただの茶飲み友達をしていたわけではなかったらしい。
彼の見た目が見た目だけに、観賞用として側に置かれていたのかもと一瞬考えた自分が恥ずかしい。
しかもあの目立つ姿をしていながら、これまで騎士団の誰も彼の存在に気づくことがなかったのが不思議だ。
黒竜騎士団は年の大半を東の隣国と国境を接するレンブル領に詰めているが、王都に戻ってくることも多い。
その間は王宮に出入りすることもあったのに。
少なくともこの五年間は王宮の中で王女に付き従っていたはずなのに、彼はどうやって気配を隠していたのか。
「ロイ」
部屋を出てすぐ、黒竜騎士団の団長ヴィンセントに呼び止められた。
彼はレンブル領の領主であるレンブル侯爵である。実力の程は言わずもがな。
エディーサ王国でも指折りの猛者、公明正大な人柄で部下の信頼も厚く、まだ二十二歳のロイゼルドを副団長にと推薦してくれた人物でもある。
「なんでしょう、団長」
「……それがなあ……」
いつもはサバサバとして豪快な性格のヴィンセントが、今日は何故かなんとも複雑な表情で口籠る。
「団長?」
「ロイ、お前マーズヴァーン将軍のところのエルを預かっただろう?」
驚いた。エル、と呼ぶところをみると、ヴィンセントはエルフェルムをよく知っているようだ。
まあ、同じ騎士団を束ねる団長同士、エルガルフとも懇意にしているのだから当然か。
だが、はじめにエルフェルムを連れてヴィンセントに挨拶をした時は、特に二人とも親しいと言った様子ではなかったのだが。愛称で呼ぶようなふうには見えなかった。
「閣下に頼まれたので断れず。団長、エルをよく知っていたんですか?」
「ああ、まあな」
なんだか歯切れが悪い。
「お前、エルをどう思う?」
探るような質問に戸惑いながらロイゼルドは言葉を選んだ。
「ええっと……もの凄く良くできた子だなと。飲み込みは早いし気がきくし。無駄な話はしない、ものしずかな子です。細いのでちょっと戦闘には向かないかもと心配なのですが、まあ成長期ですしこれからかなと」
ああ、あと作り物のように綺麗な見た目がびっくりですよねーと続けたところで、ヴィンセントが眉をひそめた。
「それだよ。気をつけておけよ。エルにちょっかい出す輩がいないとも限らない。エルに何かあったらリュシエラ王女が激怒するぞ」
リュシエラ王女はエディーサ王国の第一王女である。確か御歳十六の花盛り。
一度王宮の行事の時に遠くから見たが、黄金の巻き毛にアクアマリンの様に輝く水色の瞳が印象的だったのを覚えている。
絶世の美女として近隣諸国に名を馳せ、各国から縁談の打診があるというが、まだ婚約者はいない。
エルフェルムが小姓として仕えていたのは彼女だ。
「激怒って、そんなにお気に入りだったんですか?」
まあ、二つ下の従兄弟だし、仲が良くても不思議はないのだが。
「ああ、溺愛している。王宮にいる時はエルを独り占めしたいがために、あまり人目に触れさせないようにしていたそうだ。側近にしてずっと側に置いておくおつもりだったらしいのだが、本人が騎士団に入りたいと願って渋々許したらしい」
はあ、そんなに。どおりで見なかったわけである。
確かにエルフェルムは人間離れした容姿をしているが、意志のない人形ではない。
案外王女の為に男として名をあげようと思ったのかもしれない。
「それともう一つ、エルを怒らせたり泣かせたりするなよ。滅多に感情を出したりしないとは思うが。……将軍から聞いていないか?」
「いえ、何も聞いておりませんが」
ヴィンセントはロイゼルドに額を寄せて、小声で囁いた。
「部屋が吹き飛ぶかもしれん。くれぐれも気を付けろ」
「はあ?」
どういうことやらさっぱりわからない。
聞き返そうとした時、当の本人が彼らを呼びに来てしまった。
「団長、副団長、騎士見習い全て揃いました。広場へお越し下さい」
その間、エルフェルムはロイゼルドの身の回りの細々とした仕事をこなしていた。
着替えや入浴の世話から日々の訓練の準備、武器の手入れなども忙しい主の代わりに片付ける。
くるくるとよく働く様を見ながら、ロイゼルドはこの少年の有能さ加減に舌を巻いていた。
自分があれをしないと、と思っている間にもう準備されているのだ。
指示を出すまでもない。
初めに一度説明しておくだけで、後は気がついたら整っている。
綺麗すぎる外見の上表情もないので、人と話すのが苦手なのかと思ったら案外そうでもない。
相手の方が話しかけるのに臆するだけで、彼自身はあまり頓着していないようだった。
ロイゼルドがいない時には、あれこれ周りの人間に聞いて仕事を終わらせている。
