8 / 25
第8話:手術当日 ~総合病院:入院2日目(部屋の移動)~
しおりを挟む
今日は、いよいよ手術の日。その前に、まずはお引っ越しである。といっても病室の端から端へ。転勤よりも距離は短いのに、緊張は三倍だ。
朝の見回りに来た看護師さんがにこやかに聞く。
「よく眠れましたか?」
正直に白旗を上げる。
「ほとんど眠れませんでした」
「緊張してるんですか?」
「それもありますが、夜中のナースコールが……コンサート並みで」
看護師さんが苦笑い。
「この部屋、ナースコールのスピーカーが真正面なんです。しかも一定時間応答がないと自動でボリュームが上がる親切設計でして」
親切のベクトルが違う。
続けて、さらっと爆弾投下。
「手術後は出血や痛みでさらに眠りにくいかもしれません。反対側の部屋が空いたので、移動しますか?」
(マジか!!! 出血とか痛みとか、きょうび“おはよう”みたいに言わないで)
「お願いします」
しばらくして引っ越し開始。といっても荷物はそのままでOK、ベッドもクローゼットもTV台も全部“現地解体・現地再組立て”不要。私だけがスッと移動する、引っ越し史上最軽量プランだ。
新しい部屋は少し狭く、ソファは一人掛けが一台きり。まあソファが二つあっても“王の玉座”が増えるだけ。王は一人で十分だ。
静けさはワンランクアップ。あの夜中のナースコールも、ここでは少し遠い。昨夜は「ピンポン♪」のあと「ドドドン!」までフルコースで鳴っていたが、今夜は「ピン…」で済みそうだ。音量が上がるたび病棟が覚醒するあの仕様、開発会議に出たかった。「深夜は上がらないモード」を提案したい。
手術一時間前、点滴タイム到来。金属の支柱が颯爽と現れ、今日の相棒に就任する。看護師さんが袖をまくりながら言う。
「左右どちらでも大丈夫ですよ」
なぜか胸を張って即答。
「じゃあ、左でお願いします」
腕を見つめる看護師さんの眉が、そっと八の字に。
「うーん……左は血管が奥ゆかしいですね。右のほうが堂々としてます」
血管に性格があるらしい。結果、右腕に決定。針が近づくと、急に“病人っぽさ”が襲ってくる。普段は見もしない細い金属が、急に主役づらでアップになるの、やめてほしい。深呼吸して、目線は天井へ。天井の小さなシミが、今だけ北極星のように頼もしい。
「はい、入りましたよ。上手にできました」
看護師さんの一言で、こっちが小学生に戻る。初めての点滴、無事デビュー。点滴パックが静かに滴り始め、相棒のキャスターが軽くきしむ。いよいよ旅立ち前の最終チェックリストが全部にチェックマーク。
そこへ麻酔科の先生が登場。名札に「眠りの案内人」と書いてあってほしい雰囲気だ。
「本日は全身麻酔です。アレルギーは?」
「花粉と、会議」
「後者は皆さんありますね」
にこっと笑って、淡々と説明。呼吸の管だの、覚めたら喉がイガイガするかもだの、プロの落ち着きで“怖い単語”を丸めて投げてくる。うっかりキャッチしても痛くない。職人芸。
主治医もやってきて、最終確認。
「では鼻の曲がりをまっすぐに、あと通りを良くしておきますね」
まな板の上のコイとしては、職人さんの包丁さばきにすべてを託すしかない。
「よろしくお願いします。ついでに人生もまっすぐに」
「それは外来の範囲を超えますね」
軽口が交わる。緊張のネジが一つ、外れる。
手術着に着替え、ヘアキャップ装備。鏡を見ると、ちょっとだけ蒸し料理。弾性ストッキングまで履くと、全身“正しい準備運動”。看護師さんがチェックリストを読み上げる。
「アクセサリーなし、義歯なし、コンタクトなし。お名前、生年月日、手術内容をどうぞ」
この病院の二段三段確認は徹底している。ここで違う鼻をまっすぐにされたら困るし、他人の人生まで矯正されたくない。
時間が来た。ドラマで見るストレッチャー…かと思いきや、歩行で手術室へ。
「え、歩きですか」
「歩ける方は歩きです。経費削減じゃないですよ」
点滴ポールをカラコロ押し、廊下を進む。足元はスリッパ、心はランウェイ。自動ドアが開くたび、ほんのり冷たい空気。遠くに「手術室」の光る文字。BGMがないのに、なぜか頭の中で勇者っぽいメロディが鳴り出す。
