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女将がまたすぐ手元に視線を落としたので、ほっとしながらスマホを打つ。
ほっとする意味が自分でも理解出来ないが、こんなドキドキを味わえる飲み屋はない。
>>どこにいるんだよ?
そう送って暫く待ってみても、返信が来ないばかりか既読にすらならない。
本当に来るつもりなのかどうか。半信半疑の信と疑の割合が行ったり来たりしながら、奥播磨が進む。そして血中のアルコール濃度が高まると、意識は更に過去に飛んだ。
尋深と初めて出会ったテニスコートでは、実はもう一つ、僕にとって重要な出会いがあった。
日坂が想いを寄せていた一つ上の先輩、柴田奈央だ。
——俺は本当は巨乳がタイプなんだけど、奈央さんは例外なんだよ。何でだろうな。本当に好きになるとおっぱいの大きさなんかどうでもよくなるんだな。
日坂がそんな失礼なことを言っていたように、彼女は手足も細く、全体的に弱々しささえ感じさせるほどに華奢な体つきだった。だがテニスのプレーによって、そんな印象は覆された。
あの日、手前のコートでラリーをしていた先輩四人は、いつしかダブルスの試合に移行していた。
試合が始まるとつい見入ってしまうものだが、中でも目を引いたのが柴田奈央だった。その動きは軽快で、力強くもあった。ショートヘアを揺らしながら軽やかなフットワークで球を追う。ある時は飛び上がるようにして、ある時はしっかりと重心を落として、小さなテイクバックから大きくラケットを振り切る。自分たちにポイントが入れば大きな歓声を上げてパートナーとハイタッチして喜び、自分がミスをした時には大袈裟なほど悔しがって見せた。
なるほど見ていて楽しいし、人柄の良さも伝わってくる。顔立ちも整っていて、端的に言えばモテそうな女性だった。惹かれる気持ちには大いに共感できた。
ゲームに決着がついたらしく、先輩たちが少し離れたベンチに引き上げた。
——いいだろ。あの人。話してみた感じもすっごくいいんだよ。
日坂がしつこく同意を求めてくるので、尋深のことが気になりながらもついつい柴田奈央のことを目で追ってしまっていた。
彼女はバッグからタオルを取り出して汗を拭っていた。そのタオルを膝の上に置いて談笑しながら、右手の人差し指で鼻の頭を撫でるような仕草を見せた。
既視感に襲われた。
何だろう——。
すぐには分からなかった。
——あの先輩たちにも紹介してやるよ。
日坂がそう言って背中を押す。紹介を口実に自分が柴田奈央と話したいのは明らかだった。
近づきながらも柴田奈央から目が離せずにいると、ペットボトルに口を付けた彼女がそのままこちらを向いた。
目が合った。
見ていたことを悟られたかと慌てて視線を逸らそうとした時、今度はその瞳にも見覚えがある気がした。
そんなはずはない——。
そう確かめるつもりで視線を留めた。
ペットボトルを持ったままの彼女と見つめ合う形になり、やがて彼女の瞳が驚いたように見開かれた。けれどそんな表情は一瞬だけで、彼女はまたすぐに何事もなかったかのように他の人たちと話し始めた。
その瞳。横顔。笑い方。そして、鼻の頭を撫でる仕草——。
どうしてすぐに気づかなかったのだろう。
僕は彼女を知っていた。
ただし、その知っているはずの女性の名前は柴田奈央ではなかったが——。
——先輩、こいつ今日から入った各務です。宜しくお願いします。
日坂に陽気にそう紹介され、適当に挨拶をした。柴田奈央にも目を合わせながら頭を下げた。
先ほどの表情から彼女も僕のことを認識したのは明らかだったが、向こうはそんなことは噯にも出さない。ごく自然に初対面の先輩らしく振る舞っていた。そんな相手にこちらからお久しぶりですなどと言えるはずもない。結局この日は当たり障りのない挨拶を交わすだけに終わった。
柴田奈央——彼女との初めての出会いは、更に記憶を遡らなければならない。
ほっとする意味が自分でも理解出来ないが、こんなドキドキを味わえる飲み屋はない。
>>どこにいるんだよ?
