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終章 ただいま、世界
第240話 よく見た天井
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意識を取り戻した。
重たい瞼を懸命に開けると、虫食いの跡のような模様がついたクリーム色の天井が目に入った。二十二年生きている中で何度も見てきた天井のはずなのに、とても久しく感じた。
どうやら随分と眠っていたようで、背中がガチガチになるくらい痛かった。寝返りを打つだけで情けない声が出てしまう。
体にいろんな管がついていることに気づいたのは、寝返りを打った後のことだった。
手首には点滴が刺さっており、口には酸素マスクがついている。ここは病院か。その答えにたどり着くまで時間を要してしまったが、ようやく頭が動いてくれたみたいだ。
それにしても、管が多すぎて動けない。ナースコールを押せばいいのだろうか。しかし、腕が鉛のように重たくて、ナースコールにすら手を伸ばせない。
途方に暮れていると、ガラリと病室の扉が開かれた。入ってきたのは母親だった。俺が起きているのに気づいて、時間が停止したみたいに固まっている。
「あ、そ、そうだ。看護師さん。看護師さん呼ばないと」
うろたえながらも、母親はベッドに近づいて急いでナースコールを押した。
「息子が目を覚ましました」
その声は涙で震えていて、喜びの感情がにじみ出ていた。
そこからはてんやわんやだった。
医者と看護師が慌てた様子で駆け寄ってきて、俺のバイタルチェックを始める。声はかすれて全然出ないが、意識もはっきりしていて、会話の受け答えもできる。その様子に医者も看護師も胸を撫で下ろしていた。
「起きたばかりなので回復には時間がかかりますが、もう大丈夫でしょう」
「ありがとうございます……ありがとうございます……」
母親が泣きながら医者と看護師に頭を下げる。その光景を俺はぼんやりとしながら見つめる。まだこの世界に戻ってきたことの実感が沸かなくて、自分のことなのに他人事のように思えた。
酸素マスクと点滴が取れたのは、それから一日経った後だった。その頃には普通に声も出て、自力でトイレに行けるくらい元気になっており、その驚異的な回復力に医者も仰天していた。
落ち着いたのを見計らって、母親がこれまでの経緯を語り出した。
母親曰く、俺は道端に倒れているところを発見され、病院に運び込まれたらしい。病院に着いた時点で心肺停止状態。もう助からないと思ったところ、突然止まっていた心臓が動き出した、とのこと。
ノアは「急性心不全」ということにして俺を殺した。見せられた光景の時点で俺は霊安室に運ばれていたはずなのだが、今はこうして病室で寝かされている。「俺が死んだ」という事象を壊したのだろうか。あの光景がなかったことにされている。
聞けば俺が倒れてから二日しか経っていないとのことだ。『エムメルク』で過ごした時間と全然合わない。そもそも時間の流れが『エムメルク』と違うのか。状況は考えれば考えるほどわからなかった。けれども神様なのだから、時間を戻すことも、ノアとの契約自体を消滅させることもできるか。そもそも異世界転生なんて非現実的なことをしてきた訳だし。今更理屈もクソもない。
「でも、不思議よね。あなたが倒れる少し前に頼人も同じ症状で病院に運ばれたの」
「頼人が? 今、あいつは……」
「あの子はあなたが起きる前日に目を覚ましたわ。あの子も後遺症もなく順調に回復しているみたい。やっぱりあなたたちは、遠く離れていても心が繋がっているのね」
しみじみと言う母親だが、こちらの理由はわかっていた。俺がノアと契約をする前に、先にセトと契約した頼人が『エムメルク』に飛ぶ。そしてエスメラルダさんの計らいでひと足早く現実世界に戻ってきたから、頼人のほうが先に目を覚ます。ただそれだけのこと。しかし、ここでこれを話すのは野暮だ。理解されないことを話すのは、余計な混乱を招く。それに、嬉しそうな母親に水を差したくない。
「あっちにはお父さんに行ってもらっているんだけどね。麦人が目を覚ましたと聞いたら泣くくらい喜んでいたのよ。本当、あなたにも聞かせてやりたかったわ」
「クスクス」と母親が笑う。そうか。父親の姿が見えないのはそういう理由か。同じ日に息子が二人も倒れてそのまま入院。手のかかる息子たちで頭が下がる。
それにしても、出来損ないの長男だと思っていたのに、俺が意識を取り戻したことで母親も父親も泣くほど喜ぶとは思わなかった。この世界も捨てたものじゃない。そう思うと、少しだけ嬉しかった。
しかし、胸にぽっかりと開いた喪失感は埋まりそうもなかった。
俺が『エムメルク』で過ごした日々は夢だったのだろうか。勇者に転生して、異世界に行って、魔王を倒すだなんて、夢だと思ったほうが一番現実的だし、腑に落ちる。けれども、夢から覚めたはずなのに、あの『エムメルク』の美しい景色が、出会った人の笑顔が、仲間たちの声が、こんなにも脳裏に焼き付いている。
