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番外編
言の葉朽ちて、――3
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リシェルドは今日も、言の葉の樹から葉を摘み取っていた。
「……いつもありがとう、相棒」
声をかけることを忘れない。幹を撫でることも。
すると、何やらいつもと違う反応があった。
――興奮している?
ああ、とリシェルドは笑った。
「あの旅人が気に入ったのかい? 相棒」
気に入るだろうと思う。誰だって自分を認めてくれた人間のことは懐に入れたくなる。この言の葉の樹は――
とても、人間的だから。
リシェルド――シェルが物心ついたころからの付き合いになる。この樹はすでに老木だが、いつも若々しい。
友達であり、兄弟であり、親子であり、相棒であり。
いつもいつも、助けられていた。
「今日もありがとう、相棒」
額を幹につけて一言つぶやくと、リシェルドは顔を上げた。
みずみずしい緑と、白い花が視界一杯に広がっていた。
村にやってきた旅人三人を世話していたクーノが、難しい顔をしてシグリィたちの前にやってきた。
「どうしたんだ?」
シグリィは護身用の銀の短剣の手入れをする手を止めて、クーノを見る。
「……人が多い」
腕を組んだクーノはうなった。「困った」
「ああ……そう言えば村が騒がしくなったな。誰か来たか?」
青龍の《印》を持つシグリィは、村の植物たちが騒がしくなったのを感じ取ることができる。
クーノはむっつりした顔で、
「俺様の親父だ」
と言った。
「それってつまりー、シェルの原稿を買いにきた業者さんよね」
セレンが窓枠に腰かけながら指で頬をつつく。彼女の背後から、明るい陽光が差しこみ部屋の中をまだらに照らしている。
「シェルさんの最新作が出来上がるわけですか」
シグリィの向かい側で、こちらも剣の手入れをしていたカミルが微笑む。
「朗報だ」
シグリィが笑みを作ると、それとは対照的にクーノはむすっと、
「そんな簡単に言うな。小説のアイデアっていうのは無限にあるもんじゃないんだぞ」
「それはそうだけれど。あるうちに早く出してほしいな、私のような旅人はいつ命を落とすか分からないから――」
何気なくシグリィが口にした言葉に、はっと誰もが息を呑んだ。
「……シグリィ様」
カミルが押し殺した声で主を呼ぶ。
「ん?」
緊迫した空気を作り出した自覚のないシグリィは、訝しく思って小首をかしげた。
「シグリィ様は、私たちがお護りするからいいんですよう」
セレンが窓枠から下り、少年に背後から抱きつく。
「ありがとう」
嬉しく思って笑みを深くしていると、いまだに硬い表情のままの少女が見えた。
クーノは、唇を噛んでいた。
「クーノ?」
呼ぶと、少女はゆっくりと噛みしめるように言葉を紡ぐ。
「……俺様は、シェルに無理をさせたくない」
「ああ……」
「だけど、今のお前の言葉は無視できない」
「その通りだクーノ」
突然、新しい声が割って入ってきた。
シグリィたち三人はとっくに気づいていたのだが――クーノだけが、はっと振り向き、
「親父!」
と大声を出した。
まだ四十歳に届いていなさそうな男性が、護衛らしきいかつい男を五人連れて、戸口に立っていた。
「その旅人の言う通りだ。早い内に読みたい者は多いのだ、クーノ。例えば病身の者にとって、リシェルドの話は生命さえも長引かせる。例えば老齢の働けなくなった者にとっての、唯一の楽しみだ」
「親父……」
「まあ、旅人ゆえに命の危険がある――という人間は、今時珍しいだろうがな」
クーノの父親はちろりとシグリィたちをなめるように見る。
シグリィは努めてにこやかに、頭を下げた。
「娘さんにはお世話になっています」
「世話は娘が勝手にやっていることだ。礼を言われる筋のことじゃない」
クーノの父は片手を振って、
「それより、面白いじゃないか。キミたちの冒険譚をリシェルドに聞かせるのはどうだ? いい小説になりそうだ。そうだ――」
「親父!」
クーノがかみついた。「軽々しく言うな! シェルだって大変なんだぞ!」
「私も大変な思いをしてここまで買いつけにきているのだ。命をかけてここまで来ているのだからな。それなりの代価をもらわなければならん」
「親父……」
その言葉の重みは分かるのだろう、クーノは悔しそうに顔をゆがめる。
「シェルは賢い人ですよ」
シグリィは言った。「あなたたちにハイリスクを負わせているのを分かっていて、この村にいるんです。期待には応えるでしょう」
