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出戻り2
しおりを挟む「疲れたわ。」
出戻りの2日目を終える夜、どよんとした顔で湯あみをしていると、世話役のローザが声を掛けてきた。
「仕方ないですね、何もしないのも仕事だと思ってするしかありませんよ。」
「でもやっぱり何かしている方が性に合うの…。何かないかしら。
殿下に怒られずに済むこと…。」
掃除に洗濯、組手…私がやりたいと思うことはきっと殿下に怒られてしまうだろう。散歩なら許される範囲であることは知っているが、王宮内を散策する女性がいるなどと噂立てば、どこの誰かと調べられかねない。
出来るだけ人の目に付くことなく、尚且つ私が楽しめるものはないだろうか。
「それでは、お料理はいかがです?
出来上がったものを殿下にお渡しすれば喜ばれるかと思いますよ。」
「料理…そうね。ずっと部屋にいても参っちゃうし、そうしようかしら。
でも、殿下にお渡しするのは辞めておくわ。」
「どうしてです?殿下ならきっと喜んで受けとられると思いますよ。」
「何を言っているの。殿下は毒をもられてもおかしくない立場におられるのよ。
料理長以外が作ったものなど易々とお口にするわけがないでしょう?」
「………いえ。エミレィナ様は別かと思われますので、殿下にお渡ししてあげてください。」
そう言われてしまえば、私はうーんと口を噤んだ。確かに義妹である私のことはえらく信用してくれている。
ならば、食べるかは本人に任せて、私は安全で美味しいものを作ることだけを考えるべきだという思いに至った。
「…分かったわ。とりあえず明日は調理場にいっても大丈夫かしら?」
「ええ。ここに昔から仕えているものはエミレィナ様を知っております。お自由になさってくださいませ。」
「…ありがとう、ローザ。」
そうして私は昨晩と同様に薬を塗ってもらい、眠りについた。
翌朝、朝食を済ませた私が調理室へと向かうと、料理長のオルガングが声を掛けてきた。
「珍しいお顔が見れて嬉しいですね。」
ニコニコと私に笑いかける彼はダンディなおじさまで、歳は国王陛下の少し上だという。
「お久しぶりです。急に来てごめんなさい。調理場の一角をお借りしたいのだけれどよろしいでしょうか?」
「何を改まっているんです、エミリー。昔のように楽しく料理をしようじゃないですか。」
ニコニコと笑う彼の笑顔は、私がここにいた頃と全く変わっておらず、とても安心した。
余所者が調理場に入る。それは料理人からすればとんでもないと言いたくなるような事なのだろうが、彼は私を歓迎してくれた。
「ありがとう。今日はよろしくね。料理長様。」
そう言って笑うと、彼は少し驚いているようだった。
「どうかしました?」
「いや……。見ない間に大人っぽくなったと思いましてね。」
「ふふっ。それは私ももう20歳になりますもの。当然です。」
ここを出たのは16。
4年も経てば、少女だった顔も少しは女性らしさが滲み出ることだろうと頷いた。
「もうそんなになるのか。
通りで私も歳を取るわけだ。はっはっは。
それで、今日は何を作るつもりなのですかな?」
「今日はパウンドケーキを作って、あとはタルト生地の仕込みをしようと思うの。
明日はアプリコットタルトを作ろうと思うから…。」
「そうですか。どちらも殿下の好みですから、きっと喜んでくれるでしょうね。」
私は殿下に渡すなどとは言っていないのだが、もう既に決まっているかのように言われてしまって薄い笑顔を貼り付けた。
「……まあ、成功したらということにしておきます。久しぶりに作るのですから。」
「そういうことなら絶対に成功させたいところだ。私は近くにおりますので、何があれば遠慮なく仰ってください。」
「ええ。ありがとう。
それじゃあちらの調理場と材料をお借りします。」
私はそう言って黙々と作業をすると、あっという間に1日を過ごすことができた。
「上手に焼けたようですね。」
「はい。味見をしていただけますか?」
私が小さくカットしたパウンドケーキをオルガング料理長に差し出すと、それを一口食べた彼は笑顔でOKを出してくれた。
「これなら殿下に出しても大丈夫だよ。
でも、その前に疲れたろうから試食がてらにお茶でも飲んでいくといいよ。」
お昼をとうに跨いでいたのに、お腹の虫はならなかった。それだけ集中していたのだろう。
そうして隣接してある休憩室を借り、私は静かにお茶の準備を終えると、とても懐かしい声が響いた。
「エミリー。ここにいたんだね。」
「っ!」
突然現れたのはこの国の第一王子であるブルレギアス様だった。
ブルレギアス様は王族特有の赤髪に、蜂蜜のように潤みのある赤橙色の瞳をしている。その瞳はハニーアイと呼ばれるほどに令嬢の中で好評で、彼の妻の座を狙うものは数えきれない。
彼に婚約者すらもいないことで、第二王子であるグリニエル様は、女性関係では随分と穏やかに過ごすことができているのだ。
「っ。ブルレギアス王太子殿下!」
私は今にもパウンドケーキを食べようとしていたところで、慌ててフォークを放して立ち上がった。
「いいよ、エミリー。固すぎるじゃないか、アス義兄様と呼んで欲しいな。」
私が彼と会うなど4年ぶり。いや、ほぼ6年ぶりで、あまりの衝撃に私は固まってしまった。
