102 / 435
第1章 群青の騎士団と謎の佳人
94 逆恨みの矛先
しおりを挟む
「くそつ!」
リューグナーは空になった杯をテーブルに叩きつけるように置いた。グロリアの館から追い出されて5日。フォルビア城下の街中にある場末の酒場で彼は飲んだくれていた。そのみすぼらしい姿は先日までグロリアの専属医としてその尊敬を一身に集めていたのが嘘のようだ。
夏には自信のあった薬の調合の腕前を見込まれて礎の里から直々に仕事の依頼が来た。グロリアにはまだ話していなかったが、その出来栄えに満足した相手から今よりも好待遇の職場に誘われていたのだ。このままだとその話も流れてしまう。
没落したわが身を嘆き、こんな境遇に追い込んだグロリアを始めとした館の人々を恨んだ。それは逆恨みに過ぎないのに。
「おうおう、名医殿は荒れているねえ」
軽い口調で声をかけられ、顏を上げると旧知の人物が立っていた。自称、次代のフォルビア大公ラグラス。若い頃は生真面目だったリューグナーに様々な遊びを教えた張本人だった。
「やっときたか」
不機嫌そうなリューグナーには構わず、ラグラスは自分も酒を頼むと彼の向かいに腰掛ける。
「で、何の用だ?」
「私を女大公の館に連れて行ってくれ」
「連れて行くも何も堂々と帰れるだろう?」
運ばれてきた酒に早速口をつけたラグラスは不思議そうに相手の顔を眺める。
「……追い出された」
「は?」
ボソリと返ってきた言葉を理解すると、ラグラスは腹を抱えて笑い出す。
「追い出された? お前が?」
「笑い事じゃない」
お気楽に笑い転げるラグラスにイラツとしながらも話を続ける。
「時間が無くてあれを持ち出せなかったんだ」
「あれって、あれか?」
「そうだ」
重々しく頷くとようやく事の重大さに気付いたらしい。あれとは名前すら忘れられた禁止薬物の原料となる薬草だった。神殿がどんな理由でそんなものを作っているかまでは知らないが、公にしていいものではないことぐらいは理解している。
今回、新しい仕事の契約金の一部として、調合した残りの薬草をもらい受け、管理を任されていた薬草庫にそれを隠しておいたのだ。詳しく調べないとそうとは気づかれないとはいえ、万が一のこともある。早急に回収しなければならない。
「だから回収しに行くのを手伝ってくれ」
「やなこった」
リューグナーを先方へ推挙してくれたのはラグラスだが、既に他人ごとだ。酒を飲み終えると、必死に頼み込んでいるリューグナーを尻目にさっさと席を立つ。
「頼れるのはあんただけなんだ」
「俺様は関係ない」
「とっておきの情報教えてやるから」
とっておきという言葉に興味を魅かれたのか、ラグラスは足を止める。
「つまんねぇ話じゃねぇだろうな?」
「私だって今後がかかっている。助けてもらうのに嘘はつかない」
リューグナーのいつにない真剣な表情にラグラスも考えを改めたのか席に座り直した。
「教えろ」
身を乗り出してきた彼の耳元でリューグナーはエドワルドが討伐中に怪我をして瀕死の重傷を負ったと伝える。
「本当か?」
「ああ。ロベリアに運べばいいものを女大公の所へ連れて来たものだから無断で外出していたのがバレた。それで追い出されたんだ」
「ババァの所か……。だがなぁ、あそこはババァとガキしか居ねぇからつまらねぇんだよな」
「若い女ならいるぞ」
「何?」
リューグナーの呟きにラグラスは身を乗り出す。予想通りの反応にほくそ笑む。
「美人か?」
「2人とも地味だが、見てくれは悪くない」
「……」
リューグナーの答えにラグラスはしばし考えこむ。やがて考えがまとまったのか、1人で納得したように頷いている。
「いいだろう。お前の言う事が本当だと確認出来たら連れて行ってやる」
「本当か?」
「連れて行くだけだ。後は自分で何とかしろ」
「それは大丈夫だ」
リューグナーは密かに館の鍵をいくつか複製していた。いちいちオルティスに借りに行くのが面倒だっただけなのだが、こんな事で役に立つとは思っていなかった。
「そうと決まれば早速情報収集だ。いくぞ」
ラグラスの機嫌はいいらしく、彼はリューグナーの酒代まで支払った。そして2人は連れ立って店を後にした。
「くそっ!」
10日ほど前と同じようにリューグナーはテーブルに杯を叩きつけるように置いた。2日前、ラグラスに同行してグロリアの館にあの薬草を回収しに行ったのだが、失敗に終わったのだ。
あれがそうだと気付くものは稀だ。そう思った彼が疑ったのはグロリアの客人扱いになっているフロリエだ。得体の知れない彼女は妙なところで薬物に詳しい。今回負傷したエドワルドが助かったのも彼女のおかげだと、あの館で噂されているのを陰で聞いた。
