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第6話 まだ見ぬわたしのこと

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「つくね1人前よろしく」
「へい!お待たせしやしたァ‼︎」
 学園祭当日。ぽつぽつと人の並ぶ『2-D』と書かれた焼き鳥の出店にて尾木奈真昼は暇を潰していた。パーカーのポケットの中で拳の温度に染まった100円玉を簡易の長机に置き、紙コップに刺さったつくねを受け取る。それを一本、口に咥えて一歩また一歩と歩き続け、とあるパネル前にたどりついた。
「Tri clapステージライブイベント…13:00より開始……なっげぇなあ…」
 見上げた時計では、単身が11時を指す。しばらくは時間を潰さねばならないとため息を吐き、次のつくね棒を口に咥えて再度歩き出した。
「蕣ちゃんどこに居んのかねぇ…終わった後にでも合流できりゃいいけど…」
 紙コップに食べ終えた後の串を詰め込み握りつぶして、ゴミ箱に投げ捨てる。1人憂鬱を浮かべながら、とりあえずステージの方へと向かう事にした。
「野外ステージってこんな金かかってたか?」
「いや…去年はもっとボロくて安い感じの…いや、おい見ろよQuartettoって書いてるぞ⁉︎」
「マジかよ⁉︎なんで学園祭なんかでQuartettoが⁉︎」
 道中聞いたこのような会話から、彼女らに対する期待的なものは膨れ上がるばっかりなのだろう。蕣ちゃんは初ステージらしいので倒れたりしなければいいのだが。
「…ん」
「こんにちは。貴女に少し伺いたい事があるのですが…お時間大丈夫ですか?」
 唐突に眼前で立ちはだかる1人の女生徒。山吹の髪色にポニーテールが特徴的だ。
「…誰っすか?見た感じ先輩…ですけど」
「私、2年の千歳 小葉と申します。できるだけ簡潔に済ませますので…よろしいですか?」
「ん、別に構わないっすけど…」
 右手で髪を掻きながら、彼女の目を見つめる。緑色の綺麗な眼球だ。特に学園祭だからといったコスプレや着飾った様子もない、清楚な1人の女生徒である。
「それでは、少し…今日13時よりライブを行う『Tri clap』について教えてください。どんな些細なことでも構いません」
 普段は相手が何を考えているのか、というのは、多少分かってしまう。だが、今回は何も読めなかった。その感情を、自分自身も持て余していたからだ。
「…分かってるのはメンバーが3人。内2人はウチの生徒の七海蕣と時雨宮古、もう1人は知らない。事務所はQuartetto。知ってるのはボクもこれだけだ」
 何を考えているのかは分からないが、思考することはできる。きっとアイドルグループの追っかけとかしている人なのだろうとボクは思うが。
「…これ聞いて何がしたいんすか?」
 彼女は満面で笑顔を見せ、語った。
「そのうち分かりますよ」

