群青の空の下で(修正版)

花影

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第2章 タランテラの悪夢

110 不穏な気配7

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「それは真か?」
 大神殿にある最上級の貴賓室。ベルクが就寝前に寛いでいた所へ部下がグスタフの訃報を知らせてきた。
 昼間、死んだと思われていたエドワルドの突然の帰還に、彼は大慌てで部下に事実確認を命じていた。同じく死んだと思っていたエドワルドの副官も生存が確認され、悪辣な方法でエドワルドが処刑されかけた事も聞いた。更には既に国主の署名入りの書状によってゲオルグの国主代行もグスタフの宰相位も白紙撤回され、エドワルドが新たな国主代行に任じられていると言う。
 時間が経つにつれて上がってくる報告にベルクは焦りを覚える。一番の気がかりは例の薬草を栽培しているワールウェイド領の薬草園とのつながりである。ラグラスは詳細を知らないので問題ない。だが、全てを知るグスタフが口を割ってしまうと、自分にも疑いの目が向けられてしまう。
 だが、幸いにも今年の収穫分を積んだ船は出航準備がほぼ整っている。現物が無い限りはどう騒がれようともごまかせる自信はあった。後は叔父の威光をちらつかせれば、自分よりもはるかに若い皇子はきっと大人しくなるだろう。うまく交渉できれば、あの薬草園を寄進という形で撒き上げられるかもしれない。
 そうやって色々と対策を講じていた所、本宮の様子をさらに詳細に調べて来る様に送り出した部下がグスタフの訃報を知らせて来たのだ。
「あの若造が手を掛けたのか?」
「いえ、それが……。どうも逆上したゲオルグ殿下に刺殺されたようです」
「何?」
 ゲオルグとも面識のあるベルクは、我儘に育った彼が気に入らない事があるとすぐに癇癪かんしゃくを起す事も良く知っていた。有り得るだけに一笑に付すことも出来ない。
「合議の間で午後から御前会議が開かれていた様なのですが、紛糾した様子で随分と怒号が飛び交っていました。衰弱した国主は早々に退出されたのですが、それからしばらくして慌てた様子で医者が呼ばれ、扉が開いた折に中をチラリとだけ伺えたのですが、宰相殿が倒れておられました」
「……よし、マルモアへ使いをやれ。船は予定通り明朝に出航させろ。絶対に奴らに積み荷を見られないようにするんだ」
「かしこまりました」
 グスタフが死んだのなら、あの薬との関わりが知られる心配が無くなった。ベルクはホッと胸を撫で下ろす。
 資質の高い者がもてはやされる今の風潮が変わらない限り、あの薬の需要が無くなる事は無い。特に見栄を張りたがる高位の貴族達が、自家から大母や竜騎士を排出しようと躍起になっており、ベルクはそんな彼等を救済するという名目の下、この薬を高値で売りつけていた。そして自家の名誉がかかった彼等は、それに何の疑問も抱かずに彼の言い値でその薬を買っていく。
 聖域に流れ着いた難民をうまく利用して作らせてきたが、勘のいい聖域の竜騎士に気付かれそうになり、移動せざるを得なくなった。そしてより多くの収穫を得るために莫大な投資をして新たな施設を作ったのだ。まだ元を取っていないのに、今更こんなに儲かる商売をやめるなんて考えられない。
 春になれば新たな賢者が選出される。自分が選ばれるために大金を使って買収を進めてきた。叔父の威光もあるので、ほぼ間違いなく自分が選ばれるだろうと言われている。勿論それで終わりではない。最終的には自分が大賢者として大陸に君臨するのが目標である。その野望をかなえる為にはまだまだお金が必要だった。
「そうだ、私は賢者になるんだ。堂々としていればいい」
 ベルクは自分にそう言い聞かせると、杯に注がれたままになっていたワインを飲み干した。