とにかく問いたださなければならない。エドワルドへの対抗心か、彼女に興味を抱いたラグラスと共に部屋に忍び込み、戻ってきたところを問い詰める。何も知らないと言い張るが、きっと知らないふりをしているに違いない。怖い目に遭えば大人しく従うだろうとラグラスが乱暴するのを手伝っていると、まだ絶対に動けないと思っていたエドワルドが助けに入った。
辛うじて逃げ出すことが出来たが、すっかりお尋ね者にされてしまった。あの女が大人しく白状しないからこうなったのだ。そもそもあの女が善人ぶって余計な知識を領民達に教えなければ、薬を持ち出す事もなかったし、それがバレて館を追い出される事もなかったのだ。全てはあの女が悪い。どす黒い感情が渦巻いてくる。
「女将、もう一杯だ!」
横柄な態度で酒を催促すると、酒場の女将は迷惑そうな態度で冷たく言い放つ。
「もう店じまいだよ」
「もう一杯いいだろ?」
「だったら今までの代金を払っておくれ」
「う……」
グロリアの館から追い出されてからは全部ツケで飲んでいた。一向に払う気配のないリューグナーに女将は痺れを切らしたのだろう。
「ま、また今度……」
リューグナーは詰め寄る女将から方々の体で逃げだした。暗い裏通りを走って逃げるが、ここの所の不摂生がたたってすぐに息が上がり、路地の片隅に座り込む。
「……あの女の所為だ」
身を寄せていたラグラスの家からも追い出された彼には頼るところもない。手配されている身では神殿にも身を寄せることもできない。こんなみじめな境遇に追い込んだフロリエに益々恨みを募らせる。
暫くその場に座り込んでいると、足音が近づいてくる。やがて、彼の前に黒っぽい服装をした3人の男が現れた。
「貴公がリューグナー医師で間違いないですかな?」
「……そう……だが」
「我らの主の命でお迎えに参りました」
「しかし……」
「手配書の事は心配いりません。ご同行下さい」
拒否を許さない雰囲気を感じ取り、リューグナーはのろのろと立ち上がる。相手が何者か分からないが、この状況から助かるのであれば願ってもない。しかも手配書の事も気にしなくていいのだ。
「では、参りましょう」
男達に周囲を固められるようにして連れて行かれる。そして……リューグナーの消息はプツリと途絶えた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
12時に閑話を更新します。
リューグナーは空になった杯をテーブルに叩きつけるように置いた。グロリアの館から追い出されて5日。フォルビア城下の街中にある場末の酒場で彼は飲んだくれていた。そのみすぼらしい姿は先日までグロリアの専属医としてその尊敬を一身に集めていたのが嘘のようだ。
夏には自信のあった薬の調合の腕前を見込まれて礎の里から直々に仕事の依頼が来た。グロリアにはまだ話していなかったが、その出来栄えに満足した相手から今よりも好待遇の職場に誘われていたのだ。このままだとその話も流れてしまう。
没落したわが身を嘆き、こんな境遇に追い込んだグロリアを始めとした館の人々を恨んだ。それは逆恨みに過ぎないのに。
「おうおう、名医殿は荒れているねえ」
軽い口調で声をかけられ、顏を上げると旧知の人物が立っていた。自称、次代のフォルビア大公ラグラス。若い頃は生真面目だったリューグナーに様々な遊びを教えた張本人だった。
「やっときたか」
不機嫌そうなリューグナーには構わず、ラグラスは自分も酒を頼むと彼の向かいに腰掛ける。
「で、何の用だ?」
「私を女大公の館に連れて行ってくれ」
「連れて行くも何も堂々と帰れるだろう?」
運ばれてきた酒に早速口をつけたラグラスは不思議そうに相手の顔を眺める。
「……追い出された」
「は?」
ボソリと返ってきた言葉を理解すると、ラグラスは腹を抱えて笑い出す。
「追い出された? お前が?」
「笑い事じゃない」
お気楽に笑い転げるラグラスにイラツとしながらも話を続ける。
「時間が無くてあれを持ち出せなかったんだ」
「あれって、あれか?」
「そうだ」
重々しく頷くとようやく事の重大さに気付いたらしい。あれとは名前すら忘れられた禁止薬物の原料となる薬草だった。神殿がどんな理由でそんなものを作っているかまでは知らないが、公にしていいものではないことぐらいは理解している。
今回、新しい仕事の契約金の一部として、調合した残りの薬草をもらい受け、管理を任されていた薬草庫にそれを隠しておいたのだ。詳しく調べないとそうとは気づかれないとはいえ、万が一のこともある。早急に回収しなければならない。
「だから回収しに行くのを手伝ってくれ」
「やなこった」
リューグナーを先方へ推挙してくれたのはラグラスだが、既に他人ごとだ。酒を飲み終えると、必死に頼み込んでいるリューグナーを尻目にさっさと席を立つ。
「頼れるのはあんただけなんだ」
「俺様は関係ない」
