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第三章
研修医、藤崎先生(3)
しおりを挟む「青木さん、ちょっと触りますね」
仁寿が声をかけると、患者は仰向けの姿勢でとろんとした目を向けて、「うるせぇ」と呂律のまわっていない声と手を振りあげた。体に力が入らないのか、猫パンチほどの威力もない。それをかわして患者のズボンの裾をまくる。足が、目視で容易に分かるほどぱんぱんにむくんでいた。
「青木さん、心臓の病気をお持ちですか?」
「はぁ?」
酩酊状態だから、本人に聞いてもだめか。仁寿は一度その場を離れて、青木を診察した茅場にPHSで内線をかける。
「研修医の藤崎です。……あ、はい。ちょっと所用で。ええ、そうなんですよ。ありがとうございます。それで、先生が診た青木敬三さんについて相談があります。……そうです。六十七歳の……、はい、その方です。カルテを見たら点滴のオーダーしかないので、採血と胸写を出してもいいですか? 浮腫が著明で、補液いく前に採血したほうが……」
PHSを耳と左肩で挟んで、茅場と話しながらキーボードを叩いてカルテに記録を書いていく。
「ああ、そうなんですね。それなら、僕がそれぞれ検査の指示を出しておきます。……いいえ。こちらこそすみません、診察中にお電話して。お手数ですが、指示の確認だけお願いします」
茅場と仁寿の話が終わると、看護師の一人が隣で採血の準備を始めた。
「茅場先生、機嫌悪くなかったですか? さっき茅場先生に青木さんの件で相談したら、そっちでなんとかしろって怒られちゃいました」
「外来が忙しいから、気が立っているのかもしれませんね」
「よかったです、藤崎先生が来てくださって」
「ところで例の青木さん、点滴を中止して採血と胸写をオーダーします。採血は、僕がするからいいですよ」
「すみません、先生」
「いいえ。手を握ってなんて言われたら、怖いですよね」
マウスをクリックして採血の検査項目を選び、次にレントゲンの指示を入力してカルテを保存する。それが終わると、仁寿は医局に連絡した。内線を取ったのは彩だった。
「藤崎です。さっき頼んだジュリアンを、点滴室の五番ベッドまでお願いします」
『分かりました。すぐ行きますね』
仁寿が、採血用のグローブをはめて採血管を準備していると、大きなバッグを肩に掛けた彩が点滴室に入って来た。
「ちょっと彩さん、その大きな荷物はなんなのよ」
ちょうど通りかかった外来の看護師長が、目を丸くして彩に近づく。彩は、窓際の棚にバッグを置くと、中からリアルな人工腕ジュリアンを取り出した。
「見た目が本物みたいで物騒だから、人目に触れないようにして持って来ました」
彩が言うと、師長の目がますます大きく丸くなる。
「え? これをどうするつもり?」
「あ、師長さん。それ、僕が使います」
「藤崎先生が? って、なんで先生がいるの」
「お久しぶりです。詳しい話はのちほど。五番ベッドの患者さんが看護師さんの手をご所望と聞いたので、それを握らせたらいいんじゃないかと思って」
「ああ、なるほどね。もう大変だったのよ、大声出すし暴れるし」
「みたいですね。すみません、師長さん。それを持って一緒に来ていただけませんか? お時間は取らせませんので」
「いいですよ」
ありがと、と彩に言って仁寿がベッドサイドに立って青木に話しかける。彩はそれを見届けると、ジュリアン用のバッグをたたんで点滴室を出ていった。
「青木さん、採血しますよ」
「触るな、ばかやろう。てめぇ、ねぇちゃんはどこ行きやがったんだ」
「ここにいます。文句を言わない大人しい子ですから、安心していいですよ。青木さん、優しく握ってあげてくださいね」
仁寿が目配せすると、師長が苦笑しながらジュリアンを患者の手元に置いた。
「あったけぇなぁ」
ジュリアンの手をつかんだ青木が、視線を宙にさまよわせて深いため息をつく。仁寿は、その隙に青木の腕に針を刺した。
「青木さん、息が苦しくないですか?」
「どうだかなぁ、ずっとこうだから」
「お腹は? 痛くないですか?」
「あー……」
青木さん、と針を抜いて仁寿が話しかけると、今の今まで喋っていたはずの青木は、口をもごもごさせて寝入っていた。胸と腹部を聴診したあと、眼球と結膜を見て青木に毛布をかける。仁寿は、師長と電子カルテの場所まで移動して、一緒にカルテを見ながら青木について話した。
「検査の結果を見ないとなんとも言えないけど、状態がよくなさそう。こまめにバイタルチェックしてください。起きあがれないと思うので、レントゲンはポータブルで撮ってもらうよう放射線科に伝えておきます」
「分かりました。採血の結果が出たら、先生に連絡すればいいかしら」
「いえ、茅場先生に報告してくださればOKです。採血結果を待たずに画像を見てもらったほうがいいかも。あとはお願いしますね。僕はひとまず、採血を検査室に出して医局に戻ります」
「藤崎先生、ありがとう」
「由々しき問題ですね、セクハラ」
「そうよ、まったく。いまだにたったそれだけでって言われることが多いけど、怖くて看護師の仕事をできなくなっちゃう子だっているんだから」
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