暁の姫

瑞原チヒロ

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第五章 混迷の青年たち

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「邪魔、なんだよ。……シャール。お前は……」
 いつだって。
 自分たちは、いや自分は、あの妹に勝てない。
 エディレイドは再び紡石ピエトラを生成する。黄色い紡石ピエトラ。彼の掌にずっしりとのしかかる重さ。拳大のサイズ。これほど大きな紡石ピエトラを生成できる者はおそらく、ティエラ国内でも自分だけだ。
 そんな自分にさえ。
 親衛隊たちは、大した尊敬の念も見せず、ただ命じられるままについてくるだけだというのに。
「……お前を追い出したいのさ、ティエラから……シャール……」
 目の前からいなくなればいい。あの、さやかな夕陽色の瞳。いつもまぶしい明るく弾ける笑顔。
 ついこの間、自分の前で弱音を吐いた妹を見たとき、全身が喜びで震えた。――弱みをつかんだと思った。
 兄は愚鈍、弟は無関心。
 お前だけいなくなれ、我らの国から。
 そうすればもう、国に自分の邪魔者はいなくなる。
 お前だけが邪魔なんだ。お前だけが――

 つぶやきは妹に届いただろうか――

「兄上! その紡石ピエトラを発動させるな――!」
 邪魔な娘が部屋から出て駆けてくる。
 兄? 兄だと?
 お前に兄だなどと呼ばれたくはない。
 掌の紡石ピエトラが発光する。細長い光はシャールだけに突き進み、少女の体にからみついて持ち上げ、次の瞬間には廊下に叩きつけた。
「あう……っ!」
「シャール様!」
 アンゼリスカとフレデリックが飛び出してくる。
 ――アンゼリスカは生きていたのか。レイサルもぬかったものだ。
 エディレイドはシャールが床に這いつくばったままでいるのを一瞥して、大股に歩き出した。レイサルの元へと。
「待て……行くな、兄上……っ」
 ――ああ、うるさい。
 誰か、あの口を封じろ。
 吐き捨てるようにこみあげてくる思いが勝手に紡石ピエトラとなり、黄色い閃光となって妹を貫いていく。
「―――!」
 口の利けなくなった娘は、強く廊下を叩いた。
 エディレイドは振り向いた。
「シャール。この罪人が」
 冷え切った声。自分でも分かるほど、優しさのかけらもない声。
「お前の罪。それは生き返らせようとしたことじゃない。それを一時とは言え成功させたという事実さ」
 生命あるものの生死を、あの娘はほんのわずかなりとも確かに動かしたのだ。
 それがもしも周囲に知れたなら。
 誰もが希望を持つだろう。死んだ人間だって生き返るはずだと。
「歴史上それに成功した人間は誰一人いないというのに。シャール、お前は人々に余計な絶望を運ぶ」
「―――っ」
 シャールが床についた両手を拳に握る。
 小さな唇が、大きく動いていた。
 〝あ、に、う、え〟――
 そんなものが、エディレイドの足を止められるはずもなかったのに。

 エディレイドの背中が消える。
 アンゼリスカが急いで紡石ピエトラを生成していた。シャールの声を直すために。
 エディレイドの紡石ピエトラの影響は大きすぎる。それに対抗するには数をぶつけるしかなかった。アンゼリスカはいくつもの紡石ピエトラを紡ぎだし、
「……声よ、戻れ」
 赤い閃光が王女の喉にからみつく。
 それを何度も繰り返し、ようやく「あ……」とかすれた声が出た。
「アンゼ……無理を、するな……」
「いえ、完全に治します。今お待ちを」
 精神力の続く限り紡石ピエトラの生成は可能だ。今のアンゼリスカの気迫なら、永遠に紡石ピエトラを作り出せるのではないかというほどだった。
 やがてアンゼリスカの赤い光は、エディレイドの黄色い輝きを完全に追い払った。
 喉を押さえて、シャールは、はあ、と大きく息を吐く。
「兄上……っ」
 兄が消えた方角を見つめる。レイサルの部屋だということは容易に想像できることだ。
「行か、なくては……っ」
 床に叩きつけられ、全身に鈍痛が走っていたが、シャールは立ち上がった。
 周囲を見渡す。アンゼリスカがいて、フレデリックがいて。
 気絶したエディレイド親衛隊がいて。
 兵士や使用人たちは、ティエラ人たちの騒ぎには何も気づいていないかのように、普通に行動している。感覚を狂わされたのだろうとすぐに分かった。
 フレデリックがエディレイド親衛隊の気つけをしている。アンゼリスカに、回復の紡石ピエトラ生成をさせるわけにはいかないと思ったのだろう。
「フレッド……」
 シャールは彼を呼んだ。
 眼鏡の青年は顔を上げた。
「はい?」
 国にいた頃と変わりない表情。まるで何もなかったかのような。
 けれど、シャールは一度見てしまったから。彼の心の闇の淵を。
 だから、
「フレッド……私についてきてほしい」
 言った。
 まっすぐに、視線を合わせて。
「私にはお前が必要なんだ。私についてきてほしい。フレッド」
 夕陽色の瞳は届くだろうか?
 空の色の瞳に。
 フレデリックは沈黙した。シャールはあははと照れ笑って、
「――アンゼ。〝糸〟の生成はできるか」
「はい」
 アンゼリスカは再び赤い紡石ピエトラを紡ぐ。
「つなげ」
 赤い閃光は、まっすぐシャールの腰に伸び、からみついた。
 これは目印。一定時間の間、一定範囲内ならば、どこにいても相手の居場所が分かる。
「私は先に兄上の元へ行く……兄上の親衛隊を気つけしたら、追ってきてくれ」
「おおせのままに」
 力強いワインレッドの瞳に勇気づけられ、シャールは走り出した。

「フレッド……」
 主が廊下の向こうに消えてから、アンゼリスカは副官を見る。
 フレデリックはうつむいていた。
「フレッド?」
 心配になってのぞきこむと、副官は肩を震わせていた。
 やがて、我慢しきれなくなったかのように彼は、声を立てて笑った。
「――はは、ほんと、大した姫様だよなあ」
 懐かしいよ、とフレデリックはつぶやいた。
「……俺が親衛隊に配属されたときのセリフと、同じだ」
「………」
 俺が忘れていたのはこれか、と彼は穏やかな口調で言い、そしてにっと口の端を持ち上げた。
「凛々しい姫に望まれる。男としてこれ以上の名誉はあるか? さあ、応えてみせようじゃないか――」
 アンゼリスカは笑みを返す。
 副官になど負けていられない。
「覚悟はいつもこの胸に。私は姫のためなら命をも捨てられる」
 胸の上に手を置いてそう宣言すると、フレデリックはちっちと指を振った。
「分かっちゃいないな」
 指先をアンゼリスカの鼻先に突きつけて、彼はいたずらっぽく片目をつぶった。
「大切な女を護るという本当の意味は、その命を賭けることじゃない。――お前も、ともに生き延びることだ」
 大切な〝女〟――
 アンゼリスカは真っ赤になった。
「シャ、シャール様をそのような言い方で表現するな!」
「ん? 違ったか?」
「違う! あの方は大切な乳兄妹で、私の主で、それで――」
 それで?
 言いかけた言葉は、声にならず宙に舞った。
 フレデリックは、まるでそれを見つめているかのように、虚空に視線をやった。
「……自覚がないと、横から奪われるぞ。シャール様ももう、あのお歳だからな」
「ううう、うるさい!」
 ぎくしゃくとした動きで、「私も気つけをする!」とアンゼリスカはエディレイド親衛隊の体に腕を引っかけ、ばきっと骨が折れるかのような恐ろしいことをやった。
「落ち着けよ」
 フレデリックが呆れたように、笑った。

