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夏至 1
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「青柳君。わざわざ済まないね」
この日、和敬は商談に立ち会って欲しいと言われて、営業部長の中村に呼び出されていた。どんよりとした曇り空の下、蒸し暑さに辟易しながら待ち合わせ場所に向かった彼は笑顔で迎えられた。
そこから更に移動して連れて行かれたのはエトワール系列のホテルのラウンジ。そこには取引先の不動産会社の社長だけでなく、華やかなスーツに身を包んだ妙齢の女性も同席して待っていたのだ。
「商談、と伺っておりましたが?」
「先方の社長のお嬢さんで、社会勉強のため秘書をなさっておられるそうです」
中村がそう説明をするが、彼女の服装は秘書というには場違いな雰囲気だった。身に纏っているのはブランドものらしい胸元が大きく空いたスーツ。そして派手なアクセサリを身に付け、香水が鼻に付く。仕事というよりは合コンか見合いか異性を意識したような服装だ。だが、先方がそう主張している以上無下にも出来ず、和敬は黙って席に着いた。
そうして始まった商談自体は和敬が出張るほど難しい内容のものではなかった。自分がこの場にいる必要性を微塵も感じられないほどあっさりと話はまとまった。だがその間、秘書だと言う社長令嬢は何かを手伝う訳でもなく、ただ和敬に熱い視線を送り続けていた。
「それでは、私はこれで」
和敬にはまだやらなければならない仕事が山の様にある。無事に商談も成立したことだし早々に退席しようとすると、先方の社長が呼び止める。
「青柳君、良かったからこの後一緒に昼食でもどうかね?」
「パパが美味しいイタリアンのお店を予約してくれているの」
令嬢も和敬の腕を引いて引き留める。体を密着して来ようとするのをさりげなく躱し、掴まれていた腕も体に当たらないように引き抜いて距離を取る。
「娘が青柳君に憧れていてね、君のような優秀な秘書になる秘訣でも教えてやってくれないか?」
熱心に和敬を誘ってくるが、彼にはそんな暇はなかった。そもそも御令嬢は本気で秘書を目指しているとは到底思えない。使い古された手だが、彼を篭絡できればエトワールもしくは大倉家の機密を聞き出せると思っているのだろう。和敬は冷ややかに2人を一瞥する。そんな姿に中村の方が冷汗をかいている。
「私に教えを乞う前に、もっと基本的な事をご自身で学ばれた方がよろしいかと。まだ仕事がありますので、それでは失礼いたします」
和敬はそう言うと、中村を連れてラウンジを後にしていく。傍から見れば、和敬の方が上司に見える。まさか断られると思っていなかったらしく、先方の社長とその後令嬢は唖然としてその姿を見送った。
「中村部長、今後、こういった事はお控えください」
「面目ない……」
中村も戦法の社長が和敬の事を気に入って娘の婿にと望んでいる事は知っていた。だが、商談の席でここまであからさまに秋波を送って来るとは思っていなかったらしく、年下の彼に恐縮するしかなかった。
「今度埋め合わせを……」
「無用です。それでは、仕事に戻りますので失礼します」
和敬はそっけなくそう返すと、タクシーに乗り込んで戻って行った。中村は何度も頭を下げてその姿を見送ったのだった。
「ただいま戻りました」
「おかえり。なんだ、仕事ではなく美女との密会だったか?」
エトワール本社の会長室。和敬が帰社の報告に顔を出すと、令嬢に腕を掴まれたときに付いたと思われる移り香に気付いて軽口をたたく。和敬は辟易した様子で顔を顰め、「すぐに着替えてきます」と言って一度退室した。
常備してある予備のスーツに着替え、もう臭わないことを確認して改めて会長室へ顔を出す。着替えた和敬の姿を認めると、義総はおかしそうに笑っている。
「それで、中村のサポートはうまくいったのか?」
「サポートも何も私が出張る必要性は感じられませんでした」
そう言って和敬は淡々と先方とのやり取りを報告する。表情は変えていないが、義総にはその口調から彼が相当腹を立てていることを察した。
「随分と古典的な手口だな」
「今後の付き合いを少し見直した方が良いかもしれません」
「しかし、その御令嬢と結婚したらお前も経営者の仲間入りだぞ?」
「止めて下さい。興味はありません」
からかってくる義総に和敬はうんざりした様子で言い返す。相当機嫌が悪いらしい。それでも構わず、義総は軽口を止めない。
「重役たちから聞いたが、お前は婿の最良物件だそうだ」
「は?」
「将来出世するのは間違いなしで見た目も悪くない。私との深いつながりも得られるといいとこずくめだそうだ」
「……」
「総務部長の境田と専務の森が是非にと私に預けていった」
仕事中は特に表情を表に出さない和敬だが、珍しく眉間にしわを寄せている。そんな彼に義総は2冊の見合い写真を差し出した。
「私は大倉家に生涯を尽くすと決めております。家庭を持つつもりはありません」
和敬はそう言い切ると、中身を見ることなく踵を返して部屋を出て行った。義総は肩を竦めると、写真を片付ける。どうやらこうなる事は予見していて、和敬の反応を楽しんでいたらしい。
「さて、どうなるか……」
