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第三章
パッション(1)
しおりを挟む驚き過ぎて声も出ない。ドドッドッドドッと耳の近くで心音が響いて、持っていたマンガがばさっと床に落ちた。
「ああ、よく寝た」
目を見開いて固まる彩の視界で、仁寿がのっそりと体を起こす。
先生は寝起きが弱い。それを知っているから確信できる。目をこすって、さも寝起きのように装っているが、目の前にいるのはしっかり覚醒した藤崎仁寿だ、と。
「い、いつから起きてたんですか?」
「ずっと寝てたよ」
「嘘!」
「じゃあ、藤崎君のあたりから?」
「ひ……っ!」
喉が詰まるような悲鳴のあと、彩の顔からみるみる血の気が引いていく。
――じゃあって、なに?
あたりから? って、どうしてクエスチョンマーク? もしかして、ずっと起きてたの? 心躍らせて本を読んでいたのも知ってるわけ? 次から次へと疑問がわいて、頭が混乱し始める。それに追いうちをかけるように、自分の放った言葉が雷電のごとく脳を直撃した。
――どうして、わたしなんかを好きなのよ。
とんでもない独り言が頭の中でリフレインする。頭蓋骨が割れそうなほどの大音量、エコーつき。なんならビブラートだって効いているし、ファンファーレまで鳴り響いている。
――死ぬ。
一生の不覚としかいいようがない。どうしよう。穴があったら入りたいと本気で思ったのは、これが生まれて初めてかもしれない。恥ずかしさのあまり、今にも頭が爆発して卒倒しそうだ。
「マンガ、面白かった?」
余裕たっぷりな仁寿の笑みに、彩の耳が夏の夕焼けのように真っ赤になる。
「え、ええ。まぁ……、楽しませていただきました」
どうにか平常心を保とうとするが、声はうわずり目は泳ぎ、まったく動揺を隠せない。
「そう。主人公が高校生だから、今の僕たちが読むと幼く感じるストーリーだけど、まずはこれくらいがちょうどいいかな」
「ちょうど、いい?」
「どうも、彩さんから恋愛に対するパッションを感じないからさ。刺激になればと思って。どう? 胸がきゅんとして、乙女心に火がついたんじゃない?」
仁寿の目がきらきらと無邪気な光彩を放っていたので、彩は思わず「パッションって」と小さく吹きだしてしまった。もうパッションとか乙女心なんて年齢は過ぎてしまったけれど、確かに懐かしさも相まって、気分が澎湃するには十分な刺激だったと思う。
――まったくもう、先生は。
予想もしない方向から球が飛んでくるからびっくりする。だけど、先生は言うことにもすることにも厭味がなくて、その優しさについ甘えてしまいたくもなる。もしそれを口にしたら、遠慮せずに甘えてよと満面の笑みが返ってくるのだろう。
その顔を想像すると、少しだけ動揺が落ち着いた。
「はい、久しぶりにピュアな気持ちを思い出しました」
「よかったね。大事だよ、それ」
「……あの。わたしの独り言、全部しっかり聞いてましたよね?」
「どうかな」
くすっと笑う仁寿の顔が近づいて、ふわりと唇が重なる。マンガの影響か、マシュマロみたいな感触に胸がじんわりどきどきした。触れるだけのキス。なのに、甘い余韻が全身に広がっていく。どこか、物足りなさを伴って――。
「お腹がすいたね」
立ちあがった仁寿が、メガネをかけてベランダ側のサッシを開ける。日差しに温まったリビングを、乾いた冬の風がさっと吹き抜けた。リビングの時計を見て、仁寿がキッチンでごそごそと食材を探し始める。彩は、落ちたマンガを他の巻と一緒にテーブルに積むと、仁寿を手伝おうとキッチンへ急いだ。
「彩さんはゆっくりしていてよ。テレビつけようか?」
「いえ、そんな」
「手伝ってもらうほど豪華なものは作らないよ。時間も時間だし、軽くね」
洗った手をタオルで拭う彩の隣で、仁寿がパスタを二束とレトルトのミートソースを並べる。
「小麦粉だからなぁ。百グラムでも多いか」
仁寿はつぶやきながら鍋にお湯を沸かし、フライパンにミートソースを入れて刻んだ野菜とマッシュルーム、それから赤ワインを少し足す。
――わたしの出番はなさそう。
彩は、邪魔にならないようにキッチンを出て、カウンター越しに仁寿の手際を眺めた。
「先生、ちゃんと寝ました?」
「うん。眠られない当直のあとでも、昼寝は三十分くらいで十分かな」
「そう、なんですね」
「彩さんは?」
仁寿が、ぐつぐつと煮だった鍋に菜箸でパスタを沈めながら尋ねる。
「わたし?」
「CTとか検査したんでしょ? どうだったの? ずっと気になってはいたけど、メッセージアプリで聞くような内容じゃないから聞けなかった」
「ああ……」
どう答えよう。楽しい話ではないから適当に言葉を濁そうかと迷って視線を流しから上に向けると、こちらを見ている仁寿のメガネが湯気で真っ白に曇っていたから、彩は素直に話すことにした。
――なんだか気が抜けちゃう。
彩の表情が、穏やかなほほえみに変わる。
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