月闇の扉

瑞原チヒロ

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第二章 誰がための罪。

36 謎の学者

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「白虎の者だけが引きずりこまれた……。面白い。特定の相手を狙うとなると、呪いの元も個人である可能性が高いな」
 かく言う若者自身は朱雀の《印》者だ。厚着の旅装の下に眠っている魔力の気配に、シグリィは警戒心を強める。
(強大な力の持ち主だ)
「シェトル殿! 呑気にしている場合ではないぞ――」
 他の男たちが若者に迫る。
 シェトル。その名で、シグリィも確信した。
(『アインスト・シェトル』――と名乗った、謎の男)
 他人の名前を名乗りこの地に調査にやってきたというその男。まさかこんなに若いとは思わなかった。
 その“自称シェトル氏”に詰め寄る他の男たち――おそらく全員地理学者――は、「傭兵たちを助けなくては」と息巻いた。
 その彼らを相手に、“シェトル氏”は冷めた声を向ける。
「助ける……? どうやって?」
「ど、どうやってと言っても――どうにかしなくては!」
「無理ですよ。私たちよりずっと戦い慣れている傭兵がまっさきにやられたんです。私たちがこの呪いに太刀打ちできるはずがない」
 あまりにもはっきりと言い切られ、学者たちは言葉を失った。
 だが――言を尽くすことにかけては並ぶ者のいない彼らだ。すぐに威勢を取り戻す。
「の、呪い呪いと言うが呪いだと確定はしておらん! 君は何を根拠にそう言っているのだね!」
「おや。分かりませんか? この地には怨念が満ちている」
 若者は耳をすますようなしぐさをした。
 今――クルッカの地の中から彼らを眺めるような状態のシグリィには分からなかったが、たぶん、魔女の怨嗟の声があふれているのだろう。
 だがその声はどうやら、若者にしか聞こえないらしい。
「怨念? 何のことだ」
「……やれやれ、鈍感な人間が多くて困る。もっとも」
 若者は羊皮紙をたたんで、少し伸びた前髪をかきあげた。「……ここの呪いはだいぶ力を失っているようだ。長い間、存在しすぎたか……?」
 ここは昔、と彼は学者連中に顔を向け直す。
「地租四神信奉者の村があり、マザーヒルズによって滅ぼされたと噂に聞きました。あれは何年前の話でしょうか?」
「地租四神の……? たしか百年はくだらん昔の話だが……シェトル殿! まさかその呪いはそのころからあるとでも?」
「どうでしょう。ただ、可能性は高いというだけの話です」
 そうして彼は再びクルッカの土地を見つめ、
「……惜しい」
 そう、つぶやいた。
「なんだって?」
「このまま消滅させるのは実にもったいない。こんなに長い間継続する呪いはまたとない――」
 若者の顔は相変わらずシグリィからは見えない。
 ただ、声だけは妙にはっきりと聞こえた。おそらくシグリィが魔女の精神と同調しているからなのだろう――魔女はこのとき、若者の、謎の学者の『声』を聞いていたのだ。
 若者がクルッカの土地に向き直る。
 偶然かはたまた運命か、そのとき若者はシグリィと真正面に相対する形となった。
 距離はある。だから見えなかったはずの顔が、一瞬シグリィの脳裏に閃く。若者の瞳が。強い光をたたえた瞳が、“森の中”を見つめて。
 若者は魔女に呼びかける。放っておけば消える寸前であったはずの、魔女の心に……
「呪いの主よ! 聞こえるなら我が声に応えよ、残る力すべてを我が前に表せ……!」

 ――――――!!!

