十五光年先の、

西乃狐

文字の大きさ
5 / 16

5.

しおりを挟む
 女将がまたすぐ手元に視線を落としたので、ほっとしながらスマホを打つ。
 ほっとする意味が自分でも理解出来ないが、こんなドキドキを味わえる飲み屋はない。

>>どこにいるんだよ?

 そう送って暫く待ってみても、返信が来ないばかりか既読にすらならない。
 本当に来るつもりなのかどうか。半信半疑の信と疑の割合が行ったり来たりしながら、奥播磨が進む。そして血中のアルコール濃度が高まると、意識は更に過去に飛んだ。

 尋深と初めて出会ったテニスコートでは、実はもう一つ、僕にとって重要な出会いがあった。
 日坂が想いを寄せていた一つ上の先輩、柴田奈央だ。

——俺は本当は巨乳がタイプなんだけど、奈央さんは例外なんだよ。何でだろうな。本当に好きになるとおっぱいの大きさなんかどうでもよくなるんだな。

 日坂がそんな失礼なことを言っていたように、彼女は手足も細く、全体的に弱々しささえ感じさせるほどに華奢な体つきだった。だがテニスのプレーによって、そんな印象は覆された。

 あの日、手前のコートでラリーをしていた先輩四人は、いつしかダブルスの試合に移行していた。
 試合が始まるとつい見入ってしまうものだが、中でも目を引いたのが柴田奈央だった。その動きは軽快で、力強くもあった。ショートヘアを揺らしながら軽やかなフットワークで球を追う。ある時は飛び上がるようにして、ある時はしっかりと重心を落として、小さなテイクバックから大きくラケットを振り切る。自分たちにポイントが入れば大きな歓声を上げてパートナーとハイタッチして喜び、自分がミスをした時には大袈裟なほど悔しがって見せた。
 なるほど見ていて楽しいし、人柄の良さも伝わってくる。顔立ちも整っていて、端的に言えばモテそうな女性だった。惹かれる気持ちには大いに共感できた。

 ゲームに決着がついたらしく、先輩たちが少し離れたベンチに引き上げた。

——いいだろ。あの人。話してみた感じもすっごくいいんだよ。

 日坂がしつこく同意を求めてくるので、尋深のことが気になりながらもついつい柴田奈央のことを目で追ってしまっていた。
 彼女はバッグからタオルを取り出して汗を拭っていた。そのタオルを膝の上に置いて談笑しながら、右手の人差し指で鼻の頭を撫でるような仕草を見せた。

 既視感に襲われた。
 何だろう——。
 すぐには分からなかった。

——あの先輩たちにも紹介してやるよ。

 日坂がそう言って背中を押す。紹介を口実に自分が柴田奈央と話したいのは明らかだった。

 近づきながらも柴田奈央から目が離せずにいると、ペットボトルに口を付けた彼女がそのままこちらを向いた。
 目が合った。
 見ていたことを悟られたかと慌てて視線を逸らそうとした時、今度はその瞳にも見覚えがある気がした。

 そんなはずはない——。
 そう確かめるつもりで視線を留めた。
 ペットボトルを持ったままの彼女と見つめ合う形になり、やがて彼女の瞳が驚いたように見開かれた。けれどそんな表情は一瞬だけで、彼女はまたすぐに何事もなかったかのように他の人たちと話し始めた。

 その瞳。横顔。笑い方。そして、鼻の頭を撫でる仕草——。
 どうしてすぐに気づかなかったのだろう。
 僕は彼女を知っていた。 
 ただし、その知っているはずの女性の名前は柴田奈央ではなかったが——。

——先輩、こいつ今日から入った各務です。宜しくお願いします。

 日坂に陽気にそう紹介され、適当に挨拶をした。柴田奈央にも目を合わせながら頭を下げた。
 
 先ほどの表情から彼女も僕のことを認識したのは明らかだったが、向こうはそんなことはおくびにも出さない。ごく自然に初対面の先輩らしく振る舞っていた。そんな相手にこちらからお久しぶりですなどと言えるはずもない。結局この日は当たり障りのない挨拶を交わすだけに終わった。

 柴田奈央——彼女との初めての出会いは、更に記憶をさかのぼらなければならない。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

嘘をつく唇に優しいキスを

松本ユミ
恋愛
いつだって私は本音を隠して嘘をつくーーー。 桜井麻里奈は優しい同期の新庄湊に恋をした。 だけど、湊には学生時代から付き合っている彼女がいることを知りショックを受ける。 麻里奈はこの恋心が叶わないなら自分の気持ちに嘘をつくからせめて同期として隣で笑い合うことだけは許してほしいと密かに思っていた。 そんなある日、湊が『結婚する』という話を聞いてしまい……。

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

盗み聞き

凛子
恋愛
あ、そういうこと。

処理中です...