「はあ⁉︎何言ってんの⁉︎」
「いやだから…録画した昨日のドラマ観てたら遅刻しそうで…いっ…今走ってるか…ら…‼︎」
「いやいやありえないよ⁉︎遅刻したらお前の事一生くまいろーって呼ぶから‼︎」
 いつまで経っても現場に現れないいろはちゃんに何事かと電話をかけた宮古は、怒りと呆れが程よくブレンドされた感情を見せていた。
「…タイムリミットは1時間半。30分前には来てもらわないと困るからあと1時間ね」
「わっ…分かった…」
 通話終了の音声が流れ、いろはちゃんが全力で走っている姿を想像する。なんか普通にこけたりしてそうだなと思ったのは内緒だ。
「…しゃーない。彩白来るまでなんか食べに行こっか?」
「そうですね、お腹空いてたら全力出ませんし!」
 その後、祭りの定番と言わんばかりのものたちを抱えて楽屋となっている簡易テントの中に戻る。するとそこにはQuartetto社の人間、又は宮古のプロデューサー的な人。峯森の姿があった。
「…なんで居るんすか。今日の私らはまだ『QuartettoのTri clap』じゃないんですけど」
「どちらにせよ、私は今日この日を貴女たちのデビューだと思っている。社長も同じようにね。それ即ちQuartettoは貴女たちに期待してるという事。そして、今日が最高のステージになるよう少しでも出来ることをしてあげるのが私たちの仕事なの」
「峯森さん…」
「…そ。別に好きにすればいいよ。まあでも…」
 宮古はプラスチックの使い捨て容器に入れられた数多の定番食たちを簡易の机に置き、峯森の方を向いて口を開く。
「本当に期待してほしいのはあんたら会社じゃない。私たちを観てくれる『人々』だ。何があってもずっと応援してくれるそんな会社はファンじゃなくて支援者なんだから」
「みっ…宮古……」
「別に嫌ってるわけじゃないし、感謝もしてるよ。だけど私はTri clapを『会社に期待する間も与えないくらい人気なユニット』にしたい。だから…」
 暫し沈黙。峯森の表情は固まったままだったが、次第に柔らかくなる。氷が溶け、水を生むように。
「分かった。宮古の言いたいことは十分伝わったよ。それなら、絶対後々ガッカリさせたりしないでね」
 ここは、どういった反応を露わにすればいいのだろうか。別に修羅場でもなければ笑う場面でもない。こういうとき、自己判断ができないと辛いものだ。
 しかしそんな中、空気を全く読まない軽快なミュージックが鳴り響いた。宮古の携帯電話からだった。
「…どーしたくまいろー。時計を見てみたらどうだ?後10分だぞ」
「いや、今着いたよ‼どこ行けばいいの⁉︎︎」
「んー?グラウンドにめちゃくちゃでかいステージ立ってるだろ?その横にあるテント。前で立ってるから探せ。以上」
「えっ⁉︎ちょま」
 この電話は、切れたのではなく切ったということになる。果たしていろはちゃんはたどり着けるだろうか。
「ここかぁぁぁぁ‼︎」
 突然響く聴き慣れた声。大きく肩を縦に揺らすこととなった。
「…お、おはよういろはちゃん…よく分かったね」
「そりゃ…あんなデカデカと『Quartetto』ってかいてりゃ…ね…あぁ…疲れた…」

 本番が3分前に迫り、ステージ周辺には少しずつ人が集まりつつあった。一般の生徒や他校、子連れや全く関係のなさそうな近隣住民又は卒業生といった老若男女、十人十色の世界が覗いた先に見えた。
「うぅ…やっぱりなんか怖いですね…」
「うん。でも、私だってはじめての試みなんだ。蕣とおんなじだよ。みんな一緒なんだって考えてたら、なんか大丈夫に思えてきてね」
「私も初めてだよ。こういうの。でも自分が昔望んだ世界なんだから、怖がっちゃだめなんだよ」
 彼女らの言葉に、ほんの少し。ほんの少しだけだが、何かが軽くなった気がした。小さな変化だが、今の私には十分に思える。
「さ、いこうか」
「はい‼︎」
『次は、次世代アイドルユニット『Tri clap』です』
 無機質なアナウンスが、台本を構え口を動かしている。この二つ名はおそらく宮古が考えたものなのだろう。その名に恥じぬよう、今の私たちで、全力で…
 歓声の上がる、壇上の世界。今までの世界を生きていたのなら、絶対に見られなかった光景だろう。これから私は、緊張だとか不安なんかを全て消し去り楽しもうと思う。
 何故自分がセンターにいるのだとか。
 ぽつぽつと覚えのある顔が見えるとか。
 そんな事は忘れよう。今この生きる世界にいる私は、今までの七海蕣ではない。
 そしてイントロが流れる。この二つだけの耳では溢れ、こぼしてしまいそうなこの音たちは、私たちのデビューを飾るために流れている。
 今、第一声を。息を大きく吸い上げて、好奇心と捉えるが一番近いであろう笑顔で歌い出す。相変わらず見える景色は全てが新鮮な世界。私たちTri clapの歌声に思考を預けている観客という光景が更なる本気を引き出してくれる。
 ステップ。ターン。身体はもう全ての振り付けを記憶していた。次から次へと進む曲と、私たちは完全に調和した。このままいつまででもなんて、訳3分に願ってみたりする。