 この百と数十年、魔女に呼びかけた者などいなかった。
 “存在を認められた”そのことが魔女の威勢を取り戻す。魔女がおおと啼く。若者の言う通りに、ありったけの力を示す。
 歓びに猛る魔女の心の中央で、シグリィは自分が吹き飛ばされないよう保ちながら、なおも目を見開く。
 見なくてはいけない。これから起こることを。
 それはたぶん――魔女の核に通じること!
 そのとき若者にも魔女の姿が見えたに違いない。虚空のある一点を見上げ、満足そうに口角を上げる。
「鍛えがいがありそうだ」
「シェ、シェトル殿」
 もはや他の学者たちの理解できる範疇ではなかった。彼らは腰を抜かしながら、じりじりとクルッカから離れつつあった。
 対照的に若者はクルッカを歩き回る。森のあった場所を。
 何かを探すように――
 そこには何もないはずだった。生命のない、荒野であるはずだった。あるのは砂と石ばかり……
 だが、若者は何かを見つけ出した。少し大きい石をどけたその下から、何かを拾い出す。
「見つけた」
 若者が空に掲げたそれは――
 光が反射した。まぶしさに、シグリィは目を細めた。まるでシグリィの視線を拒否するように、それは彼には見えなかった。
 しかし“それ”を顕されたとたん、
 魔女が吠えた。割れんばかりの声で泣いた。永い間憎しみだけしかなかった心に、別の感情が差した。
 悲しみがあふれた。
 若者は意外なほど優しい手つきでその“何か”の砂や埃を払う。きれいにはならなかったが、元の形は分かるようになった。ようやくシグリィにも見え、彼は瞠目した。
(あれはマリアが)
 ――魔女の妹が、ワイズからもらったはずの貝のペンダント。
 百年以上経っているというのに無事だったのか。それも魔女のすぐ傍にあったのか。埋まっていた位置といい、どう考えても奇跡的だ。
 石をどければそこにあるだなんて、まるで見つけられることを求めていたかのようじゃないか――
「……見つけて、ほしかったんだろう」
 若者は薄く笑う。空中にただよっているはずの魔女を見上げる。
「お前の事情は知らないが。これが欲しいか?」
 魔女は応えようとした。
 しかしもはや言葉にならなかった。自在に言葉を操れるほど、魔女は力を残してはいなかった。だから、代わりに声を上げた。人を憎むときと同じ声を。
 若者には、それで十分だった。
 若者の口元が笑む。それを見て、シグリィの胸にいいようもない焦燥感が迫った。この男は何をするつもりだ。「惜しい」とは何を惜しんでいる? まさか――
「ならばこれをやろう。お前と決して離れぬようにしてやろう。そうすることで、お前はもっと力を得るだろう。お前の呪いはこの先何年持つのだろうな? 私に教えてくれ」
 考えるより先に動き出していた――シグリィは走り出した。
 魔女の心の中で自分から動こうとは今まで考えもしなかったのに――体が動いた。
 理由は、分からない。だが脳の片隅で危険信号が点滅している。
 ――この男は、危険だ。

「――ッ!」

 ナイフの一振りが偽学者を襲う。
 彼とシグリィでは存在する次元が違うはずだったのに、若者は即座に反応した。そして――
 彼も旅装の中から取りだしたナイフで、シグリィのナイフを受けた。
 小さいがとてもきらびやかな護身用のナイフだ。宝石の輝きがシグリィの目を打った。一介の学者が持っているようなものではない。何よりその刀身が、使い込まれて鈍く光っている。学者の持ち物ではない!
 肉薄した距離。前髪に隠れがちだった若者の顔が今度こそ見えた。眼鏡の奥の黒い瞳が、にやりと笑う――

「何よりお前が、面白そうだ」

 火花が散る。弾き飛ばされて、景色がくるんと反転する。――暗転する。
(しまった――別の時代に飛ばされる)
 血の気が引くように急激に意識が薄れゆく。魔女の心が重くのしかかる――お前は異物なんだと、どろりとした感情がシグリィの体を包む。
 だがシグリィは目を閉じなかった。最後の最後までその光景を見続けた。偽学者が魔女と話し続ける。あのペンダントをかざし、術をかける。そして、
 そして……

『シグリィ!』

(ラナ――)
 シグリィは覚醒した。いつの間に意識が落ちていたのか分からない。はっと体を起こすと、何か柔らかい感触が自分の下にあった。
「……?」
 手でまさぐるとふわふわとしている。羽毛のような感触だ。
 目がよく見えない。周りは薄ぼんやりとしていて、ここがどこなのか分からない。だが自分が移動しているという感覚だけはあった。自分は何かに乗っている……
 やがて見えるものが増えてくる。周囲の景色はめまぐるしく動き形を成さない。その中で、自分が乗っているものだけがはっきりと見える。やわらかな翼を持つ大きな赤い鳥――
「……朱雀神……?」
 美しき神の鳥は一声、高らかに鳴いた。
 清らかな、まるで南国の楽器の調べのような声だった。
 視界がまばゆく輝き、思わず額に手をかざしながら白いトンネルを抜ける。
 その先にはしんしんとした夜闇が広がっていた。下には見覚えのある景色――
 一人の少女が、こちらを見上げている。胸の前できつく手を組み合わせたまま。
「シグリィ……!」
 赤い鳥は高度を下げながら、ラナーニャの頭上を旋回する。
 顔を後ろのシグリィに向けてややかたむけ、つぶらな目で何かを訴えている。
 シグリィはうなずき、鳥と呼吸を合わせて地面へと飛び降りた。
 事態があまりにも急展開すぎて、さしものシグリィも思考が追いついてはいなかった。けれど、ひとつだけ分かっていた。
「ラナ!」
 彼をあの幻の世界から引っ張り出してくれたのは彼女だと、そのことだけははっきりと。
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