手術室前で一旦停止。金属のドアが開くと、白と銀の世界。思ったより広い。モニター、ライト、機器が静かに待機している。スタッフたちがテキパキと動き、私はベッドに横たわる。腕には血圧計、指には酸素のやつ、胸にはピッと貼るやつ。
「深呼吸しましょう。酸素です。いい空気ですよ」
“いい空気”というセールストーク、今だけは響く。
麻酔科の先生が、仏の顔で最後の一言。
「では、楽にしましょう。寒くないですか?」
「あ、ちょっとだけ」
ブランケットが一枚増える。やさしさが一枚増える。
マスクがそっと顔に近づき、ふわっとした匂い。
「ゆっくり深呼吸していてください。十まで数える人もいますが、三で十分な方もいます」
「欲張って五まで行きます」
一、二、三……(四はどこ行った?)——
準備完了。さあ、出番だ。鼻の中の曲がった運命よ、ここからはこっちが真っすぐにしてやる。あとはプロ達の手に任せて、私は一度スイッチを切る。目を閉じる瞬間、遠くで点滴ポールのキャスターが小さく“コロ”と鳴った。合図だ。私と私の鼻は、いま同じ方向へ進み始めた。
朝の見回りに来た看護師さんがにこやかに聞く。
「よく眠れましたか?」
正直に白旗を上げる。
「ほとんど眠れませんでした」
「緊張してるんですか?」
「それもありますが、夜中のナースコールが……コンサート並みで」
看護師さんが苦笑い。
「この部屋、ナースコールのスピーカーが真正面なんです。しかも一定時間応答がないと自動でボリュームが上がる親切設計でして」
親切のベクトルが違う。
続けて、さらっと爆弾投下。
「手術後は出血や痛みでさらに眠りにくいかもしれません。反対側の部屋が空いたので、移動しますか?」
(マジか!!! 出血とか痛みとか、きょうび“おはよう”みたいに言わないで)
「お願いします」
しばらくして引っ越し開始。といっても荷物はそのままでOK、ベッドもクローゼットもTV台も全部“現地解体・現地再組立て”不要。私だけがスッと移動する、引っ越し史上最軽量プランだ。
新しい部屋は少し狭く、ソファは一人掛けが一台きり。まあソファが二つあっても“王の玉座”が増えるだけ。王は一人で十分だ。
静けさはワンランクアップ。あの夜中のナースコールも、ここでは少し遠い。昨夜は「ピンポン♪」のあと「ドドドン!」までフルコースで鳴っていたが、今夜は「ピン…」で済みそうだ。音量が上がるたび病棟が覚醒するあの仕様、開発会議に出たかった。「深夜は上がらないモード」を提案したい。
手術一時間前、点滴タイム到来。金属の支柱が颯爽と現れ、今日の相棒に就任する。看護師さんが袖をまくりながら言う。
「左右どちらでも大丈夫ですよ」
なぜか胸を張って即答。
「じゃあ、左でお願いします」
腕を見つめる看護師さんの眉が、そっと八の字に。
「うーん……左は血管が奥ゆかしいですね。右のほうが堂々としてます」
血管に性格があるらしい。結果、右腕に決定。針が近づくと、急に“病人っぽさ”が襲ってくる。普段は見もしない細い金属が、急に主役づらでアップになるの、やめてほしい。深呼吸して、目線は天井へ。天井の小さなシミが、今だけ北極星のように頼もしい。
「はい、入りましたよ。上手にできました」
看護師さんの一言で、こっちが小学生に戻る。初めての点滴、無事デビュー。点滴パックが静かに滴り始め、相棒のキャスターが軽くきしむ。いよいよ旅立ち前の最終チェックリストが全部にチェックマーク。
そこへ麻酔科の先生が登場。名札に「眠りの案内人」と書いてあってほしい雰囲気だ。
「本日は全身麻酔です。アレルギーは?」
「花粉と、会議」
「後者は皆さんありますね」
にこっと笑って、淡々と説明。呼吸の管だの、覚めたら喉がイガイガするかもだの、プロの落ち着きで“怖い単語”を丸めて投げてくる。うっかりキャッチしても痛くない。職人芸。
主治医もやってきて、最終確認。
「では鼻の曲がりをまっすぐに、あと通りを良くしておきますね」
まな板の上のコイとしては、職人さんの包丁さばきにすべてを託すしかない。
「よろしくお願いします。ついでに人生もまっすぐに」
「それは外来の範囲を超えますね」
軽口が交わる。緊張のネジが一つ、外れる。
手術着に着替え、ヘアキャップ装備。鏡を見ると、ちょっとだけ蒸し料理。弾性ストッキングまで履くと、全身“正しい準備運動”。看護師さんがチェックリストを読み上げる。