(これはいけない)
いつものように騎士団の訓練の準備をしようとして、ロイゼルドは内心焦っていた。
今日はエルフェルムも訓練に参加するので準備をしてこいと言い置いて、騎士団の宿舎の自分の部屋にきたところ、訓練用に刃を潰した剣も軍靴も磨き上げられて既に並べてあった。
(これに慣れると自分で何もできなくなりそうだ)
王女の小姓をしていたというが伊達ではない。
あの右も左も有能な貴族ばかりの気を遣う王宮で、外交に国内の慰問や自身の学問と目の回るように忙しい王女の世話をしていたのだ。
当然ただの茶飲み友達をしていたわけではなかったらしい。
彼の見た目が見た目だけに、観賞用として側に置かれていたのかもと一瞬考えた自分が恥ずかしい。
しかもあの目立つ姿をしていながら、これまで騎士団の誰も彼の存在に気づくことがなかったのが不思議だ。
黒竜騎士団は年の大半を東の隣国と国境を接するレンブル領に詰めているが、王都に戻ってくることも多い。
その間は王宮に出入りすることもあったのに。
少なくともこの五年間は王宮の中で王女に付き従っていたはずなのに、彼はどうやって気配を隠していたのか。
「ロイ」
部屋を出てすぐ、黒竜騎士団の団長ヴィンセントに呼び止められた。
彼はレンブル領の領主であるレンブル侯爵である。実力の程は言わずもがな。
エディーサ王国でも指折りの猛者、公明正大な人柄で部下の信頼も厚く、まだ二十二歳のロイゼルドを副団長にと推薦してくれた人物でもある。
「なんでしょう、団長」
「……それがなあ……」
いつもはサバサバとして豪快な性格のヴィンセントが、今日は何故かなんとも複雑な表情で口籠る。
「団長?」
「ロイ、お前マーズヴァーン将軍のところのエルを預かっただろう?」
驚いた。エル、と呼ぶところをみると、ヴィンセントはエルフェルムをよく知っているようだ。
まあ、同じ騎士団を束ねる団長同士、エルガルフとも懇意にしているのだから当然か。
だが、はじめにエルフェルムを連れてヴィンセントに挨拶をした時は、特に二人とも親しいと言った様子ではなかったのだが。愛称で呼ぶようなふうには見えなかった。
「閣下に頼まれたので断れず。団長、エルをよく知っていたんですか?」
「ああ、まあな」
なんだか歯切れが悪い。
「お前、エルをどう思う?」
探るような質問に戸惑いながらロイゼルドは言葉を選んだ。
「ええっと……もの凄く良くできた子だなと。飲み込みは早いし気がきくし。無駄な話はしない、ものしずかな子です。細いのでちょっと戦闘には向かないかもと心配なのですが、まあ成長期ですしこれからかなと」
ああ、あと作り物のように綺麗な見た目がびっくりですよねーと続けたところで、ヴィンセントが眉をひそめた。
「それだよ。気をつけておけよ。エルにちょっかい出す輩がいないとも限らない。エルに何かあったらリュシエラ王女が激怒するぞ」
リュシエラ王女はエディーサ王国の第一王女である。確か御歳十六の花盛り。
一度王宮の行事の時に遠くから見たが、黄金の巻き毛にアクアマリンの様に輝く水色の瞳が印象的だったのを覚えている。
絶世の美女として近隣諸国に名を馳せ、各国から縁談の打診があるというが、まだ婚約者はいない。
エルフェルムが小姓として仕えていたのは彼女だ。
「激怒って、そんなにお気に入りだったんですか?」
まあ、二つ下の従兄弟だし、仲が良くても不思議はないのだが。
「ああ、溺愛している。王宮にいる時はエルを独り占めしたいがために、あまり人目に触れさせないようにしていたそうだ。側近にしてずっと側に置いておくおつもりだったらしいのだが、本人が騎士団に入りたいと願って渋々許したらしい」
はあ、そんなに。どおりで見なかったわけである。
確かにエルフェルムは人間離れした容姿をしているが、意志のない人形ではない。
案外王女の為に男として名をあげようと思ったのかもしれない。
「それともう一つ、エルを怒らせたり泣かせたりするなよ。滅多に感情を出したりしないとは思うが。……将軍から聞いていないか?」
「いえ、何も聞いておりませんが」
ヴィンセントはロイゼルドに額を寄せて、小声で囁いた。
「部屋が吹き飛ぶかもしれん。くれぐれも気を付けろ」
「はあ?」
どういうことやらさっぱりわからない。
聞き返そうとした時、当の本人が彼らを呼びに来てしまった。
「団長、副団長、騎士見習い全て揃いました。広場へお越し下さい」
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