重たい瞼を懸命に開けると、虫食いの跡のような模様がついたクリーム色の天井が目に入った。二十二年生きている中で何度も見てきた天井のはずなのに、とても久しく感じた。
どうやら随分と眠っていたようで、背中がガチガチになるくらい痛かった。寝返りを打つだけで情けない声が出てしまう。
体にいろんな管がついていることに気づいたのは、寝返りを打った後のことだった。
手首には点滴が刺さっており、口には酸素マスクがついている。ここは病院か。その答えにたどり着くまで時間を要してしまったが、ようやく頭が動いてくれたみたいだ。
それにしても、管が多すぎて動けない。ナースコールを押せばいいのだろうか。しかし、腕が鉛のように重たくて、ナースコールにすら手を伸ばせない。
途方に暮れていると、ガラリと病室の扉が開かれた。入ってきたのは母親だった。俺が起きているのに気づいて、時間が停止したみたいに固まっている。
「あ、そ、そうだ。看護師さん。看護師さん呼ばないと」
うろたえながらも、母親はベッドに近づいて急いでナースコールを押した。
「息子が目を覚ましました」
その声は涙で震えていて、喜びの感情がにじみ出ていた。
そこからはてんやわんやだった。
医者と看護師が慌てた様子で駆け寄ってきて、俺のバイタルチェックを始める。声はかすれて全然出ないが、意識もはっきりしていて、会話の受け答えもできる。その様子に医者も看護師も胸を撫で下ろしていた。
「起きたばかりなので回復には時間がかかりますが、もう大丈夫でしょう」
「ありがとうございます……ありがとうございます……」
母親が泣きながら医者と看護師に頭を下げる。その光景を俺はぼんやりとしながら見つめる。まだこの世界に戻ってきたことの実感が沸かなくて、自分のことなのに他人事のように思えた。
酸素マスクと点滴が取れたのは、それから一日経った後だった。その頃には普通に声も出て、自力でトイレに行けるくらい元気になっており、その驚異的な回復力に医者も仰天していた。
落ち着いたのを見計らって、母親がこれまでの経緯を語り出した。
母親曰く、俺は道端に倒れているところを発見され、病院に運び込まれたらしい。病院に着いた時点で心肺停止状態。もう助からないと思ったところ、突然止まっていた心臓が動き出した、とのこと。
ノアは「急性心不全」ということにして俺を殺した。見せられた光景の時点で俺は霊安室に運ばれていたはずなのだが、今はこうして病室で寝かされている。「俺が死んだ」という事象を壊したのだろうか。あの光景がなかったことにされている。
聞けば俺が倒れてから二日しか経っていないとのことだ。『エムメルク』で過ごした時間と全然合わない。そもそも時間の流れが『エムメルク』と違うのか。状況は考えれば考えるほどわからなかった。けれども神様なのだから、時間を戻すことも、ノアとの契約自体を消滅させることもできるか。そもそも異世界転生なんて非現実的なことをしてきた訳だし。今更理屈もクソもない。
「でも、不思議よね。あなたが倒れる少し前に頼人も同じ症状で病院に運ばれたの」
「頼人が? 今、あいつは……」
「あの子はあなたが起きる前日に目を覚ましたわ。あの子も後遺症もなく順調に回復しているみたい。やっぱりあなたたちは、遠く離れていても心が繋がっているのね」
しみじみと言う母親だが、こちらの理由はわかっていた。俺がノアと契約をする前に、先にセトと契約した頼人が『エムメルク』に飛ぶ。そしてエスメラルダさんの計らいでひと足早く現実世界に戻ってきたから、頼人のほうが先に目を覚ます。ただそれだけのこと。しかし、ここでこれを話すのは野暮だ。理解されないことを話すのは、余計な混乱を招く。それに、嬉しそうな母親に水を差したくない。
「あっちにはお父さんに行ってもらっているんだけどね。麦人が目を覚ましたと聞いたら泣くくらい喜んでいたのよ。本当、あなたにも聞かせてやりたかったわ」
「クスクス」と母親が笑う。そうか。父親の姿が見えないのはそういう理由か。同じ日に息子が二人も倒れてそのまま入院。手のかかる息子たちで頭が下がる。
それにしても、出来損ないの長男だと思っていたのに、俺が意識を取り戻したことで母親も父親も泣くほど喜ぶとは思わなかった。この世界も捨てたものじゃない。そう思うと、少しだけ嬉しかった。
しかし、胸にぽっかりと開いた喪失感は埋まりそうもなかった。
俺が『エムメルク』で過ごした日々は夢だったのだろうか。勇者に転生して、異世界に行って、魔王を倒すだなんて、夢だと思ったほうが一番現実的だし、腑に落ちる。けれども、夢から覚めたはずなのに、あの『エムメルク』の美しい景色が、出会った人の笑顔が、仲間たちの声が、こんなにも脳裏に焼き付いている。
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