こい唄

あさの

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出発

8.

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「大丈夫か!?」

すぐさま、池に尻餅をつくようにしている朔良に昭仁が手を差し出す。

「待って」

しかし、朔良はすぐにその手を取らず、その手に掴んだものを昭仁に向かい差し出した。

「これ…。先に、雪にあげてください」

それはボールだった。すっかり濡れてさぞ気持ち悪いだろうに、朔良は至極真面目にそれを差し出してくる。昭仁は身体から力が抜けていくのを如実に感じた。

「お前なぁ…そんなずぶ濡れで…。先にあがれ」

呆れながら朔良のボールを持った方の手首をとり、起き上がらせようとする。昭仁に引かれ、朔良が池から腰を浮き上がらせる、

そのとき、

「あ」

朔良が落ちたときに飛んだ水しぶきで濡れた石で、昭仁が盛大に足を滑らせた。

「…わぁっ!」

結果、昭仁も池に落ちた。
きゃん! と雪が悲鳴のような鳴き声をあげたのが遠い所で聞こえた。

「…何してるんですか…」

昭仁が落ちた余波をもろに受けて、酷い有様になった朔良が水の滴る髪をかきあげる。

「何してるんだろうなあ…」

遠い目になった昭仁が答えた。もちろん彼も見るも無惨に濡れ鼠だ。

朔良を助け起こすどころか、更に状況を悪化させてしまった。最近の空回り加減も拍車をかけ、何だかものすごく自分が情けない。まったく格好のひとつもつかない。自分に呆れてしまって、思わず笑いが込み上げる。

しかしその笑いは空虚なものではなかった。今の昭仁には胸を塞いでいた重りがなく、むしろ清々しい気持ちが生まれてきていた。池に落ちたことで彼の胸に残っていた重い石ころも、水が浚っていってくれたのかもしれない。

ひとりで笑いを噛み殺す昭仁を、朔良が不思議そうに見ている。その長い髪に一枚葉が引っ付いていた。

「ついてるぞ」

腕を伸ばした昭仁が葉を取ろうとすると、その彼の腕にも同じ葉っぱがついていた。

「そっちもついてます」

こんなときも朔良は冷静な声で指摘した。

もう何もかも格好悪くて、昭仁はついに声をあげて笑い出してしまった。

「ああ、そうだな。なんかごめん」

笑いながらそう言う昭仁を、心底不思議そうに朔良は見ていた。が、いつまでも昭仁がおかしそうに笑っているので、ついには朔良もつられるようにして小さく笑い出した。
口元に添えられた手ではない方の手には、変わらず赤いボールが握られている。

そんな朔良を見て、昭仁は思う。この子は、優しい普通の子なのだと。まして、病気でもない。健康な男の子なのだ。
どうしてそんな簡単な事に今まで気付かなかったんだろう。

―――気付いてやれなかったんだろう。

昭仁は腕を伸ばして、朔良の髪に絡み付いている葉っぱを取り除いてやる。そのまま彼の頭をぽんと軽く叩き、撫でた。

「………っ」

途端、ぱちぱちと瞬く大きな瞳が、心底驚いた様子で昭仁を見上げてくる。そのときになって朔良の頭上にある自らの手に気付いた。無意識だった。

「あっ…と、ごめん」

変な話だが、朔良に触れるのは極端に遠慮している節が昭仁にはあった。それが、今はまったく意識になかった。

慌てて彼の頭の上に乗せた手を退かそうとした昭仁のそれを握ったのは、他ならぬ朔良だった。

「朔良…?」

昭仁の濡れそぼった手を、同じく濡れた手で引き留めた朔良は、言葉もなくただ首を横に振った。


その後、普段無駄吠えをしない主の飼い犬が、きゃんきゃんと鳴いているのを不思議に思った世話人が様子を見にきた。そして、庭の様子を目撃して悲鳴に近い声をあげ、ちょっとした騒ぎとなった。

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