群青の空の下で(修正版)

花影

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第2章 タランテラの悪夢

182 悪夢の終焉7

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「彼の言うとおりだな。強要するばかりでは、真の忠誠は得られぬ」
 フレアを一時彼女の父親に任せ、ルークやアスターと共にエドワルドが広場の中央に姿を現すと、今度は彼に掴みかかろうとする。だが、縄で縛り上げられているラグラスは動くことも出来ず、結局は聞くに堪えない己の持論をわめき散らすだけだった。
「忠誠なんて必要ねぇ! 下賤な奴らはフォルビア大公の俺様に黙って従い、役に立つのをありがたく思えばいいんだ!」
「それが間違いだとは思わんのか?」
 この期に及んで考えを改めないラグラスにエドワルドはため息をついた。
「フォルビアは俺様のものだ。そう決まってたんだ。どこの馬の骨とも知れん下賤なあの女のもんじゃねぇ! 俺様がフォルビア大公だ! 無能な領民どもを好きな様に扱って何が悪……」
 ラグラスが完全に言い終える前に、ルークが素早く動いてその左の頬に拳を叩き込んだ。ラグラスにとって幸いだったのは、負傷していた利き腕で殴ったために力が入りきらず、歯が数本折れた程度で済んだ事だろう。
「な、何しやがる」
「黙れ! お前はフォルビア大公じゃない。反逆者だ。今のお前には領民を従わせるどころか小石1つ動かす権利も無い」
「黙れ、エドワルドの犬め! 俺様には礎の里が付いてんだ。こんな目に合わせたことを後悔させてやる!」
 血走った眼でルークを睨みつける。ルークはもう一度拳を握るが、それはエドワルドによって止められる
「言っても無駄なようだな」
 すっとエドワルドの目が細められる。一瞬で、周囲の空気が凍りつくほどの怒りを向けているのだが、向けられた当人にだけは伝わらなかった。
「あの賢者が来れば審理が始まる。お前は全てを奪われて国から追い出されるんだ」
 楽観的希望から妄想は膨らみ、左の頬を腫らしたラグラスは口の端から血と涎を垂らしながら高笑いをする。最早正気では無いのかもしれない。
「そんな事はさせません」
 突然割り込んできた声に振り向くと、ラグラスはギョッとする。エドワルドのプラチナブロンドに負けないくらい豪奢な金髪をたなびかせた男が見覚えのある女性をともなって現れたのだ。
「おめぇ……フロリエ!」
ラトリ村の襲撃が成功し、てっきりベルクの手中にいると思い込んでいたフレアが現れ、ラグラスは驚いた。続けてルイスに抱きかかえられて現れたコリンシアと、その後に続くオリガの姿を目にして絶句する。
「何故だ……」
「ここに彼女がいるのがそんなに不思議か?」
 エドワルド同様、金髪の男もヒヤリとした空気を纏っているのだが、ラグラスの関心は父親の手を離れてエドワルドにそっと寄り添うフレアに向けられていた。
「貴方が送り込んだ兵は全て捕えられました。審理も無効となり、フォルビアにいてはタランテラに混乱をもたらしたあなたは裁きを受けなければなりません」
「そんなのでまかせだ! 俺様はフォルビア大公として当然の権利を主張しているだけだ! 盗んだ証を返せ! それは俺様のだ!」
 ラグラスは血走った眼でフレアを見上げて喚く。母親の窮地を救おうとでも思ったのか、ルイスの腕から降りたコリンシアが父親と母親の間に立ち、座り込んでいるラグラスの顔をじっと見る。
「どうして嘘をつくの? 母様は何も悪い事してないよ。悪い事してたのは小父さんでしょ? 母様やオリガに悪い事しようとしたし、おばば様のお金を勝手に使っていたのもコリン、知ってるよ」
「ガキは黙ってろ!」
 子供に指摘され、腹を立てたラグラスは縛り上げられているのも忘れてコリンシアに掴みかかろうとする。姫君は両親によってすぐにかくまわれ、彼の目の前には長柄のブラシが鋭く突き出される。
