暁の姫

瑞原チヒロ

文字の大きさ
上 下
22 / 23
第六章 禁忌の技術

しおりを挟む
 レイサルの訓練された動きが、彼の命を救った。
 レイサルは半身をそらした。灰色の人形は、一瞬前までレイサルの右半身があった場所に鋭い爪を振り下ろしていた。
「なんだ……?」
 レイサルが緊張した声を出す。
「石が」
 シャールは思わず口に出した。レイサルがとっさに、己の持つ天然石の紡石(ピエトラ)に視線を落とす。
 石が発光していた。今までよりも、ずっと強く。
 そして白い光をあちこちに走らせた。
 散らばった光は、人型をかたどって輝く。すっと輪郭を彩っていた白い光が消えたとき、灰色の体を持つ不気味な人形となって、それらは目も鼻も口もないのっぺりとした顔をあげた。
 長い爪がぎらりと光る。曲がり気味の足。足の爪も鋭い。突き刺さったら、一気に内臓まで達しそうな長さだ。
「なん……だ、これは……」
 レイサルが呆然と、謁見の間をあっという間に埋め尽くした何十もの灰色の人形を見渡した。
 人形たちは走り出した。転がっていたエディレイドの体を踏み潰し、足の爪を食い込ませようとする。
「願いよ……」
 エディレイドの、苦しげな声がした。
「潰せ!」
 瞬間、黄色い閃光に包まれ、エディレイドを攻撃しようとしていた灰色の人形はぺしゃんこに潰れて消えた。
「願いよ届け、紡ぐ心となりて!」
 アンゼリスカの素早い紡石生成が成功し、
「吹き飛ばせ!」
 灰色の人形が次々と壁に叩きつけられる。
 シャールは必死で立ち上がった。
 レイサルの石の発光はまだ続いていた。光が伸び、次々と灰色の人形を生み出している。
 そしてその灰色の人形は――
 なぜか、ティエラの者たちを通り過ぎ。
「―――! レイサル王子!」
 四体もの人形にまとめて襲われたレイネンドランドの王子を、シャールはかばった。
 肩に、腹に、爪が食い込む。
「……っあ……っ」
「姫!」
 アンゼリスカの叫ぶ声がする。レイサルが舌打ちして、シャールの体を抱え背後に退いた。
 しかし灰色の人形のターゲットはレイサルに留まらなかった。
「きゃあああ!」
「レイチェル、逃げなさい!」
「陛下もお逃げにならなくては……!」
 レイネンドランドの王族たちも一斉に襲われ、武装していなかった彼らはなすすべもなく爪の餌食になっていく。
 血の匂いが、謁見の間に充満した。
 致命傷を身に受けた者こそいなかったが、このまま出血が増えたら誰もが危険だ。
 レイサルも振り下ろされた爪を背中に喰らい、
「馬鹿な……なぜ、こんな……」
 シャールの体を放した。
 その手から、天然石が落ちる。かなり小さくなった石は、しかしレイサルの手を離れてさえも発光を続け、何体もの灰色の人形を生み出す。
 シャールに人形が迫る。応戦しようとしたが、武器がない。体術で返そうにも足元がおぼつかなかった。
 傷ついた肩と腹を押さえ、シャールは歯ぎしりする。爪が振り下ろされてくる――
 ざん! と灰色の腕を斬り落としたのは、剣だった。
「アンゼ……」
「姫、私から離れてはなりませんよ!」
 自身も散々レイサルに痛めつけられた後だというのに、アンゼリスカはシャールを背にかばい、襲ってくる灰色の腕と足を次々と斬り飛ばす。
 拷問の後なのに。レイサルにもてあそばれた後なのに。
 この側近はまだ、自分のために力を使ってくれるのか。
「なぜだ……」
 こんなときなのに、シャールはつい問いを放っていた。ずっとずっと、気になっていた問い。