 エディレイド親衛隊を全員気つけした後、彼らはアンゼリスカの〝糸〟を頼りに走り出した。
 〝糸〟はレイサルの自室を通り越した。どうやらエディレイドたちはこの部屋ではない場所へ行ったらしい。
 途中――
 城内の奥まった場所で、フレデリックが、立ち止まった。
「……ここだ」
「何がだ?」
 アンゼリスカが副官の様子に立ち止まる。エディレイドの親衛隊が「何をしている!」と怒鳴っているが、知ったことではない。
「使用人が、絶対に入るなと言われている部屋のひとつ――」
 アンゼリスカとフレデリックは顔を見合わせる。
 アンゼリスカは、鍵穴に耳を近づけた。
 ――聞こえる。何かが動く音。声は聞こえない。けれど、この気配はまぎれもない。
「ティエラ人がここにいる――?」
 それを聞いて、さしものエディレイド親衛隊も息を呑んだ。
 アンゼリスカは即座に鍵を開ける。そしてそっとドアを開けた。
「―――!」
 次の瞬間には、彼はドアを大きく開いていた。部屋の絨毯の上に、
 二十人を超す五歳前後の子供たちが。まるで牢にいたときのアンゼリスカのように、手足に枷をつけられ、転がっていた。
「さらわれた子供たちか……!」
 エディレイド親衛隊たちが走り寄って、次々と枷をはずしていく。
 子供たちは眠っていた。頬を叩いても、まったく反応しない。呼吸や心臓の動きは正常だ。生きている、なのに。
 子供たちの様子を見て回っていたアンゼリスカとエディレイド親衛隊たちの顔色が徐々に変わっていく。
「この、気配は」
「何だ? 何が起こってる?」
 フレデリックは彼らの顔を見回す。
「フレッド……お前も、五年も我が国にいれば分かってくるだろう。この気配――」
「この気配? この気配って、だから」
 言いかけたフレデリックは口をつぐんだ。思い至ったのだ。
 子供たちから、吹きかかってくるように感じる気配――
紡石ピエトラ……?」
「馬鹿な、なぜだ? 説明がつかない!」
 エディレイド親衛隊の隊長が声を荒らげる。しかしアンゼリスカは何かを思い出しているかのように、唇を噛んでいた。
「アンゼ?」
「……レイサル王子が」
 アンゼリスカは、自分が捕らわれたときのことを思い出していた。
紡石ピエトラを使っているのを……私は、見た」
紡石ピエトラがレイネンドランドへ流れている?」
 確かに少量の紡石ピエトラは外国にも流れる。しかし外国人では、なかなかその能力を発揮させられないのが現状だった。確かに癒しの紡石ピエトラは戦場でしばしばその能力を発揮させるが、外国人はそもそも紡石ピエトラとはどういうものかを理解していない――いや、理解できないのだ。
「レイサル王子ならできるかもしれない。エディレイド殿下とご学友のあの王子なら……」
「ああ、エディレイド殿下が生成してみせていたかもしれないな。親友にも等しいというからには、紡石ピエトラというものについて詳しく教えていたかもしれない」
 エディレイドの親衛隊隊長がきつく眉を寄せた。
「……ラストレイン隊長。レイネンドランドが、一体何のために子供たちをさらう必要がある?」
 アンゼリスカとフレデリックの会話に、エディレイド親衛隊長が口を挟んでくる。
 アンゼリスカは苦い顔で、自分の体を見下ろした。
「……私が拷問されたのと同じ理由でしょう、おそらくは」
「なに……?」
紡石ピエトラを生成しろと言われたのですよ。研究のために」
「何の研究だ?」
 とフレデリック。アンゼリスカは静かに、口にした。
「石の〝練成〟――すなわち、ティエラ人ではない者が人工的に紡石を作り出すこと」

 エディレイドに叩きつけられた紡石の気配は、幸か不幸かシャールに彼の居場所をたぐりよせる〝糸〟の代わりとなった。
 やがて彼女がたどりついた先は、謁見の間――
 裏口から飛び込んだシャールは、そこで立ちすくんだ。

 レイネンドランドの王がいた。王妃がいた。レイチェル王女がいた。
 そしてレイサルがいた。
 エディレイドを床に転がし、足で踏みつける、冷ややかな森の瞳をした王子が――
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