クーノの父親は機嫌をよくしたようだった。
「よく分かっているじゃないか、坊や」
あいつは期待に背いたことはない――と、男は続ける。
「いつだって高品質の作品を仕上げてくる。まったく頭が下がるな。私も都市で他の作家をたくさん見ているが、あんなに質を保てる作家は他に見たことがない」
――それは心をうまく表現する方法を身につけているからだ。
シグリィはそう思ったが、口には出さなかった。それは、シェルとクーノと彼と……シェルの相棒の間での、秘密。
クーノの父親は腰に手を当てて、満足そうに言う。
「私も命の張り甲斐があるというものだ。さて、今回はどんな作品を仕上げてくれたものやら」
「シェルのところへ行くのか!?」
「当然だ」
娘の言葉を軽く肯定して、父親は「部屋の用意を頼むぞ」とだけ言い置くと、廊下を歩いて行ってしまった。
残った傭兵たちが、慣れた様子で「俺たちの部屋もな。いっちょ一杯いってくらあ」とどすどす廊下を歩いていく。彼らはいつもの護衛メンバーであるらしい。
シグリィはちらとその後姿を見送った。
――斧。
護衛メンバーは一様に斧を持っていた。
別に武器として珍しくない。植物あふれるこの大陸東部では、植物を伐り倒すためにむしろ斧が当然にあふれている。それがそのまま、“迷い子”に対抗するための得物へと変わった。それが現状だ。
「……君のお父さんは青龍だな、クーノ」
廊下の先をずっと見つめていたクーノに、シグリィは言った。
クーノは父の背が消えたはずの空間をにらんだまま、
「そうだ。俺様と一緒だ」
「……樹の声は聞こえるかな?」
クーノがはっとシグリィを見る。
シグリィはこめかみをぽりぽりとかき、
「……聞こえるなら、話は早いだろうになあ……ひょっとしたら、樹の方が君のお父さんを嫌っているかもしれないな……斧が怖いのかもしれない。何にせよ現状は続くだろうな」
「シェルはお前にも見せたのか」
クーノは呆然とつぶやいた。「俺様だけの秘密だと思ってた」
「幸い私は樹の方に好かれたらしいからね。まあ、気にするな。君がシェルにとって特別なのは変わらない」
少女がぽっと頬を染める。セレンが「かわいー!」と騒ぎ出した。
「なっ、かわいいなんてやめろよっ。俺様を女扱いするんじゃねえ」
「かわいいものを素直にかわいいと書くのがシェルの作風だよ」
とシグリィは言ってやった。
セレンにぎゅーと抱きしめられたクーノは、
「おおお、俺様はっ」
大いに動揺しながらも、どこか嬉しそうだった。
「……いつもありがとう、相棒」
声をかけることを忘れない。幹を撫でることも。
すると、何やらいつもと違う反応があった。
――興奮している?
ああ、とリシェルドは笑った。
「あの旅人が気に入ったのかい? 相棒」
気に入るだろうと思う。誰だって自分を認めてくれた人間のことは懐に入れたくなる。この言の葉の樹は――
とても、人間的だから。
リシェルド――シェルが物心ついたころからの付き合いになる。この樹はすでに老木だが、いつも若々しい。
友達であり、兄弟であり、親子であり、相棒であり。
いつもいつも、助けられていた。
「今日もありがとう、相棒」
額を幹につけて一言つぶやくと、リシェルドは顔を上げた。
みずみずしい緑と、白い花が視界一杯に広がっていた。
村にやってきた旅人三人を世話していたクーノが、難しい顔をしてシグリィたちの前にやってきた。
「どうしたんだ?」
シグリィは護身用の銀の短剣の手入れをする手を止めて、クーノを見る。
「……人が多い」
腕を組んだクーノはうなった。「困った」
「ああ……そう言えば村が騒がしくなったな。誰か来たか?」
青龍の《印》を持つシグリィは、村の植物たちが騒がしくなったのを感じ取ることができる。
クーノはむっつりした顔で、
「俺様の親父だ」
と言った。
「それってつまりー、シェルの原稿を買いにきた業者さんよね」
セレンが窓枠に腰かけながら指で頬をつつく。彼女の背後から、明るい陽光が差しこみ部屋の中をまだらに照らしている。
「シェルさんの最新作が出来上がるわけですか」
シグリィの向かい側で、こちらも剣の手入れをしていたカミルが微笑む。
「朗報だ」
シグリィが笑みを作ると、それとは対照的にクーノはむすっと、
「そんな簡単に言うな。小説のアイデアっていうのは無限にあるもんじゃないんだぞ」
「それはそうだけれど。あるうちに早く出してほしいな、私のような旅人はいつ命を落とすか分からないから――」
何気なくシグリィが口にした言葉に、はっと誰もが息を呑んだ。
「……シグリィ様」
カミルが押し殺した声で主を呼ぶ。
「ん?」
