暁の姫

瑞原チヒロ

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第五章 混迷の青年たち

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 下から斬り上げてくるアンゼリスカの剣を、フレデリックの剣が叩く。
 ギン、と火花が散って、下から上から押し合いになった。
 やがてアンゼリスカが手首を柔らかく返し、横薙ぎに振るってくる。
 それを一歩後退してよけ、フレデリックは斜め斬りに斬り下ろした。
 受け流される。そしてすぐに顔面に飛んできたのは肘。すれすれで顔を横にずらしてよけると、続いて剣の柄がのどもとに突きこまれそうになる。
(本気――!)
 半身をかたむけてよけると、今度は足蹴りが飛んできた。
 フレデリックはアンゼリスカのワインレッドの瞳に灯った火に、底知れない恐怖を抱いた。
 自分には持ち得ない、強い心。
 信念を持つ者の強さ。
 ――防戦一方となる戦い。容赦なくフレデリックの急所を狙ってくるアンゼリスカ。だからこそ、フレデリックの体も次第に本気へと切り替わっていく。
 手元に戦輪がない。
 戦輪を持っているときの癖がつい出そうになって、それが隙となる。
 本能的に一歩退いたのが、彼の命を救った。――アンゼリスカの剣筋が、フレデリックの胸元をまともに薙いで行く。
 徐々にフレデリックの体も、剣一本で戦う態勢へと切り替わっていく。
 激しい剣戟。
 斬り結ぶ剣と剣。
 しかしアンゼリスカの動きに隙はない。左手で剣を持っている分のハンデを、体術で補っている。前蹴りでフレデリックの胸を突き、よろけた隙に剣がのどを狙う。
 間一髪でかがんでさけた。そこへ飛んできたのは回し蹴り。おそらく拷問されていたのだろう、ぼろぼろの上司は、しかしその体に力がみなぎっているかのようにオーラを立ち昇らせている。
 蹴りを肘で受け止め、剣を振り下ろした。
 高揚感が、フレデリックの心を支配しようとしていた。あれほどふさいでいた気持ちが――解放されていく。
 それは、戦いの中だから?
 否。
 アンゼリスカの瞳を見たから?
 アンゼリスカは衝撃波さえも生み出しそうな強烈な剣筋で、フレデリックに迫る。
 後ろがなくなっていく。
 親衛隊服に、切れ目が入った。
 ふいに心に浮き上がってくる言葉。
(そうだ、俺を倒せ。俺から……すべてを奪え)
 熱くなる体が、目の前の上司に囁いていた。
 エゴにエゴが重なり、再びのエゴが頭をもたげてくる。例えば死んだ者を生き返らせたいと願うような。
 そのことを――そう、一体誰が責められる?
(そうすれば)
 思い切り振りかざす剣。
 よけられてさらに、強くなる思い。
(俺はもう一度、やり直せるかもしれない)
 気を緩めたわけではない。油断したわけではない。手を抜いたわけではない。
 それでも、
 それでも、
 アンゼリスカの剣に。迷いなど一切ない剣筋に。勝てる気はしなかった。
 ワインレッドの視線と、空色の視線が交差した。
 刹那、
 アンゼリスカの剣が、とまった。
 ――フレデリックののどもとに切っ先を突きつけて。

