こんなに遠くまできてしまいました

ナツ

文字の大きさ
14 / 54
二章:初めての雨

14

しおりを挟む
 ユーグさんは金色の長い髪をゆったりと片側で一つに束ね、紺色のローブを羽織っている。
 これぞ魔法使い! という格好に、私は思わず見入ってしまった。
 まるでファンタジー映画から抜け出してきたみたいな人だ。
 明るい場所で改めて見ると、整った男性らしい顔立ちがはっきりと分かった。右側のこめかみにある細長い傷跡には気づかない振りで、私はぺこりと頭を下げた。

「こんにちは。先日は色々とありがとうございました。これ、ベネッサさんから預かってきました」

 ユーグさんは瞳を輝かせ、嬉しそうにバスケットを受け取る。

「やった! ダンがそろそろ帰ってくる頃かなって思ってたんだよね。しばらくご馳走だな~」
「んじゃ、渡したから」

 ラスが私の手を握り、踵を返そうとする。
 もう帰るの? 世間話もなし?
 驚いた私と不機嫌そうなラスを見て、ユーグさんは苦笑した。
 
「せっかく来てくれたんだし、入ってよ」
「え、でも……」
「いいでしょ、ラス。私なら大丈夫。決まった相手はもういるから」

 ユーグさんは私ではなく、ラスに向かって話しかけた。
 ラスは彼の言葉を吟味するように考え込んだが、それも僅かな時間で、すぐにこくりと頷いた。
 決まった相手がいる、という言葉に、期待が湧く。
 ユーグさんに奥さんがいるのなら、女性の知り合いが増えることになるのだ。

「お邪魔します」

 掘っ建て小屋のようだと思った家の中は、案外きちんと整えられていた。
 床には毛織の絨毯が敷かれているし、窓辺には手作りらしきロッキングチェアが置かれている。
 部屋を取り囲むようにしつらえられた天井までの書棚には、たくさんの本が詰まっていた。
 活版印刷はない世界だから、魔法で書き写したのだろうか。 

「すごい……。この世界にも本があるんですね」
「本?」
「これです」

 私が書棚の本を指すと、ユーグさんは「ああ」と頷いた。

「これは全部魔法書だよ。ミカの世界には魔法はないって聞いてるけど、本当はあるの?」
「いえ、ないです。こういう形の紙に、いろんな物語が綴られているもののことなんですけど――」

 本について懸命に説明してみたが、ユーグさんもラスも首を傾げる。

「私の知ってる限りではないな。料理のレシピを書き留めたものとか魔法書とか、そういうのは割と出回ってるけど」
「そうなんですね……」

 この世界の人は、一体どういう風に余暇を楽しんでるんだろう。
 テレビやインターネット、映画はもちろん、本や漫画すらないなんて。
 それとも元の世界が、娯楽に特化し過ぎているのだろうか。
 
「立ち話もなんだし、座ろうか。えーと、椅子……」

 ユーグさんが指を振ると、奥の部屋の扉が開き、そこからふわふわと椅子が漂ってやってきた。台所からも似たような造りの椅子が浮遊してくる。
 彼がパチンと指を鳴らすと、私とラスの前にふわりと着地した。
 魔法使いだと知った今でも、こうして間近で見るとやはり驚くし、興奮してしまう。

「ミカは魔法が好きなの?」

 声には出さなかったのだが、表情で丸わかりだったらしい。

「はい。さっき話した物語には、魔法使いが活躍する話も沢山あったんですよ。すごいな、私にも使えたらいいのにな、って子どもの頃はよく思ってました」
「へえ。ミカの世界は面白いね」
「そうですか?」
「だって、現実には存在しないものの話を、想像だけで本当のことみたいに書いてるってことでしょ?」
「言われてみれば、そうですね」

 私とユーグさんが魔法の話をしている間、ラスは椅子に行儀よく腰掛け、床に届かない足をぶらぶら揺らしていた。
 いかにも退屈そうだったが、話に無理に割り込んできたりはしない。
 ラスの育ちの良さを垣間見た気がして、微笑ましくなる。

「そろそろお暇しようか」

 私が声をかけると、ラスの顔がパッと明るくなる。

「うん、帰ろう」

 ラスは私の手を握り、ぐいぐいと引っ張って外に出た。

「困ったことがあったら、いつでもおいで」
「はい、ありがとうございました」

 見送りに出てくれたユーグさんに手を振って、踵を返す。
 そういえば、奥さんって出かけてたのかな。挨拶したかったのに、聞くの忘れてた。

「ユーグさんの奥さんって、どんな人?」

 隣を歩くラスに尋ねてみる。
 ラスはきょとんとした顔で、私を見上げてきた。

「知らない。あいつ、嫁さんがいるのか?」

 不思議そうに問い返され、訳が分からなくなる。

「決まった人がいるって言ってなかった? ラスも頷いてたでしょ」
「ああ、あれか。嘘の匂いはしなかったから、そうなんだ、と思っただけだ」
「じゃあ、ここにはいないの? ラスが見たことないだけ?」
「さあ。俺も父さんも見たことはないな」