「姫様に触れるな!」
 先程彼を磨いたブラシを突き出したのはティムだった。普段は飛竜の体を清潔に保つために使われるブラシには、彼を洗浄した名残の枯葉やごみが付着していてさすがのラグラスもウッと後ずさる。丸洗いされた光景を思い出したのだろう。
「この姫君は先の女大公が自分にフォルビアを託したかったのを理解している。その上で、今回の顛末を最後まで見届けたいと自分から言い出したんだ。お前よりもずっと領主に相応しいと思わないか?」
 後ずさったラグラスに今度はルイスが間を詰めてくる。
「笑わせるな。俺様がフォルビア大公になるのは昔しっから決まってんだよ! 余所者が口出しするな! 審理が終わればお前ら皆、首をねてやるから覚悟しておけ!」
 どうあってもラグラスは現状を理解しようとしていない。彼等のやり取りを見守っていた金髪の男が一つため息をつくと、ルイスを下がらせ、自分がラグラスの正面に立つ。
「お主がどんなに待っていても審理は行われない。随分とベルクをあてにしておるようだが、奴自身にも嫌疑がかかっておる。今はお主がこの子の存在をちらつかせてエドワルド殿下を脅迫しているのを知り、審理が無効になるのを必死に食い止めようとしておるが、それも徒労に終わる。そなたが聖域に兵を向かわせ、その兵を捕えた時点で既に審理は無効と決したからだ」
「……」
 ラグラスは答えない。そんな彼に男は続ける。
「下の者が仕えてくれて当然と考える限り、そなたには誰もついて来ない。現にこうして不利な状況におちいっても、そなたを助けようとする者はおらぬであろう?
 だが、エドワルド殿下はどうだ? そなたや先のワールウェイド公に牛耳られたこの国にありながら、彼を慕う者達は最後まで抵抗を続け、遂には殿下を救出した。更に彼が不調な間も彼の部下達は陰日向となって彼を支えた。この違いは何かわかるか?」
「な、何を偉そうに……。部外者は黙っていろ」
 ラグラスは反発するが、男の放つ圧倒的な威圧感にのまれて先程までの勢いがない。
「私はこの地でフロリエと呼ばれていたこの娘の父親だ。わが娘の事をそなたは散々下賤だとののしってくれた様だが、私から言わせると、この場にいる誰よりもそなたは下劣だ」
「な……」
「多少はこの地にまで知られているはずだ。わが名はミハイル・シオン・ディ・ブレシッド。この子は養女だが、我がブレシッド家の血を引いており、紛れも無く一族の一員である」
 多少どころでは無い。その場にいる全員がその名を知っている。ミハイルが名乗った事により、竜騎士達の間で囁かれていたまさかが現実となり、周囲は大きくどよめいた。
「ば……かな……」
 ラグラスの顔は蒼白となる。彼もようやく大陸随一の実力者を敵に回してしまった事に気付いたのだ。
「そなたの凝り固まった頭では、いくら口で言っても通じないな」
 そこで一旦振り向き、控えていたアレスに視線を送る。それだけで全てを了承した彼は小竜を肩に乗せたままミハイルの隣に立った。
「アレス、体に傷をつけなければ好きにして構わん。この外道に己が犯した罪の重さを思い知らせてやれ」
「はい」
 アレスが返事をすると、ミハイルはもう興味を無くしたとばかりに踵を返す。周囲の人垣が自然と割れて道を作り、ミハイルと彼に呼ばれたルイスがその場を後にする。
「俺は彼女の弟だ。姉からお前の所業を聞き、この日が来るのを待っていた。お前によって虐げられた人々の恐怖と痛みをじっくりと体験するがいい」
 ラグラスの顔を覗き込み、ニヤリとアレスが笑う。気付けばラグラスの周囲を取り囲むように10匹以上の小竜が集まっている。アレスが指をならすと肩に乗った小竜を経由し、集められたその記憶がラグラスへ強制的に流れ込んでいく。
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