「は……ははははっ」
 フレデリックは剣を下ろし、声を立てて笑った。
「私の勝ちだ」
 アンゼリスカはぎり、とねめつけてくる。
「ああ、お前の勝ちだ。お前の……」
 フレデリックはのどもとの剣の切っ先を手で押し下げて、柔らかく微笑んだ。
「……負けたよ」
「約束は」
「ああ。――シャール様を助けに行くと誓う」
 それを聞き、隊長は大きく息を吐いた。彼にとって、かなりの負担だったようだ。
 ふと見ると、剣の刃にひびが入っていた。それほどにアンゼリスカの気迫はものすごかったらしい。
「体を動かせば――」
 と、アンゼリスカはつぶやいた。
「お前は心を、もう一度開いてくれると思った」
 心と体は切っても切れぬ絆を持つもの。
 心が見えない闇の中にいるのなら、
 体からまず現実に引き戻す。
 そこまで言うと、アンゼリスカの体が揺らいだ。フレデリックはとっさに支えた。
「馬鹿。お前が倒れてどうする」
「分かってる」
 彼は自力で立ち直ろうとしている。紡石ピエトラでは、自分自身の回復はできない。自分自身の――精神力を使っているからだ。
 苦笑して、フレデリックは眼鏡をはずした。
 鎖つきの眼鏡だ。その鎖部分に、合計五つの飾り珠。
 いや――
 アンゼリスカは目を見張る。
「お前、その飾り珠は……」
「念のため持たされていたんだよ。シャール様に……」
 身体チェックも軽くスルーした。それはまぎれもない紡石ピエトラ
 鎖を引きちぎり、五つの紡石ピエトラを差し出す。
「このうち三つは癒しの紡石ピエトラだ。……これで回復しろ」
 アンゼリスカはじっとフレデリックの掌のそれを見つめる。
 そして、
「……お前、他人の紡石ピエトラを使ったことがあるか?」
 訊いてきた。
 フレデリックの心がぴくりと震えた。
 アンゼリスカが優しい目で、歳上の部下を見る。
「お前が使ってみせてくれ。できるはずだ」
「―――」
 確かに。
 紡石ピエトラは、他人でもその効力を発動させられる。
 ――しょせんは生成者の願いだ。
 いや、
 紡石は、使用主の願いに呼応しないと発動しない――
「い――」
 震える声で。
 けれど心の奥底から。
 目の前の、自分にまっすぐな視線を向けてくれる上司の回復を願った。
「癒、せ……」
 紡石ピエトラの一つが青く発光した。その光はまっすぐにアンゼリスカの体へと進み、彼の体を包み込む。
 青白く銀髪の青年の輪郭が輝く。それは思いもかけないほど強い光。
 アンゼリスカは右手を持ち上げた。
「爪が痛くなくなったな」
 くす、と微笑み。
「―――」
 フレデリックは残りの四つの紡石ピエトラを握りしめ、固く目をつぶった。
 ――自分にも、こんな、奇跡が、
「ありがとう、フレッド」
 声に瞼を上げると、歳下の上司の邪気のない笑顔があった。
 そしてワインレッドの眼差しが、同僚を信頼するそれへと変わる。
「さあ、シャール様を助けに行くぞ」
 ――もう、抵抗する理由はなかった。

 エディレイドの親衛隊も牢のどこかにいるはずだと伝えると、アンゼリスカは即座に彼らを捜しに回った。
 捜すのはそれほど難しいことではなかった。守衛たちが眠っている今、人の気配は限られていたからだ。
 特にティエラ人の気配は、同じティエラ人には強く感じられるらしい。特殊な一族の特性……こんなところでも役に立つ。
「ラストレイン隊長」
 エディレイド親衛隊の隊長は、アンゼリスカの顔を見て厳しい顔をした。
 第二王子親衛隊は、みな四十代の男性である。加えて、主と同じように頭脳派というプライドがある。
 遥かに歳下のアンゼリスカに助けられるのはあまり嬉しいことではなかったらしい。
 結構な期間この牢獄につながれていたアンゼリスカと違って兵士の動きなどが読めなかった彼らは、脱出するタイミングを見つけられずにいた。
 そんなことには構わず、アンゼリスカは紡石ピエトラの生成を繰り返して鍵を開けて回った。
「……守衛の誰かが鍵を持っていてくれればよかったんだが」
 アンゼリスカが精神的疲労からため息をつく。
「おそらく守衛は持っていないだろう。……持っているとしたら、レイサル王子だな」
 とフレデリックは眠っている守衛たちの様子を慎重にはかりながら答えた。
 エディレイドの親衛隊が牢を脱け出す。
 守衛の交替時間ではないことを感覚で確かめ、音もなく彼らは移動する。
 合計七人のティエラの兵士たちは、牢の階段を昇った。

 牢の入り口にいた兵士を打ち倒し、牢から出ると、そこは城の中だった。地下牢らしい。
「フレッド、シャール様の部屋は分かるか――?」
「ああ。女の子に声をかけまくってきたからな」
「………」
 がん、と後頭部をアンゼリスカに殴られた。
「……褒めろよ、おかげで手に入った情報は結構なもんだぜ」
「そうかもしれなくても、お前はどこかがいちいち間違ってるんだ」
「何でだよ……」
 実際フレデリックが女の子たちに声をかけると称して集めた情報は大したものだ。彼がそういう人間だということがすぐにレイネンドランドの王城の使用人たちにも広まったおかげで、彼がどこを歩いていようが誰にも見咎められなかった。
「ここはどこだ? 殿下の部屋に行くにはどういけばいいのだ」
 エディレイド親衛隊は困惑しているようだった。普通、地下牢への道は隠されているから当然だ。
「まあ部屋が変わっていなければエディレイド王子のところにもシャール様のところにも簡単にいける。ただな」
 フレデリックには気になっていることがあった。眉をひそめて、
「この城、絶対使用人を入れるなと言われている部屋がいくつかあるんだよ。それぐらい王宮にはよくある話だが、妙に気になる」
「――差し当たっては我らが王族の解放だ」
 アンゼリスカは押し殺した声でそう言った。
 うなずき、フレデリックは「こっちだ」とティエラ兵士をうながした。