 皇都に着いたレイドは、同行したゴルトのおかげで面倒な手続きをすることなくすんなりと相棒のイルシオンを預け、大神殿へ向かうための馬を貸してもらえた。
 一般市民の立ち入りは制限されているらしく、人通りの少ない黎明れいめいの街を駆けて大神殿に向かった。門番に身分証と提示して用向きを伝えると、すぐに神官長の執務室へと案内される。
「どうぞ、こちらへ」
「失礼します」
 そこには神官長以外にもう1人、来客用のソファにふんぞり返ったベルクの姿があった。どうやらエドワルドの帰還という不測の事態が起き、慌てふためいた彼は少しでも情報を得ようとこの部屋に居座っているのだろう。
 レイドは身元がバレないか肝を冷やしたが、よくよく考えてみれば相手はレイドの顔など知る由もない。一度大きく息をはいて気持ちを落ち着けると、高位の神官2人に頭を下げた。
「フォルビア正神殿トビアス高神官の使いで参りました」
「トビアス高神官の?ロイス神官長ではなく?」
「はい」
 神官長は驚いた様子で聞き返す。だが、それだけで不測の事態が起きた事に気付いたらしく、レイドが差し出した書簡筒を受け取った。
 神官長はちらりとベルクを一瞥するが、彼は当然と言った様子でその場を動こうとはしない。仕方なく専用の鍵で封を開け、中の書簡に目を通すとみるみる顔が青ざめていく。
 その様子を黙って見ていたベルクは、おもむろに立ち上がると神官長の手から書簡を奪って目を通す。
「これは、真かね?」
「はい」
 神官長が受けた衝撃から立ち直るよりも早くベルクが質問してくる。レイドは仕方なく、慎ましやかに応えた。
「私達がフォルビアを出立した時点で分かっていたのは書簡の内容の通りです。クレスト卿を始め、騎士団の方々は全力で捜索にあたられていますが、ラグラスがどこに行ったのかは不明です」
「……そうですか。分かりました。トビアス高神官にはロイス神官長の代理としてフォルビア正神殿をまとめて頂きましょう」
 我に返った神官長は、親交のあるロイスの身を案じながらも組織の長としての役割を果たしていく。無事に帰ってくることを信じ、彼が最も信頼している補佐官にその業務を一時的に託すと決めた。
 しかし、手紙の返事と共に一時的な任命書を作成し始めると、ベルクが横から口出しをしてくる。
「あちらにはわしの部下のオットーがおる。あ奴の方が位は上だ。一時的ならオットーに任せるべきではないかね」
「ベルク殿、確かにオットー高神官の方が位は高いかもしれません。しかし、非常時でもありますから、かの地の事を良く知るトビアス殿の方が適任だと判断いたしました」
 暗にタランテラの事に口を挟まないでくれとベルクに言っているのだが、それに気づいた様子もない彼は不満だったらしく更に言い募ってくる。
「ここはタランテラです。いくら里からのお客様である貴方様でもこれは明らかに越権行為ではありませんか?」
「……不愉快だ」
 神官長がキッパリ断ると、ベルクは不機嫌そうに言い残し、足音も荒く執務室を出て行った。そこでようやくレイドも安堵の息をもらした。
「お見苦しい所をお見せして申し訳ない。フォルビアから来られたのならお疲れでしょう。案内を呼びますので、部屋でお休みなって下さい」
「いえ、すぐに戻りますので大丈夫です。お気づかいありがとうございます」
「もう帰るのかね?」
 レイドが丁重に申し出を断ると、神官長は驚いた様子で目をしばたかせる。街に着く前にアレスに小竜で伝言を送っており、この後街の外で落ち合う予定だった。だが、例え時間があってもベルクと同じ屋根の下で過ごしたいとは思わない。
「雇われた身ではありますが、それでもロイス神官長には随分と良くして頂いております。少しでも早く戻り、あの方を助け出すお手伝いをしたいと思います」
「そうか。それなら仕方ない。だが、十分に気を付けて帰られよ」
「はい、ありがとうございます。それでは、私はこれで失礼いたします」
 神官長が急いで書き上げた任命書を納めた書簡筒を受け取ると、レイドは頭を下げて執務室を退出した。
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