「とっておきの情報教えてやるから」
とっておきという言葉に興味を魅かれたのか、ラグラスは足を止める。
「つまんねぇ話じゃねぇだろうな?」
「私だって今後がかかっている。助けてもらうのに嘘はつかない」
リューグナーのいつにない真剣な表情にラグラスも考えを改めたのか席に座り直した。
「教えろ」
身を乗り出してきた彼の耳元でリューグナーはエドワルドが討伐中に怪我をして瀕死の重傷を負ったと伝える。
「本当か?」
「ああ。ロベリアに運べばいいものを女大公の所へ連れて来たものだから無断で外出していたのがバレた。それで追い出されたんだ」
「ババァの所か……。だがなぁ、あそこはババァとガキしか居ねぇからつまらねぇんだよな」
「若い女ならいるぞ」
「何?」
リューグナーの呟きにラグラスは身を乗り出す。予想通りの反応にほくそ笑む。
「美人か?」
「2人とも地味だが、見てくれは悪くない」
「……」
リューグナーの答えにラグラスはしばし考えこむ。やがて考えがまとまったのか、1人で納得したように頷いている。
「いいだろう。お前の言う事が本当だと確認出来たら連れて行ってやる」
「本当か?」
「連れて行くだけだ。後は自分で何とかしろ」
「それは大丈夫だ」
リューグナーは密かに館の鍵をいくつか複製していた。いちいちオルティスに借りに行くのが面倒だっただけなのだが、こんな事で役に立つとは思っていなかった。
「そうと決まれば早速情報収集だ。いくぞ」
ラグラスの機嫌はいいらしく、彼はリューグナーの酒代まで支払った。そして2人は連れ立って店を後にした。
「くそっ!」
10日ほど前と同じようにリューグナーはテーブルに杯を叩きつけるように置いた。2日前、ラグラスに同行してグロリアの館にあの薬草を回収しに行ったのだが、失敗に終わったのだ。
あれがそうだと気付くものは稀だ。そう思った彼が疑ったのはグロリアの客人扱いになっているフロリエだ。得体の知れない彼女は妙なところで薬物に詳しい。今回負傷したエドワルドが助かったのも彼女のおかげだと、あの館で噂されているのを陰で聞いた。
とにかく問いたださなければならない。エドワルドへの対抗心か、彼女に興味を抱いたラグラスと共に部屋に忍び込み、戻ってきたところを問い詰める。何も知らないと言い張るが、きっと知らないふりをしているに違いない。怖い目に遭えば大人しく従うだろうとラグラスが乱暴するのを手伝っていると、まだ絶対に動けないと思っていたエドワルドが助けに入った。
辛うじて逃げ出すことが出来たが、すっかりお尋ね者にされてしまった。あの女が大人しく白状しないからこうなったのだ。そもそもあの女が善人ぶって余計な知識を領民達に教えなければ、薬を持ち出す事もなかったし、それがバレて館を追い出される事もなかったのだ。全てはあの女が悪い。どす黒い感情が渦巻いてくる。
「女将、もう一杯だ!」
横柄な態度で酒を催促すると、酒場の女将は迷惑そうな態度で冷たく言い放つ。
「もう店じまいだよ」
「もう一杯いいだろ?」
「だったら今までの代金を払っておくれ」
「う……」
グロリアの館から追い出されてからは全部ツケで飲んでいた。一向に払う気配のないリューグナーに女将は痺れを切らしたのだろう。
「ま、また今度……」
リューグナーは詰め寄る女将から方々の体で逃げだした。暗い裏通りを走って逃げるが、ここの所の不摂生がたたってすぐに息が上がり、路地の片隅に座り込む。
「……あの女の所為だ」
身を寄せていたラグラスの家からも追い出された彼には頼るところもない。手配されている身では神殿にも身を寄せることもできない。こんなみじめな境遇に追い込んだフロリエに益々恨みを募らせる。
暫くその場に座り込んでいると、足音が近づいてくる。やがて、彼の前に黒っぽい服装をした3人の男が現れた。
「貴公がリューグナー医師で間違いないですかな?」
「……そう……だが」
「我らの主の命でお迎えに参りました」
「しかし……」
「手配書の事は心配いりません。ご同行下さい」
拒否を許さない雰囲気を感じ取り、リューグナーはのろのろと立ち上がる。相手が何者か分からないが、この状況から助かるのであれば願ってもない。しかも手配書の事も気にしなくていいのだ。
「では、参りましょう」
男達に周囲を固められるようにして連れて行かれる。そして……リューグナーの消息はプツリと途絶えた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
12時に閑話を更新します。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
62
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる