暁の姫

瑞原チヒロ

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第二章 自然の国

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 レイネンドランド国の言語は難しい。色んな民族が固まってできた国だからである。
 共用語の他に、学校では四つの言語を習わなくてはならない。国の細かいところまでいったらそれこそ何十と存在する。
 アンゼリスカはそのうち、十五言語ほどまで把握していた。一時期レイネンドランドに住んでいたことがあるからだ。父親が優秀な”石”の研究者で、特殊な石を探して外国へ出たのがきっかけだ。
 そして、真っ先に来たこのレイネンドランドで、鉱山の崩れに巻き込まれ、あっさりと命を落としてしまった。
 その情報はすぐにはティエラには伝わらなかった。レイネンドランドの奥まで来てしまい、まだ若く国を渡る方法を知らなかったアンゼリスカと母、妹は稼ぐ方法がなく、仕方なくアンゼリスカは体を鍛え、傭兵業のようなことをし始めた。傭兵ともなると国の隅々まで行くことになる。色んな言語に出会うわけだ。
 そんな中、やがてシャールの一言で彼ら一家のことを思い出したティエラの重臣たちが、彼らを保護し、彼ら一家は帰国した。
 以来、アンゼリスカは趣味も兼ねて色んな国の言語を研究してもいる。他の国の首脳と会う時に、通訳としてその場に通されることもしばしばだった。
 今回、彼は表向き病身となり静養のため田舎に帰った母と、その看病で同じく故郷に帰った妹に、母の容態を見がてらシャールの結婚話を伝えるために、田舎に帰ったことになっているが――
 ――アンゼリスカの足が、レイネンドランドを一望できる岩山の上にかかる。
「……相変わらず緑豊かだ、ここは」
 懐かしい国。目を細めて見渡してみる。 
 この国はまるで、刻がゆっくりと流れているかのようだ。南の遥か彼方には海の青い線も見える。
 その一方で、鉱山が多いだけに、岩山にも囲まれた国。しかしその中にはこれほどに豊かな広い草地が広がり、酪農、稲、麦、果樹、そして肉に事欠かない。
 例えば国内にも何十もの河が流れ、そのため森林も豊かで、動物や虫が棲みやすい。
 湖もある。水鳥も見られる。
 家は木造。海からは塩も採れる。豊かな資源を惜しみなく使っている。
 あらゆる点で、内陸国のティエラとは違っていた。
(豊かな国レイネンドランド王国……)
 胸の中でつぶやいた。
(多種民族の国だというのに、争いが起こらない……国王の手腕)
 どこの国を見ても、多種民族国家というのは内部紛争が絶えないものだ。しかしレイネンドランドでは、不思議とそれが起こらない。資源が豊富だからという理由だけではあるまい。――王族の、力。
(現在の王族は、王と王妃、王子が一人と王女が一人。……次期国王のレイサル王子は、エディレイド殿下のご学友で、一つ歳上……)
 となると、レイサルは二十四歳だ。シャールとは八歳違うことになる。
 もっとも、王族の結婚に年齢差など気にされるわけがない。
 次期国王の一人息子となると、二十四歳での結婚は少し遅いくらいだろう。レイネンドランドとしては焦りもあるのかもしれない。
 しかし、その相手に所望したのがティエラ王族の一人娘とは――
 いつもは明るく輝いている夕陽色の瞳を持つ美しい主の、憂鬱な表情を思い出し、アンゼリスカは苦い思いを味わった。
「姫の憂いの芽は、必ず摘みとる」
 ワインレッドの瞳を鋭く光らせて、彼は岩山を下り始める。
 紡石ピエトラで染めた淡い金髪が、さらりと揺れた。