「なぜ私を護ってくれる? 私は罪人だ……兄上の言う通り……!」
「……姫」
 横からきた灰色人形を斬り下ろしてから、アンゼリスカは肩越しに振り向き、微笑んだ。
「私の姫。……あなたは心優しい方です」
「―――」
「私がお護りすると決めた。あなたをお護りすることが私の誇り!」
 アンゼリスカは剣を振るう。迷いなく、護ると決めた姫を害するものを始末するために。
 しかし数が多すぎる。紡石ピエトラ生成で応戦するのが一番だったかもしれないが、その隙さえ与えてくれない。
 エディレイドが血を流して床に倒れているのが見えた。
「兄上……!」
 シャールは叫んだ。そのエディレイドに、さらに灰色人形の蹴りが――
 突如、
 風を裂いて飛び込んできた刃が、エディレイドを襲おうとしていた足をすぱっと斬り落とした。
 鳥のように空中を飛ぶその武器は、回転する刃。辺りを一周し、灰色人形の首や腕を斬り落としていくと、持ち主の指先にくるんときれいにおさまった。
 眼鏡の青年が、いたずらっぽく片目をつぶった。
「遅くなりまして、シャール様」
 シャールは、安堵のあまり力が抜けかかった。はは、と自分でも情けないと自覚できる笑みを浮かべ、
「この馬鹿。……早く来い」
「いやはや。戦輪を取り戻すのに手間取りましてね――さて」
 フレデリックは一瞬のうちに、その眼差しを鋭くした。
「エディレイド殿下の身は俺が護ります。アンゼ、シャール様は任せる」
「言われなくとも」
 アンゼリスカは副官の姿に、ふふっと笑って剣を振るった。
 フレデリックは戦輪を駆使して灰色人形たちの腕を足を斬り落としていくと、エディレイドの元へ駆け寄り、その様子を確かめている。
「兄上は……!」
「気を失っておられます」
「フレッド、今の状態で気を失っておられるのは危険だ! お目を覚まさせてさしあげた方がいい!」
 アンゼリスカの言葉に、フレデリックは自身の服の中から何かを取り出した。――石。紡石ピエトラ
 あれは自分がいざというときのために渡しておいた……
 フレデリックは眼鏡の飾り珠として隠し持っていたそれを使い、
「癒せ」
 青い光がエディレイドの体を包み込んだ。
 シャールは嬉しさのあまり、目が潤みそうになった。
「フレッド、紡石ピエトラが扱えるようになったのだな……!」
「喜んでいいんだがいけないんだか分かりませんけどね」
 たしかに外国人が軽々しく紡石ピエトラを扱えるようになるのは喜ばれたことではない。
 だが、それでもシャールは嬉しかった。素直に、嬉しかった。
 エディレイドがぴくりと体を動かす。
 背後に迫っていた灰色人形を、振り向きざまの剣の一閃で沈めると、
「目を覚まされましたよ……!」
 とフレデリックは言った。
 エディレイドの目には、この光景がどのように映るだろう。
 そして、
 レイネンドランドの王族たちには、どのように映っているのだろう。
「これは……しかし、何事だ?」
 シャールはふらふらする頭を押さえながら、何とか周囲を見渡す。
 レイサルが落とした石はどんどん小さくなっていくが、まだ光を失わない。どんどんどんどん灰色人形を生み出し、謁見の間に血を増やす。
 エディレイドが腕を伸ばしていた。フレデリックに向かって。
 起こしてくれ、とでも言ったのかもしれない。フレデリックは王子の脇下に腕を入れ、上体を起こさせた。
 エディレイドは灰色の人形を見渡し、
「……願いだ……」
 とつぶやいた。
「願い、の、具現化……それが、紡石ピエトラだ……。こいつらは、まさしく、願いを〝具現化〟したんだ……」