「エミリー。ほら呼んでおくれ。」
彼はグリニエル様とは反対で、守護魔法に長けており、政治力も兼ね備えている為、次期国王だと誰もが口にしている。
戦場に赴くことはせず、膨大なる守護魔法によって民を守り、名を挙げた策略家だ。
ただ、たまにとんでもない取引や脅しをしたりするという話も耳にする。しかし、こんな甘いマスクを被っているブルレギアス様が、そんなことをするはずがないとも思うのだ。
「そ、そんな恐れ多すぎま…」
「呼ぶんだ。分かるね?」
「っ。はい。アス義兄様…。」
会わない間に威厳のある方になった。
頼みが命令に聞こえるほどに王らしくなっているのだと分かる。
6年も会わなかったのは、彼が私を避けているのだと思っていたが、今更急に距離を詰めてくるのはどういうわけなのだろうか。
「久しぶりだね、エミリー。随分と会えなくて寂しかったよ。
今更とは思うが、君と以前のように仲良くしたいんだ。
…時間がもうないのでね。」
「…え?」
「ああ、こちらのことだよ。気にしないでおくれ。」
彼はニコニコと私の前へと腰を下ろすと、パウンドケーキに手を伸ばした。
「エミリー。私も頂いていいかな?」
「え?ええ。勿論です。今お分け致しますね。」
「いや、いいよ。自分でやる。
エミリーも一緒に食べよう。」
「っ。」
本来なら王太子である彼と一緒に食を共にするなど許されることではない。
しかしそれは彼からの申し出の為、断ることも無礼になる。
「…失礼致します。」
私は用意していたレモンティーを彼にも注ぎ、彼に渡すとそのまま席についた。
「頂きます。」
彼は流れるような動きでパウンドケーキを口へと運ぶ。私はそれに驚きを隠せなかった。
「ん?どうしたんだい、エミリー。」
「え?あ。いえ…躊躇いなくお食べになられたので少し驚いてしまって…。」
シスコンであるグリニエル様が躊躇いなく私の手料理を口にするのは分かるが、まさか彼もそんな大胆なことをするとは思ってもいなかった。
せめて私に毒味をさせるだろうと思っていたのだ。
「エミリーが作ったのだろう?
なら心配する必要なんてないよ。」
そう言う彼に私は戸惑った。
彼は私を嫌っていたのではないのだろうか。
何年も会わなかったのは、グリニエル様が間に立たれていたからで、それはブルレギアス様が指示していて、それだけ私と会いたくはないのだと思っていた。
「もう何年も会えなくて寂しかったよ。君に会う為には番犬がうるさくてね。」
番犬とは誰のことだろうか。そんな護衛など私には付いていない。そう思ったがそのまま話は進んでしまった。
「エミリーは綺麗になったね。嬉しいよ。
聡明で堅実。そして忠誠心もある。
とても素敵な女性になったね。」
そんな正面きって褒められることがない私はカァァっと赤くなる。
どう返したらいいかと迷っているうちに、殿下がそのまま続けた。
「……私ももう25になる。
だからもう良いだろうと思ってね。
間に合わなければ私が大変な思いをすることになるんだ。だから早めにと思ったんだが、その様子だと知らされていないのかな?」
彼の言っていることは私には思い当たる節などなく、反応に困っていると、私の突かれたくない話題へと触れた。
「それはまあ、追々としようか。
それよりも、今回のこと、聞いたよ。
背中をやられたそうだね。」
「っ。」
私の失態は彼にも知られている。
そう思うとどうしようもなく恥ずかしくなった。
「ここで見せてもらう訳にもいかないからね。夜、エミリーの部屋に行っても良いだろうか?
…もちろん侍女は近くに付けたままでいい。変なことなどしないと誓うよ。」
ニッコリと笑う彼は何を言っているのだろうか。そもそも仮とは言えど妹なのだから、襲われる心配などしてはいないと思ってコクンと頷いた。
「……今回、とても恥ずかしかったです。自分がいかに愚かかが浮き彫りにされたようでした。」
「そんなことはない。
君が私たちの役に立ちたいとそう願っているのは分かるよ。本当ならこんな仕事、もうさせたくはない。でも、君のことだから、それはそれで傷つけてしまうことになるだろう。
だから、私から、君に頼みたい仕事を持ってきた。
その話も含めて、今日伺うことにするよ。
宜しく頼む。」
失態を晒し、事実上、謹慎処分中の私に、彼は一体何をさせるつもりなのだろうか。
しかし、不甲斐ない私でも彼らの役に立つことができる。そう思うと嬉しかった。
「さてと。美味しかったよ、エミリー。
また私に作っておくれ。」
ニッコリと笑う彼はとても優しく、温かかった。
「光栄でございます。」
「見送りはいいよ。それじゃ、また後でね。」
そう言って私の頭を撫でた彼は、そのまま振り返って去って行った。
私はドキドキする胸を押さえ、息を吐き出す。
「はぁぁぁぁ…。」
息が上手くできないほどに緊張した。
彼に対しておかしい態度を取ってはいなかったかと思い返してはみたものの、緊張のし過ぎでよく覚えてはいなかった。
彼が私のものへと来る夜までには心の準備をしておこう。そう思いながら残りのパウンドケーキを食べてから殿下の元へと向かった。
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