 エディレイドの親衛隊も当然ながら紡石ピエトラの生成ができる。アンゼリスカほど強力な紡石ピエトラは紡げないが、今はアンゼリスカの疲労が激しいので、彼の代わりとなってレイネンドランドの兵士、使用人の視覚と聴覚、嗅覚を狂わせながら廊下を走る。彼らがのきなみ眠っていたらさすがに怪しいだろうと考えたからだ。
 客室は一階の南南東。
 見覚えのある場所まできて、エディレイド親衛隊が「もういい」と先に走っていった。
「やれやれ……仲良くできないもんかね」
「……兄殿下たちの親衛隊は、殿下たちを護れなければ死罪だからな――私たちも行くぞ」
 アンゼリスカはシャールの部屋をまったく知らない。フレデリックはエディレイドとははす向かいの部屋を指す。あらかじめエディレイド親衛隊の紡石ピエトラで感覚がおかしくなっている兵士は、前に立とうが隣に立とうがまったく反応しない。
「鍵は?」
「閉まってる」
 アンゼリスカは鍵開けの紡石ピエトラを紡ぐ。かちゃりと軽い音がして、鍵はいとも簡単に開いた。
 ドアをぎりぎりまで薄く開けてすべりこむ。
 天蓋布のかかったベッドの中で、人影が動いた。
「誰だ!」
「シャール様!」
 アンゼリスカは声を上げた。天蓋布をしゃっと開く。
 彼の目の前に、長い金髪を襟足で無造作に結んだ、夕陽色の瞳の少女がいて。
「アンゼ……!」
 王女の瞳が輝く。アンゼリスカは少女を抱きしめた。
「よかった……よくぞご無事で」
「アンゼ……アンゼ……!」
 シャールはアンゼリスカにしがみついた。そして彼の背中の無数の傷痕の感触に気づいたらしい、
「アンゼ? お前、この怪我……」
「気になさることではありません。スパイとはそういうものです」
 アンゼリスカは穏やかに微笑む。
 シャールの目がいいようもなく悲しい色に光った。
 アンゼリスカは少女の足元にひざまずき、
「――我が姫。それでも私を信用してくださったからこそ、私をこの国へ送ってくださったのではなかったのですか」
「―――」
 シャールは大きく口を開けて、それから閉じた。深呼吸。そして凛と鳴る声。
「そうだ。アンゼリスカ・ミスト・ラストレイン。よくぞ私の元へ戻ってきた」
「はい。囚われた失態をお許しくださいませ」
 シャールはかがんで、もう一度アンゼリスカを抱きしめる。
「本当に、よかった……」
 ――ドアの隙間から廊下を見ていたフレデリックが、「感動の再会を邪魔するようで申し訳ないんですが」と声を割り込ませる。
「何だ?」
 シャールはアンゼリスカから離れた。
 フレデリックは廊下を見つめたまま、
「エディレイド殿下が何か行動を起こしているようです。親衛隊ともめていらっしゃいます」
 はす向かいのドアはよく見えないが、口論しているのはよく分かる。
 シャールは走り寄って、ドアの隙間から外をのぞいた。
「――放せ、レイサルの元へ行く……!」
「殿下! 今あの王子の元へ行かれるのは得策ではありません、一度本国に応援を呼んでから……!」
「レイサルと話し合った時間は三年だ! 三年もの間をかけた! まだ……話し合う余地はある!」
 エディレイドが激情のままに、紡石ピエトラを生成した。握り拳大にもなる石。そんな大きな石を紡げるのはティエラでもエディレイドだけで、
 シャールの後ろからドアの隙間をのぞきこんだアンゼリスカが、目を見張った。
「あの紡石ピエトラは……!」
 黄色い閃光が走った。
 エディレイドの親衛隊が、揃って吹き飛ばされた。
「―――!」
 シャールは大声を上げた。
「兄上! よくも紡石ピエトラを――人を傷つけるものとして紡いだな!」
 当然のことだが、人を襲う紡石ピエトラは、紡いだ人間がそうと願わなくては生成できない。
 エディレイドは人を傷つけることを願ったのだ――!
 蜜色の瞳をした王子は、バンと扉を開いた妹姫の姿を見て薄く笑った。
 自分とよく似た色の瞳を持つ妹を見て、薄く深い憎悪の色をのせた笑みを、その端正な顔立ちに――
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