群青の空の下で(修正版)

花影

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第2章 タランテラの悪夢

47 打開の糸口1

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 荒天により揺れる船上で彼は矢を受けた。背後からは刃を刺し抜かれて倒れた彼は流れ出た血に染まる。彼に手を伸ばすが、いつの間にか敵に囲まれ、部下も次々と倒れていく。自身も斬りつけられてその場に倒れこんだ。
『殿下!』
 彼の元へ這ってでも行こうとしたが、それは叶わなかった……。



「……!」
 声にならない叫び声を上げてエルフレートは飛び起きた。あの一件から既に2ヶ月あまり。あの時の事を幾度となく夢に見ては飛び起きる日々を過ごしていた。
 既に完治しているはずなのだが、脇腹の傷跡がうずいている。寝台に座り込んだまま傷跡に手を当て、乱れた息を整える。そしてのろのろと寝台から降りると、テーブルに置いてある水差しの水を飲んだ。
「はぁ……」
 まだ夜は明けていない。だがこうなるともう眠る事は出来ない。寝間着の上から上着を羽織ると、窓を開けてバルコニーに出た。眼下に広がるのは水の都とうたわれる海洋王国エヴィルの都。張り巡らされた運河の穏やかな水面に常夜灯の灯りが反射して幻想的な光景が広がっている。
 エヴィルは国土の大半が荒れた土地の為、海運と交易で活路を見出し、海洋国家として名をはせている。エルニア半島の付け根に位置する立地を生かし、ホリィ内海へ抜ける街道を整備して交易の幅を広げたことで、その地位をゆるぎないものとしていた。彼はそんな国の中枢となる王城に滞在していた。
「はぁ……」
 幻想的な景色も今の彼には何の慰めにもならない。海賊相手に遅れを取り、次代の国主となるべき主は討たれ、部下の半数を失った。最後の最後まで抵抗したものの、生き残った部下共々海賊に捕われた。ろくな手当も受けられないまま船底へ押し込められ、悪辣な環境の中で感染症にかかり、生死の境をさまよった。
 気付けばこの城の客間に寝かされていた。海賊討伐に出ていたこの国の海軍が、討伐した海賊船の中に捕われていた彼等を見付けて助けてくれたらしい。後から聞いた話によると、船底には人の思考を低下させ、更には強い中毒性もある薬が焚き染められていた。それにより生き残っていた部下のほとんどが正気を無くし、もう元には戻らないだろうと診断されていた。回復したのはエルフレートの他にわずか2名で、その2人も完全に回復までまだ時間がかかりそうだった。
 エルフレートが回復し、現状を把握できたのは助け出されてから一月経っていた。国元ではその頃には既にハルベルトと随行していた彼ら全員の死亡が公表されていた。更にはエドワルドも奥方に殺され、相次ぐ息子達の死に病が悪化したアロンによってゲオルグが国主代行となったと知らされた。ゲオルグによって宰相に任じられたグスタフは、短期間でタランテラを掌握したことになる。
 だが、それはあまりにも手際が良すぎた。部外者であるエヴィルの上層部ですら疑問を抱くほどに。どこの国にも肩入れしないと中立を宣言している国の政策上、下手に口出しは出来ないが、それでもタランテラに関する情報を集め、彼が回復するまではと匿ってくれている。
「……こうしてはいられない」
 いつまでも甘えているわけにはいかない。エルフレートは気持ちを切り替えると、いつ帰国しても動けるように衰えた体を鍛え直すため、部屋を出て行った。



「早くから熱心だね」
 中庭でエルフレートが一心不乱に訓練用の剣で素振りをしていると、不意に声をかけられた。振り返ると1人の若者が立っている。大陸南方には珍しい銀髪のその人物は、少年と見紛うほど線が細いのだが、この国に5人しかいない船団を指揮する提督を任命されている実力者だった。エヴィル史上最年少で提督になったこの人物は、エルフレートの命の恩人でもあった。
「ブランカ、君こそこんな早くにどうしたんだ?」
 ちょうど日が昇ったばかりで出仕するにはまだ早い時刻だ。よくよく相手を見てみれば幾分か疲れた表情をしているので、どうやら夜を徹して仕事をしたのだろう。
「昨夜飛び込んできた案件の対応で寝る暇が無かったんだ」
 エルフレートの予想通りの答えを返した相手は、そう言って肩をすくめる。提督という立場上、何かあればその対応に追われるのは当然だろう。現在、その最も厄介事となっているエルフレートは何だか申し訳なく思ってしまう。
 救出された直後、意識のないエルフレートの身分を身に付けていた記章で判断し、王城で療養するよう指示したのを始め、グスタフの主張の微妙な違和感を指摘し、エルフレートを匿うように国の上層部に働きかけたのもブランカだった。未だ回復してない部下達にも手厚い看護を受けられるように手配してくれたのもそうだし、命が助からなかった部下を手厚く葬ってくれたのもそうだった。何から何まで本当に頭が下がる思いだ。
「それにしても凄いね、もうそんなに動けるんだ」
「いや、まだまだだよ」
 お世辞では無いのだろうが、エルフレートにしてみればこの程度で息が上がっている様では完調には程遠い。気温の違いもあるかもしれないが、負傷する前の彼であればこの倍は動いても平気だった。いつ戻れるか分からないが、きな臭さが漂っている故国へ帰り、主を守りきれなかった贖罪しょくざいを果たすためには少しでも動けるようになっていなければならない。
「凄いよ。舞を見ている様だった」
 ブランカと呼ばれた若者は飲み物の入った器と乾いた布を差し出す。エルフレートは感謝してそれを受け取り、流れ出る汗を拭きとると器の中身を飲む。中身はこの地域でよく飲まれている花の香りがするお茶だった。井戸水で冷やしてあり、喉が渇いていた彼は続けて3杯飲み干していた。
「ありがとう」
「でも、あまり無理しない方がいい」
「分かってはいる。でも、何かしておかないと落ち着かないんだ」
「気持ちは分かるが、今、無理をしてまた寝込んでしまっては困る」
 中性的なブランカに真摯しんしに見つめられると何だかどぎまぎしてくる。自分にそんな趣味は無かったはずだと言い聞かせ、顏が赤くなるのをごまかす様に布で額の汗を拭う。そんなエルフレートの内心を知ってか知らずか、ブランカは背の高い彼の顔を心配そうに仰ぎ見ている。
「君をタランテラに送り届ける方策がまとまった」
「本当か?」
「ああ」
 情報収集にはもう少しかかると聞いていたが、先ほどブランカが言っていた案件のおかげで事態が動いたのだろう。エヴィル上層部がどんな判断を下したにせよ、世話になった身では従うつもりではいる。だが、それでも自分にとって有益であってほしいと願わずにはいられなかった。
「朝食後、詳しい話をするからその心づもりでいてくれ」
「分かった」
「では、また後で」
 一度戻って衣服を改めるのだろう。ブランカはそう言い残すと中庭を後にした。エルフレートはその姿を見送ると空を見上げる。既に日は昇り、故国に居たのでは想像もつかないような強烈な日差しが照り付けている。噴き出す汗をもう一度拭うと、彼も自分の部屋へ戻っていった。
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