「最高だぜ蕣ちゃん。これからも応援してっからね」
 この会場にて毎度の如くパーカーのポケットに手を突っ込み素晴らしい世界に浸る真昼は、そう呟く。
「成程…確かに、中々良いですね」
 そしてその隣に佇むのは千歳小葉。彼女もまた、同じ世界に浸る。
「んで、アンタ結局何がしたかったんすか?まさかもうTri clapのファンになっちゃったとか…」
「そう…ですね、ファンになっちゃいそうです。でも、私にそれは許されてませんので…」
「……んあ?」
 この阿呆の様な返事と共に、曲のラスサビが完結した。Tri clap最初のステージが、終わってしまったのだ。
「それでは、私はこれで…またいつかお会いしましょう?」
 そう言い、小さく手を振る彼女は人混みへと紛れ姿を眩ませてしまった。
「……まあいいか。さて、蕣ちゃんとこ行くとしますかね。あの小さい子にも挨拶したいし…」

 人混みを抜け、校舎の裏になっている駐輪場。彼女以外、誰一人としてその場には居ない。
 携帯電話を取り出し、通話画面へスワイプとタップを繰り返し、一つにたどり着く。
「……たった今見てきたわ。Quartettoの新ユニットをね」
『そうなの…?それで、どうだった?』
「まあまあ…いや、もしかしたら脅威なのかもしれないわ」
『そっか…いいなぁ小葉…私も見たかったなぁ…』
「まあ、土曜日だものね。仕事なら仕方ないわ…ああ、それとね。もう一つお知らせがあるの」
『…どしたの?』
「3人目候補、見つけたかもしれない」

 「えーなに⁉まだ中学生⁉︎すげえ‼︎つか可愛いなこの子‼︎ねえ蕣ちゃん!彩白ちゃん持って帰っていい⁉︎」
「なんで承諾が降りると思ったんですか…?」
 苦笑を飛ばしつつ、いろはちゃんを抱き抱えたまま下ろす様子のない真昼の茶番に付き合ってあげる。
「ちょっ…助けて…私この人苦手かもしれない…」
「そんな事いうなよー!すごい良かったよ!これからボクもファンとして楽しませて貰います‼︎」
 疲れからか既にぐったりとしたいろはちゃんを未だ抱きながら、こちらに笑い飛ばしてくれる。こういう事に、凄くやりがいがあるんだろうなと感じる。やっぱりこの世界に来て良かったかもしれない。
「よし。せっかくだからサッと着替えて学園祭楽しみに行きましょうか!」
 宮古の言葉に、いろはちゃん以外の声が重なっていた。とりあえずいろはちゃんを起こす所から始めようと思う。

 学園祭も終盤に差し掛かる。十分だと言い切れるほど楽しんだ我々御一行は、青春の代名詞である夕景を眺めながらクレープを貪っていた。
「いやー、なんかボク何もしてないのにすごい青春した感じになってるな」
「いいじゃないですか。私は今日、3人に支えられて完走出来たんですよ」
「蕣ちゃん……」
 少しずつ暗がりに沈むこの日は、私が生涯忘れるなんて事はなさそうだ。皆に支えられ、今の私がいる。今までの私を破り飛び出した、今の私が。
「青春だねぇくまいろー」
「そうだね…って‼︎私ちゃんと間に合ったんだけど⁉︎」
「んー、私は好きなんだけどな。その名前…」
 こうして、学園祭は幕を閉じる事となった。ハッキリ言って、一年目でこの楽しさだ。来年がどうなるのか今から楽しみで仕方がない。

「へいへーい、なにー?」
『なにー?じゃないでしょ⁉︎今日1日どこ行ってたの⁉︎』
「別にいいでしょプライベートなんだし…ほんと調は過保護というかなんというか…」
『いやだって1日ずっと連絡つかないし‼︎ほんとどこ行ってたの⁉︎』
「んー?近所の学園祭。あーそうだ!それでね、ステージやってたユニットが居たんだよ‼︎これは絶対面白いことになるよ!マジで!」
『学園祭…ユニット…?』
「うんうん、絶対調も気にいると思うよあの子らの事!」
『…とりあえず早く帰りなさいよ。明日も朝早くから仕事入ってるんだから。雪音は絶対寝坊するから目覚ましかけときなさい‼︎』
「ほんっと…過保護なんだよなぁ…」
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