 すなわち、〝襲え〟という願いを。
「しかし兄上! レイサル王子の願いにはレイネンドランドの王族まで攻撃することは含まれていなかったはずだ……!」
 シャールは兄に問う。
 聡明なエディレイドは苦しそうな息を吐きながら、
「さっきから……レイサルは細かく石の効果を操作していた。おそらくその石にこめられていた願いは――広い意味での願いだったのだろう。そうでなければ……細かく操作はできない」
 そう、例えば。
 激昂したエディレイドが、狙いを違ってレイチェル姫を襲ってしまったように。
 そこまで言って、エディレイドはがくっと首を下に向けた。
 彼の腹には赤い染みがある。フレデリックの癒しで止血はされただろうが、それより前に大量に出血していたのだろう。
 レイチェル王女と王妃は国王にかばわれながら、すでに謁見の間から逃げ出していた。次いで国王自身も姿を消す。
 レイサルも逃げようとしたが、
「逃げるな、レイサル王子!」
 シャールは鋭い声を放った。「己のやったことをしかと目に焼き付けておくがいい……!」
 レイサルは吐き捨てた。
「やはりティエラは恐ろしい国だな! このような力を抱えながら、のうのうと生きている……!」
「ふざけるな! ティエラはこのような過ちを犯さない! ティエラ人が護ろうとしている本当のものを、王子は知るまい!」
 襲いかかってくる灰色人形の始末をすべてアンゼリスカとフレデリックに任せ、シャールはただレイサルだけに対峙する。
 信頼すべき側近に背中をあずけて、真の敵と対峙する。
「ティエラが誇りとするもの……それは、心だ! 紡石ピエトラはその象徴! 愚かな使い方をすることはすなわち、心を黒く染めること!」
 だから。
 理にのっとって喪われた小鳥のティエラの命をもてあそんだことは奇跡ではない、愚だったのだ。
 レイサルは自身もかなりの出血をしていた。
 アンゼリスカの剣をくぐりぬけ、シャールを通り過ぎ、レイサルに向かった灰色人形。
「………!」
 シャールは駆けた。もはや限界を突破した体の苦痛などどこかへ消え去った。訓練された足は軽々と灰色人形に追いつき、後ろからつかみかかった。
 腕をひねりあげ、脇腹に肘を打ち込む。しかし人形に急所はない。回し蹴りを放って、弾き飛ばす。
 はあ、と息を吐いたシャールはおかしいと謁見の間を見渡した。
 灰色人形は、倒しても倒しても増えている。なぜだ? 天然石は小さくなっていっていた。永遠ではないのに――
 そして――ふと気づいて、ぞっとした。
 玉座の後ろに。
 大量の、発光を始めている石の山。
「――すべて天然石か……!」
 四方八方に光を飛ばし、灰色の人形が山となって現れる。その大きさもどんどん大きくなっていくようだった。剣ではともかく、戦輪では簡単に腕を落とせない。
「暴走を始めたんだ!」
 天然石を核とした練成石の研究は未完成だ。何が起こっても、おかしくはないのだ。
 アンゼリスカとフレデリックが押され始める。レイサルも応戦していたが、血を流しすぎていて全力を発揮できない。そんな彼をかばうシャールにも限界があった。
 このままでは全滅だ。
 そして灰色人形は、やがて謁見の間を出て、次なるターゲットを探し始めるかもしれない。被害は広がる。下手をしたら城下町にまで。
 胸が痛い。心が痛い。戦うすべを教え込まれた身でも、本当は嫌だった。戦いたくなかった。
 敵も味方もない。すべての生命に無事であってほしいのに――!
 この願いを、どうか誰か――……

