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第三章 風の神獣の契約者

26 魔王

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 夜会の翌日、エディーサ王国の王太子一行は自国へと旅立った。
 皇帝自らが見送る中、エルフェルムは白狼を伴い十年ぶりに祖国へと帰国する。紺碧色の瞳が、銀色の髪が見えなくなるまでいつまでも見つめていた。


「ルフィ、寂しい?」


 エルディアが隣の兄にそう尋ねる。
 彼は儚げな笑顔を見せ、そうだねと素直に頷いた。


「僕は今でもヴェルに感謝している。いつかまた彼の力になりたい」


 エルディアの知らない二人だけの絆があるのだろう。

 第一皇子でありながら世継ぎの座から離されていた聡明な皇子と、記憶を失い敵国に一人残された魔術師の少年。
 彼等だけの共に戦って来た歴史は、きっと大切な記憶として残り続ける。

 風に吹かれ目を細めるエルフェルムの横顔を見ながら、エルディアはそんな二人の関係を少しだけ羨ましいと思った。



     *********



 エルディア達が帰国した後、彼の弟子である彼女からフェンについての相談を受けたアーヴァインは、王宮の書庫で建国神話を紐解いていた。


『魔術師の護る神の王国』

 長い歴史の中でエディーサ王国はかつてそう呼ばれていた。
 小国でありながら、周辺の大国から侵略される事なく、いまだ孤高を保ち続けている。

 その理由の一つに、エディーサ王国における魔術師の存在は大きい。
 エディーサ王国はもともと他国に比べ、魔力を持って生まれる者の比率が高い。年を経るにつれ稀になってはきているが、まだアーヴァインの様に魔力の強い子供が生まれる事もある。
 それにはこの国に特殊な理由があるのではないかと思った。

 エディーサ王国の王都の北、神山ホルクスの麓には建国の王の生まれた聖地があり、王家の直轄領とされている。
 そこはアーヴァインの故郷でもあった。彼は幼い頃に親と別れ、聖地にある大神殿に預けられて育ったのだ。
 その時に育ての親の神官長から聞いたことがある。エディーサ王国は女神の加護の最も強い土地なのだと。

 それは何故か?

 アーヴァインの手にある神話の一説には、こう書かれている。


『創世神アルカ・エルラは、混沌から光を生み出した。
 光から生まれた精霊と神獣は大地に降り立った。
 彼等に与えられた約束の地に。
 四精霊はワルファラーンに。
 神獣達は大陸に。
 天空に住む神々は、大陸の愛し子達を慈しむ。
 ある時、光の一つがその輝きを変えた。
 彼は主を独占したがった。
 嫉妬は徐々に激しくなり、光は最早光でなくなった。
 彼は昏き魔《ルシフ》に成り果てた』

 
 
 フェンリルは二匹いた。
 エルディアが倒した黒銀の狼と、今この国にいる白銀の狼。片方は主を失い魔獣となり、もう片方は魔王となって主に討たれた。

 フェンは異端の獣。
 そう、彼は嫉妬の為に闇にのまれ、最初の魔獣・魔王ルシフとなったフェンリルだ。
 狂い暴れた獣によって大地には憎悪と戦いが満ち、神々は彼を討った。
 そしてその戦いで深く傷ついた神々は去り、大地は加護を失った。


 しかし、フェンは何に嫉妬したのか。



 エルディアによると、黒銀のフェンリルは人間が主を奪ったと言った。
 それゆえに太陽は地に堕ちたと。
 太陽の女神はもしかして、人の子を愛したのではないか?


『エディーサ王は神の末裔』

 王家の血筋の正統性の色付けと思われていたその言葉どおり、王の始祖が真に女神の子供だったとしたら?

 
 アーヴァインはそういう事かと呟く。


 女神の従獣は、主が人を愛する事を許さなかった。女神に焦がれ、女神を奪った人間に嫉妬したのだ。
 報われぬ愛が彼を変貌させる。
 光は闇に堕ち、異端の獣となった。
 

 フェンは太陽の女神の僕。
 そして、魔王と呼ばれた最初の魔獣。
 神に討たれてその身を失ったはずの獣だ。
 それが長き年月を経て復活した。


 アーヴァインは建国の歴史のページを開く。


 エディーサ王国の建国者はルーウィンという。太陽が地に落ち、世界が神々の加護を失った後、人々を導いたと言われている。
 彼は太陽神をその身に現したかのような、黄金の髪とエメラルドの瞳を持つ美しい若者だったと伝えられていた。
 そして、その隣には月の神の如き銀髪の青年が、常に付き従っていたと。


 似た二人がここにいる。
 神獣の祝福を得たエルディアとエルフェルム。太陽と月のような双子達。まるで、かつて天空にいた二人の光の主のような。
 彼等の母はエディーサ王国の元王女だ。



 魔獣は本来、神に仕えていた神獣。
 人に仕えるものではない。
 だが、エディーサ王国の王族は、太陽の女神の末裔だった。
 神の血は薄まっていても、光の主となり得るのではないか。
 復活した魔王は、かつての主人を双子の中に見たのだろう。

 魔獣の王は双子の腕に刻印を刻んだ。
 刻印は魔獣と同じ魔力を分け与える。
 だが二人の主はそれぞれが同じ魔力を得たのではない。
 契約者は二人。
 刻印の祝福は、この魔獣の魔力を二つに割いて与えられた。

 神の魔力はあまりにも強大だ。
 人には持ちえるものではない。
 フェンは敢えてルディとルフィの二人を主とした。そうやって守護者が受け止めねばならぬ力を二つに分けたのだ。
 そうせねば主となる者が、受け止めきれない魔力によって消滅するかもしれなかったから。

 確かにエルディアは強すぎる魔力にその生命を脅かされることがあった。ある程度まで自分が魔力を封じてきて事なきを得た。
 だが、年齢を重ねるにつれ彼女も自力で魔力を制御するまでに成長した。
 エルフェルムには常にフェン自身が側にいた。おそらくフェンがコントロールを手伝っていたのであろう。
 彼等が潜在的に魔力耐性が高いのも幸運だったのかもしれない。

 彼等であるが故に、魔獣の主となり得たのだ。




 アーヴァインは静かに本を棚に戻した。
 これは彼の推測でしかない。
 だが、おそらくはそういう事だろう。

 アーヴァインのもとに来たエルディアは、フェンの正体に気付いていた。
 そして、彼の苦しみを救いたいと言っていた。

 自分の過ちで闇に堕ち自我を失ったかつての神獣達。
 フェンはそれを見続けて来た。
 神獣は不死に近い。
 時を経ればフェンは確実に再び主を失う事になる。

 もしかしたら、黒銀のフェンリルの様にまた自我を失い魔獣になってしまうのではないか。
 エルディアはそれを心配している。


 フェンを救う術はあるのか。
 イエラザームから帰国し、アーヴァインのもとに来たエルディアは、そう師に尋ねた。
 だが、自分にもその答えはまだわからない。

 ただ言えることは、封印を解きフェンを再び大地に戻した存在がいる。
 それは残された神、創世神かもしれない。
 神の意図するところは人間には計り知れぬが、神とフェンを信じるしかない。


 アーヴァインはそう自らの弟子に伝え諭した。
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