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第二章 生き別れの兄と白い狼
20 取引
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広間の中心でエルディアを真ん中に挟み、三人は片膝をつき頭を下げた。上目遣いで前をうかがう。
正面の人物はイエラザーム皇帝だろう。髭をたくわえた黒髪青い瞳の美丈夫だ。その右隣に明るい茶色の髪の若者が座っている。トルポント王家の血を引くという皇太子かもしれない。
ルフィの姿はない。
エルディアは安堵していた。思った通り、兄はこの事件に関係ない。この姿を見破られる心配はなくなった。唯一の不安のもとが、これで消えたのだ。
「かの戦の際には、随分とトルポント王国を震え上がらせたと聞く。そなたが例の魔術師か?」
朗々とした声が響く。
施政者らしい、厚みのある声だ。
エルディアは頭を下げたまま答える。
「エディーサ王国魔術師団のエルです。イエラザームの皇帝よ、正確には私の力ではございませんが、かの戦場を炎で焼き尽くしたのは私です」
「ほう………」
皇帝は面白そうに髭を撫でた。
「して、なぜそなたはここへ来た。ただの一人の女のために、自らを差し出しに来たというのか?その力を持ってすれば、この城など一瞬で燃やし尽くせるとでも思ったか?」
(お前が呼んでおいてぬけぬけと)
胸の内で毒づく。
エルディアは大きく息を吸った。さあ、これからが本番だ。
フードを目深に被ったまま、頭を上げて真っ直ぐに皇帝を見る。
「燃やせと仰せられるのであれば、そう致しましょう」
広間の中の空気が一瞬で凍りつく。その場にいる人々の呼吸が、張りつめた糸のように止まった。
エルディアはその糸の切れるぎりぎりをはかりながら言葉を選ぶ。
「ユグラル砦の悪夢を、この場でご覧になりたいのであれば」
この場に彼の地に派遣された騎士はいるだろうか。フードの中から周囲を窺うと、二人の騎士が明らかに青ざめ震えていた。
「不敬であるぞ!」
沈黙を破り並んでいる重臣の一人が叫んだ。
エルディアは立ち上がって迎え撃つように両手を開く。
「我等から同胞を攫い、私をこの場に呼んだのはそちらの方です」
「………確かに」
皇帝は静かに頷いた。
「かの令嬢は健やかに過ごされていますか?あの方は私の大切な女性なのです」
エルディアの問いかけに、皇帝は隣の息子を見やる。皇太子は青ざめた顔のまま頷いた。
「丁重にもてなしている。世話をまかせている侍女から、元気にしていると報告を受けている」
エルディアはフードの中から唯一見えるであろう口元に、ニコリと笑いを浮かべた。
「それは良かった。何かあれば、この都を焦土にしているところでした」
当然嘘だ。
だが、この場にいる者達はエルディアの言葉に飲まれ、蒼白になっている。
リゼットを攫った者はこうなることを想定していなかったのだろうか。だとすれば、たいそう愚かな者だ。
エルディアは嘲るような声音を作る。
「取引を致しましょう」
十分脅しは済んだ。
彼等は呼んではならない者を呼んでしまったことに恐怖している。交渉を有利に進めるには、ハッタリも必要だ。
「取引とはなんだ?貴族の令嬢の命の代わりに、お前は何をする?」
皇帝はそれでもさすがだ。狼狽える様子は塵とも見せずに堂々としている。
「初めに申し上げました。戦場を焼き尽くしたのは正確には私の力ではありません」
エルディアは懐から魔石を取り出す。
「私があの炎を創り出したのは、この魔石の力を引き出したに過ぎません。これは神獣フェンリルの魔石。エディーサ王国の魔術師団は魔石の魔力を操る術を持っています」
魔石を見せつけるように高く掲げ、そして静かな声で問う。
「皇帝、貴方はあの炎の雨を自らの戦いにおいて、敵軍の上に降らせたいのでしょうか?それとも我がエディーサ王国にこの力があることを、懸念しているだけなのでしょうか?」
さあ、どう答える?