傍迷惑な上司はそう呟くと、愛しい女性と過ごす時間を確保するべく、仕事を再開した。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
青柳君に女難の相が……
この日、和敬は商談に立ち会って欲しいと言われて、営業部長の中村に呼び出されていた。どんよりとした曇り空の下、蒸し暑さに辟易しながら待ち合わせ場所に向かった彼は笑顔で迎えられた。
そこから更に移動して連れて行かれたのはエトワール系列のホテルのラウンジ。そこには取引先の不動産会社の社長だけでなく、華やかなスーツに身を包んだ妙齢の女性も同席して待っていたのだ。
「商談、と伺っておりましたが?」
「先方の社長のお嬢さんで、社会勉強のため秘書をなさっておられるそうです」
中村がそう説明をするが、彼女の服装は秘書というには場違いな雰囲気だった。身に纏っているのはブランドものらしい胸元が大きく空いたスーツ。そして派手なアクセサリを身に付け、香水が鼻に付く。仕事というよりは合コンか見合いか異性を意識したような服装だ。だが、先方がそう主張している以上無下にも出来ず、和敬は黙って席に着いた。
そうして始まった商談自体は和敬が出張るほど難しい内容のものではなかった。自分がこの場にいる必要性を微塵も感じられないほどあっさりと話はまとまった。だがその間、秘書だと言う社長令嬢は何かを手伝う訳でもなく、ただ和敬に熱い視線を送り続けていた。
「それでは、私はこれで」
和敬にはまだやらなければならない仕事が山の様にある。無事に商談も成立したことだし早々に退席しようとすると、先方の社長が呼び止める。
「青柳君、良かったからこの後一緒に昼食でもどうかね?」
「パパが美味しいイタリアンのお店を予約してくれているの」
令嬢も和敬の腕を引いて引き留める。体を密着して来ようとするのをさりげなく躱し、掴まれていた腕も体に当たらないように引き抜いて距離を取る。
「娘が青柳君に憧れていてね、君のような優秀な秘書になる秘訣でも教えてやってくれないか?」
熱心に和敬を誘ってくるが、彼にはそんな暇はなかった。そもそも御令嬢は本気で秘書を目指しているとは到底思えない。使い古された手だが、彼を篭絡できればエトワールもしくは大倉家の機密を聞き出せると思っているのだろう。和敬は冷ややかに2人を一瞥する。そんな姿に中村の方が冷汗をかいている。
「私に教えを乞う前に、もっと基本的な事をご自身で学ばれた方がよろしいかと。まだ仕事がありますので、それでは失礼いたします」
和敬はそう言うと、中村を連れてラウンジを後にしていく。傍から見れば、和敬の方が上司に見える。まさか断られると思っていなかったらしく、先方の社長とその後令嬢は唖然としてその姿を見送った。
「中村部長、今後、こういった事はお控えください」
「面目ない……」
中村も戦法の社長が和敬の事を気に入って娘の婿にと望んでいる事は知っていた。だが、商談の席でここまであからさまに秋波を送って来るとは思っていなかったらしく、年下の彼に恐縮するしかなかった。
「今度埋め合わせを……」
「無用です。それでは、仕事に戻りますので失礼します」
和敬はそっけなくそう返すと、タクシーに乗り込んで戻って行った。中村は何度も頭を下げてその姿を見送ったのだった。
「ただいま戻りました」
「おかえり。なんだ、仕事ではなく美女との密会だったか?」
エトワール本社の会長室。和敬が帰社の報告に顔を出すと、令嬢に腕を掴まれたときに付いたと思われる移り香に気付いて軽口をたたく。和敬は辟易した様子で顔を顰め、「すぐに着替えてきます」と言って一度退室した。
常備してある予備のスーツに着替え、もう臭わないことを確認して改めて会長室へ顔を出す。着替えた和敬の姿を認めると、義総はおかしそうに笑っている。
「それで、中村のサポートはうまくいったのか?」
「サポートも何も私が出張る必要性は感じられませんでした」
そう言って和敬は淡々と先方とのやり取りを報告する。表情は変えていないが、義総にはその口調から彼が相当腹を立てていることを察した。
「随分と古典的な手口だな」
「今後の付き合いを少し見直した方が良いかもしれません」
「しかし、その御令嬢と結婚したらお前も経営者の仲間入りだぞ?」
「止めて下さい。興味はありません」
からかってくる義総に和敬はうんざりした様子で言い返す。相当機嫌が悪いらしい。それでも構わず、義総は軽口を止めない。
「重役たちから聞いたが、お前は婿の最良物件だそうだ」
「は?」
「将来出世するのは間違いなしで見た目も悪くない。私との深いつながりも得られるといいとこずくめだそうだ」
「……」
「総務部長の境田と専務の森が是非にと私に預けていった」
仕事中は特に表情を表に出さない和敬だが、珍しく眉間にしわを寄せている。そんな彼に義総は2冊の見合い写真を差し出した。
「私は大倉家に生涯を尽くすと決めております。家庭を持つつもりはありません」
和敬はそう言い切ると、中身を見ることなく踵を返して部屋を出て行った。義総は肩を竦めると、写真を片付ける。どうやらこうなる事は予見していて、和敬の反応を楽しんでいたらしい。
「さて、どうなるか……」
傍迷惑な上司はそう呟くと、愛しい女性と過ごす時間を確保するべく、仕事を再開した。
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