群青の空の下で(修正版)

花影

文字の大きさ
上 下
435 / 435
第3章 ダナシアの祝福

おまけ ワールウェイドの光と影3

しおりを挟む
『今度は私の番だろうか……』

 ジェラルドの死から半年、一連の後始末も終えて日常が戻ってきたころ、家令は老齢を理由に引退を勧められた。アトリエの件で異見を唱えたのが気に入らなかったのだろう。あれ以来、家令はグスタフから冷たくあしらわれるようになっていた。城の事はもうニクラスが切り盛りするようになっていたし、半ば諦めの境地でその命令に従った。

『主に逆らえない臆病な私ができることは、この真なる記録を後世に残すことである。何年……何十年か後になってでもいい。どなたかこの記録を見つけ出し、あの方の進む道を正してほしい』

 その記述を最後に後のページは白紙になっていた。リカルドが添えた資料によると、この記述はもう誰も見向きもしない一昔も前の記録に混ざって残されていたらしい。家令の最後の願いが通じたのか、今まで処分されずにこうして日の目を見ることになったのだ。
 そしてその家令は引退した翌月に不慮の事故で死亡していた。もはや真相を暴くには年月が経ちすぎている。だが、この記述を読んだ後ではグスタフが関与していたと疑わざるを得ない。
 グスタフは己の野心のため、都合の悪い真実を隠ぺいするためにどれだけの間違いを犯してきたのだろう? 彼はジェラルドが残した言葉通り、ひた隠しにした真相が明るみとなってその身を滅ぼした。自業自得なのだが、その裏で犠牲となった人々の事を思うと、やるせない気持ちになった。



「もう……夜が明けるのか」
 何気なく視線を窓の外へ向けると、空が明るくなってきている。アスターは一度大きく伸びをすると、疲れた目頭を軽く解す。夢中になって読んでいて気付かなかったが、目の奥に痛みも感じる。それはあの忌まわしい頭痛の予兆だった。
 このまま無理をすればまた1日寝込む羽目になる。今までの経験から、たとえ喧嘩中であったとしても妻はかいがいしく世話をしてくれる。それはそれで嬉しいのだが、身重となった妻の手を煩わせるのは本意ではなかった。
「少し、休んでおくか」
 少し窮屈だがこの部屋のソファで朝まで仮眠を思い立つが、少し気になって寝室への扉に手をかける。カギがかかっていると思っていたのだが、予想に反してノブはカチャリと音を立てて回り、扉はわずかな軋みと共に開いた。
 そっと暗い寝室の中をうかがうと、寝台の中央が盛り上がっている。静かに近寄ると、マリーリアがアスターの枕を抱きしめて眠っていた。どうやら一人寝が寂しかったらしい。
「可愛いことを……」
妻のその行動にアスターは笑みを浮かべ、羽織っていた上着を脱ぐと彼女の隣に潜り込む。そして妻を背後から抱きしめる様に横になった。すると、寝返りを打った彼女は彼にすり寄り、安堵の笑みを浮かべてまた寝息を立て始める。無意識なのだろうこの行動にアスターは苦笑すると、愛しい妻を腕に抱え込んで自分も目をとした。


 明るくなって目を覚ましたマリーリアは、腹を立てて寝室から追い出したはずの夫の腕の中で眠っていたことに驚き、思わず悲鳴を上げた。それで目を覚ましたアスターだったが、起こった頭痛で喧嘩もうやむやのまま終わったのだった。
 ちなみに家令の記述の内容は、皇都へと向かう船の中で、アスターからマリーリアに伝えられた。終始複雑な表情を浮かべて聞いていた彼女は、最後に涙をこぼした。そんな妻の気持ちが落ち着くまで、アスターはそっと抱きしめていた。



 マリーリアのお産が始まったのは未明の事だった。冬至を過ぎたばかりでアスターは本宮に泊まり込んでおり、その知らせはすぐに届けられた。しかしおり悪く、討伐で出撃した直後だったために行き違いになってしまい、彼がそのことを知ったのは事後処理まで終えて帰還した後だった。
 既に昼になろうとしている。慌てて軍装のままアスターがワールウェイド公邸に駆け付けた時には元気な赤子の産声が上がっていた。彼は喜び勇んでそのまま産屋に駆け付けようとしたのだが、その行く手を一人の女性に遮られる。
「あらあら、アスター卿。そんな恰好のままでは生まれたばかりの赤子は抱かせられませんよ」
 のんびりとした口調でたしなめたのは手伝いに来ていたセシーリアだった。生まれたばかりの赤子だけでなく、産後の母体は非常に弱っているのだと言い聞かされれば、アスターも素直に従うしかなかった。
 はやる気持ちを抑え、いったん自室に戻ると既に用意されていた湯で汗を流し、清潔な衣服に着替えた。そしてようやく彼は産屋に通された。
「アスター……」
 マリーリアは寝台の上で背中に大きな枕をあてがって体を起こしていた。少し疲れているようすだが、その表情はどこか誇らしげだ。アスターが湯あみして着替えている間にお世話が済んでいたのだろう、彼女は白いおくるみに包まれた赤子を抱いていた。
「マリー、お疲れ様。そしてありがとう」
アスターは早く気持ちをこらえてゆっくりと寝台に近づくと、まずは妻をねぎらうように頬へ口づけた。彼女ははにかんだ笑みを浮かべると、腕の中で眠っている赤子を夫に差し出した。
「私達の娘よ。抱っこしてあげて」
「あ、ああ……」
 差し出された小さな命を彼は恐る恐る受け取った。泣き出さないかひやひやしたが、赤子は健やかな寝息を立てていた。
「本当に何と言っていいか……」
 湧き上がる喜びに胸が熱くなって言葉が続かない。しばらくの間固まったように愛しい存在の寝顔を眺めていたが、いかにも恐々といった手つきで赤子を妻の腕へ戻した。あまりにも小さくて、抱いているのが怖くなったのだろう。
 マリーリアは腕の中の娘に慈愛の籠った眼差しを向けている。その姿は既に母親のものだ。アスターは寝台の淵に腰掛けると、彼女の肩を抱いてそっと抱き寄せた。それは何事にも代えがたい、とても満ち足りた幸せな瞬間だった。そしてこの子の為にもグスタフの様に理不尽な強要をまかり通してはならないと強く強く誓ったのだった。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(1件)

yuja
2017.08.31 yuja

こんばんは。yujaです。
追いかけてまいりました。
修正版を新鮮な気持ちで読ませていただいています。
修正作業、頑張ってくださいねー

花影
2017.09.01 花影

感想ありがとうございます、yuja様。
遥々訪ねてきて下さって嬉しいです。
ぼちぼち更新していきますので、お付き合いいただけたら幸いです。

解除

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。