緊迫した空気を作り出した自覚のないシグリィは、訝しく思って小首をかしげた。
「シグリィ様は、私たちがお護りするからいいんですよう」
セレンが窓枠から下り、少年に背後から抱きつく。
「ありがとう」
嬉しく思って笑みを深くしていると、いまだに硬い表情のままの少女が見えた。
クーノは、唇を噛んでいた。
「クーノ?」
呼ぶと、少女はゆっくりと噛みしめるように言葉を紡ぐ。
「……俺様は、シェルに無理をさせたくない」
「ああ……」
「だけど、今のお前の言葉は無視できない」
「その通りだクーノ」
突然、新しい声が割って入ってきた。
シグリィたち三人はとっくに気づいていたのだが――クーノだけが、はっと振り向き、
「親父!」
と大声を出した。
まだ四十歳に届いていなさそうな男性が、護衛らしきいかつい男を五人連れて、戸口に立っていた。
「その旅人の言う通りだ。早い内に読みたい者は多いのだ、クーノ。例えば病身の者にとって、リシェルドの話は生命さえも長引かせる。例えば老齢の働けなくなった者にとっての、唯一の楽しみだ」
「親父……」
「まあ、旅人ゆえに命の危険がある――という人間は、今時珍しいだろうがな」
クーノの父親はちろりとシグリィたちをなめるように見る。
シグリィは努めてにこやかに、頭を下げた。
「娘さんにはお世話になっています」
「世話は娘が勝手にやっていることだ。礼を言われる筋のことじゃない」
クーノの父は片手を振って、
「それより、面白いじゃないか。キミたちの冒険譚をリシェルドに聞かせるのはどうだ? いい小説になりそうだ。そうだ――」
「親父!」
クーノがかみついた。「軽々しく言うな! シェルだって大変なんだぞ!」
「私も大変な思いをしてここまで買いつけにきているのだ。命をかけてここまで来ているのだからな。それなりの代価をもらわなければならん」
「親父……」
その言葉の重みは分かるのだろう、クーノは悔しそうに顔をゆがめる。
「シェルは賢い人ですよ」
シグリィは言った。「あなたたちにハイリスクを負わせているのを分かっていて、この村にいるんです。期待には応えるでしょう」
クーノの父親は機嫌をよくしたようだった。
「よく分かっているじゃないか、坊や」
あいつは期待に背いたことはない――と、男は続ける。
「いつだって高品質の作品を仕上げてくる。まったく頭が下がるな。私も都市で他の作家をたくさん見ているが、あんなに質を保てる作家は他に見たことがない」
――それは心をうまく表現する方法を身につけているからだ。
シグリィはそう思ったが、口には出さなかった。それは、シェルとクーノと彼と……シェルの相棒の間での、秘密。
クーノの父親は腰に手を当てて、満足そうに言う。
「私も命の張り甲斐があるというものだ。さて、今回はどんな作品を仕上げてくれたものやら」
「シェルのところへ行くのか!?」
「当然だ」
娘の言葉を軽く肯定して、父親は「部屋の用意を頼むぞ」とだけ言い置くと、廊下を歩いて行ってしまった。
残った傭兵たちが、慣れた様子で「俺たちの部屋もな。いっちょ一杯いってくらあ」とどすどす廊下を歩いていく。彼らはいつもの護衛メンバーであるらしい。
シグリィはちらとその後姿を見送った。
――斧。
護衛メンバーは一様に斧を持っていた。
別に武器として珍しくない。植物あふれるこの大陸東部では、植物を伐り倒すためにむしろ斧が当然にあふれている。それがそのまま、“迷い子”に対抗するための得物へと変わった。それが現状だ。
「……君のお父さんは青龍だな、クーノ」
廊下の先をずっと見つめていたクーノに、シグリィは言った。
クーノは父の背が消えたはずの空間をにらんだまま、
「そうだ。俺様と一緒だ」
「……樹の声は聞こえるかな?」
クーノがはっとシグリィを見る。
シグリィはこめかみをぽりぽりとかき、
「……聞こえるなら、話は早いだろうになあ……ひょっとしたら、樹の方が君のお父さんを嫌っているかもしれないな……斧が怖いのかもしれない。何にせよ現状は続くだろうな」
「シェルはお前にも見せたのか」
クーノは呆然とつぶやいた。「俺様だけの秘密だと思ってた」
「幸い私は樹の方に好かれたらしいからね。まあ、気にするな。君がシェルにとって特別なのは変わらない」
少女がぽっと頬を染める。セレンが「かわいー!」と騒ぎ出した。
「なっ、かわいいなんてやめろよっ。俺様を女扱いするんじゃねえ」
「かわいいものを素直にかわいいと書くのがシェルの作風だよ」
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