こい唄

あさの

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出発

9.

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「これは昭仁様。おはようございます。お出かけですか?」

「はい、少し出て来ます」

朝。
昭仁は主玄関にいた。

革靴を履き、引き戸から姿を現した彼に、生け垣の剪定をしていた庭師が声をかけた。
昭仁はそれに答え、軽い足取りで屋敷を後にする。

その手には、封筒が一通あった。




今日、朔良を訪ねるのは、昼頃の予定だった。それまでいくらか時間があった昭仁は、自身の所用が済んだ後、村を散歩がてら見て歩くことにした。少し村を見回したら戻るつもりだったのだが、寺の住職が言っていた通り、昭仁の存在は知れ渡っていて、そこらじゅうで声がかかった。

結局、昭仁が月瀬の屋敷に戻ってきたのは、彼が予定していたのよりも大分遅い昼前だった。

今日は昼餉を朔良とともに摂る約束がある。その前に一度自室に戻る時間くらいはありそうだ。

そう結論づけた昭仁は、一旦自室に戻った。

夏の気配がだんだんと近付いてきた今は、日中のみ、彼の部屋の障子戸も外され、代わりに簾が下がっている。それが流れ込んでくる風を受けてさらさらと揺れているのが、目にも涼しい。

少しの休憩の後、さて行くかと腰をあげかけた昭仁の耳に、誰かの慌ただしい足音が聞こえてきた。それは割合軽い足音だったのだが、障子戸ではなく簾だったので、すぐに彼の耳に届いた。それがだんだん昭仁の部屋に向かってくる。

なんだなんだと目を白黒させている昭仁の前で、勢いよく簾が跳ね上がる。

そこにいたのは、

「さ、朔良?」

息を切らせた朔良だった。
彼は、室内で腰を中途半端にあげたまま固まっている昭仁をその目に映すと、肩で大きく息をついて柱にだらしなくもたれかかった。その一連の所作は、心底の安堵を滲ませていた。

「朔良、どうした?」

昭仁にしてみれば、生まれてこの方走ったことなどございません、を地で行きそうな朔良が、息せき切っている姿に驚きを隠せない。薄々気づいてはいたが、朔良は、“撫子”でないときは、意識して粗野な仕草をしている節がある。

昭仁が驚きをそのまま口に出すと、朔良は一瞬ぐっと詰まった。すぐに下を向き、昭仁からの視線を逃れる。やがて、彼は拗ねたような声を出した。

「…だって…」

弱々しい声で朔良が続ける。

「今朝方、出掛けたと聞いて、いつまでも戻って来ないから。その…僕を置いて、帰ってしまったのかと、思って…」

「帰らないよ」

すんなり返った昭仁の否定の言葉を受けて、朔良がぱっと顔をあげた。
驚きに見張る瞳を見返して、昭仁が再度言う。

「俺は、帰らないよ。朔良」

「にいさん…」

呟いた途端、朔良は気まずげに瞳を伏せた。ああ、と昭仁が合点し、苦笑を滲ませる。

「今まで通り兄さんって呼んでくれて構わないよ。心ないことを言ってごめんな」

昭仁の真意を確かめるように、朔良が上目遣いで彼を窺う。
朔良に笑いかけて、昭仁が事の顛末を話した。

「志人さんに手紙を出してきたんだ。そのついでに、村を散歩してたら遅くなったんだよ」

「手紙…?」

「うん。『当分帰りません。心配しないでください。』って」

今度こそ驚いて声もない朔良に、昭仁は彼の頭を一度軽く叩いて告げた。

「改めて、よろしくな。朔良」

ややあってこくりと頷いた朔良のまるい頭をあやすように軽く叩き、昭仁は決めていた。

月瀬の令嬢に対してでもなく、まして治療対象としてでもなく、朔良のために何かしてやりたいのだと。それは、当主の言葉も、自分の置かれた立場も何もかも関係なく、ひとりの人間として、ただの昭仁として、したいと思ったことだった。

そんな簡単なことに気付くのに、時間がかかった。

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