そう送って暫く待ってみても、返信が来ないばかりか既読にすらならない。
本当に来るつもりなのかどうか。半信半疑の信と疑の割合が行ったり来たりしながら、奥播磨が進む。そして血中のアルコール濃度が高まると、意識は更に過去に飛んだ。
尋深と初めて出会ったテニスコートでは、実はもう一つ、僕にとって重要な出会いがあった。
日坂が想いを寄せていた一つ上の先輩、柴田奈央だ。
——俺は本当は巨乳がタイプなんだけど、奈央さんは例外なんだよ。何でだろうな。本当に好きになるとおっぱいの大きさなんかどうでもよくなるんだな。
日坂がそんな失礼なことを言っていたように、彼女は手足も細く、全体的に弱々しささえ感じさせるほどに華奢な体つきだった。だがテニスのプレーによって、そんな印象は覆された。
あの日、手前のコートでラリーをしていた先輩四人は、いつしかダブルスの試合に移行していた。
試合が始まるとつい見入ってしまうものだが、中でも目を引いたのが柴田奈央だった。その動きは軽快で、力強くもあった。ショートヘアを揺らしながら軽やかなフットワークで球を追う。ある時は飛び上がるようにして、ある時はしっかりと重心を落として、小さなテイクバックから大きくラケットを振り切る。自分たちにポイントが入れば大きな歓声を上げてパートナーとハイタッチして喜び、自分がミスをした時には大袈裟なほど悔しがって見せた。
なるほど見ていて楽しいし、人柄の良さも伝わってくる。顔立ちも整っていて、端的に言えばモテそうな女性だった。惹かれる気持ちには大いに共感できた。
ゲームに決着がついたらしく、先輩たちが少し離れたベンチに引き上げた。
——いいだろ。あの人。話してみた感じもすっごくいいんだよ。
日坂がしつこく同意を求めてくるので、尋深のことが気になりながらもついつい柴田奈央のことを目で追ってしまっていた。
彼女はバッグからタオルを取り出して汗を拭っていた。そのタオルを膝の上に置いて談笑しながら、右手の人差し指で鼻の頭を撫でるような仕草を見せた。
既視感に襲われた。
何だろう——。
すぐには分からなかった。
——あの先輩たちにも紹介してやるよ。
日坂がそう言って背中を押す。紹介を口実に自分が柴田奈央と話したいのは明らかだった。
近づきながらも柴田奈央から目が離せずにいると、ペットボトルに口を付けた彼女がそのままこちらを向いた。
目が合った。
見ていたことを悟られたかと慌てて視線を逸らそうとした時、今度はその瞳にも見覚えがある気がした。
そんなはずはない——。
そう確かめるつもりで視線を留めた。
ペットボトルを持ったままの彼女と見つめ合う形になり、やがて彼女の瞳が驚いたように見開かれた。けれどそんな表情は一瞬だけで、彼女はまたすぐに何事もなかったかのように他の人たちと話し始めた。
その瞳。横顔。笑い方。そして、鼻の頭を撫でる仕草——。
どうしてすぐに気づかなかったのだろう。
僕は彼女を知っていた。
ただし、その知っているはずの女性の名前は柴田奈央ではなかったが——。
——先輩、こいつ今日から入った各務です。宜しくお願いします。
日坂に陽気にそう紹介され、適当に挨拶をした。柴田奈央にも目を合わせながら頭を下げた。
先ほどの表情から彼女も僕のことを認識したのは明らかだったが、向こうはそんなことは噯にも出さない。ごく自然に初対面の先輩らしく振る舞っていた。そんな相手にこちらからお久しぶりですなどと言えるはずもない。結局この日は当たり障りのない挨拶を交わすだけに終わった。
柴田奈央——彼女との初めての出会いは、更に記憶を遡らなければならない。
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