「後者であるならば、私は令嬢と引き換えにこの魔石をお譲りしましょう。前者であれば、…………私はこの場で全てを焼き尽くすでしょう」
長く沈黙が続いた後に、皇帝は低く唸るように質問した。
「その石が本物であるという証拠は?」
勝った。
エルディアは気付かれないように、小さく息を吐いた。
「ご覧入れましょう」
アーヴァインから教えられた呪文を小さく唱え、魔石に封じられた炎を呼ぶ。魔石は瞬時に燃え上がった。すかさず、自身の風でその炎を吹き上がらせる。ゴウッと音を立てて、渦巻く炎がエルディアの手の中に生まれた。
どこかでヒイッという叫び声があがった。
「炎の槍を見たいですか?」
ゆっくりと皇帝に尋ねる。
「いや、もういい」
皇帝はゆっくりと首を振った。
「私の愛しい人のもとへ案内を。さすれば、この魔石は皇帝陛下のものです」
エルディアは炎の消えた魔石を、大切そうに胸に抱いた。
「案内せよ。人質の解放は魔石と交換だ」
エルディアの両脇に控えていた二人から、かすかな安堵の吐息が聞こえた。何か有ればすぐに彼を連れて退去するつもりだったのだ。その際には無傷ではいられなかっただろう。リゼットも危ういことになっていた。
エルディアの交渉がうまく成立した。第一段階は突破したのだ。
「こちらへ」
初めに案内をした騎士が彼等を誘う。
さあ、第二段階だ。
エルディアは魔石をぎゅっと抱きしめて、前へ歩き始めた。
正面の人物はイエラザーム皇帝だろう。髭をたくわえた黒髪青い瞳の美丈夫だ。その右隣に明るい茶色の髪の若者が座っている。トルポント王家の血を引くという皇太子かもしれない。
ルフィの姿はない。
エルディアは安堵していた。思った通り、兄はこの事件に関係ない。この姿を見破られる心配はなくなった。唯一の不安のもとが、これで消えたのだ。
「かの戦の際には、随分とトルポント王国を震え上がらせたと聞く。そなたが例の魔術師か?」
朗々とした声が響く。
施政者らしい、厚みのある声だ。
エルディアは頭を下げたまま答える。
「エディーサ王国魔術師団のエルです。イエラザームの皇帝よ、正確には私の力ではございませんが、かの戦場を炎で焼き尽くしたのは私です」
「ほう………」
皇帝は面白そうに髭を撫でた。
「して、なぜそなたはここへ来た。ただの一人の女のために、自らを差し出しに来たというのか?その力を持ってすれば、この城など一瞬で燃やし尽くせるとでも思ったか?」
(お前が呼んでおいてぬけぬけと)
胸の内で毒づく。
エルディアは大きく息を吸った。さあ、これからが本番だ。
フードを目深に被ったまま、頭を上げて真っ直ぐに皇帝を見る。
「燃やせと仰せられるのであれば、そう致しましょう」
広間の中の空気が一瞬で凍りつく。その場にいる人々の呼吸が、張りつめた糸のように止まった。
エルディアはその糸の切れるぎりぎりをはかりながら言葉を選ぶ。
「ユグラル砦の悪夢を、この場でご覧になりたいのであれば」
この場に彼の地に派遣された騎士はいるだろうか。フードの中から周囲を窺うと、二人の騎士が明らかに青ざめ震えていた。
「不敬であるぞ!」
沈黙を破り並んでいる重臣の一人が叫んだ。
エルディアは立ち上がって迎え撃つように両手を開く。
「我等から同胞を攫い、私をこの場に呼んだのはそちらの方です」
「………確かに」
皇帝は静かに頷いた。
「かの令嬢は健やかに過ごされていますか?あの方は私の大切な女性なのです」
エルディアの問いかけに、皇帝は隣の息子を見やる。皇太子は青ざめた顔のまま頷いた。
「丁重にもてなしている。世話をまかせている侍女から、元気にしていると報告を受けている」
エルディアはフードの中から唯一見えるであろう口元に、ニコリと笑いを浮かべた。
「それは良かった。何かあれば、この都を焦土にしているところでした」
当然嘘だ。
だが、この場にいる者達はエルディアの言葉に飲まれ、蒼白になっている。
リゼットを攫った者はこうなることを想定していなかったのだろうか。だとすれば、たいそう愚かな者だ。
エルディアは嘲るような声音を作る。
「取引を致しましょう」
十分脅しは済んだ。
彼等は呼んではならない者を呼んでしまったことに恐怖している。交渉を有利に進めるには、ハッタリも必要だ。
「取引とはなんだ?貴族の令嬢の命の代わりに、お前は何をする?」
皇帝はそれでもさすがだ。狼狽える様子は塵とも見せずに堂々としている。
「初めに申し上げました。戦場を焼き尽くしたのは正確には私の力ではありません」
エルディアは懐から魔石を取り出す。
「私があの炎を創り出したのは、この魔石の力を引き出したに過ぎません。これは神獣フェンリルの魔石。エディーサ王国の魔術師団は魔石の魔力を操る術を持っています」
魔石を見せつけるように高く掲げ、そして静かな声で問う。
「皇帝、貴方はあの炎の雨を自らの戦いにおいて、敵軍の上に降らせたいのでしょうか?それとも我がエディーサ王国にこの力があることを、懸念しているだけなのでしょうか?」
さあ、どう答える?
「後者であるならば、私は令嬢と引き換えにこの魔石をお譲りしましょう。前者であれば、…………私はこの場で全てを焼き尽くすでしょう」
長く沈黙が続いた後に、皇帝は低く唸るように質問した。
「その石が本物であるという証拠は?」
勝った。
エルディアは気付かれないように、小さく息を吐いた。
「ご覧入れましょう」
アーヴァインから教えられた呪文を小さく唱え、魔石に封じられた炎を呼ぶ。魔石は瞬時に燃え上がった。すかさず、自身の風でその炎を吹き上がらせる。ゴウッと音を立てて、渦巻く炎がエルディアの手の中に生まれた。
どこかでヒイッという叫び声があがった。
「炎の槍を見たいですか?」
ゆっくりと皇帝に尋ねる。
「いや、もういい」
皇帝はゆっくりと首を振った。
「私の愛しい人のもとへ案内を。さすれば、この魔石は皇帝陛下のものです」
エルディアは炎の消えた魔石を、大切そうに胸に抱いた。
「案内せよ。人質の解放は魔石と交換だ」
エルディアの両脇に控えていた二人から、かすかな安堵の吐息が聞こえた。何か有ればすぐに彼を連れて退去するつもりだったのだ。その際には無傷ではいられなかっただろう。リゼットも危ういことになっていた。
エルディアの交渉がうまく成立した。第一段階は突破したのだ。
「こちらへ」
初めに案内をした騎士が彼等を誘う。
さあ、第二段階だ。
エルディアは魔石をぎゅっと抱きしめて、前へ歩き始めた。
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