 ふいに、
 謁見の間に、大きな影が落ちた。

「………?」
 そのことに気づいたのは、シャールだけのようだった。
 その影の形。察して、少女は身震いする。
 あれは、大きな鳥の影――
「――ティエラ……?」

 ――わたしのかわいい姫……

 それは痛む胸を包み込んで、ふわりと優しく撫でてくれるような。

 ――どうか心を閉ざさないで 

「閉ざしていた、心……」
 ――紡石を紡ぐのが怖かった。ティエラは冷たい石のようで。あの冷たい感触、硬さ、いつまで経っても掌から離れない記憶。
 けれど、
 今目の前にあるもの。
 護りたいもの。護らなくてはならないもの。

 今こそ、閉ざしていた心を開くとき

 手は震えていた。
 胸の前まで持ち上げるのにも苦労した。まるで重い石がのっているようで。
 それはきっと、これから願うことの重みなのだろうと――少女は思う。
「願う心は……」
 両手をかざして、シャールは目を閉じた。
「すべてが、護られること……」
 アンゼリスカもフレデリックも。
 エディレイドもレイサルも。
 ――もう誰とも、争うのは嫌だから。
 その心にある争いの火種さえも、消えてしまえばいい。
「私は罪人」
 その事実は永遠に消えないけれど。
「それでも許されるというなら」
 もう一度奇跡を願うことにためらいはない。
 奇跡と愚は紙一重? それでも、
 たとえ愚と呼ばれようとも、信念は曲げられないから。

 シャールの掌が発光した。
 まぶしいほどに光輝き、それは糸となって。
 繭を紡いでいく。石となるために。
 きらきら、きらきらときらめく、
 糸は――
 色鮮やかな、虹色アルカンシエルをしていた。

 やがて完成する。光そのものが。
 瞬く。
 虹色に輝く石が。
 シャールは心からの願いをこめて、囁いた。

「すべてを――浄化せよ」

 光が差し込む。誰にも等しく。
 灰色人形たちは、まぶしいきらめきを浴びて消滅した。
 人々の怪我が癒されていく。赤い色が、消えていく。血の匂いが、消えていく。
 すべてのものに優しいぬくもりを……
 優しい響きの声がどこからか聞こえ、
 まばゆい輝きが謁見の間に満ちた。
 レイサルががくっと膝をついた。
 ティエラ王女の紡いだまぶしい虹色を見つめ、口を開いたまま言葉もなく。
 エディレイドが再び瞼を上げて、そして目の前の光景にまぶしく目を細める。
「虹の……石?」
 それは伝説の。
 人の心をも、動かす。奇跡の。
 やがて謁見の間に静かな刻をもたらしながら、虹色の輝きはおさまっていく。
 瞬きは世界に、人々の心に輝きを残しながら、消えていく。
 しんと静まり返ったその場。
 誰も口を利かなかった。
 すう、と呼吸をしたのは、シャールだった。否、誰もが呼吸をしていたに違いなかったのに――その瞬間は、彼女の吸う息だけが清浄なようで。
 シャールはレイサルを見やる。
 レイサルは目をそらし、うつむいた。
 そんな様子に苦笑して、少女は彼に背を向け、歩き出す。
 体中の痛みはなくなっていた。足取りは軽く、まっすぐと兄の元へと。
「な――なんだ……?」
 恐れをなしたように、エディレイドは震える声を出す。
 そんな兄の前に座り込み、シャールはもう一度両手を胸の前に持ち上げる。
 かすかな光が生まれた。先ほどとは遥かに光量の違う細い細い糸。しかし紡がれ、小さな石となる。
「〝使うものの願いが叶うように〟と願った。兄上」
 兄の蜜色の瞳と視線を絡ませながら、シャールはつぶやく。
「今まで……私の存在が、兄上を苦しめてきたのだろうな」
「―――」
「でも」
 シャールはエディレイドの手を取り、己の手を重ねた。
「……私が兄上にしてあげられることは……これを渡すことだけ……」
 姫の手が離れる。そこには透き通る虹色の石アルカンシエルがあった。
 エディレイドは硬くそれを握りしめた。
 涙が、彼の頬を伝っていく。
 シャールはにこっと笑いかけた。
「私は、兄上が大好きだ」
 兄は優しかった。たとえ虚構でも、それが嬉しかった。癒された。弱みを見せてもいいと思うほどに心を許すことができた。
 そんな人、だったから。
「だから――その石は、好きに使ってくれ」
 言いながら、シャールはその瞼を徐々に下ろしていき――やがて、気を失った。
 彼女の顔は、穏やかだった。
 大切な兄への、自分からのたったひとつの贈り物。
 それが再び自分たちの間に絆をもたらしてくれると、信じてやまなかったから――……
しおりを挟む

処理中です...