 ラスはそう言ったっきり、話を止めてしまう。
 隠し事をしているわけではなく、それ以上の興味がないのだとよく分かる態度だった。
 急に自分が詮索好きな人間に思えて、恥ずかしくなった。

 家から道へと出たところで、ラスが私の手を一旦離した。
 おもむろにこちらを向き、両手を差し伸べてくる。

「はい、ミカ。俺に掴まって」
「やっぱり飛んで帰るの?」
「そっちのが早いって。帰りも歩いてったら、爪が割れるぞ」

 ラスの言う通り、すでにわたしのつま先は限界だった。
 覚悟を決めて腰を屈め、小さな身体に抱きついてみる。
 ラスはふわりと翼を広げ、その場で軽く浮いた。
 閉じている時は小さく見えたが、広がった翼は大きく、立派だった。

「俺の首に手を回して……ん、そんな感じ」

 ラスの愛らしい声が耳のすぐ傍で聞こえる。
 くすぐったくて、思わず頬が緩んだ。

「ミカは可愛いな」

 ラスはそう言って私の頬に軽く口づけた。
 突然のスキンシップに目を丸くした瞬間、身体が空に浮く。
 みるみるうちに地面が遠ざかっていくのを見て、咎めようとした気持ちはあっという間に吹っ飛んだ。

「ひ、ひゃああ……っ!」

 みっともない悲鳴が上がる。
 これは駄目だ、これは怖い!!
 命綱なしで、宙づりにされているのと同じ状態なのだ。恐怖を感じないわけがない。
 ラスに回した手に力が入り、華奢な身体をぎりぎりと締め付けた。
 ああ、これ絶対苦しいよね……!
 必死に力を抜こうとするものの、空中浮遊に慄いた体はちっとも言うことをきかない。
 
「ははっ、大丈夫だよ、ミカ。絶対落としたりしないって」

 ところがラスは、余裕のある声でそう言って笑った。
 驚いて我に返ると、彼の細い腕が鋼のように硬いことに気づく。
 私の腰に回した手は力強く、はためく翼に一切の揺らぎは見えない。

「ゆっくり飛ぶから。怖いなら、目、閉じてろ」

 ラスを初めて「男の子」だと思った。
 ぎゅ、と細い首にしがみつき目を閉じる。
 やがて風が髪をなぶりはじめた。
 頬に感じる清かな風が、恐怖に強張った心を少しづつほぐしていく。
 家に到着する頃には、私はラスとの空中散歩を悪くないと思い始めていた。

 
 
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!

古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。 その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。 『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』 昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。 領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。 一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――

〖完結〗終着駅のパッセージ 

苺 迷音
恋愛
過去、使用人に悪戯をされそうになった事がきっかけとなり、分厚い眼鏡とひっつめた髪を編み帽で覆い、自身の容姿を隠すようになった女性・カレン。 その事情を知りながらも夫ローランは、奇妙で地味な姿の妻を厭い目を逸らし続けた。 婚姻してからわずか三日後の朝。彼は赴任先の北の地へと旅立ちその後、カレンの元へと帰省してきたのは、片手で数えるほどだった。 孤独な結婚生活を送る中。 ある冬の日に、ローランの上官であり北の地を治める領主ハルシオン公爵が、カレン夫妻の邸にやってきた。 始まりは、部下の家族を想う上司としての気遣いだった。 他愛もない会話と、節度を守ったやり取り。ほんの僅かな時間を重ねていく。 そのうちに、お互いに灯り始めた小さな心の想い。 だが二人は、それを決して明かさず語ることはなかった。 それから一年ほどたった冬の夜。 カレンから届いた手紙に、たった一度だけハルシオンは返事を書く。 そこには彼の想いが書かれてあった。 月日は流れ、カレンとローランが婚姻して三年目の冬の日。 カレンはひとつの決意と想いを胸に、北へ向かう汽車に乗った。 ※微さまぁか、もしくはざまぁになっていないかもしれないです。 ※舞台は近世・産業革命初頭を基にした架空世界だと思っていただけましたら有難いです。 稚拙な作品ではありますがご覧くださいましたら凄く嬉しいです。よろしくお願い致します。