「アクセサリーなし、義歯なし、コンタクトなし。お名前、生年月日、手術内容をどうぞ」
この病院の二段三段確認は徹底している。ここで違う鼻をまっすぐにされたら困るし、他人の人生まで矯正されたくない。
時間が来た。ドラマで見るストレッチャー…かと思いきや、歩行で手術室へ。
「え、歩きですか」
「歩ける方は歩きです。経費削減じゃないですよ」
点滴ポールをカラコロ押し、廊下を進む。足元はスリッパ、心はランウェイ。自動ドアが開くたび、ほんのり冷たい空気。遠くに「手術室」の光る文字。BGMがないのに、なぜか頭の中で勇者っぽいメロディが鳴り出す。
手術室前で一旦停止。金属のドアが開くと、白と銀の世界。思ったより広い。モニター、ライト、機器が静かに待機している。スタッフたちがテキパキと動き、私はベッドに横たわる。腕には血圧計、指には酸素のやつ、胸にはピッと貼るやつ。
「深呼吸しましょう。酸素です。いい空気ですよ」
“いい空気”というセールストーク、今だけは響く。
麻酔科の先生が、仏の顔で最後の一言。
「では、楽にしましょう。寒くないですか?」
「あ、ちょっとだけ」
ブランケットが一枚増える。やさしさが一枚増える。
マスクがそっと顔に近づき、ふわっとした匂い。
「ゆっくり深呼吸していてください。十まで数える人もいますが、三で十分な方もいます」
「欲張って五まで行きます」
一、二、三……(四はどこ行った?)——
準備完了。さあ、出番だ。鼻の中の曲がった運命よ、ここからはこっちが真っすぐにしてやる。あとはプロ達の手に任せて、私は一度スイッチを切る。目を閉じる瞬間、遠くで点滴ポールのキャスターが小さく“コロ”と鳴った。合図だ。私と私の鼻は、いま同じ方向へ進み始めた。
3
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
プール終わり、自分のバッグにクラスメイトのパンツが入っていたらどうする?
九拾七
青春
プールの授業が午前中のときは水着を着こんでいく。
で、パンツを持っていくのを忘れる。
というのはよくある笑い話。
どうしてそこにトリックアートを設置したんですか?
鞠目
ホラー
N県の某ショッピングモールには、エントランスホールやエレベーター付近など、色んなところにトリックアートが設置されている。
先日、そのトリックアートについて設置場所がおかしいものがあると聞いた私は、わかる範囲で調べてみることにした。
痩せたがりの姫言(ひめごと)
エフ=宝泉薫
青春
ヒロインは痩せ姫。
姫自身、あるいは周囲の人たちが密かな本音をつぶやきます。
だから「姫言」と書いてひめごと。
別サイト(カクヨム)で書いている「隠し部屋のシルフィーたち」もテイストが似ているので、混ぜることにしました。
語り手も、語られる対象も、作品ごとに異なります。
Web小説のあれやこれ
水無月礼人
エッセイ・ノンフィクション
沢山の小説投稿サイトが存在しますが、作品をバズらせるには自分と相性が良いサイトへ投稿する必要が有ります。
筆者目線ではありますが、いくつかのサイトで活動して感じた良い所・悪い所をまとめてみました。サイト選びの参考になることができたら幸いです。
※【エブリスタ】でも公開しています。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
24hポイントが0だった作品を削除し再投稿したらHOTランキング3位以内に入った話
アミ100
エッセイ・ノンフィクション
私の作品「乙女ゲームのヒロインに転生、科学を駆使して剣と魔法の世界を生きる」がHOTランキング入り(最高で2位)しました、ありがとうございますm(_ _)m
この作品は2年ほど前に投稿したものを1度削除し、色々投稿の仕方を見直して再投稿したものです。
そこで、前回と投稿の仕方をどう変えたらどの程度変わったのかを記録しておこうと思います。
「投稿時、作品内容以外でどこに気を配るべきなのか」の参考になればと思いますm(_ _)m
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる