群青の空の下で(修正版)

花影

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第1章 群青の騎士団と謎の佳人

70 嵐の日に3

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 紅斑病と診断したリューグナーの見立ては正しく、3日後にはその病の特徴である不気味な紅斑がコリンシアの全身に広がっていた。発症した日から潜伏期間を差し引くと、感染したのはあの忌まわしい誘拐事件の日に符合する。エドワルドは思わぬ二次被害を悔やむと同時に、湧き起るやり場のない怒りを無理に抑え込むしか出来なかった。
 一時はコリンシアの熱が下がったかに見えていたのだが、紅斑が出来ると同時に再び熱が上がり、今度は姫君から食欲も奪っていた。最初に熱が出た頃はまだ、スープや穀物を煮た粥の類を口にしていたのだが、紅斑が出てからはそれも受け付けなくなっていた。水に砂糖と塩を混ぜたものはどうにか受けて付けてはいるが、それだけでは体力が落ちていく一方だ。薬の効果を高め、病を治すためには何かを食べさせなければならない。
「コリン様、少しでもお食べ下さい」
 ほとんど寝ずに看病しているフロリエにも疲れの色が滲み出ている。特に紅斑が出てからというもの、コリンシアに食事をさせるために彼女だけでなく、料理人やオリガも加わって試行錯誤を繰り返してきた。今まで熱を出した時にも喜んで口にしたスープもだめで、それならばと具を全てすりつぶしてみたのだがそれも受け付けなかった。
 フロリエの勧めにも姫君は小さく首を振る。見た目にも随分と弱っているのが分かる。
「コリン様……」
 ついにフロリエは彼女のその様子に耐え切れなくなり、オリガに任せて部屋を飛び出す。すると廊下に出たところで、様子を見に来たエドワルドとぶつかりそうになった。
「フロリエ、どうした?」
「殿下……」
 彼女のエメラルドの瞳から次々と涙が溢れ出ている。エドワルドは驚き、彼女の華奢な肩を両手で掴む。
「フロリエ?」
「コリン様が…コリン様が…このままでは……」
 放心した状態の彼女は呟く。
「フロリエ、少し休んできなさい」
「私の所為でコリン様が……このままでは……」
「落ち着け」
 エドワルドはフロリエの肩をゆする。
「君は疲れすぎている。食事をして少し眠ってくるといい」
「殿下……」
「コリンの看病は私が代わろう。これでも一応父親だからな」
 それでも躊躇うフロリエをエドワルドは抱きしめた。その腕の中で彼女は泣き出し、落ち着くまで彼は彼女の背を抱き続けた。
「そなたにこんなにも愛されているコリンは幸せ者だ。大丈夫、きっと何か方法があるはずだ。あの子が元気になった時に、そなたがやつれた姿をしていたらきっとがっかりする。だから今は少しだけでも休んできなさい」
「……はい」
 フロリエが少しだけ落ち着くと、エドワルドは彼女から手を離した。彼女は頭を下げると、のろのろと自室に向かっていった。



 どのくらい眠っていたのか、フロリエは目を覚ますと寝台からゆっくりと体を起こした。傍らではルルーがまだ体を丸めて眠っている。彼も看病の手助けの為にほとんど休んでいなかった。起こすのもかわいそうなので、彼女は手探りで寝台から降りると靴を履いた。寝巻に着替えるのももどかしくて横になったため、服は皺になっているかもしれない。それでもかまわずにそのまま手探りで部屋を出て、コリンシアの部屋に向かおうとする。
「起きられたのですね、フロリエさん」
 声をかけてきたのはルークだった。今日も書簡や書類を持ってエドワルドの元に来たのだろう。ロベリアとこの館を毎日往復しているのだが、昨日は急ぎの用もあって2度も往復していた。
「ルーク卿……コリン様は?」
「今はオリガがついています。ルルーはまだ寝ているのでしょう? オリガは団長と代わったばかりだから、今のうちに食事はいかがですか?」
「そう……」
 元気のない様子のフロリエを気遣いながら、彼は彼女に手を貸して一階の食堂まで連れて行く。
「今日、ここへ来る時に山葡萄を採ってきました。フロリエさんもどうぞ」
 料理人が食事を用意している間、ルークは厨房から籠に盛った山葡萄を持ってきた。フロリエは礼を言い、手探りでその実を1つ2つ口に運ぶ。
「おいしい」
 ちょうど熟した実は甘みと酸味のバランスが良く、いくらでも食べられそうだ。
「コリン様がお好きなのですが、このままでは無理ですよね?」
「そうね。絞った果汁なら大丈夫かしら」
 そこへ料理人がパンとスープを運んでくる。ルークは早速、料理人に山葡萄を絞ってくれるように頼んだ。
「……ゼリーにしたらどうかしら」
「ゼリー?」
 ふと思いついたようなフロリエのつぶやきにルークは問い返す。
「緩めに作ればのど越しもいいし、甘い物ならコリン様も口になさると思うの」
「やってみましょう」
 ルークと一緒に話を聞いていた料理人は頷くと、すぐに作業にかかる。フロリエが食事を終える頃には井戸水で冷やしたゼリーが出来上がっていた。
「どうでしょう?」
 出来上がったゼリーの1つを料理人が差し出し、フロリエは一口食べてみる。少し甘めだが、コリンシアはきっと気に入るだろう。
「おいしい」
 甘いゼリーはフロリエの疲れた体も癒し、つい顔も綻んでしまう。
「コリン様が起きられました」
 コリンシアの部屋へ様子を見に行っていたルークが戻ってきた。早速出来上がったばかりのゼリーを持ち、彼はフロリエにも手を貸して2階の部屋に向かう。
 コリンシアは起きてはいるが、相変わらず寝台にぐったりと横たわっている。そのそばでオリガが額に当てる布を取り換えていた。
「オリガ、これなら召し上がるかもしれない」
 ルークはゼリーの器が乗った盆をオリガに差し出す。彼女は頷くとそれを受け取り、ルークは食事が出来るように姫君の体を少し起こす。寝巻を通しても体中が異様に熱い。痛ましく思いながら、彼は姫君を自分の体に寄りかからせた。
「さ、コリン様」
 オリガはゼリーをスプーンで少しすくってコリンシアの口の中へ入れる。姫君はそれをのみ込むと、もっとと言わんばかりに口を開ける。
「美味しいですか?」
 コリンシアは小さく頷く。オリガは嬉しさのあまり泣きそうになるのをこらえながら震える手で次を口の中に入れた。
「ルーク卿がコリン様の好きな山葡萄をたくさん採ってきて下さったのですよ」
 フロリエはコリンシアの小さな手を握る。彼女は自分を支えている竜騎士に顔を向けると、小さな声で『ありがとう』と言った。彼は照れ隠しに姫君の頭を優しく撫でた。
 コリンシアは用意したゼリーを半分ほど食べた。薬も飲ませてルークがゆっくりと寝台に横たえると、満足そうに微笑んで目を閉じた。心なしか楽になったようにも見える。
「これで……大丈夫。きっと、良くなるわ」
 フロリエの呟きにルークもオリガも頷く。
「団長に報告してきます」
「私はグロリア様に」
 ルークとオリガは口々にそう言って部屋を出ていき、それぞれの上司に報告しに行く。コリンシアが少しでも食事を口にし、回復の兆しが見え始めたという知らせにエドワルドもグロリアも大いに喜び、同時にほっと胸を撫で下ろした。
 ルークは館に長居しすぎたと思いながらも満足して上司の部屋を後にする。居間から出てきたオリガと一緒に食堂を通って厨房にいる料理人にも報告しようとして動きが止まる。
 テーブルに置いた籠に山盛りにあったはずの山葡萄が無い。その隣にはルルーが満足そうに欠伸をしている。
「まさか……。お前、あれを全部食べたのか?」
 籠には山葡萄の軸やカスが残っているだけだった。小竜は返事の代わりに大きなゲップをする。
「あれで全部だったの?」
「ああ」
「どうしよう?」
 2人はサァーと血の気が引く。ルークは慌てて外を見ると、短い秋の日は既に傾きかけている。
「もう一回採ってくる」
 ルークはそう言うと、籠を掴んで裏口から飛び出して行く。
「ティム、手伝え!」
 エアリアルの装具を驚異的な速さで整えると、その場にいた弟分も拉致するようにエアリアルに乗せて連れて行く。そしてあの山葡萄を採った場所へと急いだのだった。



 その日から再び食事が出来るようになったコリンシアの熱は徐々に下がり始めた。そしてその数日後には快方へ向かっている証として、病の特徴である紅斑も薄くなり始めたのだった。




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ゼリーを作るのなら他の果物でも良かったのではないかと気付くのは後になってから。
当然、帰還が遅くなったルークには優しい上司からの罰が待っていました。

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