【完結】断頭台で処刑された悪役王妃の生き直し

有栖多于佳
恋愛
近代ヨーロッパの、ようなある大陸のある帝国王女の物語。 30才で断頭台にかけられた王妃が、次の瞬間3才の自分に戻った。 1度目の世界では盲目的に母を立派な女帝だと思っていたが、よくよく思い起こせば、兄妹間で格差をつけて、お気に入りの子だけ依怙贔屓する毒親だと気づいた。 だいたい帝国は男子継承と決まっていたのをねじ曲げて強欲にも女帝になり、初恋の父との恋も成就させた結果、継承戦争起こし帝国は二つに割ってしまう。王配になった父は人の良いだけで頼りなく、全く人を見る目のないので軍の幹部に登用した者は役に立たない。 そんな両親と早い段階で決別し今度こそ幸せな人生を過ごすのだと、決意を胸に生き直すマリアンナ。 史実に良く似た出来事もあるかもしれませんが、この物語はフィクションです。 世界史の人物と同名が出てきますが、別人です。 全くのフィクションですので、歴史考察はありません。 *あくまでも異世界ヒューマンドラマであり、恋愛あり、残業ありの娯楽小説です。

転生令嬢は腹黒夫から逃げだしたい!

野草こたつ/ロクヨミノ
恋愛
華奢で幼さの残る容姿をした公爵令嬢エルトリーゼは ある日この国の王子アヴェルスの妻になることになる。 しかし彼女は転生者、しかも前世は事故死。 前世の恋人と花火大会に行こうと約束した日に死んだ彼女は なんとかして前世の約束を果たしたい ついでに腹黒で性悪な夫から逃げだしたい その一心で……? ◇ 感想への返信などは行いません。すみません。

【完結】母になります。

たろ
恋愛
母親になった記憶はないのにわたしいつの間にか結婚して子供がいました。 この子、わたしの子供なの? 旦那様によく似ているし、もしかしたら、旦那様の隠し子なんじゃないのかしら? ふふっ、でも、可愛いわよね? わたしとお友達にならない? 事故で21歳から5年間の記憶を失くしたわたしは結婚したことも覚えていない。 ぶっきらぼうでムスッとした旦那様に愛情なんて湧かないわ! だけど何故かこの3歳の男の子はとても可愛いの。

赤貧令嬢の借金返済契約

夏菜しの
恋愛
 大病を患った父の治療費がかさみ膨れ上がる借金。  いよいよ返す見込みが無くなった頃。父より爵位と領地を返還すれば借金は国が肩代わりしてくれると聞かされる。  クリスタは病床の父に代わり爵位を返還する為に一人で王都へ向かった。  王宮の中で会ったのは見た目は良いけど傍若無人な大貴族シリル。  彼は令嬢の過激なアプローチに困っていると言い、クリスタに婚約者のフリをしてくれるように依頼してきた。  それを条件に父の医療費に加えて、借金を肩代わりしてくれると言われてクリスタはその契約を承諾する。  赤貧令嬢クリスタと大貴族シリルのお話です。

生まれ変わりも楽じゃない ~生まれ変わっても私はわたし~

こひな
恋愛
市川みのり 31歳。 成り行きで、なぜかバリバリのキャリアウーマンをやっていた私。 彼氏なし・趣味は食べることと読書という仕事以外は引きこもり気味な私が、とばっちりで異世界転生。 貴族令嬢となり、四苦八苦しつつ異世界を生き抜くお話です。 ※いつも読んで頂きありがとうございます。誤字脱字のご指摘ありがとうございます。

[完結]私を巻き込まないで下さい

シマ
恋愛
私、イリーナ15歳。賊に襲われているのを助けられた8歳の時から、師匠と一緒に暮らしている。 魔力持ちと分かって魔法を教えて貰ったけど、何故か全然発動しなかった。 でも、魔物を倒した時に採れる魔石。石の魔力が無くなると使えなくなるけど、その魔石に魔力を注いで甦らせる事が出来た。 その力を生かして、師匠と装具や魔道具の修理の仕事をしながら、のんびり暮らしていた。 ある日、師匠を訪ねて来た、お客さんから生活が変わっていく。 え?今、話題の勇者様が兄弟子?師匠が王族?ナニそれ私、知らないよ。 平凡で普通の生活がしたいの。 私を巻き込まないで下さい! 恋愛要素は、中盤以降から出てきます 9月28日 本編完結 10月4日 番外編完結 長い間、お付き合い頂きありがとうございました。

処理中です...