 ティエラとレイネンドランドは厳しい岩山が国を分けている。一般人はその中を細く細く通っている道を通って関所にたどりつく。
 アンゼリスカは面倒くさくて山自体を登る道を選んだのだが。
 結婚が成立すれば、まずこの山を切り崩そうという話が出るだろう。
「……どれだけの労力を使う気なんだ」
 下まで下りきって、山の細道の出入り口たる関所を見ながら、アンゼリスカはため息をついた。
 関所に到着すると、斧をかついだ兵士が四人と、椅子に座って事務を行っている男が一人いた。この辺り、かつてアンゼリスカが住んでいた頃と変わっていない。
 椅子に座っている男がアンゼリスカをじろじろと見て、
「どこの国から来た」
 と尋ねてくる。
 この関所に来るまでに、ティエラ以外の国からの道も交わっている。ここを通る国の種類は多いはずだった。
 アンゼリスカは今、親衛隊装備をしていない。旅装姿だったが、腰には剣を帯びている。男の視線はその剣に向かっていた。――このご時勢、旅をするのに武器は必需品なのだが。
(レイネンドランドの共用語……西部なまり)
 相手の言葉をそう判断した後、アンゼリスカはティエラともレイネンドランドともまったく違う国の言語でしゃべり始めた。悲痛な顔で、しきりに手を振って。
 兵士が顔をしかめた。
「どこの国だ?」
 斧を持って立っている他の兵士にも尋ねるが、みな首を振る。それはそうだろう。レイネンドランドとは遥かに遠い国の言語だ。習う理由もない。
 アンゼリスカは続ける。バンバンと激しく台を叩いて何かを訴えるように早口で。
 兵士はうるさそうにアンゼリスカを見やり、それから斧を持っている男の一人にあごをしゃくった。斧兵士はうなずき、アンゼリスカに近づいてくると、
「調べさせてもらうぞ」
 と彼がかついでいた荷物を奪い取った。
 まず、袋の中身。――保存食と、メモ帳などの筆記用具。
 斧兵士は首をかしげ、今度はアンゼリスカが腰に帯びていた剣をはずした。
 アンゼリスカは大人しくしていた。
 剣はティエラ産ではなく、ティエラの北にある鋼製で有名な国の量産型の鋼剣だった。
「ウィデンウォルグの剣だな」
 と事務係の兵士が頬杖をつきながら、アンゼリスカの剣を見つめる。
「旅人の標準装備か。……どこから来た旅人か知らんが、まあいいだろう」
 通行証の発行。「名前を書け」と書類の一部分をこつこつ指先で叩き、催促してくる。
 関所では名前を書かされるのが当たり前なので、言葉が通じていなくても旅人なら分かるものだ。アンゼリスカは「アンジリー・ミスト」とサインをした。もちろん、話していた言語と同じ言語の文字だ。読めなかったらしく、兵士が再び顔をしかめる。
「仕方ない」
 大儀そうに判を押して、突きつけてくる。
 アンゼリスカはほっとしたような笑顔を向けて、通行証を手に何度も頭を下げた。

 関所を抜けて、アンゼリスカは思わず足を止めた。
 林を切り倒して作った道が続いている。それはいいのだが、林の陰に斧を持つ兵士が――二十人? いや、二十五人。
(何だ? この厳戒態勢は――)
 関所から出てきたアンゼリスカに気づき、斧兵士たちは一斉に視線を集中させてくる。
 アンゼリスカは通行証を胸に抱き、腰を低く、しきりに頭を下げながら兵士たちの間を縫う。
 心の中で問う。なぜだ?
 考えるまでもない。
(結婚条約を持ち出したら……当然ティエラからスパイが来ると判断する)
 そしてそのスパイは彼自身なわけだ。
 関所の兵士は早々に一つミスを犯した。
 ――スパイは、色んな言語を使い分けられて当然なのだから。

 まずはどこへ行くか。
 とりあえず、西のティエラを見張っている連中からは離れなければ。
 ここの国の王城は幸い東にある。城に近づけば近づくほど、怪しまれなくなるだろう。
 もう少し疲れている旅人っぽくしておこう。何か恩恵にあずかれるかもしれない。そう思って腰の剣を抜き、杖代わりにしてひいこらひいこら歩いているふりをした。
 途中でティエラを見張っているはずの男が、見かねたのか、
「おら、杖にしろ」
 と親切にも近場にあった木の太い部分を切り落として、手渡してくれた。
 こちらはちゃんと分厚い手袋をしている。手を見られて「手練だ」と見つかることもない。アンゼリスカはのうのうと関所でも使った別の国の言葉で礼を言うと、今度はその枝を使ってえっちらおっちら歩き始めた。
 やがて、民家の集合地帯に入る。
 道を闊歩する兵士たちの隙を見計らって、アンゼリスカは一つの家に目をつけた。
 ちょうどその家からは、バスケットを手に一人の娘が出てくるところだった。
 アンゼリスカはその家が育てているらしき植木鉢の列の中にわざと倒れこんだ。
 がしゃがしゃと植木鉢が音を立てる。花々がつぶれてしまっただろうか。さすがに申し訳ない。
 しかしめぼしをつけた娘は、思った通りの行動に出てくれた。
「あ――もしかして旅人さん!? どうなさったの、気分でもお悪いのですか――」
「ご……ご……」
 アンゼリスカは引きつった手を娘に伸ばしながら、わざと片言のレイネンドランド語、しかも強度の田舎なまりを入れて一言つぶやいた。
「……ごはん……」
 ――我ながら情けない姿だな、と思いながら。
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